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おにむら歯科の副院長のひとり言

先祖の話の続き

2017年07月15日 05時46分44秒 | 日記

またまた、

都城島津家の北郷(ほんごう)ドンの話です。

都城島津家は16代まで「北郷」を名乗り、17代からは宗家の命令で元の「島津」にかえりました。

その都城島津家に、最も近い親戚の八件を本郷八家と呼びました。

その中のどの北郷ドンかわかりませんが、家老であった人です。

先日書きましたが、藤崎公寛を輩出した藤崎家。(うちの先祖ね)

その親戚の坂元の娘はたいそう美人でした。

で、その北郷ドンに見初められてお嫁に行きました。

で、その嫁の実家である坂元の家に、北郷ドンが来るときは、

婿である北郷ドンが床の間近くの上座に座り、

舅である坂元ドンは下座に、はいつくばって、娘婿を向かい入れました。

それを見ていた、藤崎の者は、

「あんな身分の高い婿は取りたくない。婿が来た時に、『よ、来たか!』と、気安く言えるほうがいい。壊れた家の普請を頼める方がいい。」と、陰で話すことであった・・・そうです。(笑)

その北郷ドン。一向宗を信仰していました。

ところが当時、島津家は、一向一揆を防ぐため、一向宗を禁止し、弾圧を加えました。

北郷ドンは隠れて信仰していたのですが、それが露見し、

「本来、下の武士を指導すべき立場にあるものが、禁を犯すとは何事か!」

ということで、切腹させられることになりました。

その時、北郷ドンは嫁の弟(じんごぜドン)(注・漢字は不明)に、介錯を頼みました。

じんごぜドンは、偉丈夫な力持ちでしたから、

姉の夫、北郷ドンが切腹するとき、少しでも苦しまないようにと、北郷ドンが、小刀で腹を刺すかささないうちに、一刀のもとに首を切り落としたそうです。(涙)

その切腹は、坂元の家でなされたらしく、それ以降、坂元の一家はみな、猫まで連れて、藤崎の家に一時、身を隠していました。

(私の亡き母が生まれた家です)

それ以降、坂元の家では、優秀な男子が次々と京に上がり、立派な業績を上げたのですが、

皆、若くして、結核に倒れ、命を落とす・・・という悲運が続きました。

皆は、「あの家は切腹があったので、そのたたりで人が育たないのだろう」と、噂したとのことです。

こうして坂元家は没落していきました。

その末裔が、私が高校生の時、私の面倒を見てくれた坂元さんです。

うちの両親が転勤で長期留守をしたため、ご夫婦で我が家に留守番として来てくれていたのです。(大変お世話になりました)

今も親しくお付き合いさせてもらっています。

・・・・・・・・・・・・・・

今は昔。

叔父たちからこんな話を聞いて、いろんな場面に、まるで自分が生きて実際に見て聞いて体験したような、気持ちになります。

先祖は私。私は先祖。・・・

今でこそ、こうして基本的人権に守られて(笑)、安心安全幸せに暮らしていますが、もし、その当時に生まれていたとしたら・・・

社会の波に飲み込まれて、同じような思いをしたことでしょう。

こんな話、これからも大切にしていきたいと思っています。

皆さんには関係のない話でしたね!

 

 

 

 

 

 

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