玖波 大歳神社

神社の豆知識

現代に於ける人神

2017-08-09 14:19:41 | 日記

 「大己貴神が幸魂・奇魂を三輪山に勧請したことに倣い、生勧請を行い皇霊に仕える」という考え方が理解される状況が在ったからこそ、「幕府を滅亡させても天皇中心の国で有る限りこの国は大丈夫」というコンセンサスが形成され、尊皇のために命を捧げることができたのだと思う。
 新政府側としても、国家統合を強化するためには、尊皇思想しかこの国には考えられず、天皇陛下が政治の頂点にあることの意識を民衆の多数のコンセンサスから国民全体の合意に高めていく必要が有ったのだろう。戊辰戦争の英霊を神として祀るために、全国に招魂社を創建したのもそのためだろう。
 「蘇我氏・道鏡・平将門を討伐した古代の忠臣」「楠木正成・北畠親房などの南朝の忠臣」「皇室尊崇の事跡が認められた戦国武将」「顕彰される臣下として位置づけ直された天下人」「明治維新の功労者」祀る神社を「別格官幣社」に位置づけたのもそのためだろう。
 ただ、民衆は、多様で有り、新政府の思う通りには動かないもので、英霊顕彰・慰霊・手本・御利益等の思いが有ったり、新政府に刃向かった者も同様に扱ったりするのである。 
 また、靖国神社の栞の祭神の欄には、『靖國神社には、幕末の嘉永六年{一八五三)以降、明治維新、戊辰の役、西南の役、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争(第二次世界大戦)などの対外事変や戦争に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた二百四十六万六千余柱の方々の神霊が、身分や動功男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖國の大神)として斉しくお祀りされています。
 その中には軍人ばかりでなく、明治維新のさきがけとなつて斃れた坂本龍馬・吉田松陰・高杉晋作・橋本左内といった歴史的に著名な幕末の志士達をはじめ、戦場で救護のために活躍した従軍看護婦や女学生、学徒動員中に軍需工場で亡くなられた学徒などの軍属、文官、民間の方々も数多く含まれています。また、その当時、日本人として戦い亡くなられた台湾及び朝鮮半島出身者やシベリア抑留中に死亡した軍人・軍属、大東亜戦争終結時にいわゆる戦争犯罪人として処刑された方々も同様に祀られています。このょぅに多種多様な方々の神霊が、祖国に殉じられた尊い神霊として一律平等に祀られているのは、靖國神社創建の目的が、「国家のために一命を捧げられたこれら人々の霊を慰め、その事績を後世に伝える」ことにあるからです。』となっており、現代では神となる条件は殆ど、無くなりつつあるように思える。
 天皇の親拝問題{昭和天皇は、戦後は数年置きに計8度(1945年・1952年・1954年・1957年・1959年・1965年・1969年・1975年)靖国神社に親拝したが、1975年(昭和50年)11月21日を最後に、親拝を行っていない。この理由については、昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感をもっていたからという仮説があったが具体的な物証は見つかっていなかったが、宮内庁長官を務めた富田朝彦が1988年(昭和63年)に記した「富田メモ」、及び侍従の卜部亮吾による「卜部亮吾侍従日記」に、これに符合する記述が発見された。平成の現在も今上天皇による親拝中止は続いている。なお、例大祭の勅使参向と内廷以外の皇族の参拝は行われている。}の理由は確定しないが、天皇陛下に参拝しない自由があったり、遺族が、祀って欲しくない訴訟を起こしたり、逆に「祀ることは自由で、信教の自由を侵害されてはならない。」との主張もある。このことからも、終戦後のこの国では、変な「横並び平等主義」が正当化され、帰幽した者全てが神になる可能性がある。つまり、「あだ味方 勝つも負くるも 哀れなり 同じ御国の人と思へば(太田垣蓮月)」のように「会津藩士や西郷隆盛も祀るべき」との意見も強くなるだろう。「あだ味方 勝つも負くるも 哀れなり 同じ御国の人と思へば」しかし、もう一つの正当である「個人の自由」によって、家族と同じ墓に入りたがらない者すら多く存在するようになり、このような者は、他人に神として祀られるなど想像すら出来ないのである。前者は、何が尊いかが曖昧な世相で有ることを示し、後者は、家族・地域・共同体の崩壊を示している。
 この国の、未来を考える上で、人が神として祀られるべき条件を明確化し、尊敬・感謝・畏怖・肖りたさ等々を感じられることが大切で、全体としては逆賊であっても、地域に於いて、尊敬・感謝・畏怖・肖りたさ等々を感じれる者は、神として祀られるようなコンセンサスを得ることも大切である。自分たちの存在が、何によって造られ、守られ、支えられているのかを深く考える環境整備を考えていかなければならない。本来、海外から、A級戦犯の合祀に何を言われようとも、彼らが、国民全体が責めを負うべき事柄を一身に受けて処刑されたことに有り難さを感じ、それをどう形に表すか考えたとき、この国の国民であれば、海外の批判と共に批判するのではなく、自然に、掌を合わせ額ずくようになるはずである。

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