数日前、yama42さん(以下、敬称略)から連絡があって、昨年、NHKで放送された『ジャッジ島の裁判官奮闘記』の続編のロケに
エキストラとして出ちゃおう、ということで昨年12月に移住したハーレーライダーのN君を誘って、N君のワゴン車で行って来た。
島で何度か見かけた旅番組のロケは、せいぜいタレント二人、カメラマン、音声マン、ディレクターに雑用係という程度のモンで、「本格的なドラマ撮影ってのはどんなもんだろう?」ちゅうことで行ってきたのだ。
上の写真は、そのロケ現場の全景。
今回は、「主人公の裁判官が訪れた与之島(与論島がモデル)で、たまたま行われていた春の(!)行事『浜下り』に参加する」というシーンらしい。
はじめて『浜下り』を体験する満一歳以下の赤ちゃんを抱いて、お父さんかお母さんが赤ちゃんの足を海に浸けるシーンと、
『浜下り』の宴で盛り上がって老若男女が《与之島小唄》を唄い踊るシーンのエキストラが呼ばれたのだ。
10時集合、という連絡に遅れること数分でロケ現場の土盛(ともり)海岸に到着。
既に30人近くのエキストラが、大型簡易テントの下でスタンバっている。
ナニかの役に立つかな、と三味線担いで行ったら、
「三線弾きの方ですか?」とスタッフさん。
「は? はぁ」事態が把握できていないオレ。
「《与之島小唄》というのを弾いてほしいんですよ、メロディは《十九の春》と一緒で・・・」
「《十九の春》は弾けません」
「困ったな、(近くの別のスタッフに)おい、弾けない人が来ちゃったよ!」
「あのー、ボクらはただのエキストラで来たんです。そういう話なら、誰かプロの人に頼んであるんじゃないんですか?」
もちろん、これは双方の勘違いで、三線は登川流師範の本田えーゆーしぇんしぇがちゃんと頼まれていたのだが、一瞬ビックリしたオレとスタッフさんなのだった。
その前のロケが遅れているとのことで、ようやくはじまったロケは、赤ちゃんたちの出演から。
勿論、オレは赤ちゃんの場面には全く関係なし。
お母さんだけが来ていた赤ちゃんに対して、スタッフさんが「誰かお父さんをやってくれませんか?」と言うのに、yama42を指して「おじいちゃんならそこに居るヨ」と言ってみたら、ナニが気に入られたのか、即採用。
「おじいちゃんかよ」とボヤきながらヨロヨロと出て行ったyama42に後で話を聞けば、「キャストの会話の背景だった」とのこと。
そんな最中にえーゆーしぇんしぇが到着し、《与之島小唄》の練習を何度かしたのが上の写真。
こちらは、エキストラ赤ちゃん。
小さな足に草鞋を履いて海に浸けると元気に育つ、という南西諸島に広く伝わる風習なのだ(地域により、草鞋無しもあり)。
そして宴のリハーサル。
三箇所に大きなシートが敷かれ、メインキャストがそれぞれ分散して座る。
最初にこの話をyama42に持ってきたえーゆーしぇんしぇが《与之島小唄》の三線を弾く役という事もあって、yama42は、太鼓叩き役を振られてえーゆーしぇんしぇと共に浅野温子、メインゲストの石橋蓮司のいるシート、
オレは主演の裁判官西島秀俊と(たぶん)重要な役廻りの医師役のシート、
N君ほか知人二人は、島の長老役のシートとナゼか上手く分散配置になる。
リハが終わって、「自分の座った位置を忘れないでね」とか言われて、
「オレは医師役の隣か、写るなコレハ」と思っていたのだが、ロケ弁当が配られてから、一向に撮影が進まない。
3時を過ぎ、「今晩、ヨメと焼肉」というN君が時間切れで帰ることになり、当然、便乗してきたオレも一緒に帰ることになりました。
よって、ロケ本番は未体験。当然、TVにも写りません。
以下、印象。
浅野温子さんは、会話をしたわけではありませんが、携帯で「疲れきったスタッフぅ~」などと写真を撮ったりで、TVで見るイメージ通りのチャキチャキした感じの人でした。
西島秀俊さんは、「放送はいつなんですか?」と訊くオレに「11月頃だと思います」と丁寧に応えてくれました。さらに、本番前に帰るオレたちに、「お疲れさまでした」とちゃんと声を掛けてくれたのが、印象に残りました。
オレとしては、昔オレが演劇青年だった時代(20年以上も前の話)に、『もっとも凄みのある役者』として尊敬を集めていた石橋蓮司さんを近くで見たかったんだけど。
人気blogランキング
エキストラとして出ちゃおう、ということで昨年12月に移住したハーレーライダーのN君を誘って、N君のワゴン車で行って来た。
島で何度か見かけた旅番組のロケは、せいぜいタレント二人、カメラマン、音声マン、ディレクターに雑用係という程度のモンで、「本格的なドラマ撮影ってのはどんなもんだろう?」ちゅうことで行ってきたのだ。
上の写真は、そのロケ現場の全景。
今回は、「主人公の裁判官が訪れた与之島(与論島がモデル)で、たまたま行われていた春の(!)行事『浜下り』に参加する」というシーンらしい。
はじめて『浜下り』を体験する満一歳以下の赤ちゃんを抱いて、お父さんかお母さんが赤ちゃんの足を海に浸けるシーンと、
『浜下り』の宴で盛り上がって老若男女が《与之島小唄》を唄い踊るシーンのエキストラが呼ばれたのだ。
10時集合、という連絡に遅れること数分でロケ現場の土盛(ともり)海岸に到着。
既に30人近くのエキストラが、大型簡易テントの下でスタンバっている。
ナニかの役に立つかな、と三味線担いで行ったら、
「三線弾きの方ですか?」とスタッフさん。
「は? はぁ」事態が把握できていないオレ。
「《与之島小唄》というのを弾いてほしいんですよ、メロディは《十九の春》と一緒で・・・」
「《十九の春》は弾けません」
「困ったな、(近くの別のスタッフに)おい、弾けない人が来ちゃったよ!」
「あのー、ボクらはただのエキストラで来たんです。そういう話なら、誰かプロの人に頼んであるんじゃないんですか?」
もちろん、これは双方の勘違いで、三線は登川流師範の本田えーゆーしぇんしぇがちゃんと頼まれていたのだが、一瞬ビックリしたオレとスタッフさんなのだった。
その前のロケが遅れているとのことで、ようやくはじまったロケは、赤ちゃんたちの出演から。
勿論、オレは赤ちゃんの場面には全く関係なし。
お母さんだけが来ていた赤ちゃんに対して、スタッフさんが「誰かお父さんをやってくれませんか?」と言うのに、yama42を指して「おじいちゃんならそこに居るヨ」と言ってみたら、ナニが気に入られたのか、即採用。
「おじいちゃんかよ」とボヤきながらヨロヨロと出て行ったyama42に後で話を聞けば、「キャストの会話の背景だった」とのこと。
そんな最中にえーゆーしぇんしぇが到着し、《与之島小唄》の練習を何度かしたのが上の写真。
こちらは、エキストラ赤ちゃん。
小さな足に草鞋を履いて海に浸けると元気に育つ、という南西諸島に広く伝わる風習なのだ(地域により、草鞋無しもあり)。
そして宴のリハーサル。
三箇所に大きなシートが敷かれ、メインキャストがそれぞれ分散して座る。
最初にこの話をyama42に持ってきたえーゆーしぇんしぇが《与之島小唄》の三線を弾く役という事もあって、yama42は、太鼓叩き役を振られてえーゆーしぇんしぇと共に浅野温子、メインゲストの石橋蓮司のいるシート、
オレは主演の裁判官西島秀俊と(たぶん)重要な役廻りの医師役のシート、
N君ほか知人二人は、島の長老役のシートとナゼか上手く分散配置になる。
リハが終わって、「自分の座った位置を忘れないでね」とか言われて、
「オレは医師役の隣か、写るなコレハ」と思っていたのだが、ロケ弁当が配られてから、一向に撮影が進まない。
3時を過ぎ、「今晩、ヨメと焼肉」というN君が時間切れで帰ることになり、当然、便乗してきたオレも一緒に帰ることになりました。
よって、ロケ本番は未体験。当然、TVにも写りません。
以下、印象。
浅野温子さんは、会話をしたわけではありませんが、携帯で「疲れきったスタッフぅ~」などと写真を撮ったりで、TVで見るイメージ通りのチャキチャキした感じの人でした。
西島秀俊さんは、「放送はいつなんですか?」と訊くオレに「11月頃だと思います」と丁寧に応えてくれました。さらに、本番前に帰るオレたちに、「お疲れさまでした」とちゃんと声を掛けてくれたのが、印象に残りました。
オレとしては、昔オレが演劇青年だった時代(20年以上も前の話)に、『もっとも凄みのある役者』として尊敬を集めていた石橋蓮司さんを近くで見たかったんだけど。
人気blogランキング
突然ですが、23日から29日まで奄美に参ります。
目的は、中断している河内川へのマングローブ植林の準備?です。
お時間有りましたら、飲みましょう。
和美ちゃんは、25-27不在ですが、お店は営業してます。
26の午後は、間違いなくお手伝い(足手纏いか?)できます。
27は、時間がはっきりしません。
電話番号は変わってないよね。
電話します。