オペラの夜

出掛けたオペラやコンサートを聴きっ放しにせず、自分の中で理解を深める為のブログです。

マスカーニ「イリス」

2011-02-20 | イタリアオペラ
<京都市交響楽団特別演奏会/セミステージ形式上演>
2011年2月20日(日)15:00/京都コンサートホール

指揮&演出/井上道義
京都市交響楽団
京響市民合唱団

照明/足立恒
衣装/谷本天志
胡弓/篠崎正嗣
人形師/ホリ・ヒロシ
邦楽師/杵屋利次郎社中
踊り子/橘るみ/馬場ひかり

イリス/小川里美
大阪/ワン・カイ
京都/晴雅彦
父チェーコ/ジョン・ハオ
ディーア&芸者/市原愛
屑拾い/西垣俊朗


 「イリス」はヨーロッパ19世紀末を席巻した日本趣味、ジャポニスムに乗った作品の一つで、1898年にローマで初演されている。ギルバート&サリヴァンのオペレッタ「ミカド」初演の11年後、プッチーニ「蝶々夫人」初演の六年前だった。台本は「蝶々夫人」や「トスカ」「ラ・ボエーム」も手掛けた、ルイジ・イルリカである。プッチーニと協働し、典型的なお涙頂戴のストーリーを書いたイルリカの台本であれば、この「イリス」も“泣ける”オペラと思ってしまうが、観終えた僕は「ペレアスとメリザンド」を連想し、どうもその辺りの説明が難しい。やはり上演頻度の少ない事に、それなりの理由はあると思う。

 「物語の舞台は昔の日本、何時とも知れない伝説の時代」で、イルリカは台本執筆に当り「日本やその習慣・風俗に関してかなりの調査をした」との事である。ジャポニスムは北斎や広重の浮世絵と、宗達や光琳の琳派のデザイン性を、印象派やアール・ヌーヴォの画家達が取り入れた事に歴史的な意味がある。造形芸術の場合、お手本となる浮世絵や工芸品を入手すれば、それでゴッホさんやロートレックさんは満足だろうが、オペラのような音楽と演劇の総合芸術となると、事は一筋縄で行かない。

 イルリカさんが如何に真剣に日本研究に取り組んだとしても、19世紀末のイタリアで入手出来る情報では、質にも量にも問題はあっただろう。だから「大阪」とか「京都」とか地名が役名なのに、イリスだけは横文字の名前だったり、吉原遊郭で身投げすると、そこは富士山麓だったと云う地理関係(恐らく台東区の吉原と、静岡県の吉原を混同している)とかに目くじらを立てても、僕は仕方ないと思う。物語の舞台はティティプー(秩父?)で、役名はミカドにナンキ・プーにココ、ヤムヤム、カティシャとなっている「ミカド」と比べれば、「イリス」の方が大分マシではないでしょうか。

 作曲のマスカーニにしても同じ事で、しかも音楽の場合は五線譜に記された楽譜としての資料の無いと、お話にならないと云う事情がある。だって日本まで出掛けて、フィールド・ワークしろとか言えないでしょう?マスカーニさんに…。読売新聞の記事に拠ると、ドイツ人医師で植物学者のシーボルトは余技に作曲もする多才な人で、日本から国外追放された後の1836年にピアノ組曲「日本のメロディ」を、オランダで楽譜出版しているそうな。この組曲の中の「かっぽれ」の旋律が、「イリス」二幕に登場するらしい。「あの娘を見たさに」とシーボルトが楽譜に書いた歌詞も、そのまま使われていると云う。

 この旋律をマスカーニが引用したとする証拠は無いらしいが、情報の乏しい中で「イリス」を作曲する際、日本帰りのシーボルト作曲の旋律を流用したとは、大いに有り得る話だろう。また、シーボルトはジャパニーズ・アイリスと呼ばれる花菖蒲の学術名、イリス・エンサタの命名者とも云われる。因みに西洋菖蒲のアイリスは、ギリシャ神話の虹の女神イリスに由来している。

 このオペラの日本初演は85年の日生劇場公演で、再演は一昨年の東京芸術劇場公演、そして三度目の今回は東京と京都で一公演づつの行われたが、何れも指揮に当ったのは井上ミッキーである。スポンサーを募る事から始める、公演プロデューサーとしての役割も果して、この人の「イリス」と云うオペラに傾ける情熱には、並々ならぬものがある。まあ、井上はオペラの専門家ではないし、もう色々とやる気は無く、ミッキーと云えば「イリス」で充分と考えているのかも知れない。

 オケは舞台上に陣取り、歌手の演技は二列目迄の座席を潰したエプロン・ステージと、舞台奥に一段高く作られた山台で行われ、その間を繋いでいる花道は、イリスのお家の前を流れる小川も兼ねている。コンバスのピアニシモの序奏でオペラは始まり、そのまま“太陽賛歌”のコーラスに雪崩れ込む。聴いた人は誰でも言うが、このオペラの冒頭とフィナーレの合唱は、圧倒的な魅力に溢れている。これの無ければ「イリス」と云うオペラを、恐らくは井上を含めた誰も取り上げないだろうと思う。

 今日のコーラスは市民合唱団を名乗り、僕はド素人を掻き集めた第九コーラスかと心配していたが、これは杞憂だった。アマチュアとしては充分な声のパワーがあり、何よりも指揮に対してセンシティヴに反応する、鋭敏な感受性のあるのが素晴しい。人数は百名近いが全員での合唱は最初と最後だけで、後は十名の村娘の女声合唱と、六名の行商人の男声合唱の別働部隊が、演技とアンサンブルに活躍する。これもアマチュアとは思えん歌唱レヴェルの高さで、僕は感心頻りだったが、後日こちらは東京公演の武蔵野音大合唱団の選抜メンバーに、地元のトラを加えたプロと判明した。

 一幕は二胡やら三味線やら鳴り物の動員され、ト書き通りに人形芝居も演じられて、賑やかな舞台を設えた。ややゴタゴタして、整理不足の気味はあるが、ここは井上ミッキーのサービス精神に富んだ演出を素直に楽しみたい。衣装も純和風ではなく、モダンにアレンジされた無国籍風だったが、「イリス」は幾ら日本が舞台と云っても、要するに「エキゾチックな見知らぬ異国」のお話しなので、ここはお伽噺風にやるのが正しいのだろう。

 タイトル・ロールの小川里美は長身の若手美人歌手で、何と99年度ミス・ユニバース日本代表。見た目は申し分無いし、高音の良く伸びるイタオペ向きのソプラノと思うが、やや力任せに歌う嫌いのあって、パセティックな盛り上がりは今ひとつ。そもそもイリスはオペラの主役なのに、自分の感情を露わにする事が無い。誘拐されて芸者に売り飛ばされ、父親にも見放されて自殺する、そんなメロ・ドラマの主人公なのにアリアの歌詞は妙に抽象的で、観客側からすると感情移入し辛いものがある。オペラの筋立てと、イリスの感興の吐露とは互いに独立して、両者は関係性に乏しいのである。

 つまりメリザンドと同じように、イリスは主体的に行動を起さないし、二人とも何を考えているのかも良く分からない。その辺りから、僕は「ペレアスとメリザンド」を連想したが、そもそも「イリス」にはペレアスに当る役が存在しない。オオサカは立役者のテノールの筈が単なる悪役で、これはイタオペでは他に類例の無い程、珍しいパターンではなかろうか。似た様な構図に「リゴレット」は思い付くが、でもリゴレットとチェーコに類似はあっても、マントヴァ侯爵をオオサカと比較するのは無理のあると思う。

 イリスもオオサカもキャラクター造形の曖昧で、主役としてクッキリと立ち上がっては来ない。オオサカのワン・カイは美声だが、重目の単調な歌い振りで、もっと軽やかなテノールの声の欲しい。それと随分とデカイ図体で、演技的には文字通りの独活の大木。オペラの主役テノールなんて、それで別に構わない筈なのだが、オオサカの場合は悪役としての存在感の無いとダメで、この辺が難しい。

 そう云う訳で、キョートの晴さんの演技も孤軍奮闘気味で、空回りしてしまった気配もある。軽薄な太鼓持ちの側面と、その裏にある冷酷な女衒としての顔とを使い分けて、相変わらず達者なものだが、主役の二人に存在感の無さ過ぎて、晴さんの演技もルーティン・ワークに見えてしまう。でも、誰もが言う通りマスカーニの音楽自体は、本当に美しい。一幕幕切れのお父ちゃんの嘆きの歌は、「リゴレット」のように悲痛で、これを歌ったジョン・ハオは若い人のようで、深味はないが響きの良いバスだった。脇役だが市原愛もレジェーロな声で、リリコの主役との声の対比が美しい。

 そして何よりも今回の公演の要である、井上ミッキーの指揮が素晴しかった。まだ若い頃から、この人のオケをドライヴする能力は折り紙付きだったが、その上に即興的なデュナーミクの付け方の巧みで、オケに嫋々とヴェリズモを歌わせる。彼のクサイ身振りも、還暦を過ぎて板に付いて来た趣のあって、曲自体を手の内に入れている事もあり、楽々と緩急自在に音楽を表現している。しかし、ミッキーがこんなにヴェリズモの巧いとは、やや意外に感じる程だった。

 オペラの幕切れに、冒頭の“太陽賛歌”が再び賑々しく歌われ、「イリス」は華々しく全曲を終える。兎に角、最初と最後のインパクトの強くて、何だか感動して終うが、その間に何があったかを忘れてはイケナイ。初めて接した「イリス」は、その台本の不出来が、救いようのないレヴェルと感じる。観客が感情移入出来ないタイトル・ロールの居て、後は悪玉ばっかしで善玉のヒーローの存在しない、この台本ではマスカーニの作曲する前から、失敗は約束されたようなものだ。

 だから僕のツラツラ思うに、これはト書きに沿った演出を施しても、効果の揚がらない変なオペラで、いっその事「リゴレット」の16世紀イタリアに時代設定して演出すれば、まあ観れる舞台になるかも知れない。僕も井上ミッキーの苦心と努力に、敬意を払うのに吝かではないが、このオペラは演奏会形式でやれば、それで充分と確信する。音楽の美しい事に、間違いは無いのだから。
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