刀が視えるまで

刀人生40年の歩み。
日本刀に関する失敗や体験談等を気軽に掲載していきます。日本刀鑑定道に日々研鑽を重ねています。

山城伝 雑感

2017-07-16 07:57:09 | 投稿記事

此のところ、ひごと居合道に精進すれど上達も侭ならず、
宗家の言も耳には居着かずして、
その刹那われ悩み入りて気も重く気晴らし求めて墓参り。
いつも吾の背を愚痴こぼしつつ揉みくれし、
逝きにし妻の手いまもこの背に感じいる。
心にのこりて謝すること繰り返しつつ、
妻の墓標に佇みいて思い悩みを問いてみる。
気の所為か幻か、強く生きよと妻の声を聞きいりて。
心穏やかに帰路に立つ。その後は居合道に没頭せる毎日で御座います。 
   
     小倉山  峰のもみぢ葉  心あらば
            今ひとたびの みゆきまたなむ

【小倉山の峰の紅葉よ。お前に人間の情がわかる心があるなら、
 もう一度天皇がおいでになる(行幸される)まで、散らずに待っ
 ていてくれないか、と詠んだ和歌です。】
この和歌で知られた山城国の刀鍛冶について今回は調べてみました。

【山城伝についての概要】
 聖武天皇が大仏の建設以降、仏教【寺院】また貴族の勢力が大きくなり、
政治がやり難く、【天皇中心】の政治を行うためには、
平城京では場所が悪すぎ、その為に、桓武天皇【かんむてんのう】は、
これらの勢力から離れる事が賢明と思い決心しました。
そして延暦13年10月22日に桓武天皇が詔しを出し、
【都】を奈良の平城京より【京都】平安京へ遷都され、都となりました。
その後、京都はめざましい発展を遂げました。
【やましろ】は、古くは【山代】と記され、
7世紀に【山背国】という表記で国が建てられた。
この名称は、平安京から見て【奈良山のうしろ】にあたる地域である、
ことから来ていると言われている。延暦13年11月8日【794年12月4日】の
平安京命名の際に、桓武天皇が、山河が襟帯して自然に城をなす形勝から【山城国】に改称した。これが【城、ジョウ、き】と
いう字を【しろ】と読む原因となつた。平城京時代の木簡を見る限り、
【山城国】【山背国】の表記は並存していたと見られます。
こうして、わが国の首都として栄えた京都は、刀工の出現も古く、
古刀期を通じて名工が数多く輩出しております。
しかも刀工達は、時代の流れとともに、その前期の系統の伝統も、
受け継ぎながら次々と脱皮し、また新風を採用して幾多の流派をつくり、
消失していったことも山城刀工の特質である。
したがって、時代的には格流派の終わりと初めとが、
常にオーバーラップしていることを、念頭に入れておく必要がある。
さて、山城物は、平安末期の三条吉家や五条一派、
鎌倉初期の粟田口一派のもの等は、非常によく練れた美しい地鉄であり、
全般を通じて刃文は直刃仕立てが多く、匂口 が弱く潤むものがあります。
山城物は系統を問わず、地鉄は板目流れごころがあり、
刃には二重刃が交じり、帽子も焼き詰めたものがままあって、
少な からず、大和風が感じられるものが、まま見られるものの、
細身の優美な太刀姿と殊に地鉄の美しさは他国の比ではなく、
垢ぬけており、この二点が山城物の最も 特色とするところで、
そして、鎌倉中期から末期にかけての、
来一派の作風が最も山城物の特色をあらわしている。
とくに来一派の地鉄は よくつんで、いわゆる【梨子地肌】と、
呼ばれる独特なものであります。
【注意事項】
山城物をあらわすのに「華表反り」という言葉がある。
これは、鳥居の笠木ように平均に反った、
つまり中反りのこ とであるが、鎌倉中期から末期にかけては、
全般にこのこころがあるが全くの中反りではなく、
とりわけ山城物に中反りが最も感じられるところから、
一名「京 反り」とも呼ばれるが、この反りは前記の時代に限ったもので、
それ以前は腰反りであることを忘れてはならない。
山城伝系の刀工の最盛期は平安,鎌倉であり,
相州伝の勃興とともに次第に衰退してしまい,
室町末期の山城伝と称するものは、全く山城伝の特色を失ったものです。
刃沸や地沸の特徴も失われて中直刃で,帽子が小丸になるところにわずかに面影を残しているにすぎません。
山城国京都の流派は、まず、永延頃(987)といわれる三条宗近を
はじめとする三条吉家、五条兼永、五条国永等の三条に始まる。
宗近には三条とのみ銘を切ったものが現存し、
またその他の刀工にも在銘の現存品があるが、その数は極めて少ない。
また、この系統といわれる刀工の中でも、作風に多少の変化があるのは、
時代差によるものと思われます。
【地鉄】板目が澄んで美しく、軟らかい感じを受け、大肌の混じるものもある。年代の推移とともに、つんで肌目が細かくなるが、いずれも地沸が
細かくついて奇麗な地鉄であります。
【刃紋】宗近は小沸出来の小乱れで、匂いも深く、刃縁にそつて打のけ
に似た焼きが連なり、二重刃、三重刃となるものが主であるが、
総体に無技巧と言う感じである。しかし、その他のものもほぼ此れに
近い刃紋で、刃紋の乱れが多少技巧的となり、足入り、葉をまじる。
なかでも吉家は丁字乱れがまじって華美な刃紋となる。
しずれも小沸出来で匂い口が柔らかで明るい感じを受ける。
【帽子】小丸に返るものが主であるが、多少乱れ込んだ場合でも返りは浅く、品よく返る。物打の焼刃につれて二重、三重刃となる場合もある。
【なかご】なかごに反りが付き、先細く長目である。ヤスリは不明。
【体配】時代的な特徴であるが、はばき元の幅に比較して先幅がいちじめしく狭く、小切っ先で反りが深い。しかもその反りは、
物打ち辺でうつむき加減である。 これは、単に三条系に限らず、
平安末期から鎌倉初期に共通した太刀姿であって、
とくに山城物は京反りの品位の高いものである。
三条系でも吉家は、この体配に多少の差異があって、
元先の幅の差は宗近ほどでなく、鎌倉に入った姿を示している。
【粟田口系の特徴】
京都の粟田口に発性し発達した鍛冶集団を、粟田口系と名ずける。
しんも、多数の名工を輩出したことで、この系統の声価を高らしめている。
粟田口系は国頼の子国家を祖としてその子六人、国友、久国、国安、
国清、有国、国綱の兄弟と、さらに国友の子則国、ついで国吉、
弟子または子と伝える吉光等をはじめとして、
鎌倉初期から中期にわたって一大流派を形成した。
現存する在銘ものも国頼、国家を除いて、国友以降は、
数の大小はともかく、各工ともその遺作でほぼその全貌を知る事が出来る。
【地鉄】粟田口系の第一の特徴は、その地鉄にある、しかもその精良さについては、わが国最高のものと思われる、三条系の後代に続いてますます、
その精度があがった感じをうける。
1、板目詰まって地沸の厚く付くもの。2、杢目詰んで地沸の厚く付くもの。
いずれも、一見梨子地に見えるが、底に沈んだ大肌がある。
このことは皮鉄の上鍛えの手法によるが、焼き入れの際にに生じた、
地沸のみごとさを示している。また、一般に杢目だつ傾向も強い。
【刃文】粟田口の刃紋は直刃と小乱れが主であつて、その味のおいて地鉄と同様に、見事である。とくに直刃の短刀は、もっとも得意とするところである。刃縁の状態は小沸深く、明るくて軟らかい感じでいて、
リンとしている。いわば後代の直刃を木綿糸とするならば、
粟田口は絹糸を張ったという、感じである。
しかもこの中に微妙な変化があつて、小足、打のけ、金筋など、
充分な働きを示している。
国吉、吉光にはまま二重刃もあり、国綱の腰刃、吉光の焼出しは、
小互の目を焼くといわれるが、必ずと言う訳ではない。
【帽子】小丸が多く、乱れ込み、焼詰め等であるが、いずれも上品で
返りは浅く締まっている。
【なかご】太刀は細長い。また雉子股風となり、反って平肉がある。
短刀は反りのないもの、及び振り袖で先は浅い栗尻となる。
ヤスリ目は切り、または浅い勝手下がりである。
【体配】初期のものは三条系と変わらない小切先の太刀であるが、
時代の下がるものは先幅が広くなり、帽子は猪首風となる。
短刀は内反りぎみで、身幅寸法は尋常なものである。
【彫り物】太刀は棒樋、添樋、腰樋、剣などを彫り、樋は角止めが多い。
短刀は素剣、護摩箸などで、いずれも簡単な彫りである。
とくに護摩箸が棟に寄って彫るのは粟田口の手癖である。
短刀 吉光


【来 系の特徴】
山城の国で粟田口の次の時代をになった流派の来系が粟田口とは、
無縁ではなし、また初祖といわれる国吉が粟田口系の、
出身者あるということも、あるいは事実かもしれない。
何れにしても国行以後、国俊、国光、国次、及びその一門の作品は
割合に数多く現存しているので、その内容は明らかである。
【地鉄】来系の地鉄むは、一般的に粟田口系と比較して精良さにおいては
多少劣ると申してさしつかえないだろう。
板目肌、杢目肌、小板目肌良く詰んで地沸よく付き、大肌をまじえるもの。
そのいずれも、詰まって地沸のついた。きれいな地鉄であるが、
よく沈んだ調子の大肌と、よわい変わり鉄の出る場合が多い。
この点を来鉄、または来肌と称して、国裄以来の伝統的な欠点とされてる。
しかしこれが反面、見どころといえます。
【刃紋】刃紋は小沸出来で、伝統的な直ぐ刃に加えて、
のたれ調に小乱れ刃中に足いり、葉などが著書となり、
さらに凸凹の少ない丁字乱れが盛んとなる。とくに華やかな丁字乱れは、
二字国俊に多く、広直刃調に、互の目丁字乱れは国行及び国光に多く、
すべて刃中の匂い、沸は深くよく働いている。
なかでも沸の強いものは国次で、直ぐ刃の場合でも同様で有る。
【帽子】小丸、大丸、あるいは乱れ込んだ場合でも小沸がよく付き、
返りが浅いのが通例で品がよい。しかし来国俊、国光、国長には
まま深めのものもある。
【なかご】太刀は地肉がつき、反りごころで先細目で長く、
短刀は無反り及び振り袖で、先は浅い栗尻となり、ヤスリ目は切り、
または浅い勝手下がりとなる。
【体配】国行は京反りの太刀姿であるが、前期ほど元先の幅の差が少なく、
以下、順次時代と共に身幅が広めとなり、帽子も詰まって猪首と
なって造り込みに力が出て来る。もちろくん国俊以後でも、
細身のものと、刃文が華やかで身幅広く、重ねも厚めの豪壮なものと
の二様がある。また、国光からは帽子は伸びごころとなる。
【彫り物】太刀は棒樋以外、剣、梵字等をみるが
短刀には素剣、護摩箸、梵字の彫りが多い。

太刀  来 國行

【中島来国包の特徴】
来系の異色刀工として光包がいる。光包は中堂来の異名があって、比叡山の根本中堂に参篭したことから、中堂来と称するが、
つまびらかでない。光包は来国俊の弟子で、のちに備前長光の弟子に
なったと伝えられ、短刀で現存するものがあり、その作風では直刃の
ものと乱れ刃のものの二様の刃文がある。しかし光包の短刀は、来系統
の出身ではあるが、体配に差を示し、一般の来系より重ねが厚く、乱れ
光包の場合でも地鉄がつんで強く、地沸がよくつき、映りがない。
【了戒系の特徴】
了戒は来系分派であって、古い年紀は正応五年、永仁六年、
とあることから、ほぼ来国俊と同時代である。以下数代あって、
順次特色が薄れるが、作風は来系と大差ない。
【地鉄】来系よりも肌立つ気味があり、地沸が足らない感じを受け、
白気映りも多く、地鉄に柾がかる肌も比較的多い。
【刃紋】直ぐ刃足入り、小乱れで比較的小模様、
地味な出来のものが主である。

太刀 了戒

【信国系の特徴】
初代信国は、了戒久信の子と伝え、時代は建武、二代を延文、貞治、
三代を応永といっているが、現存品から見て延文、貞治、信国が
初代とあろうとおもわれ、その作風からも貞宗門人説は首肯される。
そこで、信国系の特徴を南北朝期と応永とに区分して追究する。
南北朝期の信国は、代別員数についてはつまびらかではなすが、
ほぼ二様の形式に分類される。それは相州伝のものが主で、
了戒系の面影のあるものとである。
【地鉄】板目肌のつんだものと板目肌立つもので、肌立つほうが比較的多く、肌立つ場合には柾気のあるものもある。また、地景のまじるものが多い。さらに白気のあるものもある。
【刃紋】直刃の場合は、了戒系に関連して、のたれ乱れか、あるいは互の目乱れを主としているが、現存品には直刃は少なく、のたれ乱れ、
互の目乱れが多い。いずれも砂流し、金筋をまじえて刃中の働きがよい。
のたれも互の目もともに貞宗の作風であって、
なかには飛び焼きをまじえた華やかなものもある。
【帽子】大丸、小丸、乱れ込みなど種々あねが、刃文の変化に応じて
帽子の焼刃も変化を示す。
【なかご】刀、短刀いずれも浅い栗尻で、ヤスリ目は切りである。
【体配】造り込みには種々のものがあって、短刀では身幅の尋常なものもあるが、一般に身幅の広いものが多く、浅く反りがつく。
【彫り物】彫りは上手であるから、彫りの無いものが少ない。
彫りは樋以外、梵字、剣、剣巻龍等で、樋の中に浮き彫りしたものが多い。
【応永期の信国の特徴】
源左衛門信国、源式部丞信国ともに応永の年紀があり、さらに別人と
思われる信国、その他一門の刀工の信貞等がいて、
応永期の信国の分類は明確ではない。前期の信国との差は、
伝統を受け継ぎながら、時代差と技倆差が見られる。
【地鉄】肌立って一般に地鉄が粗となる、地景も少なく白気が強い。
【刃紋】直刃もあるが、一般に互の目乱れであって、とくに互の目の出入りが深く、互の目の山が二つ連れて、つぎが一つで、その間に谷が出来る刃紋多い。また、刃縁の沸も強い割に斑があり、それで沸崩れ、
砂流しなど絡むものが多い。
【彫り物】刀、脇差、短刀を問わず彫り物が多く、濃厚なもの、浮き彫り、
その他上手にまかせて彫りまくったという感がある。

太刀  信国

【長谷部系の特徴】
長谷部国重は、相州正宗の門と伝えられるが、現存する国重の年紀では
文和4年、国信では貞治2年を上限としていることからみて、さらに
親の国重がいるとすれば正宗との直接関係が成立するが、文和ね貞治、
では年代的に無理がある。しかし長谷部は、その作風から見て相州とは
きわめて密接な関係者であることには異論がない。
【地鉄】長谷部の特徴の主たる点は地鉄で、それは板目または板目杢混じりでも棟寄りと刃寄りの部分が柾に流れることであり、
また地鉄は地沸が厚く地景を交えている。
【刃紋】沸出来で、のたれ乱れに互の目をまじえ、飛び焼きがあり、皆焼となる。そして肌に絡んで砂流しなど働きが豊富である。
まず皆焼でないものが少ないといってさしつかえない。
刃紋の華やかな割に刃幅は一定であって、相州広光、秋広のように、
物打にしたがって焼き幅が広くなるものとは異なる。
【帽子】丸みを持って返りは深い。広光、秋広は突き上げごころで、
返る点が異なる。
【なかご】腹の張った舟形なかごで、棟に小肉付き、先は浅い栗尻で、
ヤスリ目は勝手下がり、または切りである。
【体配】辞退の様相で身幅広く、重ね薄めで三棟が多い。短刀、小脇差の場合、身幅にくらべて重ねが薄い。
【彫り物】短刀には素剣、護摩箸、腰樋、梵字、二筋樋等が多く、樋の中に浮き彫りする場合は刀身の真ん中に彫る。

脇差 長谷部国重

【平安城長吉系の特徴】
【地鉄】小板目、板目、小杢目など、いずれも柾まじる地鉄で白気がある。
【刃紋】箱がかった互の目乱れ、矢筈れ乱れで、沸少なく、
刃縁はしまりごころのものが多い。
【体配】刀、脇差ともに小振りで、先反りの造り込み、
短刀も小振りとなる。
【彫り物】平安城系は彫り物が多く、とくに短刀には櫃に倶利伽羅、
あるいは不動などの濃厚なものが多い。
以上かんたんに山城伝について先輩先生方の書物や我が師得能一男先生の研究資料等を参考にして書かせて頂きました。
今後はまだまだ詳細に調べてみたいと思いますので、
またの機会に御紹介したいとおもいます。


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