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映画や本が好きです。

インタビュー:スターニュース『無表情演技、最も苦しかった』

2010-08-29 02:10:42 | イ・ビョンホン


■スターニュース「イ・ビョンホン"無表情演技、最も苦しかった"(インタビュー)」(2010.08.12)

甘い微笑、リスニングだけでも気持ち良くなる声. 映画'悪魔を見た'でそのような'万人の恋人'イ・ビョンホン(40)を見るのは映画開始後ぴったり10分程度までだ。 人里離れた道に独りで残されたフィアンセのためにそのやや低の声で歌を歌ってくれたきめ細やかな男は、ぞっとするような彼女の死の前に念を押す。 そいつに加えた苦痛を抱かせるぞと。 そして映画は息をする間を与えないで暴力と復讐に向かって走る。

息がつまるような緊張感の中に、2時間20分越えるランニングタイムがふわりと過ぎ去るが、男のかたい表情は簡単に変わらない。 しかしイ・ビョンホンは予定された悲劇に向かっていく男の凄然な決心、複雑な心境を胸チョリタゲ描き出す。 無表情の中でも少しずつぴくっとするほお、けいれんを起こしたように静かに震える目の筋肉. そして何より言葉では言いようのない目つき.

やはりイ・ビョンホンだ。 他でもないイ・ビョンホンなのでその血の復讐がさらに残酷で悲劇的になったということを否認するものはないだろう。

-マスコミ試写以後反応がどうだったか。

▲恐ろしい、強くてこうしたものだが、昨日が映画関係者たちが多いから反応が良かったよ。 事実大いに心配した。 シナリオを読んでとても良くて撮影したが、変わったシークエンスも多くて私がシナリオを読んだ時とはまた他の情緒がいっぱいである感じなので、どんな映画が出てくるのかとても気になった。

業界にいらっしゃった方々が好んで下さるから幸いだとの気がした。 制限上映と等級論議の中に映画まで後負けたとすれば元に戻すことはできない状況にならないだろうかと考えたが、幸いだったようだ。

-シナリオとどのように違うのか。

▲シナリオは全て感情だけを持って見る。 戦略や、私が次回にどんな役割、ジャンルをするべきだとの考えは持たず、小説の一つを読むように感性で読む。 読んだら'私のものだ'としたいシナリオがある。 これがそうだった。 もちろん熟慮して決める作品もある。 '奴奴奴'がそうだった。

シナリオ読む時は痛快さと解消感、商業的なコードが明らかな映画と考えたが、実際に撮影をする時はとても苦しくて憂鬱な感じに捕らわれていた。 私だけが感じたのではなく監督様、ミンシク先輩、皆がずっと撮影ずっと憂鬱だったようだ。 観客の立場に立ってみる訳には行かないが、ある程度解消感があるんじゃないだろうかという気がする。 結果はまた、初めて読んだ時と近づいたという気がしたよ。

-とても数えた表現のために大衆性が弱くないだろうか?

▲私は二種類が共存する映画と考える。 それがもしかしたらこの映画の魅力ではないかと考える。 これは商業映画でこれはマニアのための映画、と区分するのが難しいのではないか。 話の主題はとても簡単に要約することができる。 フィアンセを殺した人にすさまじく復讐する話. 復讐というものは誰にでも商業的にアプローチすると考える。
内容面で世苦(?)、時によっては芸術映画的な部分もあるが、良いと考えればよく作られた映画期のためにそんな評をするという考えになる。 大衆的な映画が無条件によく作られた映画だとは考えない。


-演技しながら目で多くの情緒を見せる。 キム・ジウン監督は'無表情の中で喜怒哀楽を見せる'と言うこともあった。 どうしてそんなに演技するか。

▲昔の話なのに、後輩らが私にそのような話をたくさん尋ねる。 演技する時何を考えるかと。 それは本当に誤った質問だ。 泣く時にしても何をする時にしても他の考えれば全く演技に助けにならない。 嘘のようだが、そのようにすれば頭の中がとても複雑になって感情がフォーカシングできない 全て状況の中に私を置いておいてマインド・コントロールをするほかはない。

無表情で演技するのは最も大きい苦しさだった。 人々はそれが私の演技の方式ではないのかと思うが、現場で小さい画面でモニターリングをすれば私が何をしたのか見えない。 私は感情に浸りきって演技をしたがモニターを見ればその喜怒哀楽がみな全く同じに見えるのだ。 それがとても不安だ。 悩みがあったし手に負えなかったが、それでも一つの信頼は私が浸りきっていたとすれば、私が口元を上げないで笑ってもその感じを人々が感じることができるだろうということだ。

-それでもフォトゾーンなどでの姿を見れば、微細な表情をコントロールするようによく訓練された俳優という感じがする。

▲俳優が一番飾り的な瞬間がフォトゾーンだ。 一番ぎこちない。 その時は'やぁ、本当に楽しい、楽しい、笑って'というような考えを複雑にするほかはない。 '人が見えるように笑って下さい'とする話を聞いて'幸せだ'というように考えることはできなくないか。 かえって明るく笑わなければならないから、私が見ても飾り的に笑うと言う気がする時がある。 それは訓練された表情というよりは'動かない'表情であるということだ。

演技の練習ということはないようだ。 鏡を見ながら練習するかと尋ねるが、世の中に鏡を見ながら練習する演技がどこにあるか。 うわべを先に調整することはできないのではないか。 感情がにじみでてこそうわべが動くんだね。 モデルを目標にするならば姿自体が生命であるから鏡を見ながら表情やポーズを練習することはできるのだ。 だが演技する人は中から出る感情が重要だ。 外見がいずれにせよ感情が伝えられなければならないから。

-演技練習を別にしなかったということなのか?

▲KBS公開採用なのに、それ以前に演技ということを、台詞ということを年言って見たことがない。 学校も語文系列であったし、演劇部も入って見たことがない。 また、誰に演技を学んでみたことがない。 今、演技塾というのがあるのではないか。 新人らが演技塾に通うというが、率直に何を教えるが気になる。 とても技術的で基本的なカメラに対すること、発音、発声は教育が必要だが演技のスキルを教えるのはむなしいことという気がする。 演技を学んでみたことはない。

-チェ・ミンシクがする殺人魔、軽鉄役をしてみたいという考えはしなかったか?

▲別に. 率直に話せばその役割はとても'見えた'. 私がどのようにするかによって、大きく変わる役割ではないとの気がした。 シナリオを見れば映画を見るように描かれている人物. だが映画を見てから、やはりチェ・ミンシク先輩のエネルギーと力は、私がシナリオを見た人物より確かに何か生きているという感じがする。


-'その年の夏'以後ずっと暗いキャラクターだけしましたが、明るい役割をするつもりはないのか。

▲本来次にどんなキャラクターをするのが良いだろうと考えたことがない。あまりにも考えをしなかったのか、この頃そのように話す人が多い。 聞く前までは格別考えがなかったが、そのような必要もあるだろうという気がする。 常時する話だが、私の性格がそうした側ですね。 一方でイメージが偏るのは別に良いことではないようだ。 '次に必ずする'ではないが'考えをしてみなければならない'とする程度.

-時間が過ぎるほど自分の演技が発展するというのを感じるか。

▲そういうのを感じられない。 笑わせるのが幼かったときした演技も、その当時私は最善を尽くしてしたが、私の感じにはその時、私と変わったのが何があるかというような気がする時がある。 私は毎日顔を洗って鏡を見るのに、久しぶりに会った人々がやせたということならば合うのか。 ある作品を見て'結構上達した’という事はなかった。 ア、こういう場合はある。 あるシーンをとって'これ大丈夫だな'と思う時。

-今回はどんなシーンだったか?

▲三男女とペンションで 1対3で付いた次に途方に暮れるように座っている途中ふとバックミラーを見て血を拭き上げる場面.思わず血をぬぐってちょっとむっとする感じが良かった.私がどうしてこのようになっただろうか,こいつはどうしてこのようになっただろうかと言う考えをしながらむかっとされている途中自分を取り纏める感じ.あら、私の自慢のようなんだけど。(笑い)

-劇中に復讐して得るのは何もないという話が出る。

▲スヒョンに感情移入をしてみる人が多いが果たしてスヒョンの行為が正当なのかに対する論議があるようだ。 反対する人も明確にあることと考える。 制限上映可のために論議が始まったがこの映画は論議の余地が多いようだ。 内容面でもそうで人物の正当性に対してもそうで。

-残酷性に焦点が合わされるのに負担はないか。

▲アクションと残忍な場面らはこの映画の道具だ。 ドラマが数えた映画だ。 'どれくらい残忍なのか見よう'といえばつまらないようだし、ドラマを見ればそんなことが大きく近づけないこともあるようだ。 ドラマが重要な映画でアクションが重要な映画ではない。 ところで映画を見る道具で使われるにはちょっと残忍だったよ。(笑い)

-初めて制限上映可消息を聞いた時感じは。

▲かえってはやく見たかった。 かなり気になった。 とりながらもラン式でまでは考えもできなかった。 残忍でどのようにとると思う考えは要くらいもしなくて本当におもしろくてしながらとった。 ところで編集する過程で'残忍です'とする話を聞いた。 その状況で制限上映可が出てきてとてもはやく見たかった。 監督が私知らず別のをとったようで。 私が考える時はそんなに残忍でないので理解できなかった。

-観客はいくら入るだろうか?

▲よく分からない。 映画を見るとさらによく分からない。 たくさん見れば当然良いが。 きわめて商業的な映画と考えたがそうでもないようだという気がする。 明らかなことは好む人はものすごく好む作品になることだ。


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大分送ればせで、訳が出来ているわけでもありませんが、自分がゆっくり読みたかったので

インタビューで聞かれることも、毎回にてるような気もしますね。

演技の仕方、キャラの選び方・・・。
今回、おさえめの演技で大変だったようです

自分で満足を感じるシーンもあるんですね。

今度の映画は、ジャンルも微妙、演技もやりづらく・・・。なんか、公開されるまで、ビョンビョンも悩みが尽きなかったでしょうね。

どんな映画になっているんでしょう・・・・。


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