オペラの夜

出掛けたオペラやコンサートを聴きっ放しにせず、自分の中で理解を深める為のブログです。

ロッシーニ「マホメット2世」

2008-11-15 | イタリアオペラ
<日本初演/ペーザロ・ロッシーニ・オペラ・フェスティバル>
2008年11月15日(土)14:00/びわ湖ホール

指揮/アルベルト・ゼッダ
ボルツァーノ・トレント・ハイドン・オーケストラ
プラハ室内合唱団

演出/ミヒャエル・ハンペ
美術/アルベルト・アンドレイス
照明/ハンス・トレステーデ
衣裳/キアラ・ドナート

マホメット二世/ロレンツォ・レガッツォ
アンナ/マリーナ・レベカ
エリッソ総督/フランチェスコ・メーリ
将校カルボ/アーダー・アレヴィ
将校コンドゥルミエーロ/エンリーコ・イヴィッリア
従臣セリモ/コジモ・パノッツォ


 僕はロッシーニのオペラ・セリアを実演で観るのは今日が初めてで、この分野に関しては全く疎い方である。一般にも馴染みの薄い演目なので致し方もないが、今日の客席は半分も埋まっているかどうかで、ガラガラと云う表現が実態に近い。七月のパリ・オペラ座も地味な演目を並べたが、あちらはパリ・ブランドで観客を集める事が出来た。これに対して「ロッシーニ・オペラ・フェスティバル」は、開催地のペーザロの地名を隠す作戦で、宣伝せざるを得なかったのが苦しい。でも、ロッシーニと云えば、毎度「セヴィリアの理髪師」と云うのも芸の無い話で、珍しい演目を近場で見物出来るのは、個人的には誠に有難い。

 「マホメット二世」は、ヴェネツィア共和国の植民地であるネグロポンテ島の守備隊が、オスマン朝トルコ軍の攻撃に敗北を喫すると云う、史実に拠ったお話し。島の総督エリッソの娘アンナは、敵の王様マホメット(イスラム教の預言者ムハンマドは別人)と恋仲で、父親との板挟みに悩むストーリー。イタリアとトルコの戦争物と云う事では、ヴェルディの「海賊」を、敵の王様に好かれてヒロインが困ると云う点では、同じく「アッティラ」を連想する題材である。有難い事に若杉弘さんのお陰で、びわ湖ホールでは両方のオペラを実演で観せて頂いており、若杉ファンの僕は“日本初演”に対し、充分な耐性があるのです。

 戦争物なので当然の事ながら、暗い台本に暗い音楽が付いている訳だが、ロッシーニの音楽自体は抽象的なものなので、何だか「セヴィリアの理髪師」の音楽でもって、暗い内容を語っているようにも聴こえてしまう。これは指揮のゼッダに専ら責任があって、如何にも楽しそうにロッシーニを振る姿に好感は持てるのだが、この人のオケの鳴らせ方は装飾的に過ぎるように思われる。決まり切ったようなパターンの音楽で構成された様式性により、ロッシーニのオペラはブッファもセリアも、同じような形式で作られる事になる。ロッシーニに旧作の使い回しが多いのは、音楽自体がプレハブ建築みたいなもので、あちこちから材料を引き剥がして来て、曲を組み立てる事が可能だから、と云う事情がある。

 ゼッダさんによると、「ロッシーニが当時の様式を踏み越えようとした革新的な一作です。劇的なレチタティーヴォ・アコンパニャート(管弦楽付き朗唱)が頻発し、長大なアリアよりも人間関係を示す重唱やアンサンブルの比重が高くなります。実に難しいテノールの役にはアリアそのものがなく、ヒロインのアンナも純粋なアリアは短い『祈り』一曲です」、と云う事になる。しかし、その革新性と云うのも、所詮はロッシーニの古典的な音楽観の範囲内に留まるもので、これにゼッダのようなブッファ寄りの解釈を施すと、音楽と台本の間にある齟齬を、拡大してしまうように僕には思える。早い話、馬力が足りないんですな、ゼッダさんには。

 今日のセットは、イタリア陣営の教会内部の一つだけ。トルコ側の軍営はセットではなく、舞台奥のカーテンの前に絨毯を敷き、寝椅子を一つ置いただけの簡素なもの。トルコ軍の兵士達の軍服は、金と赤で童話的に華美なのに、イタリア側はセットも衣装もくすんだ色合いで、照明まで暗くしてある。軽やかで明るいゼッダの演奏は、トルコ軍のキンキラキンには合うが、イタリア軍の灰色のトーンには合わない気がする。ハンペの演出も至極穏健と云うか、あまり芸の無いもので、奇を衒った処は何もない。この音楽祭の目的はロッシーニの音楽を聴かせる事にあるので、演出に凝る必要は無し、と云う方針を視覚化したような具合。

 「義務と愛情とに引き裂かれるアンナは、最後に自分の命を絶ちますが、これは祖国を救うためではなく、自分のアインデンティティーを失ってしまったが故の行いです。偽名を使っていた昔の恋人が、実は侵略者マホメットその人と知らされたとき、アンナは彼の裏切りに深い喪失感を覚えるのです。蝶々夫人とも似た心情ですね」と云う、これもゼッダさんの真っ当な洞察を、今日の演出から読み取る事は出来なかった。

 名前を聴いた事のない人ばかりだが、さすがに歌手達は粒揃いだった。タイトル・ロールのレガッツォは、ロッシーニ演奏のバスとして評価の高い人だそうで、そのアジリタの技術は見事なものだった。ただ、あまり長いカヴァティーナを歌われると、この人のバスの音色が単調なので、僕は途中でやや飽きてしまった。アンナのレベカと、エリッソのメーリは、二人とも80年生まれの28歳と云う、バリバリの若手。レベカは甘い音色のある中音域が魅力的で、高音部にも伸びやかさがある。一幕ではやや抑え気味だったが、二幕のシェーナでその実力を存分に発揮。コロコロと声を転がす、アジリタの技術も高いのに、強い声でフォルテッシモを歌い切る力も備えて、この人は今すぐにでも、ウィーンやミラノで主役を張るだけの実力があると思う。

 メーリの方もアジリタは確かで、エリッソと云う超難役を良くこなしていたとは思うが、まだアクートと実声の繋ぎ方が未熟で、中音域の太い音色と、無理矢理絞り出すような高音は、やや魅力に欠ける。でも何と言っても、まだ若い歌手なので、これから勉強と経験を積んで伸びて行く、立派な素材だろう。カルボのアレヴィも柔らかな声質が魅力的なメゾで、二幕のシェーナで聴かせてくれた高度なアジリタの技術は、今日のメンバーの中でも出色のものだった。

 色々と文句は付けたが、ゼッダの軽妙洒脱な演奏は、ロッシーニの楽しさを存分に味合わせてくれるものだった。ただ、ロッシーニなら何でもやりたい気持ちは分かるが、この指揮者の本領はセリアではなく、ブッファにあるのだと思う。ゼッダさんの「セヴィリアの理髪師」や「チェネレントラ」は、本当に楽しいだろうな、と云う程度の推測は僕にも付くので、それだけは少し残念に感じた。

 写真は休憩中の会場内でお見かけしたファルスタッフ…じゃなかった、グスタフ・クーンさんです。ご協力ありがとうございました。
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2 コメント

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貴重な体験 (たく)
2008-11-30 22:53:39
私のサイトにもお越しいただきありがとうございます!

今回はレガッツォの調子の関係で尻上がりに良くなっていったみたいで。。こればかりは出演者の水もの、ホントにわかりません。(過去びわ湖で大絶賛で東京着たら疲れ果てちゃっていたという例もありますし。)

レベカにロッシーニソプラノの真髄を見た気がします。次回来日の成熟が本当に楽しみです!

でもこの貴重な体験をできたこの巡り合わせには本当に感謝します!
たくさん、初めまして。 (Pilgrim)
2008-12-01 22:38:06
 ご挨拶頂き、恐縮です。

 ゼッダは絶賛しても、クーンは鈍臭いみたいな言い方をされる向きが多いのですが、ロッシーニのセリアの演奏に関しては、もう少し許容範囲を広く取っても良いのではないか、と僕は思います。

>レベカにロッシーニソプラノの真髄を見た気がします。
>ブレスがぜんぜんわからないんです!

 全く同感です。

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