LiC通信

本の紹介を中心に、その時期に感じたこと思ったことを書いています。

ホ・オポノポノ

2009年02月24日 | 不思議な世界

久しぶりの更新になりました。

本は相変わらず読んでいたのですが、心無い方からのコメントが何度もあり少しいやになっていました。

最近は、芸能人のブログが炎上という記事も目に付きます。

文明の利器としてとっても便利な情報ツールが、人を貶めたり、苦しめたりする凶器になることもあります。残念なことです。

どうしてみんなもっと優しく、楽しく生きられないのでしょうか?

景気も悪いし、毎日の生活がやっとという人も多いでしょう。

しかし社会の問題は問題として解決はしていかなくてはいけませんが、

社会に対する不満やうっぷうんを、まったく関係ないところで無責任に人を中傷したり、批判したりすることで消化しようとすることはやめてほしいと思います。

今日も信じられないようなことが新聞の三面記事に載っていました。

東京の派遣会社が、中学生を派遣で働かせていたというのです。

おまけに経営者が35歳の女性です。

普通に結婚していたら自分も同じような年齢の子どもを持っている年代です。

命を産むことができるのは女性の特権です。

そんな特権を持った女性が、どうしてつみもない子どもたちにそんな扱いができるのでしょうか?

同じ女性としては信じられない気持ちです。

世の中本当に暗いニュースばかりです。

政治の世界は不誠実そのものです。

国会の質問を聞いていても一部の議員を除けば、どうでもいいようなことばかりに時間を費やしています。

そんな国の状況を見ると腹立たしくもあり、情けなくもあり、不安にもなります。

しかし、今の政治家たちを私たちの代表として選んだのも私たちなのです。

投票に行かなかった人も、今の状況に無言の賛成をしたのと同じことなのではないでしょうか。

この十年は、昭和の戦争前の十年に良く似ているといわれます。

どこかで誰かが、自分たちの利益のためだけに戦争を始める時期を今か今かと狙っていることも事実のようです。

行き詰った大国が生き延びるためには、そんな方法しか考え付かないようです。

そうやって今までの歴史は繰り返してきました。

人類というすばらしい頭脳を持った人々はどうしてこんな稚拙な考えしかできないのでしょうか?

全く情けないかぎりです。

でも、少しずつですが、世の中を良くしようと大きな愛を持った人たちも増えてきたようにもかんじます。

この世の中を救えるのは人々の無償の愛しかないように思います。

みんなが幸せに生きられる方法、そんな魔法のようなことばが在りました。

ハワイに昔から伝わる秘法です。

でも決して難しい方法ではありません。

ハワイに伝わる秘法ですが、実は万国共通の秘法のように思います。

皆さんも本を読んで実践しませんか?

方法は簡単なのですが実践できるかどうかが難しいかもしれません。

一度素直になって実践してみることをお勧めします。

ハワイに伝わる癒しの秘法 みんなが幸せになるホ・オポノポノ 神聖なる知能が導く、心の平和のための苦悩の手放し方

コメント (0) |  トラックバック (0) | 

ことばの歳時記 金田一晴彦

2008年11月29日 | Weblog

抜けるような青い空、白い雲。

 

窓越しの太陽の日差しは暑いくらいにかんじます。

 

しかしいったん外に出て風に当たると

 

やっぱりもうすぐ冬がやってくるんだと実感させられます。

 

生きてきた年代分だけこうやってその季節を潜り抜けてきたのでしょうが、

 

今ほど季節に関心はなかったも知れません。

 

なかったというより毎日の忙しさに季節を感じる心の余裕すらなかったのでしょう。

 

今までと今日と何も変わらず同じ速度で同じように時を刻んで時を過ごしているのですが、実感としての速度が違うようです。

 

人生の半分を過ぎた今は、時もゆっくり流れ、時間の移ろいや、季節の移ろいをゆっくり鑑賞し感じながらすごしています。

 

今までと何が違うのでしょうか?

 

客観的なものは何も変わらないでしょう、おそらく。

 

主体である自分の感覚や感性が変わったのでしょう。

 

義理の母は「年をとると時間の経つのがはやい」とよく言います。

 

皆さんはどうでしょう。

 

私はかえって年を重ねるごとに、じっくり時間が過ぎてゆく感じがします。

 

今年の一年も長かった。いろんなことがありました。

 

それなりに、一つ一つがとても充実していました。

 

今ある瞬間を大事に生きてこれた証拠かもしれません。

 

今日の夕日もとてもきれいです。

 

今日も一日無事で幸せであったことに感謝です。

 

ことばの歳時記 (新潮文庫)

コメント (0) |  トラックバック (0) | 

出版大崩壊 今起きていること、次にくるもの 小林一博

2008年09月30日 | Weblog

世のなかガラガラと音をたてて崩れ落ちているような気がします。

金融業界の崩壊、建築業界の崩壊、食の安全の崩壊、自然環境の崩壊、

医療現場の崩壊、教育現場の崩壊、政治の世界の崩壊、・・・。

こうなってくると今健全な業界を探すほうが難しくなっています。

 

出版の業界はたかが2兆円に満たない産業ですが、

人間の生活には欠かせない分野ででもあります。

その文化の一翼を担い、また、教育という分野の一翼も担っている出版業界が

今瀕死の状態です。

 

この本は2001年に出されました。

たった7年間の間にも大きな変化がありました。

それも悪い方向への変化です。

 

出版業界を激変させたものは90年代の後半から台頭してきたIT革命と

その関連技術の進歩です。

 

もともとこの業界の歴史は江戸時代にさかのぼります。

京都の大寺院の周辺で民間の書肆(本屋)ができたのが始まりです。

その後明治時代に業界の近代化が図られ、

また戦争時代には「出版統制時代」という不幸も経験します。

その後民主主義になり、あからさまなな「統制」はなくなったものの、

教科書検定などに見られる「干渉」はまだまだ残っています。

そこへIT革命という大波にこの業界も飲み込まれそうになっています。

 

出版というものづくりの手法、

原稿作成、編集、印刷、製本、流通まで、

出版にかかわるすべての工程において干渉してきています。

そしてついに携帯小説の文体に見られるように

「文章表現」にまで及んできています。

 

方や、従来道理、町の本屋にはベストセラーが並ばない、

ほしい本を本屋に注文すると早くて1週間、いまだに3週間待たないと手に入らない

という旧態全とした状態ものこっています。

 

逆にもっと進んだところでは、

絶版になったものでもそのデータさえあればオンデマンドで

10分もすれば自分だけの本が出来上る機械を導入している本屋もあるそうです。

 

過去と未来が一度に交錯したようなこの業界、

この先どうなっていくのか?活字はなくなるのか?

この業界人にも予想がつかなにところまで来ているようです。

 

本が売れないのに本屋の売り場面積はどんどん巨大化しています。

また本が売れないのに出版点数は年間7万点を超える勢いです。

新刊が店頭に並ぶ時間も「ワン土日」といわれ、

土日をはさんで売れなければ店頭から消えていきます。

ではその消えた本はどうなるのでしょうか?

 

本はほかの業界と違い、返品が許されるという特徴を持っています。

「文化」という特性を持つ商品への配慮の現われだと思いますが、

他の業界から見ればうらやましい限りの形態です。

複雑かつ、小さいけれど人間の生活にはなくてはならない業界、

この先どうなって行くのでしょうか?

 

 

コメント (0) |  トラックバック (0) | 

「婚活」時代 

2008年09月24日 | 実用書

いつの時代も言葉を短縮して使うはやり言葉があります。

最近ではそれに加えて「ギャルゴ・オネイゴ」など

少し私たち年代には理解しにくい言葉もあります。

 

「しゅうかつ」=就職活動のことですね。

では「こんかつ」?何だとお思いますか?

串活の新しいメニューでは決してありません。

「結婚活動」のことだそうです。

就職するのに活動することは理解できるのですが、

結婚することにも活動する時代になったのですね。

昔から女性にはそのようなものがありました。

茶道、華道、料理、着付けなど

お嫁入りする前に一通りの行儀作法を身につける習慣がありました。

しかしここで話題になっている「婚活」はこんなものではありません。

自分を売り込みやすくするために「自分磨き」というものまであります。

そして驚いたことにこの「婚活」は女性のみならず、男性にもあるそうです。

 

1980年ごろから未婚の数が増えているそうです。

結婚しないのではなく結婚したいけどできないようです。

その背景には、社会的な雇用の不安や、ますます拡大する格差社会があります。

 

今の20代の若者が、車にあまり興味を示さないのをご存知でしょうか。

「セリカ・スカイライン」という言葉を若者に聞いても

車の名前だと知っている人は本当に少ないそうです。

私たちの時代には「セリカ」や「愛のスカイライン」といえば

一度はあこがれたことがあったはずです。

 

では今の若者は何に興味を持っているのでしょうか?

お金、貯金だそうです。

お金といってもお金の蒙じゃではなく、

まじめに働いてこつこつ貯め、将来に何かあったときに備えるそうです。

冒険はしない、無駄使いもしない、ばくち的なこともしない。

とても堅実な若者像があります。

堅実だが、少し若さにかけるというか、元気よさにかけているように思います。

しかし、ここにも先ほどの社会的要因が大きく影響しているようです。

 

未来、いや近い将来にも希望を見出せない今の時代を大きく反映しています。

高度成長期に育った私たちとはおのずと考え方が違って当たり前です。

 

自分磨きといわれる中身はいったいどんなものなのでしょう。

相槌の打ち方まで教えるそうです。

マナー、今まで常識と言われていたことも学ぶようです。

「ここまで教えなければならないの?」と言う時代になってきました。

そんな世の中を嘆くばかりでなく、

教えてあげれることは私たち大人も人生の先輩としてどんどん教え伝えていかなければならないでしょう。

若者はとっても素直に耳を傾けてくれるはずです。

そして、いい縁で結ばれて未来を切り開く未来の子供たちの誕生を願います。

コメント (0) |  トラックバック (0) | 

知られざる魯山人  

2008年09月13日 | ノンフィクション

この本は「魯山人会」の発起人である著者の父の下で、幼少より魯山人の作品に親しんでいた著者が2003年から4年間をかけて、現存する資料のほぼすべてに目を通し、魯山人と接した人たちやその遺族、関係者など約80人に取材して書き上げられたものである。(巻末)

魯山人については、自分で作った器で料理を出す人というぐらいしか知りませんでした。

名前の感じからして、昔の中国の陶工かと思ってました。

 

本名は、北大路房次郎。北大路の名前のとおり京都の北大路で生まれました。

しかし父親の子供ではなく母が働きに出ていた先でできた子供です。

潔癖な父は自分の身に覚えがないのに妻のおなかが日に日に大きくなるのがたまらなくて生まれる前に自殺してしまいます。

その父は上賀茂神社の出身。

父の自殺後、母と二人路頭のたびに出、転々としながら貧しい暮らしを強いられます。

魯山人は親戚をたらいまわしにされた後、彫刻師に預けられます。

貧しいながらも転々と生活する中で書道、彫刻、料理を極めて行きます。

特に料理は、料亭を出せるぐらいの腕前。

世間では魯山人がグルメ家で「美味しいものばかり食べた」という話があるそうですがまったくの誤解のようです。

彼は、美味しいものを食べたのではなく、美味しく食べたのです。

新鮮な食材を、いかにその新鮮な味を生かして食べるかが問題で、料理に手間隙かけず、持ち味を生かすことが彼の美学だったようです。

そのポリシーの下に客は会員のみという料亭を開きます。

これは後に各階の人々のステータスになるほどのものとなります。

彼の経営方法は、人(客と従業員)を大事にした経営方法だといえます。

食材の傷みやすい夏季、7月20日から9月初めまでは休業。

仲居や少女給仕人は全員素人。

全員に茶道華道などの教養を身につけさせる。

酌はしない。客からの心づけは受け取らない。

従業員の健康管理のため午後9時という就業時間の厳守。

従業員との間に「諮問応答会」を設ける。

料理の献立は自分が決める。

料理人は全国から公募する。

食材は金に糸目をつけず、新鮮で最高のものを全国から調達。

料理屋の料理でなく食材の持ち味を生かした家庭料理。

つまり、心の料理を新しい演出法によって供する。

 

こんな料理ならぜひ食べてみたいし、習っても見たい気がします。

 

また彼の自然に対する考え方もすばらしい。

 

自然を生かす彼の庭作りは名庭園といわれるような象徴的な人工美の追求ではなく、地味で、質素で、素朴そのものであったそうです。

そうして作られた星岡窯は後に部屋を提供したイサム野口と李香蘭、戦後尋ねてきたJHGの人々にも感動を与えたそうです。

「美術眼を高くするということは、何よりも真っ先に、自然に親しみ、その美に浸り、鑑賞意欲のそのもと足るべきものを養って、ゆがめられない素直な眼をつくり、あるいはつつ徐々に高めていくことです。

自然美は、いつも目前にあり、いつでも自由に究めもとめられます。

人工美は、眼力と、財力との両方を兼ね備えていなければ手に入りません。

芸術とは下は全部自然から感受したものです。これ以外に道はないのです。」

この言葉が彼の人格すべてを語っているように思えます。

そんな彼の芸術論は、

「芸術は人格であり、心術である。

悪い人からはよい作品が生まれることはない。

人格ができていなければ、経験や技術があってもそれは職人の域を出ない。

それは一種の機械である。

職人は芸術と無関係である。

したがって芸術派人間ができてからなすべきである。」

 

人格ができていないものがどんなに腕を磨いて作品を作ってもそれは所詮芸術とは無関係であり、単なる職人技のことである。

本当の芸術とは、まさにその人の人格がなせる業である。

そしてその人格は、自然の中で培われた感性のなせる業である。

 

料理の素材も自然の中でできたものが一番おいしいはず。

芸術も下は自然の中でこそ感受されるもの。

 

彼の自然感は彼の行き方そのものだったのでしょう。

あまりにも当たり前で、素朴な考え方、今の時代に足りない部分かもしれません。

 

 

コメント (0) |  トラックバック (0) | 

シズコさん 佐野洋子

2008年08月24日 | 小説

私はもう人生の半ばを過ぎているのに未だに母との関係で悩んでいる。

 

「あわない」の一言にすぎてしまう。

 

何が合わないのか?

 

よくわからないが、物の言い方、気に入らないとすぐふくれる癖、いつも文句ばかり言っているところ、人の悪口が多いところ、など等。

 

悪いところばかりが目立ってしまう。

 

もち論いいところもたくさんある。

 

品があるし、料理も裁縫も上手だし、きれい好きでいつもピカピカ。

 

お弁当などいつもみんながうらやましがるほどきれいでおいしくて。

 

しかし私は母に抱きしめられたり、一緒に手をつないで歩いた記憶がない。

 

子供のころはホームドラマを見ては、「あんな家庭に生まれたかった!よそのおうち

はみんはたのしいんだろうな。」と思っていた。

 

しかしこの本を読むとそうでもなさそうだ。

 

著者も私と同じようなことを思っていた一人である。

 

読めば読むほど自分の母のことが書かれているようで不思議な感覚に襲われた。

 

そして著者も私と同じく、そんな母を愛せない自分に罪悪感を感じながらもやさしくできない日々に悶々としている。

 

老人ホームへ母を入れたことが、「私はお金で親を捨てたんだ」という自戒の念に悩まされ続ける。

 

その気持ちが痛いほどわかる。

 

いくら科学が進歩しようと、ロケットで宇宙旅行できる時代になっても、

「母と娘」「嫁と姑」という単純だが複雑な関係は人類の永遠のテーマかもしれない。

 

好きになれない母を見て、私は絶対あんな母親にはならないと思っていたが、

 

DNAのいたずらだろうか、娘との関係でやはり悩んでいるのが実情である。

 

娘も私が母に抱いているのと同じようなことを感じているのかもしれない。

 

しかし、忘れたころに第二子が誕生した。

 

今度は異性、男の子である。

 

すると如何だろう、娘との間で悩んでいたような角質はまったく起きない。

 

すこぶるいい関係が続いている。

 

人は必ず死を迎える。しかし人は必ず生まれてくるとは限らない。

 

この世に、そしてこの母の子供として生を受けたということ自体が奇跡的なことなのかもしれない。

 

みんな本当は暖かくて楽しい家族関係を望んでいるはずである。

 

しかし、どこかで何かの歯車が狂い始めていろんないたずらをするのかもしれない。

 

それも人生にとっては必然で必要なことなのかもしれない。

 

親子とは、人生とは、特に母と娘の関係についてとても考えさせられる本であった。

 

老いてぼけてしまった母を前に著者は始めて最後に「ありがとう」と言う。

 

コメント (1) |  トラックバック (0) | 

大人の見識  阿川弘之

2008年08月11日 | 実用書

「温故知新」という言葉をご存知でしょうか?

 

ふるきをあたためて、あたらしきを知る。

 

「温」は訓読みすると「オダヤカ・アタタカイ・アタタメル」です。

 

しかしまれに「タズネル」と読まれることがあるそうです。

 

「温故知新」もその意味のようです。

 

ではなぜ「尋ねる」という字を使わなかったのでしょうか?

 

「温故知新」のこの尋ねるという意味は、

 

単に物事を尋ねるのではなく、

 

「アタタメタズネル」という意味がこめられているそうです。

 

「温めて尋ねる?」

 

「温とは、肉をとろ火でたきつめて、スープをつくること。

歴史に習熟し、そこから煮詰めたスープのような知恵を獲得する。

その知恵で以って新しきを知る」ということだそうです。

 

「見識」を広辞苑でひくと次のように書かれています。

 

「物事について見通しを持ったしっかりした考え。」とあります。

 

物事をただ「知っている」という知識だけでなく、

今のその状況においてその知識がどう当てはまりどう活用され、

そしてその結果どうなるかという先の見通しまでも持てる、

そういった考えが「見識」ということではないでしょうか。

 

つまり、にわか知識では得られないことです。

肉をとろ火でゆっくりゆっくり煮詰めておいしいスープを出すごとく、

今までの経験や先人たちの知恵、それらを総合的に身につけ、

そのうえで自分なりの意見で行動を起こす。

これが大人の見識なのでしょう。

 

著者は海軍に入り中国で終戦を迎えました。

旧制高等学校に入学してから70年。

この長い人生の経験、実体験、読書体験などさまざまな知識を得、たくさんの経験を積まれてきました。

 

本文の最後の一ページに「温」の書が堂々と書かれています。

この本は本人にとって、「心に残った知恵ある言葉の展覧会を開いた様だ」と締めくくられています。

「ついては、終わりの終わり、会場の出口のところへ「温」の一文字を書いて飾ります。皆さん素通りせずゆっくり鑑賞して言ってください。」

 

コメント (0) |  トラックバック (0) | 

「粗食」はいきること  幕内秀夫

2008年08月06日 | 生活

原油の高騰が、私たちの生活に大きな負担をかけています。

 

ガソリンの値上げ、食品の値上げ、

 

多くの中小企業者が、原材料の値上げに価格転嫁できずに大変な思いで仕事をされています。

 

 漁業も操業すればするほど赤字が続き困難な状況になっています。

 

この先どうなるのか不安材料はいっぱいです。

 

でもあのオイルショックのときも見事に立ち直りました。

 

 不安は残るものの、この原油の高騰も元をただせば、投機によるもの、人員的な操作です。

 

だからいつかは収まるでしょう。

 

反面このおかげでよいことはないでしょうか?

 

車の走行台数が少し減ったようです。飛行機の減便も余儀なくされています。

 

小麦粉の値上げで、パンや麺類も値上げ、そのおかげで日本人の本来の主食であるお米が見直されてよく売れているそうです。

 

この二つは環境にも、私たちの健康にも、よいことだと思います。

 

もともと私たち日本人はお米を主食に生きてきました。

 

しかし、敗戦後アメリカの政策により私たちの食生活も大きく変わりました。

 

そのことの付けが最近はいろんな病気という形で現れてきています。

 

つまり体に合わない食事を強いられた結果ともいえます。

 

しかし、今たくさんの人たちがそれに気づき始めました。

 

地産地消、身土不二という言葉で知られるように、土地でできたものを旬の時期にいただく、これが一番理にかなった食事方法です。

 

しかし私たちが本来主食としていたお米が自給自足できない情けない状況にあります。

 

「粗食」ということは粗末な食事という意味ではありません。

 

当たり前の食事という意味です。

 

古来から食されてきたお米と一汁三菜という食事のことです。

 

現代人の食事は間違った栄養学にもとづく間違った食生活のようです。

 

基本はご飯、これが主になる食事です。

 

「食欲のないときにご飯は残していいからおかずをしっかり食べなさい、」と皆さんも子供もころいわれてきたでしょう。

 

これがどうも間違いのようです。食欲のないときは、お茶付けでもいいからご飯をしっかり食べることです。

 

お米には栄養がないと思っていませんか?

 

今のおかずは、昔の三菜ではなく高カロリーのもが多いです。

 

一時コマーシャルではやった「たんぱく質がたりないよ」という言葉で

日本人はたんぱく質不足だからお肉を食べましょうという運動があったそうです。

 

お肉でなくても野菜でも上質のたんぱく質がたくさん取れます。

 

現代食は「五無」食です。無国籍、無地方、無季節、無家庭、無安全。

 

栄養学とはそもそも何なのでしょうか?

 

パソコンをたたいてカロリー計算することが科学的ですばらしいことなのでしょうか。

 

昔はカロリー計算しなくても、地元で取れたてのものを感謝しておいしくいただいてきました。

 

みんな元気でした。

 

今の食事に求められていることは、「命をいただいて感謝する」ということと、

昔からの「食文化」には大きな意味があるということをもう一度見直すことではないでしょうか。

 

30品目バランスのよい食事をといわれますがそんなにたくさん食べなくても大丈夫なようです。

 

小林正観さんによると、なんでもおいしいおいしいといっていただくと

それに添加物が入っていようが農薬まみれであろうが、

体内で変化してきっちり私たちの栄養になってくれているそうです。

 

結論。

 

その地域で取れた旬のものをおいしく感謝して何でもいただく。

 

そして主食はお米。

 

私たちの日本食は、もともとお米に会うようなおかず、味付けになっています。

 

おじいちゃんおばあちゃんが作ってくれた懐かしい食事に戻りましょう。

 

きっと健康も環境も取り戻せるはずです。

 

糠付けにご飯がおいしい季節です。

 

コメント (0) |  トラックバック (0) | 

雅子さまはあなたと一緒に泣いている! 香山リカ

2008年07月27日 | エッセイ
開かれた皇室といわれるようになって、私たちにもずいぶん身近に感じられるようになりました。

しかし、開かれたという意味はマスコミ沙汰になるということではありません。


彼女が皇室ヘ入る決意をさせたものは何なんだったのでしょう。

とてもまじめな性格、父親のたどった道と同じく外交官になることが彼女の生きがいだったのかもしれません。

しかし、その生きがいの中には、親孝行という意味合いも多く含まれていたようです。

皇室への道も親孝行のひとつだったのでしょうか?




ハーバード、東大、そして父と同じ外交官へ。

父親のあとを継ぐように彼女は一筋の道を進んこられました。

しかし、運命のいたずらが起きたのでしょうか?。

皇太子妃として歩む道が将来の選択肢に突然現れました。

本人はおろか家族も予想だにしなかったことでしょう。


彼女は皇室への道を選びました。

決して早くない結婚、そこで先ずはじめに国民の関心をあつめるのは世継ぎ問題でした。


やっと授かったのですが、女の子でした。


俄かに皇室典範改正の話が出始めます。


そうこうしている内に、幸か不幸か、紀子さまに男子誕生です。


皇室典範改定の話はたち切れとなります。


この時の彼女の気持ちはどんなものだったでしょうか?


母となったうれしさや幸せはつかの間、


母となった彼女は公務と子育てのハザマで何を優先すればよいか悩む日々がはじまります。


当たり前の母として子育てをしたい、


しかし、外交官としてかつて世界を飛び回っていたキャリアを公務に生かしたい、


そのハザマで揺れ動き、葛藤の日々が続いていることでしょう。


早く公務に復帰しなければという焦りと、


でも自分の手で子育てをしたいという気持ち。両立はなかなか難しいのでしょう。


一般人でも家仕事家事とと子育ての両立は、


大変な努力と回りの協力理解が必要です。


それなしでは成り立たないといっても過言ではありません。


この「周りの理解と協力」一番苦労されている点ではないでしょうか。


日本の皇室は、「開かれた」といわれてもそれは一般国民からおきさきを選べるということだけで、


中身は一向に開かれていないようです。


余談ですが、遠い昔、聖徳太子のおきさきも庶民からの登用だったようです。


雅子様も覚悟の上でのご結婚だったでしょうが、実際中に入ってみると・・・?だったのでしょう。


いずれにしろ、彼女が早く元気を取り戻されて、明るい笑顔で公務をてきぱきこなされている姿を拝見したい。


また愛子様もご両親の大きな愛情に包まれて健やかに成長されることを願ってやみません。


どうかマスコミはじめ世間の皆さん、皇室である前に人としての幸せを願ってあげてください。


もっと思いやりと温かい目で見守ってあげてください。

コメント (2) |  トラックバック (0) | 

「き・く・あ」の実践 小林正観

2008年07月20日 | 不思議な世界

先日、著者小林正観さんと総勢500人で伊勢神宮におかげ参りというのをしてきました。

 

私は小さなころから第六感というものが鋭いようで時々口走る言葉に周囲を驚かせていたようです。

 

しかし、社会の荒波にもまれ、大学で「哲学」を専攻したころから、考え方が唯物論になびいていきました。

 

というのも子供のころなら変なことを口走っても笑って済ませてもらえますが、おとな(年齢だけ)になると少し回りの対応が変わってきます。

 

そして「君はめでたい人間だ!」とか「物事をそうゆう風にとるからそうゆう風に見えるんだ」とかいわれ、「自分がおかしいのかな?」と思い始めました。

 

それからしばらく、一切子供のころからの自分の感のよさを否定し始めました。

 

すると、今まで感じていたものを感じなくなってしまいました。

 

「やっぱり今までは自分だけの気のせいだったんだ」と自分を納得させて生きてきました。

 

私の毎日はめまぐるしくいろんなことがおきました。

 

これを一般的には波乱万丈というのかもしれません。

 

つらかったことや、悔しかったことや、さびしかったことや数え切れないくらい経験させてくれました。

 

でも、どこか自分で、「あれはあれで仕方なかったんだ。相手も仕方なく私をだましたんだ。そうしないとあの人は生きていけなかったんだ。」納得している自分がいました。

 

「罪を憎んで人を憎まず」という気持ちが心のそこにずっとありました。

 

だから、いつまでも根に持つこともないし、すぐに忘れてしまいます。

 

能天気なのでしょうね。

 

でもいっぱいいろんな経験をさせていただいて、とても人生充実しています。

 

人から頼まれたらことわれず、「これをしてみたら」と提案されれば、

 

あんまり深く考えずに「とりあえずやってみよう」と前に進んできました。

 

当然世間でいわれる「失敗」もいっぱいあります。

 

でもそこでいろんなことを学ばせてもらったようです。

 

そしてついに、あと一日病院へ行くのが遅ければ命がなかったかもしれないという事も経験しました。

 

今まで目の前のことに必死で、ただ一生懸命生きてきましたが、

 

「人生」について考えるようになりました。

 

いろんな神社にお参りに行きました。

 

いろんなジャンルの本を読みました。

 

そこで小林正観さんとの出会いもいただきました。

 

伊勢参拝という出会いもいただきました。

 

夜の特別参拝、神社の前で500人が3分間「ありがとう」をいい続けました。

 

すると御簾がその瞬間あがっていたそうです。

 

何人かの方が見られたそうです。不思議なことです。

 

信じられないかもしれませんね。

 

でも私は信じることができます。

 

なぜなら、以前奈良の天川神社同じことを経験しました。

 

そのころは神社について何も知らず、普段は神様が祭られている扉の前には御簾がかかっていると言うことも知りませんでした。

 

なぜか私が参拝したときは、きらきらと輝く白木の祭壇に白木の扉が神々しく輝いて見えました。

 

しかし次に訪れたとき、はじめて訪れたときのような祭壇の明るさもなく、白木の輝きもなく、御簾も垂れ下がっており、ぜんぜん違う風景を目の当たりにしました。

 

大変な衝撃を受けました。

 

御簾は年に何回か決まったときにしかあけないものだそうです。

 

私が体験したことはなんだったのでしょうか?

 

今回二回目の経験です。悪いことではないことは間違いありません。

 

「世の中に起こることで偶然はありません。すべて訳があり、すべて自分が引き寄せてきている結果なのです。そして目の前におとづれることに感謝していつもありがとうをいいながら生活していると自ずとと道が開けてきます。」

 

今ではこの言葉が理解できるようになりました。

 

正観さんも自称唯物論者です。

 

100人の人たちで「いいといわれること」を検証されて、それでほんとうに実証されたことだけを私たちに教えてくださいます。

 

それが「宇宙の摂理」です。

 

なぜかよくわからないが、「ありがとう」と心がこもっていなくてもいいからたくさん唱えるとよいことがおきる。

 

私もたくさんの奇跡を経験しました。

 

こうなりたいと思ったことを、「実現しました有難う」というと本当に実現します。

 

これも経験しました。

 

今は毎日有難う1000回を言うようにしています。

 

ますますよいことがいっぱい起きそうでわくわくしています。

 

言葉=言霊、どんな言葉を使うかとても大切なことです。

 

神様有難う。正観さん有難う。

 

読んでいただいて有難うございます。感謝!

コメント (0) |  トラックバック (0) |