大泉ひろこ特別連載

大泉ひろこ特別連載です。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

ウーマンリブ敗れたり(38)男女共同参画の悲哀

2016-12-28 08:20:29 | 社会問題

 山口県に赴任するとき、事務次官から二つアドバイスを受けた。「山口県は男尊女卑が残っている珍しい土地柄であることを念頭に置きなさい」「あなたは発言が過激だから、口にチャックをしておきなさい」。どちらも有難くないアドバイスだが、深く考えることはなかった。だが、確かに、「男尊女卑」なんて言葉はとうの昔になくなった死語かと思っていたら、いやまあ、そこには堂々存在していたのだ。そして、私に、口にチャックは無理だ。

 山口弁では女は「おなご」。茨城弁では「おんなっこ」。茨城の場合は男はおとこっこで、どちらも特別な意味はない。おなごの語感は私にはわからないが、差別的だと主張する人もいる。また、山口県のお婆さんが書いて来る手紙に「おなごの身でよく頑張った」趣旨を読み取ると、女は男の後ろにいるべきととれなくもない。まあ、山口県は中国地方にあるが、文化は九州文化だから男尊女卑は歴史的産物だ。渡来人の文化を引き継いでいるだけだ。

 1986年の雇用機会均等法によって女性の社会進出は勢い付いた。90年代は総理府を中心に男女共同参画の政策が推し進められていった。それまで女性が進出していなかった分野に「女性初の・・・」がラッシュのように出現するようになった。憲法上は、家庭、教育、職業のいずれの場でも平等が定めれられていたが、職場の平等は法制によってこそ実現できるものである。私も代表団に加わった80年の世界女性会議における女性差別撤廃条約の署名から5年近くもかかって、職場での平等を図る均等法が成立し、ようやく条約の批准ができた。

 90年代は、民間女性を大臣に抜擢するのも、副知事を女性にするのも、防衛庁や警察庁に女性キャリアを入れるのも時代の流れとされた。しかし、こういうことが可能なのは、政府や地方政府であって、本来ならば、女性の多い民間の職場の底上げを図ることがもっと重要だったのだ。それは思うようには進まない。なぜなら、企業は利潤追求が本務であり、それに資する女性でなければ、おまけに地位をあげることはできないからだ。

 そうこうするうちに、雇用機会均等法と共にできた総合職(いわば民間キャリア)に就いた女性が多く脱落していく状況が生まれた。「女性初・・」の重圧、家庭との両立に悩んだ女性がいとも簡単に職場を去る。「だから、保育所が必要なんだ」。政府の少子化対策なんだか、女子労働対策なんだか分からないが、保育所は児童福祉法の「保育に欠ける児童」の子育て施設から、母親の就労のために預ける施設に変わらざるを得なくなった。2001年に厚生と労働が一緒になってからは、労働省側の考えが強くなって、この傾向は定着した。

 90年代、デフレ不況の中で、企業は女性総合職の採用よりも、男性の採用を優先するようになっていたが、それでも男女共同参画の勢いは留まらず、2000年には男女共同参画法が成立した。国は、都道府県に対し、これに呼応する男女共同参画条例を作ることを求めてきた。私は、国からの出向者であることを考えると、早く策定しなければ恥だと思った。既に東京都と埼玉県が条例を作っていたので、両県に勉強に行き、「何も問題ない」とのコメントをもらって、策定作業を始めた。確かに、男女共同参画法は、プログラム規定であって、これに基づく条例が問題を起こすはずはないと思っていた。

 ところが、である。地元の右翼系の雑誌社の取材に応じたとき、「あなたは何でも合理で考えるのですね」と冷めたコメントをもらったのを皮切りに、地元の新興宗教集団が各戸に男女共同参画条例反対のビラを配った。その新興宗教集団が金を出して、東京女子大の男性教授に「山口県副知事を糺す」の見出しで「諸君」(のち、廃刊)に書かせた。「山口県の風土に男女共同参画は要らない」。

 山口県はやはり山口県だったのだ。男尊女卑が今も存在する「歴史的」な県である。それは、右翼のイデオロギーではない、明治維新とその後の藩閥政治の輝かしい歴史の時点で、時間が止まってしまったのだ。山口県の人が口角泡を吹き飛ばして議論するのは150年前の話であり、現在の話ではない。維新の登場人物を間違えようものなら馬鹿にされるし、吉田松陰を「先生」をつけずに呼び捨てにすると怒る。

 私なら、山口県は鉄鋼やセメントなどの素材産業が得意だから、この分野の徹底的なイノベーションで工業県として伸ばすことをしたい。隣の北九州市はアジアを巻き込んだリサイクル産業で繁栄している。中国の経済成長が鈍化したとはいえ、まだ6%の成長率だ、日本とは比べ物にならない。中国・韓国に近い地の利を生かして、突出した産業をつくってほしい。それをやらなければ、過去の「終わってしまった栄光」にしがみついて生きるだけの話だ。

 ひと騒動はあったが、男女共同参画条例は県議会を通過した。全国47都道府県中3番目に成立したことになる。47都道府県の条例が出来上がると、次は、市町村条例の策定が促された。宇部市の条例は「女は女らしく、男は男らしく」を掲げ、アンチ男女共同参画のカラーを出した。私が山口県庁を去った後であったが、よほど男女共同参画が憎たらしいと思う連中が生息していたらしい。

 本音を言えば、私は男女共同参画を喜んでやったわけではない。自分の生き方としてはウーマンリブだが、生き方は選択するものだ。誰も自分と同じ生き方をしてほしいとは全く思っていない。少子化時代に女性が労働力としてまさに必要になってきた時代だからこそ、女子労働の障害は取り除かねばならないが、制度的にできるものを推し進め、個人の価値観は放っておけばいい。

 宇部条例が国会で取り上げられたとき、内閣府の男女共同参画局長の答弁は「地方のことは地方議会が決めるに任せる」だった。ということは、男女共同参画は全国共通の政策ではない? そして、宇部の条例に似た条例が全国的にもできた。男女共同参画のバックラッシュが始まったのである。以来、私が見るところ、男女共同参画は下火であり、若い女性は、「専業主婦というエリート」をめざし、肩を張って生きようとする女性に対してはクールだ。

 他方、少子化の影響で、女子も勉強するのが当たり前になり、医学部や司法試験などに女子が大量に受かる時代になった。だが、女性は眼科、耳鼻科、皮膚科など夜勤のない仕事を選び、診療科ごとのバランスが悪くなる。弁護士も企業より家事紛争を選ぶ女性が多い。夫婦別姓などは女性の叫びになってしまっている。量的に女性の社会進出が進んでも、質的にはまだこれからだ。しかも、国連開発計画が導入したGEM指数(女性の社会的活躍の指数)は、日本は世界57位という低さである。

 山口県庁では、私は無理にでも女性管理職を増やそうとした。結果は必ずしも成功しなかった。社会が悪いのか、女性の対応が不十分なのか分からぬ。男女共同参画条例の苦い思いとともに、私はこの仕事に情熱を失った。バックラッシュの中にある男女共同参画は、今のままでは浮き上がることはない。ただ、私自身は、一人っきりで、敗れても敗れても、死ぬまでウーマンリブで生きる。

 

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« ウーマンリブ敗れたり(37... | トップ | ウーマンリブ敗れたり(39... »

コメントを投稿

社会問題」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。