未来を拾いに

aikoのことしか頭にないひとのブログ

【番外編】LLP17@広島 後編

2014-09-27 03:10:07 | 紀行

続きですよ~ 

■9/16(火) 
aikoの余韻ライブ(´∀`*) 
aikoは前日の夜のうちに忙しく岡山へ瞬間移動。 



23:00ぴったりに出てきたので、このあとの新幹線に飛び乗ったのかな? 
私もaikoを追いかけて倉敷にいってもよかったのですが、 
この日はセントラルリーグの優勝の行方を大きく左右するだいじなだいじな天王山、 
広島×読売3連戦がマツダスタジアムであったのですねー! 
ということで、予めチケットを取っておいたのです。 

aikoのライブの夜のマツダZOOMZOOMスタジアム広島は4-0で初戦をとりました。 
そして2日目。 

ナイターなので、この日は広島湾沿いを回って江田島にいくことにしました。 
旧海軍兵学校、いまは海上自衛隊第1術科学校というのがあるのね。 
ここも前から行ってみたかったんだけど未踏の地ですよ。 

 

↑地図でいうとこちらです。 
実はフェリーでいくとすぐっぽいのですが、いやいやそこはあえてドライブ。 
由宇とは逆に東回りに海沿いを走る感じ。 

  

呉線水尻駅の前にある「ベイサイドビーチ坂」の駐車場でパチリ。 
いい天気ですねー(´∀`*) 

  

瀬戸内海は大小の島々が点在して、沖を船がぼーっと航行してて、 
水も透明で波は静かにざざーっと。いい感じでしょ!瀬戸内はええとこよーー 

遠州浜岡は母の実家ですが、広島の呉は父の実家です。 
広島からは呉線に乗って1時間。よく爺婆のうちに遊びにいきました。 
その窓から見えるこの景色がまたいーんですよねー 
当時はJRになる前の国鉄。切符は改札口でパチパチハサミで切ってました。 
ここは~ひろしまーえーきビルー♪ってCMが流れてて。 
呉線も当時は8両とか、もっとかな。 
長い編成だったと思いますが、今はそんなに長くありません。 
駅も増えましたよね。 
球場近くに「天神川」駅。あと、「呉ポートピア」「かるが浜」「水尻」とか。

そうそう、呉線には廃線のトンネルが並行して走っています。 
これがまたロマンがある風景で。 
一度はくぐって探検してみたいと思ってるうちに大人になってしまった。 

 

呉駅。 
呉は海軍の街です。 
戦前戦中は日本でも有数の軍港でね。戦艦大和もここで作られたんだぜ! 
ってんで、今はその大和の博物館があります。 
他、「鎮守府」っていって、海軍の根拠地的なものが置かれたところでもある。
他は、横須賀、舞鶴、佐世保ね。 
呉鎮守府は、いまは「入船山記念館」っていう博物館になっています。 
このあたりの歴史に興味があれば、広島にきたら呉に寄ってみるのもいいと思います。 
半日じゃ回りきれないくらいみるべきものがあるぞと。 

大和ミュージアムや入船山は何回かいったことあるので今回はスルー。 
ていうか、大和ミュージアムは火曜休館なのでご注意。 

 

呉駅から先に回ったあたりに、石川島播磨重工や日新製鋼のでかい工場群。 
そこらへんが昔の海軍工廠があったあたりです。 

  

↑こういう赤レンガの遺構がいたるところに残っています。 
一部の建物は現在も使われています。 

  
 

「産業神社」「明治百年」「工廠神社」と読めます。 

  

急な階段を登っていくと、神社跡のようなもの。 
周辺には軍の施設と思われるコンクリートの構造物なども残っていました。 
綺麗に取り壊して片付けてしまわないで、朽ちて残ってるところに時の流れを感じます。 

  
  

このあたりは海上自衛隊の艦船がずらり。 
日曜日にくると一般公開しているようですよ。 


呉を後にしてしばらくいくと、「音戸の瀬戸」を通ります。 
地図でいうとこのあたり。 

 

以前は「音戸大橋」っていう赤い橋が1つしかなかったと思いますが、 
今はもっと渡りやすい道と橋ができていました。その名も「第二音戸大橋」。 

 

↑あ、これじゃなくてw 
これは見晴らしのよい駐車場にある歩道橋ねw 

 

こっちが音戸大橋。 

 

続いてこっちが第二音戸大橋。細い水道を今も船が頻繁に通行していきます。 

平清盛が大輪田泊っていう神戸あたりにあった港を修築して、 
瀬戸内海を通って宋の国とを交易のために行き来する航路を整備しようってんで
ここを開削したっていう伝説があります。 

地図でみたらわかるとおりですが、昔の陸伝いの航法だと、 
ここを通れなかったらずいぶん遠回りですもんねぇ。 

で、1日で工事を完成させるために、沈む夕日を清盛が扇で下から扇いだら、 
なんとまた日が昇って夜も工事ができたとか。 

もはや人間の技ではありません。 
杖をかざしたら海が割れた人よりすごいと思うぞ。 
清盛まじすげー!(`・ω・´) 

源氏の頼朝とか義経とかが活躍する物語では、平家は「おごる平家」でありまして。 
「平家でなければ人ではない」とか、ええっ!そこまでいっちゃう?!とかっていうね。 
で、鳥がいっせいに飛び立っただけでびっくりして逃げたとか。 
一方の坂東武者はかっこいいですよねぇ。まさか崖から馬で駆け下りてくるとは! 
とか、「八艘飛び」とかとか。 
まぁ、平家ってそういう役まわりののイメージだと思いますが、 
広島では清盛公は尊敬されているのです。平家は悲劇のヒーローヒロインなのです。 
「祇園精舎の鐘のこえ諸行無常の響きあり…」っていうCMも、 
「風が語りかけます。うまい!うますぎる!」と同じくらい有名。 

  

いい景色ですねーー(´∀`*) 


…っていう具合に寄り道しながらのんびりドライブして到着しました。 
海上自衛隊第一術科学校。旧海軍兵学校。 
平日は1日3回、見学コースがあるのね。 
この見学コースに参加しないと中に入れてもらえません。 

その13:00のやつに参加。 
予約は特にいらず、受付で名前と住所書いて、見学者バッチを渡してもらって。
参加費は無料。 
平日だったこともあり人数は少なめだそうですが、それでも30人くらい集まりました。 
案内してくださるのはつるつるハゲの人のよさそうな、ユーモアもうまい年配の方。 
海上自衛隊のOBで、72歳だっていってたかな。 
1箇所を除いて、写真撮影はご自由にどうぞ、とのこと。 
その撮影禁止の1箇所っていうのがすごかったのですが、それはまた後ほど。 

ここは何かというと、昔も海軍の、今は海自の、士官を養成する学校です。 
昔は英米の学校とともに、世界の三大兵学校って言われたんだって。 
明治大正昭和の頃は、海軍兵学校に入るのはエリート中のエリート。 
それこそ東大とか京大とかと同じくらいの優秀な若者しか入れなかったそうな。

案内人の方の説明がおもしろくて。 
まずは自衛隊の訓練とか教育、日常の話。 
やっぱり自衛隊って厳しい訓練があって、毎日のように走らされたり、 
山登りさせられたりすると。それも時間内に戻ってこなかったらもう1回とか。

  

スタート地点にある講堂。 
大正6(1917)年に建築された建物だそうですが、 
そんな古いようには全く見えない。綺麗。 
そう、構内は本当にきれいにしてあって。ゴミひとつ落ちてない。 
白い砂地にはスジ模様がつけられてて、 
足を踏み入れて荒らさないようにしてくださいねっていうくらいきれい。 
ここにまずは偉いもんだなあと思いましたよね。 

左の写真の門は、天皇とか皇族しか通れない門で、 
うちらは表側の「平民門」から入るんだって。 
「平民って要するに一般ピープルということですが…」 
明治という時代は、天皇やそれに順ずる高貴な血筋の貴族以外はみんな同じという。 
「平民」というのは、そういういい意味で使われたんですね。 
ちょうど、この時間帯ここで行事があったみたいで、中の見学は後回し。 

  

この隣にあるのが有名なこの赤レンガの建物。 
ものすごく綺麗で、新築のように見えますが、これが明治期の建物なんです。 
明治26(1893)年の建築。びっくりですよ。 
きれいに左右対称に設計されており、横の長さは140m以上あるそうです。 
が、大和はほぼこれの倍の長さだったって。何千人も乗っててさながら海上都市。 

 

レンガをタテとヨコに組み合わせて並べて積むのが「イギリス積み」といって、
この建物はその積み方になってるそうで。 
レンガがものすごく高級で、当時の値段で1個うん万円っていくらっていってたっけ。 
とにかくも目が飛び出るほど高いレンガ。 
高温で焼くためツルツルです触ってみてね、ってんで触ってみたり。 

 

遠くですが、戦艦陸奥の砲塔。4番主砲といって後ろの砲塔だそうですよ。 
大和には及びませんが、「40センチ」の砲だそうです。 
戦艦陸奥は、由宇の先の周防大島ってとこまでいけば「陸奥記念館」があります。 
子どもの頃に連れてってもらったことがありますが、もう記憶が薄いです。 


赤レンガの建物の横へ。横から見ると140m以上の長い長い廊下ですよ。 
ここはドラマ「坂の上の雲」のロケ地にもなっているので、 
そのあたりの紹介などもありつつ先に進んでいきます。 
暗くて写真うまく撮れてないorz 
モックンが秋山真之やったでしょ。あー、あそこのシーンのかー!っていう。 


で、写真撮影厳禁の教育参考館。 

HPから転載すると 

>先輩の偉業を偲び、「温故知新」によって自己修養と学術研鑽の資とするため、 
>兵学校卒業生の積立金及び一般企業等の寄付をもって、 
>昭和11年(1936)に建築されました。 
>教育参考館には、戦前約40,000点の歴史的資料が保存されておりましたが、 
>終戦時、一部の貴重な資料を厳島神社、大山祗神社等に奉納した他は、 
>進駐軍による没収を恐れ焼却処分とされました。 
>現在は、返却された資料等約16,000点を保存しており、 
>そのうち約1,000点を展示しております。 

この展示内容がすごかった。 
40000点のうち30000点を焼却処分し、「とはいえどうしてもこれは焼けない」っていう 
10000点を進駐軍に見つからない場所に隠そうと。 
で、いい場所があるじゃないかということで、厳島神社とかに収めてもらって、
独立を回復したのちにここにまた戻ってきたうちの「選りすぐり」の1000点を展示していると。 

入り口から入って、まず赤い絨毯の階段をあがり2階正面にいくのが順路。 
そこに遺髪を収めた部屋があります。 
東郷平八郎と、山本五十六と、英国のネルソン提督の遺髪が納められているとか。 
そこから右に進むと、日本海軍の黎明期、幕末からスタートですよね。 
勝海舟、吉田松陰の書などをはじめとして、坂本龍馬がつけたという具足とか。
そこからは幕末明治から大正昭和にかけて海軍で立派な業績をのこした人たちに
まつわる数々の史料、手記とか書画とか愛用の品とか、そしてその業績の紹介とか。 
その他海軍関係の貴重な資料、幕末明治日清日露から大東亜戦争、太平洋戦争、終戦。 

ここは、 
>海上自衛官の心の「勉強の場」及び旧海軍戦没者の「慰霊の場」 
であるので、「脱帽」「写真撮影禁止」。 
ちゃらい服装(タンクトップ、短パン、サンダル)も禁止なんですね。 
敬意を払い襟を正して、というか、礼儀ということだとおもいます。。 
ここでの見学は自由時間40分でしたが、40分ではじっくり見切れるものではありません。 

特に響くのがやっぱり特攻隊員の遺書の数々。 
「きけわだつみのこえ」っていう岩波文庫などで読むことはできますが、 
本物を目の前にすると悲痛な心の叫びが聞こえてくるようで胸が痛みます。 

それから、潜航艇の開発か実験か訓練中の事故の乗員の報告書。 
酸素がどんどんなくなっていく中でも、刻々と起きたことの報告レポートが記述されていて。 
大事な天皇陛下のものを壊してしまって申し訳ないと。全力を尽くしているが難しい。 
そうやって任務を最後の最後まで遂行した上で、でも帰還は果たせず、 
最後のほうはもう文字が判読できなくなるほどに乱れ、終いには途切れていて。
で、発見されたとき、遺体は全部配置についたままの姿で見つかりましたとか。
そういう殉職した人の日誌とか。 

靖国神社にもこういうような資料館はありますが、こちらは海自の管轄ということもあり、 
扱い方と見せ方、説明の仕方が明らかに違うなあと思いました。 
個人的には、こちらのスタンスの方がより中にストンと入ってくる気がします。
どういう風に違うかっていうと、まぁデリケートな話なのでしまっておきます。


  
  

再び外へ。 
ハワイ真珠湾奇襲のときに使われた特殊潜航艇や、駆逐艦雪風の碇 
(多くの主要な作戦に参加しながら唯一無傷で終戦まで生き残った駆逐艦だそうです)、 
戦艦の砲弾、酸素魚雷、特攻用の特殊潜航艇「海竜」といった屋外展示あり。 

  

最後に講堂内部。 
ここで昔は海軍兵学校、今は第一術科学校のいろんな式典(卒業式とか)が行われる場所。 
とても声が響きます。かつ、聞き取りやすいように響くように設計・建築されていて、 
マイクのようなものが一切いらないようになっています。 
天井からのシャンデリアは、海軍らしく操舵輪のかたち。 

ここの案内の話もおもしろかった。 

この赤い絨毯は、首席の卒業生しか上れないんだって。 
他の2番目以下の人は、右から上がって左から降りる。 
卒業証書を受け取る順番は、成績順。 
父母は「うちの子に限ってこんな後ろに呼ばれるなんて!」みたいなことになるとか。 

「写真を撮ってほしいかたは私にいっていただければ何枚でも撮りますよー」 
「ただし1枚500円いただきます ←うそ 

終始、気持ちのよい案内をしてくださる案内人の方でした。 
ありがとうございましたー 


江田島の見学は全部で1時間30分。うち50分が教育参考館です。 
見学者控え室のある建物には、見学自由の海自コーナーもあり、こちらも見応え十分。 
こちらは主に海上自衛隊にまつわる展示になっていました。 
朝霞の陸上自衛隊の広報センターの海自版みたいな感じですかね。 

広島市内から寄り道なしで高速使えば1時間30分というところでしょうか。 
呉と一緒に、こちらもおすすめです。 

続きです。完結編。 

…ということで、江田島から広島に戻ってマツダスタジアムへ! 

 

私のカープユニはスラィリーです。aikoバッグはこういうときも便利だよー 

  
 

いい眺めでしょー 
カープパフォーマンスシートB。 
まぁ外野席ですね。思いっきりカープを応援しよう!という席です。 
なので大声だしてメガホン叩いて立ったり座ったり。 
バックスクリーンのアストロビジョンが見えないので、ちょっと不便ですがw 


試合開始は18:00ですが、15分くらい前にギリギリに到着。 

 

振り返ればアクセラの広告看板。ソウルレッドかっけーヽ(・∀・ )ノ 
アクセラもアテンザもいいが、CX-5のソウルレッドが最高なんだぜv 

  
  

試合内容は割愛。 
初回にきれいなかたちで1点先制!先発野村裕輔はけっこう好投! 
いける!って感じではあったのですが、リリーフ陣がじりじりと失点。 
打線はG菅野に抑えられてしまったなぁ。 

  
  

7回裏ラッキーセブンの攻撃は広島名物ジェット風船飛ばし。 

実はこれちょーだいじな試合で。 
試合には負けてしまって、優勝への道がひじょーに厳しくなったわけですが。 
やっぱり本拠地はいいよね。めっちゃ楽しかったよ(´∀`*) 

またくるぞ! 
今度は胴上げを見に!(`・ω・´) 


■9/17(水) 
この日で広島ともお別れ。チェックアウトして、東京へ向かいます。 
12時間かかるのと、900kmくらいあるので、時間と疲労との戦いだ! 

…なんですが、ただ帰るのはもったいないので、「通りたいルート」っていうのを計画してね。 
そう、本州四国連絡橋! 

本四連絡橋ね、私が小学生くらいの頃にはよくニュースでやっていました。 
「尾道・今治ルート」「児島・坂出ルート」「神戸・鳴門ルート」。 
そこに橋をかけて本州と四国をクルマで行き来できるようにしちゃおうという、
なんだか本当にそんなことできるのかなあっていうような計画ですよ。 
あれから年月が経って、本当に美しくてでかい橋ができて。 
本当につながっちゃったよ、っていう。 
青函トンネルとか、○○新幹線とか、スカイツリーとかももそうだけど、 
平成という時代は、どんどん便利なものが完成していきましたよね。 

いちばんいきたかったのは、通称「しまなみ海道」。 
「尾道・今治ルート」だったのですが、時間的に東京に到着するのが12:00過ぎそうだったので、 
そのルートは次回のお楽しみにとっておくことにして、 
「児島・坂出ルート」「神戸・鳴門ルート」を通って帰ることにしました。 

  
  

瀬戸大橋。途中の島にSAがあってそこでパチリ。 
電車では渡ったことがあったけど、クルマで渡るのは初体験ですよ。 
すごい橋ができましたねー! 

 
 

こちらが大鳴門橋。徳島の鳴門から淡路島に渡る橋。 
淡路島から神戸に渡る明石海峡大橋は撮り逃した; 
渡る前のSAに入ってれば撮れたなー 

神戸からはずーっとドライブドライブ。長かったです; 
ちょうど、東名の静岡あたりからは夜になってね、 
走ってるのは本当にトラックばっかり。 
本当にトラックばっかり! 

 

海老名サービスエリア。 
0:00手前になると、サービスエリアにトラックがあふれかえってて。 
高速道路に合流するときに、助走する道があるでしょ。 
あそこにSAに入りきらなかったでかいトラックがずらりと駐車してて。 
高速に合流するのに、「停車状態からほいっと」高速に合流するかたちにならざるを得なくて、 
けっこう危険な思いをしました。 

なんであんなにSAに停まりきれないほどトラックであふれかえるんだろう、 
と思って調べてみたら、平日の0:00-4:00に適用される深夜割引(3割引)を受けようとしてて、 
その時間帯に高速に乗ったり降りたりしないとその3割引がないから、なんだそうです。 

これは実際に平日のこの時間にきてみないと知らなかったことだなあと思って。
はっきりいってすげー危険なので、制度をうまく改めてもらいたいなぁと思いました。 
高速道路無料化できればいちばん嬉しいけど。 
平日深夜に高速道路がトラックだらけで怖くならないようなね。 



…というわけで、長い長い日記おしまい。 
ここまで読んでくれた方、ありがとうございました! 


この旅で、「日帰り。疲れたら車中泊」というカードを得たので、次は福井あたりを日帰りで~ 
とかって考えています。名古屋の17.5はもうCX-5ですね。 
4人とかでいくとお金も1/4なので、17.5名古屋にいく予定があったらよかったらご一緒しましょー 

んじゃ、また!