温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

湯ヶ野温泉 福田家 前編(榧風呂)

2015年11月05日 | 静岡県
湯ヶ野温泉で明治期に創業した「福田家」は、川端康成『伊豆の踊子』の舞台としても有名であり、一般の観光客や温泉ファンのみならず、名作ゆかりの地をめぐる文学ファンからも愛される老舗の温泉旅館です。もう半年以上前になりますが、河津桜が咲く早春の某日、日帰り入浴でお邪魔させていただくことにしました。


 
 
まずは河津駅から修善寺駅行の路線バスに乗って、湯ヶ野バス停で下車し、バス停目の前にある「湯坂」を下って、川沿いに佇む温泉街へと向かいます。谷あいに軒が犇きあう温泉街は、まるで昭和から時が止まっているかのように、昔日の面影を強く残していました。


 
川沿いの路地には共同浴場が面していますが、こちらは地元民専用ですので、今回は外から眺めるだけ。『伊豆の踊子』で登場する木賃宿に泊まった旅芸人たちは、こうした共同浴場でお湯を借りたのでしょうか。


 
川沿いの路地を進んでゆくと「踊り子の足湯」なるものが設けられており、私が写真を撮った後には外国人旅行者がこの足湯を楽しそうに利用していました。彼らにとって湯ヶ野温泉の昔ながらの鄙びた風情が魅力のようです。


 
温泉街は川の左岸の斜面に軒を連ねていますが(左or上画像)、老舗「福田家」だけは橋を渡った対岸にあり、天上天下唯我独尊といった風格を放っていました。


 
 
橋を渡ってすぐ目の前の、旅館の建物が橋側へちょっと突き出ている一角は、『伊豆の踊子』に関する資料室となっており、それを斜に見る形で踊子の像が岩に腰をかけていました。
玄関の引き戸を開け、帳場にて日帰り入浴を申し出、そのついでに女将さんといろいろとお話をさせていただいているうち、当館名物の「榧風呂(かやぶろ)」ともうひとつの「露天風呂」の両方を貸し切りで使わせていただくことになりました。この場を借りて改めて感謝申し上げます。


 
「福田家」の名物である「榧風呂」は明治の創業時からある歴史あるお風呂。ここを訪れて「榧風呂」に入らないだなんて、日光へ行って東照宮や華厳の滝を見ないのと同じようなもの。むろん私の最大の目的はこの「榧風呂」に入ることです。女将さんのご好意により今回は貸し切りで利用させていただき、入り口に貸し切りの札を下げさせていただきました。


 
棚と籠があるだけで2畳程度しかない狭い脱衣室を抜けると、視線から1.5メートルほど低い位置に浴槽が据えられており、ステップを下ってその槽があるレベルへと向かいます。四角い浴室の床に敷かれているのは、おそらくご当地伊豆で産出されたと思しき伊豆青石。現代的な石板タイルではなく、いかにも職人が鑿で切り出したような重厚感を有しており、長年にわたって使われているため角の一部は丸みを帯びていました。また床の外縁部には排水を導く浅い溝が彫られていました。


 
浴室は半地下のような構造なのですが、おそらく川の水面とほぼ同じレベルなのではないでしょうか。川沿いに位置するような古い温泉宿ですと、しばしばこのように浴室を深くして、川面と湯船の水平位置を近づけますが、これは言わずもがな川面に近いところで湧く源泉と浴室を近づけるため(あるいは内包するため)であり、引湯や揚湯などの技術が無かった時代から営んでいる古い温泉地ならではの造りと言えるでしょう。尤も、現在の「福田家」は湯ヶ野地区で共同管理しているお湯を引いているようですが、この深い位置にある「榧風呂」は、かつてこの近くに源泉があったことを示す当時の名残と言えそうです。
なお川側の壁上部には常時貫通の通風孔があいており、入室中は常に川のせせらぎの音が耳に入ってきます。また床や浴槽内で腰を落ち着かせていると、ガラス窓が普通の部屋より高い位置にあるため、外の明かりが上から降ってくるような不思議な感覚に包まれました。
右(下)画像は、脱衣室から下ってくるステップの様子。脱衣室と浴室では、これだけの高低差があります。


 
浴室の片隅には洗い場が設けられ、シャワーとカランが1基ずつ取り付けられています。いかにも後から取って付けたような感の強い洗い場なのですが、当たり前ですが以前は洗い場なんて無かったのでしょうね。室内の床を固める伊豆青石に護られるように、浴室中央に据えられているのが総榧造りの浴槽。目測で約1.8m(尺貫法で言えば1間)四方。3人はゆうに入れるでしょう。深さもしっかりあって入りごたえも十分です。清らかに澄んだお湯が張られており、底の板は継ぎ目がわからないほど滑らかに施工されていました。職人の技に感服です。なお榧材は耐水性があるため昔から風呂桶や船舶材として用いられてきたそうですが、カヤという木は成長が遅いために材木としての生産量が少なく、このように総榧で作られた浴槽は大変貴重な存在なんだとか。


 
漁師さんが使う箱メガネを逆さにしたような形状をした浴室の四方を固める擁壁には、模様が焼き付けされたタイルがはめ込まれているのですが、それらに描かれている模様は一枚一枚異なっており、芸の細かさには驚かされます。榧の質感といい、この飾りのタイルといい、なんて上品な誂えなんでしょう。
脱衣室から下ってくるステップの下には信楽焼のたぬきが置かれており、人を食ったような素っ頓狂な面をしながら湯浴み客を見つめていました。


 
シャワーの前には湯枡が据えられ、そこから湯船へお湯が注ぎ込まれています。湯枡には蓋が被せられており、その上にはアルミのコップが置かれていますので、飲泉するにはこの蓋を開けます。


 
実際に蓋をあけてみますと、中はこんな感じ。屋外から来ている耐熱の塩ビ感からお湯が引かれており、音こそ立てていませんがポコポコと泡を立てながら勢いよく吐出されていました。ここで一旦お湯をストックしてから、浴槽へと注いでいるんですね。コップでお湯を掬って口にしてみますと、ほんのりわずかな塩味と芒硝味、そしてほのかな石膏味が感じられたのですが、口にした瞬間は金気に似た独特な味わいが口腔内の粘膜に滲み入るような不思議な感覚が得られました。芒硝感や石膏感はいかにも伊豆温泉らしい特徴ですが、この金気に似た不思議な感覚は、(あくまで私個人の経験上の話として)他の温泉では感じたことがなく、もしかしたら湯ヶ野温泉独特のものなのかもしれません。



加温加水循環消毒一切なしの完全掛け流しながら、湯加減は42℃前後という絶妙な塩梅。これぞ自然の恵みですね。湯船に浸かるとザバーッと豪快にお湯が溢れ出てゆきました。湯中ではツルスベとキシキシが同程度に拮抗しあい、やや硬めの浴感があるものの、同時に品の良い滑らかさや軽やかさも肌に伝わり、まるで羽毛蒲団をかけられているかのような心地すら得られます。硬質感と柔らかさを併せ持つ実に不思議なお湯です。

創業当時から多くの人々を癒し続けてきたこの歴史ある榧風呂で、私も川端康成になった気分で湯浴みさせていただきました。総榧造りの浴槽に腰を下ろした時の感触たるや、なんとも言えない極上な心地なのですが、上述したようなお湯そのものの浴感も相まり、肩までじっくり浸かって湯浴みしていると、えも言われぬ泰然とした気分に支配されました。時間を忘れてひたすら浸かっていたくなります。本当に素晴らしいお風呂であり、その秀逸さを何とかしてお伝えしたいのですが、愚鈍な私が説明すれするほど却って誤解を招き野暮な結果になりかねないので、悔しいのですがこのあたりで能書きを垂れるのはやめておきます。


後編へつづく

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