大泉ひろこ特別連載

大泉ひろこ特別連載です。

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ウーマンリブ敗れたり(45)笑えない日々

2017-01-04 09:12:33 | 社会問題

 選挙の日常については、書こうとしても筆が進まぬ。選挙とは、仲間づくりの営業活動である。個々に仲間を作るよりも団体、企業単位で仲間を作ったほうが効率はいい。また、若い人はフェイスブックやツイッターで仲間を集めるのが得意だ。そこで求められるのは「何をやる人」ではなく、「仲間に入れる人」である。下手に、職歴やイデオロギーを強調しても役に立たない。つまり、人気投票で如何に勝ち上がるかという視点がなければ、選挙にならないのである。

 その意味では、私は5回選挙をやっているが、わかっちゃいるけど古い手法に陥ることの繰り返しだ。政策を分かってもらおう、一人一人に出会おうとした。にも拘らず、2007年、衆議院議員選挙の活動を始めたときは、保守的な土壌にも自民党に対して大きな不満があるのを感じ取った。私は、地域を歩くのに明るい気持ちで歩くことができた。小泉引退後、安倍、福田、麻生と1年おきに代わった首相は、年金記録の紛失や後期高齢者医療の負担増加で、自民党の下降線を下るばかりであった。いわば、小泉バブルがはじけてしまった状態にあった。

 しかし、私の選挙はオーストラリアの勉学のようにさわやかにはいかなかった。事務所はいつもゴタゴタしていた上、あろうことか、地元の国会議員が数人で小沢一郎代表に掛け合い、「大泉を下せ、地元の県議に替えろ」を企んだ。このとき、既に私の推薦を決めていた茨城県医師会長が彼らを止めたので事なきを得たが、民主党は常に「敵は足元」にいる政党なのである。議員の経歴を見れば、まともな職歴を持たず、一発勝負で公職を得ようとする連中の集まりだから、もとより私の歩いてきた道とは異なる人種で成り立っている。だが、それが民主主義なのである。一発勝負で勝ち取ることが好きな人間を批判しても始まらない、自分もそうならなければ選挙の世界は生き残れない。日本人はパチンコ好きだから、射幸心を以て生き、選挙という民主主義の方法は日本人に合ったものなのかもしれない。やはり、ウーマンリブには無理かな。

 2009年、日本列島に大風が吹いた。民主党の大勝利である。選挙運動中から「今回は自民党にお灸をすえなければ」と言った有権者が多かった。いつも投票率の低い茨城県の投票率が10ポイントも上がった。そして、民主党のマニフェストが夢を与えたのだ。私の選挙は、特に、後期高齢者医療制度に反対する茨城県医師会が民主党支援に回ったこと、郵政民営化に怒った郵政政策研究会が民主党支援に付いたことの二つが大きかった。これまで保守陣営にいた二つの勢力が味方になり、民主党の信頼性が高まった。

 当選後の会見で、マスコミの人に「大泉さん、笑顔がないですね、嬉しくないのですか」と言われた。この勝ち方は本当に勝ちなのだろうか、私は心配した。2001年、9・11の時から8年も経っている。風の吹かない選挙をどうやったら変えられるのかと考えてきた。だが、風が吹けば勝てるのなら、考える必要がないとはどういうことなのだ。過ぎ去った日々の意味はあったのか。少なくとも、この選挙は私が勝ったのではなく、民主党が勝ったのであり、残念ながら、私は民主党という政党をよく知らないではないか。自分の労働によって自分が得た果実ではないと思った。笑顔がなかった原因である。

 私は、政治家になったと言うよりは、また東京に帰って仕事をする感覚だった。東京に住むのは嬉しい。しかし、かつてよく通った店は軒並みつぶれていたし、東京といえども本屋は減ったし、十数年間愛用し、そこでしか買わなかった洋服屋もなくなった。かつて毎晩のように酒を飲んだ同僚も、民主党出馬をきっかけに多くは没交渉になっていた。もはや仕事以外に楽しみは何もない。

 9月、初登院の日、国会の玄関で、自民党の谷垣禎一氏に会った。官僚時代、政調会長代理だった谷垣さんによく説明に行った。誰に対しても丁寧で、私の尊敬する人だった。民主党から出た私に、何の抵抗もなく「おめでとう」と言ってくれた。その後も自民党の知り合いにしばしば会ったが、元職の津島雄二氏が「あなたが敵から出るとはねえ」と言われたのは、少々応えた。津島さんも尊敬する人だった。山東昭子さんは、「あら、大泉さん、お元気?」と声をかけてくれた。かつて、山東参議院議員の鞄持ちでアメリカに出張したことがあって、山東さんからはとてもよくしてもらった。

 私は官僚出身だけに、自民党の議員を多く知っていた。民主党で親しいのは菅直人と平岡秀夫だけだった。 最初に派閥作りのためのパーティーがあちこちで行われたが、食指は動かず、できれば無派閥でありたいと思った。菅さんと平岡さんのいるグループには義理があって顔を出し、現に鳩山後の代表選では菅さんを応援したが、何やら左集団のような趣に毒されて、その後は足が遠のいた。

 民主党のピークは、9月の鳩山由紀夫総理の所信表明演説であった。この演説は優秀だと思った。冒頭の「命を守りたい・・・」は好きではないが、新たな政治に踏み出す高揚感に溢れた演説だった。それは、2001年「自民党をぶっ壊す」と叫んで総理になった小泉純一郎の所信表明名演説をも凌ぐものだった。民主党は立ち上がって割れんばかりの拍手をし、みな、頬を紅潮させて議場を出た。

 しかし、その直後から始まったさまざまの出来事はまるで民主党の短命を予測させるようなものばかりだった。小沢一郎率いる中国表敬訪問団。1年生は皆参加しろと言われたが、私は役人時代から、交渉のない表敬の出張などは行かないできたから、むろん参加しなかった。そして、行政に土地勘のある者が事業仕分けグループに編成され、私も入ったが、数日で小沢さんから「1年生に余計な仕事をさせるな。彼らの仕事は極力選挙区に帰って次期当選することだ」と指示があって、解散させられた。小沢さんの言うことは政治家としては正しいのかもしれない。しかし、私は、仕事をするために選挙をやって来た。再び選挙に戻って日々を過ごすのなら、一生選挙のための選挙をやっていかねばならない。反対だ。

 1年生議員としても、初の民主党政権としても、船出から波は荒かった。

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