大泉ひろこ特別連載

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ウーマンリブ敗れたり(37)山口県赴任

2016-12-27 08:45:56 | 社会問題

 役人稼業にとって法改正は戦場のようなものだ。日常の業務の何倍もの時間と能力を必要とする。そして、仲間、大蔵省、国会議員との対立や衝突が多くなり、言葉が荒くなり、会議はいつも殺気立つ。児童福祉法の改正が国会を通り、私は、社会援護局の企画課長に異動したが、仕事が終わった喜びはなく、釈然としない思いだった。頭の中で「戦場での出来事」が渦を巻いていたのだ。訳の分からぬ国会議員の横暴、部下が後ろから銃撃する、そして、仲間の課長と局中に響き渡るような喧嘩もした。

 「課長、喧嘩してよかったですよ、あんな奴を黙認していた課長に苛立っていました」「キャリアでも出来の悪い部下は使わないで下さい、私が代って答弁でもなんでも書きましょう」。児童家庭局プロパーの部下の言葉は私を助けた。戦場では、人は本性を隠せない。軋轢の中で、人間関係は修復できないまでに悪化するが、それに耐えられない人は心を病んでいく。実際に、主力の法令担当を始め数人が役所に出てこなくなった。

 しかも、法改正の真最中に岡光事務次官の収賄事件が起こり、その後、役人に対しての綱紀粛正は徹底的に行われるようになった。外部の人に食事を供されてはならない、やむなき会食は立食に限る。・・・席を用意された役人がわざわざ立って食べたという笑い話までできた。また、橋本政権は中央省庁再編を行政改革の目玉として掲げていたが、「何のために」は明確ではなかった。合併によって省庁の数は減るので、大臣の数は減る。しかし、官僚の世界は、中二階ポストや独立官をいっぱい作って、人数は不変。結果的には甚だ非効率な大組織を作り、大失敗と言わざるを得ない。現に厚労省は、厚生と労働を分けないと大臣は仕事をこなせない状況だ。

 そんなときに、山口県副知事への出向の話が来た。「もう君は地方で勉強する年齢でもないし、ものすごく保守的な地だから苦労すると思うよ」と上司は言った。しかし、私はチャレンジが人生だ。明治維新を興した長州を見たいと心が動いた。確かに、大阪府副知事の人事案件否決のとき、中央で制度づくりを頑張ろうと心に決めていたには違いないが、遅ればせと言えども、自分の人生の中で「地方」を知ることはフロンティアを広げることになろう。

 私はすぐ決めてしまう癖がある。相談する人がいないのだ。家族は当時10代の息子だけ、親しい友人もいない。だから、父が亡くなるとき遺言のように語った「お前は、いくら注意しても聞かず、自分で火傷しなければ済まない性格だから」をそのまま地で行く人生だった。しかし、この選択は、決して良い結果は生まなかった。「おとなしく3年間過ごして、おとなしく帰ってくれば」問題はなかったのだが、結局、ここで政治に出ることにし、それからの戦場人生が始まった。その戦場は法改正の時に味わった戦場とは異質の、耐えがたいカオスだった。

 山口県副知事の仕事は、制度づくりではなく政策プログラム作りである。健康山口21や男女共同参画条例など、国と呼応した仕事で、私は十分楽しんだ。女性団体主催の講演会もたくさんこなした。そのまま「お嬢ちゃま副知事」で国に帰っていれば、私は、地方行政についてもっとこの欄で書けたであろう。しかし、その後選挙に出て、それまでの人間関係をも壊してしまった身としては、地方行政の部分も痛いことに「黙示録」になってしまったのである。

 厚生省から見ていた山口県は遅れた中国地方の県の一つであったが、赴任して、突出したものがあると分かった。それは、「国」の存在が大きいのだ。山口県から藩閥政府に多くの人材を提供してきたのだから、当然だ。高村さんが外務大臣としてお国入りした時、県庁の職員ほぼ全員でお迎えをした。この県では、「国で活躍すること」が何よりも大きな価値を持つ。大会などでも、国会議員は十分にスピーチができ、知事がつけたりのようだ。私の住む茨城県では、全く逆だ。主役は知事で、国会議員はつけたりで挨拶をする。それは仕方がない、山口県は多くの総理を出してきたのに対し、茨城県には大物政治家が出なかったからの違いだ。

 藩閥政治の名残は仕事の仕方に残っている。2001年に地方博覧会を開催することになり、出展や寄付をめぐって、民間の企業と交渉するとき、トップとトップあるいはポストとポストで交渉するのではなく、相手方に山口県出身の人を見出し、その人脈で仕事をする。まさに、ネポティズム(縁故主義)だ。今の世でも変わらないところが、ある意味で山口県の誇りと因循姑息を同時に感じる。山口県出身の各省の官僚も大切にされ、何かの時に役立つ。これが地方というものかと理解した。

 これが地方というものと言えば、中央官庁は大卒の年次が人事上重要であるが、山口県では、県内のどこの高校を出たかが重要である。大学はあまり問題にされない。県内の高校に序列があり、かつ、知事と同じ高校であるかどうかもマークされる。このことは、富山県(出張時に得た情報)でも茨城県でも同じなので、地方の特色なのだろう。また、私が赴任した1998年当時は、県に上級職はできていたが、団塊世代でも大卒は少なかった。

 もう一つ地方を感じさせるのが方言である。私は先祖代々が宮城県なので、居住する茨城県の方言とは大きく違っていないが、山口県の方言は全く違う。縄文人の蝦夷と渡来人の違いであろう。県庁の職員は私と話すときは標準語だが、仲間内では方言を使っている。私には分からないことが多い。「お早うございました(お早うございます)」「幸せます(幸甚です)」は、面食らった。

 副知事というポストのために、汚いことは知らされていなかったし、また、出向人事だから、私に真実は知らされていなかったとも思う。しかし、ある時点までは、幸せに仕事に臨んだ。後になって、東京から来たウーマンリブを快く思っていない人々の存在を知ることになるが、「火傷するまで」分からない私は地方行政にのめり込んでいった。

 

 

 

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