オイラは凡夫。

生きて生きて生きて生きとるのさ。

迎春

2012-01-01 18:22:15 | 新年


2011年、僕の中での時が止まった年。
「止まってる。」
言葉だけではあまりいいイメージはしないけど、そうではなくて。
僕の中で、今後僕が生きていく上でそこがとても大事なことだったからこそ立ち止まって考えさせてくれてたんだと捉えることができたのが年末になってからでした。

今年は伝えようと思います。僕の中で大切に思ってることを。

いろんな方にそう感じさせていただけるのは幸せなことです。
皆に感謝しています。





本年もどうぞよろしくお願いいたします。

小学校を卒業し、中学生になります。

2011-11-16 19:30:35 | 周年

6周年を迎えました。
5周年からの一年間、考えぬきました。
煩悩や
善悪。
常や
性。

だからこそ今、思います。人はすごい。人の繋がりはすごい。


周年のお祝いの連絡をくれた方々、ありがとうございます。
お花、電話、メール。
どれも深く感謝しています。本当に感謝してます。
繋がっててくれてありがとう。いつも助けてくれてありがとう。
大事なことをちゃんと感じれる池さんでいますずっと。







まだまだ義務教育のオイラたち。
でも少しやんちゃになる年頃だな。
えへへ
これからもよろしくね。



握りしめるその気持ち。

2011-10-10 20:02:17 | 紹介






ヒーちゃんが手を合わせて言った。
「いいお祭りができた。これで足も治る。ありがたい。」


「ありがたい」という言葉からたくさんの事を思わせてもらいました。




手を合わせる。

2011-10-10 19:53:48 | 何気ないもの



大正5年生まれの竹村のばーちゃん。何もないような山奥で育ち子どもを育ててきたばーちゃん。
いつも人に感謝して生きてきたばーちゃん。

某ファーストフード店のフライドポテトをお供えし、手を合わせるばーちゃん。
ある「物」のありがたさ、もったいなさを改めて教えてくれるばーちゃん。
手を合わせるとはを教えてくれるばーちゃん。
ありがたい。


心に・・・

2011-10-10 19:33:22 | 日記



柿を見て美香ちゃんの息子、幹太が言った。

「重さんは幹太くんの心におるよ。」

毎年柿を持ってきてくれてた重さん。
それは情景として皆の心に生きてます。
自然と思いだす、そんな生き方を僕たちはしています。






重さんが亡くなった後、息子さんが重さんのカメラのデータを見た時に出てきた画像。
僕がテレビに出た時の映像(テレビ)をカメラで撮ってくれてて残してくれてました。
ただただ重さんの大きさを再確認させてもらいました。

後少しで注連縄と門松の時期です。
毎年、「まだ若いもんには門松は譲れん」と言ってた重さん。
今年は重さんの仕事を手伝わせてもらおうと思います。

忘年会の時期も近づいてきました。
去年、「こんなにも大所帯になって、すごいの~」と誉めてくれた重さん。
あなたに感謝してます。


池さんができてからずっと見守ってくれてありがとうございました。
教えてもらったことをこれから自分たちでやって行こうと思います。
また自然と思い出す日に会いましょう。



美しいから美しいのではない。

2011-10-10 19:28:33 | 何気ないもの




ケア二バルで宮島から見上げた空。

因と縁と果。






細川さん、ガースーさん、あきらさんと食べたナスの漬物最高でした。
皆さんありがとうございました。
藤渕さんありがとうございました。



好きなこと2。

2011-10-10 19:27:20 | 何気ないもの




のんびりエギング。


好きなこと。

2011-10-10 19:25:30 | 何気ないもの





魚を捌くこと。


夢の本。

2011-10-10 18:21:12 | 何気ないもの







皆さんには見えますか?




『夢の本』が積まれてるのが。




ここで言う「夢」とは・・・人の記憶であり、生きてきた歴史。




人はこの本を持ち、「死」にゆくそうです。






あるのかないのかで語ることができないものがあの瞬間にはありました。

そしてまた日は流れる。

2011-08-21 17:16:55 | 日記
「通夫さんの奥さんが亡くなったみたい。」
泊り明けで大頭にいた僕は大ちゃんママから朝連絡をもらった。僕は急いで通夫さんの孫に連絡した。
今日がお葬式なんよと言う友達の声は小さく、信じれない気持ちが大きかった僕は本当なんだと思うしかなかった。
お葬式でいろんな事を思ったんだけど、おばぁちゃんはきっと通夫さんとおりたかったんだろうなって気持ちが強かった。
あの日から離れてしまってたから。きっとそうだろうと。これでやっと一緒になれたのかもしれないと。

そしてその日の夜、大頭に泊ってる政子さんが廊下の扉をあけて玄関を見ながら言ったらしい。
おじいさんとおばあさんが来とると。その日の泊りはさやかちゃん。
次の日の朝、さやかちゃんにそれを聞き、挨拶に来てくれたんだろうねと言いあった。
そう思える日々が僕たちには存在してる。


じーちゃん美代ちゃんの新盆。
ヒーちゃんにお墓参りに行こうと伝えたら、「新しい靴下を出してくれ。お米を一握りだしてくれ。」と言い、
僕があげた巾着袋にいろいろ詰めてお墓参りの支度を始める。
大頭という場所で井上家とともに過ごした日々。
ヒーちゃんの記憶にはないかもしれない、けど、けど、それは事実として存在してた日々。真実。
誰のお墓なのかはわかってないかもしれない。けど、それはいい。
でも、あの日々を過ごした人たちが、あの日々を過ごした人たちのもとに行ってるのは事実。

最近だんだんと歩くのがしんどくなってきてるヒーちゃんのことを思うと、この坂は無理だろうと思ってた。
だから車椅子は持っていかなかった。車で待ってもらうつもりだった。
でも現地に着くと「無理」とかではなく、
何も考えず一緒に車を降り、そこらへんに落ちてた桜の木の枝をヒーちゃんに渡して歩いてた。


でも、急な坂道。
心配して無理なら背負うからと伝える僕に、「これくらい何ともない。」と言いながら、急な坂道をのぼってる。
最後の急な坂をのぼりきる間際に見えてきたお墓。
あの日々を知ってるその後ろ姿に様々な感情が込み上げてくる。



二人仲良く迎えた新盆。

ただただ大きい存在なんだと思う。

帰りにじーちゃんと美代ちゃんの家に寄った時、娘さんが言ってくれた。
「たぶん、じーちゃんとばーちゃんは大頭に帰ってると思う。」
あの二人からしたら、家は大頭なんだと。
そう思ってくれる家族の凄さ。その思いが心に響く。何よりも。

大頭に戻った僕たちは、じーちゃんと美代ちゃんの部屋にお菓子を甘いお菓子を供えました。
たぶんおるからさ。







今日、ある方のお葬式でした。
それはまたにします。