今朝の毎日新聞の余禄に、「正常性バイアス」について書かれていた。 (記事)
「バイアス」とは先入観や偏り、ゆがみのことである。
「正常性バイアス」とは非常事態に直面してもそれをできるだけ正常なことと理解しようとする、
つまり「異常なことでない」と思おうとする心理の傾向である。
余禄で紹介されている「正常性バイアス」のテレビ番組での実験は僕も見た。
人を待たせた部屋に白煙を送り込んで、
どれぐらい経てば部屋の中の人は異常を外に知らせにいくか、という実験だった。
部屋に被験者一人のときは、煙に気付いてからもすぐには行動しようとはしないが、
それでもしばらくすると、さすがにいつまでも煙が出てるのを見て外へ知らせに出て行った。
しかし、これが三人一緒にいてもらうと、
驚いたことにもっと煙っても誰も行動しようとしないのだ。
「おいおい、煙が出てるよ」「なんだよ〜、これ」「大丈夫かよ〜」
なんて話しながらも、誰も外へは知らせようとせず、
煙の充満する部屋の中で三人ともおとなしく座っているのである。
これは「周りの人が異常を感じていないかのように振る舞っていると、
ついそれに同調して自分も異常を異常といえなくなる心理」であり、
「同調性バイアス」と呼ばれている。
この実験をテレビで見て、
「ああ、なんとなく分かるなあ」と感じたのを覚えている。
次々と明るみになるJR西日本の社員達の、事故当時の「不適切」な行動も、
このバイアスによるところが大きいのかもしれない。
(ちなみに、ゴルフが「不適切」だというのは分かるが、
事故発生前の当日朝に旅行に出発した社員の行動まで「不適切」に含めるのは行き過ぎだろう。)
確かに、周りは誰も騒いでいない時に、
自分だけ慌てて騒ぎ立てるのには抵抗がある。
前にボウリングしていた社員を批判しておいて今さら言うのも我ながら卑怯だが、
自分がもしその場にいたとして、周りが「普通」にボーリングやゴルフで盛り上がってる中、
果たして上司に向かって「今日はもう解散しましょう」とか、
「職場へ行ってみましょう」などと提案できただろうか。
もちろん、事故当時にボウリングやゴルフを続けることが、
社会的に「不適切」な行為であったことには違いなく、
それに対しての批判も大いになされるべきであろう。
しかし、批判には責任が伴う必要がある。
事故とは無関係の立場で、
「彼らはあの時こうするべきだった」と事後的に批判するのは容易いが、
「ではその当時、自分ならそうすることができたのか」と考えた時、
自信を持ってそれを肯定できない僕自身、
完全に「無責任な」第三者としてJR西の社員への批判を展開していた点について、
反省する必要があると思った。
「バイアス」とは先入観や偏り、ゆがみのことである。
「正常性バイアス」とは非常事態に直面してもそれをできるだけ正常なことと理解しようとする、
つまり「異常なことでない」と思おうとする心理の傾向である。
余禄で紹介されている「正常性バイアス」のテレビ番組での実験は僕も見た。
人を待たせた部屋に白煙を送り込んで、
どれぐらい経てば部屋の中の人は異常を外に知らせにいくか、という実験だった。
部屋に被験者一人のときは、煙に気付いてからもすぐには行動しようとはしないが、
それでもしばらくすると、さすがにいつまでも煙が出てるのを見て外へ知らせに出て行った。
しかし、これが三人一緒にいてもらうと、
驚いたことにもっと煙っても誰も行動しようとしないのだ。
「おいおい、煙が出てるよ」「なんだよ〜、これ」「大丈夫かよ〜」
なんて話しながらも、誰も外へは知らせようとせず、
煙の充満する部屋の中で三人ともおとなしく座っているのである。
これは「周りの人が異常を感じていないかのように振る舞っていると、
ついそれに同調して自分も異常を異常といえなくなる心理」であり、
「同調性バイアス」と呼ばれている。
この実験をテレビで見て、
「ああ、なんとなく分かるなあ」と感じたのを覚えている。
次々と明るみになるJR西日本の社員達の、事故当時の「不適切」な行動も、
このバイアスによるところが大きいのかもしれない。
(ちなみに、ゴルフが「不適切」だというのは分かるが、
事故発生前の当日朝に旅行に出発した社員の行動まで「不適切」に含めるのは行き過ぎだろう。)
確かに、周りは誰も騒いでいない時に、
自分だけ慌てて騒ぎ立てるのには抵抗がある。
前にボウリングしていた社員を批判しておいて今さら言うのも我ながら卑怯だが、
自分がもしその場にいたとして、周りが「普通」にボーリングやゴルフで盛り上がってる中、
果たして上司に向かって「今日はもう解散しましょう」とか、
「職場へ行ってみましょう」などと提案できただろうか。
もちろん、事故当時にボウリングやゴルフを続けることが、
社会的に「不適切」な行為であったことには違いなく、
それに対しての批判も大いになされるべきであろう。
しかし、批判には責任が伴う必要がある。
事故とは無関係の立場で、
「彼らはあの時こうするべきだった」と事後的に批判するのは容易いが、
「ではその当時、自分ならそうすることができたのか」と考えた時、
自信を持ってそれを肯定できない僕自身、
完全に「無責任な」第三者としてJR西の社員への批判を展開していた点について、
反省する必要があると思った。











こちらのTBを付けさせて頂きました。
よろしくお願いいたしますm(__)m
この関連の話題はブログにたくさんあって、いろんな考えがあって興味深いです。
昨日J-WAVEの調査だと、今回の報道スタイルを支持しない人が8割だったそうで。
なんて書くと、バイアスに影響したりしてw
最近、一般の人たちと、マスコミとの思考乖離を、マスコミの連中はどう思ってるんですかね。。
またちょくちょく見に来ます〜
よろしくお願いいたします♪
こちらからもTBさせて頂きました。
僕も今回の事件に関して、マスコミの姿勢はどうもおかしいと思います。
あるニュース番組で、ボウリングやゴルフの件を取り上げ、「JR西日本は上から下まで腐ってる」とか、「社員はみんな人の心を持たない機械だ」などと大声でまくし立てるコメンテーター。これでは批判というより、単に誹謗中傷です。
JR西の記者会見の場で、JR側がただ頭を下げるしかないことを分かってて、いつまでも「どうなんですか」「ハッキリしてください」「具体的に答えてください」などと追及する記者。これじゃただのいじめです。
これだけ大きな事故を起こしたJR西ですから、その責任は大いに追及されてしかるべきですが、今のマスコミはその「責任追及」の意味をどこか履き違えているように感じます。
「正常性バイアス」の記事に大変興味持ちました。
私はベルギーに住んでて、心理学を学んでいます。(子供の頃からベルギーに住んでるのでチョット変な日本語お許しください)
先々週の社会心理学の授業で丁度「正常性バイアス」について勉強したトコなんですよ。
まさか、JR宝塚線の脱線事故に「応用」できるなんて思ってもいませんでした。
何か、新しい視角で社員の行動を見れたような気がしました。
正常性バイアスが事故や災害現場で働くと、悲惨な結果をもたらすことが多いようですね。
去年のスマトラ島沖地震による津波災害でも、地震後に波が一気に押し寄せてきてるのに、それを「wow!」なんて言いながらビデオで撮影してる人がビーチに大勢いて、そういう方の多くが逃げ送れて波にさらわれたといいます。
これも正常性バイアスによるところが大きいのでしょう。
教訓:何かあったら、「Wow!」とか言ってないで早く逃げろ!!ってことですね。