おねえちゃんの独り言

「おねえちゃんの独り言」のブログ版
(・・・って、そのまんまだけど)

3年半ぶりに訪日

2017-05-17 23:57:02 | Weblog
 訃報に接した月曜日の夜は、まんじりともせずにほとんど眠れず。顔には出さずとも動揺しているのか、娘も4時頃から目を覚ましちゃって、結局家族全員で超早朝から活動開始。(明日から、夫が一人で学校に送る予行演習も兼ねて)夫と一緒に娘を学校に送ったその足で、私は空港行き電車の駅まで送ってもらう。空港までの高速道路が混んでいそうなことと、一度電車で行ってみたかったこと、荷物も軽いことから、今回は電車で空港へ。
 車を降りて一人で歩き出した瞬間に強烈に心細くなる。今まで数え切れないほど、仕事でも個人でも一人で世界中を旅してきたくせに。
 普段乗り慣れないことと、動揺しているせいで、電車の改札口のどこにプリペイドカードをタッチするのか分からず、変な場所に何度もタッチして首をかしげて隣の改札に移動したりしている私を見かねて、近くにいた兄ちゃんが「そこじゃない」と教えてくれる。恥ずかしい・・・
 電車の中では人に降りる駅を教えられ、駅から空港までのシャトルバスでは近くのおっちゃんがスーツケースを荷台に乗せてくれ、親切にされる旅にこぼれ落ちそうになる涙を止めるのに苦労する。前日に予約したにもかかわらず窓側の席を割り当ててくれて、思わずお礼を言いながら、そんなことですら泣きそうになる。
 全身スキャン検査が導入されたせいで以前にも増して長くなった荷物検査の列を抜け(実に国際線搭乗3年半ぶり、浦島太郎状態)、搭乗開始より2時間も早くゲートに到着。やることがなくなると泣きそうになるから、雑誌を読んで気を紛らわすが内容がちっとも頭に入らない。
 ようやく飛行機に乗り込む。窓際で喜んだものの、なんと、真後ろの席は幼児。そもそも飛んでいる飛行機の中はうるさいしヘッドフォンもするので、泣きわめくのは気にならないが、定期的に私の座席の背中を蹴ってくるのには閉口。
 小刻みにうつらうつらと眠るも、日本に着いたらあれもやらなきゃ、これもやらなきゃと気ばかり急いてよく眠れない。おまけに、ようやく深く眠ったと思ったら後ろのガキに座席を蹴られて起こされる。そんなこんなで仕方なく映画をひたすら見まくる。最新の機体で映画のラインナップが豊富で助かった。
 日本が近づくにつれて、心臓がどんどん喉元にせり上がってきてバクバク音を立てる。この四半世紀近く、飛行機が日本の空港に着いて税関を抜けたら、なによりも先に母に連絡をするのが習慣だった。それなのに今回は、まっさきに電話する先は警察署だ。やっぱりどうしても、これが現実のことだと思えない。胸が苦しい。涙がにじむ。
 母という存在は本当に不思議である。本当に小さい頃は無条件に愛していただろうが、ある程度大きくなってからは、ちょっと距離があった。自分の仕事も忙しい中、一生懸命育ててくれたと思うし、別に虐待されたわけでもなく(夫婦仲が悪かったのは、ある意味、子どもにとっては虐待だけど)、なんでも買ってくれたし(そもそも法外なおねだりはしない子どもだった)、今のように海外旅行が一般的ではない時代からヨーロッパや南太平洋、北米なんかに連れて行ってくれたし、平均以上の親だったと思うが、でもなんだか怖かった。頭が良すぎて聖人君子みたいで、なにより私に対する期待が大きすぎて怖かった。だから成長してからは、尊敬はするけれどもあまり好きではなかった。
 成長して一人暮らしをするようになった私は、時々、一人で寝ていて悪夢にうなされることがあった。夜中に夢だと分かっていても非常に怖い思いをして、そして何故か夢の中で「ママ!!!」と叫んでいるのである。それも一度や二度ではない。そんなにベタベタ仲のいい親子ではないのに、本当に不思議である。母親というのは、まったく不可解な存在だ。
 結局、母があまりに偉大すぎたのか、怖すぎたのか、この期に及んでも根っこの部分で母に頼っている自分に気付く。今では人生の中で母と別々に住んだ時間のほうが長くなってしまったが、それでもなんだかんだいって、好きも嫌いも関係なく、一番自分に近く関係が深い人間は母なのだとしみじみ思う。いつかはいなくなるものなのだが、どうして今なのかと、昨日からもう百万回ぐらい頭の中で繰り返した言葉をまた繰り返す、
 過去2回の日本行きは、なんだか大失敗というのか、よくないことが重なった。3年半前の最後の日本行きの時は特に、母とのトラブルが深くなり、もう二度と行くものかという気分になった。時間の経過と共に気持ちは和らいだし、基本的に礼儀正しい家族だから内心腹が立っている期間も、メールや郵便物のやりとりは続いていた。しかし、そんなこんなで母の家に世話になる気にどうしてもなれず、3年半も空いてしまった。きっと母も最後の時のことを時間と共に後悔したのか、1年半前の冬休み前には、さりげなく「(日本に)来てもいいよ」とメールにあったが、私がどうにも行く気になれなかった。そして去年は不幸の連続、両親ともの怪我、入院、手術などなどで、日本に行くどころではなかった。ようやく少しは落ち着き、「父に会いに来い」とメールしつつも、きっと母も会いたいのだろうと感じたから、6月に娘と日本に行くことにしていたのだ。3年半ぶりに大きくなった孫に会うことを、一緒に遊びに行くことを、どれほど楽しみにしていたかと思うとまた胸が苦しくてたまらなくなる。どうしてあと1ヶ月、待ってくれなかったのか・・・

 そうこうするうちに着陸し、日本の携帯の電源を入れた瞬間に何十年も会っていない叔父(母の弟)から着信であせる。やはり父では使い物にならないので、叔父が(おそらく警察に)引っ張り出されて実家で留守番をしていたようだ。警察やら叔父やら父やら、いろいろ電話しているうちに実家に着き、荷物を置いてタクシーに飛び乗って母の遺体が安置されている葬儀社へ。司法解剖しても結局、死因は断定できなかったものの、事件性無しということで戻され、司法解剖してしまったために献体はなくなったそうだ。
 生きていたとしても3年半ぶり、しかも亡くなって1週間後、亡くなる時に転倒したアザも顔にあるし、正直なところ変わり果てた姿。でも今まで、警察や医療関係者、半ボケの父(アメリカから電話した時、母の遺体と共に実家で一夜を過ごしたという父の言葉が、単に半ボケ老人の妄言であったことが帰国後に判明)にしか面会してもらっていなくて、やっと「本物の肉親」が来たからね、遅くなってごめんね、あれもこれも、いろいろ本当にごめんねと、冷たい体を抱きしめる。とりあえず火葬は土曜日になったので、明日も来るから、と、娘の写真を枕元に置いてくる。

 さて、問題は実家である。いろいろ散らかっててすさまじいのだが、何より、いたるところに配達されたお弁当や飲食物が放置されているのに閉口。おそらく父だと思うが、さらに自分用に買ってきたコンビニ弁当の食べかけまで放置して行きやがって・・・。もう異臭が漂い虫がわいている。それが、一カ所にまとまっていなくて、ああここにも、ああこんなところにも!!! ナントしても明日の朝のゴミ収集に出すべく、がんばって5つもの市指定ゴミ袋になんとか収める。後は明日、ほぼ徹夜で飛行機乗って機内でもほとんど眠れず、もう体力の限界。いや、がんばるよ、明日からアメリカに戻るその瞬間まで。葬儀社もすごく不便な場所にあるけどがんばって木曜も金曜も会いに行くよ。今まで、祖母の面倒も父の面倒も全部母に押しつけていたツケが回ってきたんだよね。お前も少しは働け!って言ってるんだよね、がんばるよ。
 実家、一人で怖いどころの騒ぎじゃない、究極に疲れて、横になった瞬間に爆睡。・・・ってか腐敗した食べ物にわいたムシが怖いわ。
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