おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

毎年の墓参り

2017-08-16 13:26:20 | Weblog
<独り居が安気と言う時は過ぎて、今や何をそんなにストレスを抱えているのと思うほど、それぞれが重荷になってきた。
 お盆になって十四日例年のように、息子の車の運転で実家の墓参りに行った。
 我が家の墓参りは毎年十三日までには仏を迎えに行くのであるが十三日は句会があり、(二十四人中七人欠席)自分の足が無いのと供花を持参してきて一緒に行ってくれる娘が今年は、姑さまの入院やら栃木から六日から来ている子供一家の孫の熱が下がらないので、大わらわである。
 彼女も立派に祖母になったわけであるから、私がいろいろせっつく訳には行かない。
 おそがけながら、我が家の墓に先に参ってから行くことにして盆らしくほほずきなど持って行ってみると、直系はありがたいものである。男の孫であろう今年も、ぢぢさまの好きであった、大関の上選のワンカップが供えてあった。
 そこを出ると息子は渋滞しない道を熟知していて、県境の入鹿池の向うあたりが、混んだだけで車は雨模様のうっとうしいほど濃い緑の稜線を越えて美濃の私の両親の墓に着いた。持参したひとだかえの花を、八基もの墓に継ぎ足しでさして「来年のことは判らないが今年はまずまずお参りできました」と挨拶した。
 としこさんが一人待つ実家に着きなつかしいわと仏壇に線香をあげた。祖母と茄子や瓜で馬など作っていた濡れ縁もそのままである。
 私の慣れないスマホのメールが未着信だったらしく、弟は商売で富山へ出かけて留守,歯科クリニックの跡取り一家はやはり嫁さんの実家へ子供ずれで出かけて留守。家と言う箱物もこうなると大変で彼女の実家も母様なきあと空き家借家はともかく三軒もみている。
 「辻や」の前の妹夫婦と四人で一時間並んで待ってうなぎを食べて四方山の話をして高速を飛ばして帰った。
 さあ十五日我が家の本番のお盆の筈が襖をはずして全員が集まるようなことをしなくなってからはそれぞれの家のお盆をしたり、夏休のちび達を海に連れていったりするので、私が思うようには集まらない。
 従って私一人が追善菩提に日文の会館へタクシーで出かけた。一昨年来会いたかった方に会えて一緒に題目を存分にあげて相乗りさせてもらって帰った。
 これで十八日に仏を墓まで送って行けばとどこおりなく終わる。なんだか勇気が湧いて来た。今年一年守られるでしょう。感謝!      
    
        俳句  百年の実家の蔵の台風禍
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2 コメント

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お元気でなにより (ゆたちゃん)
2017-08-18 22:29:17
ご゛沙汰してます。
極暑の中、お疲れさまでした。年月人を待たず。とはよく言ったもの。私は五十数年間帰省していた実家のある酒田市に今年は行かなかったし当分行かないでしょう。だんだんと疎遠になる。                        絵手紙に西瓜描きつつ4852妣思ふ 満月子
時代はどんどん新しく (やまね)
2017-09-01 17:25:43
お墓参りが出来て結構なお盆でしたね。最近ではお寺の都合もあって、お墓も電子化されたアパート形式の納骨堂になっていくようです。私の家も本家の古い墓を10基以上も守していたので、子供の頃盆暮れの墓掃除が大変でした。今では懐かしい思い出です。今は未だ石碑のお墓がありますが、我々も長生きし過ぎると箱の様な電子アパート形式の納骨堂に入ることになるでしょう。お墓らしいお墓にお参りして昔を懐かしく思えるのはもう夢になることでしょう。

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