オペラの夜

出掛けたオペラやコンサートを聴きっ放しにせず、自分の中で理解を深める為のブログです。

タリス・スコラーズ2015日本公演

2015-06-14 | ピリオド
<来日十五回記念特別プログラム>
2015年6月14日(日)14:00/兵庫県立芸術文化センター

ザ・タリス・スコラーズ The Tallis Scholars
指揮/ピーター・フィリップス
ソプラノ/エイミー・ハワース/エマ・ウォルシェ
/エミリー・アトキンソン/アマンダ・ワトソン
アルト/キャロライン・トレヴァー/パトリック・クライグ
テノール/マーク・ドーベル/クリストファー・ワトソン
バス/ティム・スコット・ホワイトリー/ロバート・マクドナルド

ジョスカン・デ・プレ「Gaude virgo 喜べ乙女よ」(四声)
パレストリーナ「Missa Papae Marcelli 教皇マルチェルスのミサ(六声)/Nunc dimittis(八声)」
アレグリ「Miserere ミゼレーレ」(九声)
アルヴォ・ペルト「Which was the sun 息子は何処へ/Nunc dimittis 今ぞ御身の僕を」
トレンテス「Nunc dimittis」(六声)


 今年、十五回目となるタリスコ来日ツアーで、西宮公演を聴きに赴いた。当日のプログラムの内、パパ・マルチェルスとミゼレーレは、六年前のびわ湖ホール公演でもやったし、アレグリの方は前回の兵庫芸文公演でも取り上げている。近年のタリスコのプログラミングにはマンネリ化の傾向と共に、取り敢えず良くハモって一般受けする、そんな曲を選択する傾向はあるようだ。

 まず、小手調べにジョスカンの四声モテットで、アレグロのテンポも爽やかに、ポリフォニーへの耳慣らしとなる演奏である。次は前半のメイン・プロで、パレストリーナ超定番の六声曲を八名で演奏する。毎度お馴染み、響きだけのような声のバス・コンビの支える、タリスコの豊饒なハーモニーを楽しむ。この通模倣様式ミサ曲は、建前上は定旋律ミサでは無いとされるが、それでも耳に付くメロディーはある。そこをピーターは確り聴かせてくれるので、僕はテノール定旋律ミサのように楽しんだ。

 ミサの演奏でグローリアとクレドで、それぞれ曲の終わった後に、会場から拍手が起こった。まあ、東夷で異教徒の聴衆ではあるし、これには致し方の無い側面もある。一説に拠ると、耶蘇の宗教儀礼に不案内な善男善女は、曲がアーメン・フーガで終わると、反射的に拍手するのだそうである。成程、そう言われればキリエやサンクトゥスの後、拍手は起こらなかった。但し、この拍手に対し、ピーターはいちいち客席に向き直り、満面の笑みを浮かべ答礼していた。

 初来日から二十六年目のタリスコの公演数は、今日で百二十二回を数えるそうである。日本が好き好きで堪らないピーター君であれば、異教徒の無知に由来する非礼を咎めず、タリスコの演奏を喜んでくれていると、好意的に解釈するのだろう。それは兎も角としてパパ・マルチェルスに付いて、パレストリーナの最高傑作とは言い難い、と云う意見が近年は富みに優勢となる中、ピーターがこの曲に固執する理由に付いて考えさせられる。

 アーメンで終わるグローリアとクレドは、ホモフォニックに良くハモり、単純に盛り上がる曲でもある。つまり客が間違えて拍手するのは、ポリフォニックな要素に乏しい曲を、むしろ歓迎しているからでは?と推測される。タリスコの演奏では緻密なチューニングの賜物である、純正で美しいハーモニーが、一般的に賞賛されているように思う。勿論、それも掛け替えの無い美点と思うが、和声に溺れてポリフォニーの線の浮き立たない、負の側面もある。パパ・マルチェルスにはパレストリーナのミサを特徴付ける、流麗な旋律に拠る模倣対位法と、和声進行とのバランスを失している弱点があり、そこにタリスコが十八番とする理由もあると考える。

 休憩後はミゼレーレで、舞台上に指揮者と五名の歌手を残し、平土間中央通路の上手側にはテノール導唱を置き、三階席正面下手寄りに四人組を配している。三階席でソプラノ・ソロを歌うのは、無色透明無味無臭のスペシャリスト、エイミー・ハワースである。少年モーツアルトが聴き覚えで採譜したと云う、有名なエピソードで知られる曲だが、モーツアルトならその位は朝飯前では?と思わせる、至極単純な応唱スタイルの、でもその単純な書法が効果的な曲である。やはりピーター君の偏愛の対象で、ルネサンス音楽専門のタリスコのポリシーから外れる、初期バロックの曲である。この曲を来日の度に取り上げるのは、観客サービスとしてのイヴェントの一種と、僕は理解している。

 後半のプログラムの眼目は、ラテン語歌詞「ヌンク・ディミティス」を、三人の作曲家のモテットで聴き比べる趣向。まず、近年ピーター君が入れ揚げているペルトだが、兎に角タリスコは良くハモるので、三和音を延々と繰り返す作風に合うとは思う。ただ、ミニマリズムとしても中途半端に感じられて面白くないので、僕は出来ればペルトは止めて欲しいと思っている。ピーターのポリフォニックな絡み合いよりも、子音をマルカート気味に合わせ、縦を揃えるハーモニー重視の演奏スタイルでは、聴いていて直ぐに飽きるのである。

 トレンテスと云う名前は初めて聞くが、年代的にはモラレスの後輩で、ゲレーロの先輩に当るスペインの作曲家らしい。聴いた印象では、スペイン・ルネサンス音楽の系譜に連なる、穏やかな作風と感じる。最後のパレストリーナは未出版で演奏機会の少ない、八声のダブル・クヮイアの曲を、十名で会場中に広がる音像を作り、コンサートの掉尾を華やかに飾った。

 ルネサンス音楽の分野で超絶的な演奏を聴かせ、日本での人気をタリスコと二分していた、ヒリアード・アンサンブルも寄る年波には勝てず、昨年末限りで惜しまれつつ解散した。純正なハーモニーに拘泥し、対位法的な展開を犠牲にする傾向のあるタリスコより、僕はヒリアードの明快なポリフォニー演奏を好む者だ。しかし、その演奏も今は録音でのみ聴く、想い出の世界の出来事となって終った。タリスコはピーターを指揮者とする合唱団で、本人にヤル気と体力さえあれば、メンバーを順次入れ替え(今までもそうして来た)、棺桶に入る直前まで演奏活動は可能だ。

 タリスコにタリスコの魅力はあるけれども、僕はヒリアードの後継者足り得る、新たな一パート一人のアンサンブルの出現を切望している。そう云えばドミニク・ヴィスも良い歳だし、ジャヌカン・アンサンブルも何時まで現役で活動出来るのだろうか。自分に残された年月を数える、僕もそんな歳になったのだと、シミジミ感じる今日この頃である。
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