おねえちゃんの独り言

「おねえちゃんの独り言」のブログ版
(・・・って、そのまんまだけど)

新顔モル

2016-06-02 08:53:28 | Weblog


 突然、話題変わって、我が家の新顔モルの紹介です。5月24日に我が家にやってきた、ラッシー♪ すでに紹介するタイミングを逃し、さらに明日から子どもの学校が夏休みに入ってますます時間がなくなりそうなので、大した写真もないけど急いで紹介しちゃいます。もっといい写真が撮れたら、おいおいアップしま~す。
 なぜラッシーかというと、微妙にロン毛で、色合いも彼の有名犬ラッシーに似ているからです、ハイ。
 遠目に見ると模様が三毛そっくりで、時々、見間違えます。顔もそっくりで兄弟みたい。


(手前が三毛で、奥がラッシー)

 去年の10月末に我が家にやってきたモジャは、犬並みの人なつっこさ。でもでも、人なつっこいんだけど、他のモルとはどうも相性が悪い。クロちゃんにガン飛ばされてキューキュー鳴きながら固まっているかと思えば、今度は三毛を突く。
 そんなわけで、モジャはごく短い一時期を除いてもともと単独で別ケージだったのだが、クロちゃん・三毛・ラッシーの3匹は、同じケージで仲良くやってくれている。良かった良かった。
 3匹一緒だと、時々ケージ内でぐるぐる追いかけっこ。走り回ってうるさいこともあるけど、ラッシーはとても寂しがり屋。ケージ内に一人にするとサイレンのような大きな声で鳴きまくるので、逆にもっとうるさい・・・!

 ちなみにラッシーとモジャを一緒にすると、真剣に戦ってしまう。上体を持ち上げて顔同士をぶつけ合って、まるで男鹿同士の戦いのような激しさ。困ったもんだ・・・


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ただのぼやき

2016-06-01 22:36:57 | Weblog
 昨日は祖母の死を知った直後で、焦点の定まらない文をだらだらと書いてしまった。そして今日のブログは、最初から、ただのぼやきである。
 祖母が亡くなったこと自体は、良かった。良かったというと語弊があるかもしれないが、だらだらと長生きしても家族に迷惑がかかるし、施設での生活には(自腹分もあるが)税金が使われる、何より本人がもっと早く天国に行きたかっただろう。永遠に肉体が衰えないのであれば、それは長く生きれば生きるほどラッキーかもしれない。しかし実際には細胞は次々と老化して死んでいく。肉体はどんどん衰え、容姿は醜くなり、頭の働きも鈍くなり、四肢は思うように動かなくなり、痛みまで生じてくる。長生きするにしても、いいとこ100才が限度だろう。それ以上長生きしたって、ごく少数のまれな例(テレビで見た100才の会社員とか、100才で詩集を出した人とか、日野原重明医師とか)を除いて不幸でしかないだろう。本人にとっても家族にとっても社会にとっても。
 だから亡くなったこと自体は、仕方がない。だって時間は決して戻らない。人は決して若返らない。

 訃報を知らせる母からのメールに、もし「老衰で静かに眠るように亡くなった」と書いてあったら、こんなに心は乱れない。
 106年近くも生きたのに、どうして最期が急性間質性肺炎で、酸素が取り込めずに15時間も苦しんだ挙げ句の死でなければならないのか。どうして静かで安らかな死ではないのか。誰のせいでもない、何を言っても仕方がないが、どうしても納得できない、許せない。
 実は数日前、友人宛のメールで「祖母はもうすぐ106才なのにまだお迎えが来ない」などと軽口をたたいてしまった。続いて「父は回復の見込みもないのに1月からずっと入院で一日3万円もかかってるし、母は骨折・・・」と続く、ごくごく軽い自虐ノリのメールだったのだが、このタイミングで亡くなってしまって妙に胸が苦しい。
 別に私のせいで亡くなったわけではない。そんなの、当たり前だ。当たり前だが、胸が苦しくて、悔いが残る。あんなこと、よりによってこのタイミングで、どうして書いてしまったのか。
 動物は、自分の死期が分かることが多いようだ。小学1年生から飼っていて、とてもかわいがっていたセキセイインコが、高校2年の時に死んだ。死ぬ前の数日間、私の姿を見ると、いつにも増してかまってほしそうに鳥かごの端に寄ってきていた。でも私は、邪険にこそしなかったが、いろいろ忙しくてあまり構ってやらなかった。死んだ日は、放課後に友人と超B級映画を観て遅く帰ってきた。すでに死んだことを家族から知らされ、冗談抜きに丸1週間、親が死んでもこんなに泣かないというほど泣いた。どうして最後にもっと構ってやらなかったのか、どうしてあんなしょうもない映画を観に行ったのか・・・
 祖父が亡くなった前夜は、夕食時に母と私だけワインを飲んでいた。いろいろ厳しい母だったが、飲酒に関してだけは不思議と寛容で、私は小学1年生の頃から家族と一緒の夕食時に時々ビールを飲んでいた。当時はすでに高校生で、夕食時にワインを飲むことも珍しくなかった。もっと前は祖父も一緒に飲むことがあったのだが、その頃は祖父の体調を考えて私と母だけで飲むことがほとんどだった。亡くなった後で母がしみじみと「あの時、おじいちゃんにもワインをあげれば良かったね。今思うと、ほしそうな顔をしてたかもね」と言った。
 愛しい者が亡くなると、かなりの確率で悔いが残る。そうして人生を重ねるごとに、つらい記憶が増えていく。
 祖母は、状態が急変する2日前に行動がおかしくなったそうだ。同じ行動を繰り返したりトイレが分からなくなったり転んで倒れていたりしたと、老人ホームから電話があったそうだ。翌日にはいつも通りに戻ったと電話があり、一安心したさらに翌日、今度は本人から「来て、来て、会いたい」と母に電話。そう言われても普通すぐには行かれない。数時間後に老人ホームに向かっている途中で、急に呼吸が苦しそうになり救急車を呼んだとスタッフからの電話があり、急遽、病院(歩ける近さの病院に搬送されて運が良かった)に向かったそうだ。
 人間も、自分の死期が分かることがあるんだね。106年も生きていると、そのぐらいは分かるのかな。
 緩和剤で、楽になるけれども意識が朦朧とする直前、祖母は酸素マスクで何も言えなかったけれどもしっかり母の顔を見ていたそうである。決して仲の良い親子ではなかったが、最初から最後まで、母はきっちりと義務を果たした。祖母は最後に網膜に映ったものが、愛しい自分の娘の姿で、苦しいながらも安心したことだろう。

 特に死を意識しないまま、眠るように安らかに天に召されるのと、苦しくてもちゃんと死を自覚して、愛しい者をしっかりと見つめて(心で)お別れを言いながら意識が薄れていくのと、どちらがいいのかな。もし選べるとしたら、祖母はどっちが良かったのかな。
 死んだこと自体は、とても良かった。もう十分に長く生きたし、世界中の全員の平均よりはるかに幸せな人生だったと思うし、これ以上長く生きたってせっかく人並み外れて高かった「人生の幸せ度」がどんどん減っていくだけだった。
 ただ、私の心は激しく乱れて、とても苦しい。

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祖母について

2016-05-31 22:22:51 | Weblog
 随分と間が空いてしまったが、今度は祖母について書いてみる。
 いきなりだが、私の祖母は5月30日に亡くなった。あと2週間で106才というタイミング。ほんの数時間前に母からのメールで訃報を知ったのだが、間が悪いことに、今日の日中に私と娘からの祖母宛のお誕生日カードを送ってしまったところだった。

 こんなに長く、それも比較的元気に、歩行器を使って自分で歩いてトイレや食事にも行き、頭もあまりボケずに生きたのだから、最後ぐらいは安らかに、老衰で眠るように亡くなるに違いないと固く信じていたのに、急性間質性肺炎で発症から約15時間苦しんで亡くなったそうである。後半は緩和剤で意識朦朧だったようだが、15時間余も苦しい呼吸だったことに違いはない。
 本当に人間の一生って何なんだろうな・・・と思う。

 祖母は、高齢になってからも非常に元気いっぱいで若々しかった。祖父が亡くなってからは、当時流行っていたケートボールにはまり、ゲートボール仲間のボーイフレンドまでいたようだ。90を過ぎてからは俳句にはまり、新聞に投稿して頻繁に掲載されたり、自費出版で句集も出した。
 同年代の友人は次々と鬼籍に入り、あるいはボケ、そのうちに娘世代の友人とよく遊びに行くようになった。99才の夏まで、石和温泉にある定宿に旅行していた。
 年金は十分、住まいは娘(私の母)の持ち家、自室に増築したミニキッチンで自炊して毎朝近所を散歩して庭いじりして悠々自適。これである日ぽっくり逝っていたら、祖父をも上回る大往生っぷりだったのに・・・そうはならなかった。
 非常にありがちなパターンだが、99才の秋に転倒したことをきっかけに入院。急激に体が弱って老け込んだ。たまたまその時期、日本に行っていた私は、これが最後かとお見舞いの後で涙した。母も「最後に会えて良かったね」などと言っていたのだが・・・最後にならなかった。
 転倒、入院というアクシデントはあっても、ここで長患いせずに天に召されていたら、それでも十分、他人がうらやむ人生の終わり方だったろうに、なまじ丈夫だったのが災いしたか・・・

 その後、退院、苦労の連続の自宅介護、老健施設を経て、終の棲家となった特養に落ち着くまで数年間、母に苦労や面倒をかけまくり、それまでの人もうらやむ老後人生が帳消しどころかマイナス評価である。

 念のため、別にうちの家族が不幸だとか不運だとか言うつもりはまったくない。とりあえず金銭的な心配はなく、最終的には家から徒歩で通える特養にも入れた。世間に老人問題で苦しんでいる家族は数限りなくいる中で、恵まれているほうだとは思う。(母個人を見ると、一から十まで不運な人だなあ、とは思うが)
 ただもう、人間の一生というものに対する疑問、難問、禅問答・・・

 99才の秋に転倒してから亡くなるまでの6年半、祖母はどんな思いで生きていただろうか。施設のイベントや他人との会話などで時には笑うこともあっただろうが、基本的には夢も希望もない、ただ死ねないから生きているというだけの状態が何年も続いた。体はどんどん古くぼろくなっていく。施設から出ることもほとんどなく、体もあまり動かさないから疲れることもなく、夜は睡眠薬がなければ眠れない。腰や背中は常に痛い。この先、良くなることはまったくあり得ず、ひたすら悪くなる一方なのは分かりきっている。繰り返すが、ただ死ねないから生きているだけだ。
 先に楽しいことも何もなく、ただ同じことを繰り返す毎日。一時は少しボケた頭も施設に落ち着いてからはほぼ回復。なまじ頭がしかりしているだけに、かえって残酷な終身刑状態である。
 特に今年に入ってからは、父まで長期入院状態になってしまい(父については改めて書く予定)、母が祖母に割ける時間や余裕も減っていたに違いない。最後の最後は母が看取ったそうだが、さみしい最期である。

 もちろん、もっとさみしい最期を迎えている人が山ほどいることは知っている。しかし、高校時代に祖父の大往生を見て以来、うちの家族は皆、誰もがうらやむ大往生を遂げる、将来、介護問題に悩まされる心配はまったくない、と、勝手に思い込んできた私にとって、ここ6~7年の祖母の状態は非常にショックであった。

 祖母は以前から、自分が死んだら大学に献体する、葬式も香典もいらない、墓は大学の納骨堂、と繰り返し言っていたそうで、亡くなった数時間後に杏林大学に引き取られた。最後の最後の本当に最期は、誰にも面倒も迷惑もかけずに旅立っていった。

 今にして思えば、それでも随分と幸せな人生だったかもしれない。明治の終わりに御殿医の末っ子として生まれ、容姿にも恵まれ、高等女学校卒業まで何不自由なく暮らした(子どもの頃の栄養状態が良かったから、体も人並み外れて丈夫で長生きしたのでしょう)。当時にしては結構な高齢(20代後半)で甲斐性のない男(祖父)と結婚して、戦争もあり、それなりに苦労はしただろうが、私が3歳の時から我が家に同居(母の仕事が忙しかったので、祖父母と同居する前、私は日中は近所の人に預けられていた)。それ以降は比較的幸せな人生が長い年月、続いたと思う。
 私が折に触れて思い出す光景がある。私が幼稚園の頃に住んでいた家には縁側があった。その縁側のすぐ外には、ピンクの芝桜が一面に咲いていた。一面のピンク、穏やかに晴れたやわらかい日差し。植木いじりが好きな祖母の隣で、芝桜の前にしゃがみこんだ幼稚園児の私は、「私、おばあちゃんが世界で一番好き」と言った。祖母はほほえみながら、「そんなこと言わないで、みんな好き、って言うのよ」と答えた。

 本当はこんなことを書く予定ではなかったのだが、私がもたもたして祖母について書くのが遅れているうちに、予想外のタイミングで祖母が亡くなってしまい、老人問題について書きたいのか追悼文を書きたいのか、わけが分からなくなってきてしまった。

 祖母の魂は今頃、古くて思うように動かず、痛みまで伴う不自由な肉体から解き放たれて、大喜びで自由に空を飛び回っていることだろう。数少ない肉親である祖母の冥福を心から祈る。

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トランプ

2016-05-10 21:02:37 | Weblog
 ドナルド・トランプの予想外の躍進により大いに盛り上がって(?)いるアメリカ大統領選挙は、テッド・クルーズの戦線離脱によってトランプが共和党大統領候補になることがほぼ確実になってしまった。小学2年生の娘のクラスメートの中には、「トランプが大統領になったらカナダに引っ越す」と(どうせ親の受け売りだろうが)言っている子もいるそうだ。そんな小さい子まで(=ほぼ全国民が)大統領選挙に興味を抱くなんて、ある意味、トランプの功績と言えるかもしれない。今各地で順にやっているのは予備選挙だが、本選挙の投票率もさぞや上がることだろう。
 世界各国の政治家たちも興味津々、というか、内心みんな「ヒラリーがんばって!」と思っていることだろう。まあ私の勝手な予想では、万が一トランプが大統領に選ばれるようなことがあったら、まず暗殺されるだろうから心配はいらない。これまでアメリカを牛耳ってきた軍産複合体やイスラエル系は今頃、「調子こいてんじゃねぇよ、トランプ!」と、着々と暗殺計画を練っていることでしょう。あれだけ四方八方に敵を作りまくっていたら誰に(どんなグループに)命を狙われてもおかしくないから実に好都合。実行犯はよりどりみどりである。
 実のところ、オバマのスローガンだった「change」なんて、かけ声倒れもいいところ。やってることは大馬鹿ブッシュ(息子)と大して変わらん。要するに、変えられないんですよ、命が惜しかったら。いくら高い理想を抱いていても、自分の命には替えられない。それに、軍産だけじゃなくて、周囲の国々も大きな変化は求めていないんでしょう。トランプぐらい極端なヤツじゃなかったら、何も変えられやしない。そういう意味では、トランプのスローガンに「change」を使ってほしいぐらいだ。
 でもねえ、トランプのあの醜い外見とか、(本音は違ったり、言葉の裏があるにしても)あの放言暴言差別発言とか、サラ・ペイリン(こいつ、マジにお願いだから地球上から消えてくれ!)トランプ応援団長だとか、トランプに関しては我慢しがたいものが多すぎるから、やっぱりとっとと暗殺されてくれ。ってか、絶対ヒラリー勝ってくれ! 今はまだ面白がっていられる余裕もあるが、こんなやつが大統領として連日テレビに映ってくれたりした日にゃぁ、ニュース見るの止めるよ、ホント・・・

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モルの近況・そして突然、私の祖父

2016-04-13 21:24:10 | Weblog


 久しぶりに、我が家のモルの近況です♪
 モジャは最近、晴れた日中は芝生で放し飼い状態。モジャは犬のように人なつっこく、姿が見えなくても呼べばノコノコ出てくる。塀や柵はなくても決して我が家の敷地から出ることなく(基本的にモルモットは臆病な生き物なので、安全だと分かっている場所から逃げることはまずないのだが、植え込みの中などに隠れて出てこなくなるモルは結構いる)、部屋に戻りたくなると玄関まで来て網戸を開けてくれるのを待っている。
#超かわいい・・・




(ひなたぼっこしながら、ウトウト)

 11月下旬生まれの三毛も、すっかり大きくなった。体重は900グラムと、ほぼ大人の体格だ。

(空手着姿で寝そべった子どもの上でくつろぎ中)


(子どものベストに潜り込んで、袖口から顔を出している)

 でもって、本当に唐突ながら、私の祖父の話である。人間についてというか、人生についてというか、いろいろ思うところがある今日この頃。話を分かりやすくするために何回かに分けて、まずは祖父について書くことにする。
 以前にどこかに書いたかもしれないが、私の祖父は誰もがうらやむ大往生を遂げた。私が17才の夏、亡くなる前夜は家族と一緒に普通に夕食を取り、翌朝、居間にあったお気に入りのマッサージ椅子に座り、眠るように亡くなっていた。享年74才、当時の日本人男性の平均寿命である。70の時に胃がんで入院したものの、退院後は驚異の回復を見せて直後から普通に食事。ガンが再発や転移することもなく、家族に世話を焼かせることもなく、実に安らかに大往生。
 いや、実のところ、祖父は若い頃にさんざん家族に迷惑をかけたり世話を焼かせたらしい。大酒飲みで酒癖が悪かった。かなり若い頃の話だと思うが、酔っ払って選挙の看板を壊し、所属していた横須賀の海軍をクビになったそうである。
 おまけに頑固で意固地で、就職してもすぐに喧嘩して辞めてきてしまう。
 私が物心ついた頃には祖父はもういい年で、酒もそんなに飲まなかったし、どちらかというと物静かだった。ただ、頑固で偏屈で、ちょっと気に入らないことがあると誰とも口をきかず食事もとらず、自室の万年床に座り込んでひたすらテレビやラジオを視聴していた。今考えると笑っちゃうような、ちょっとあり得ないような、まるでガキみたいな、わがままじいさんである。
 でも決して性根が悪いわけではないし、優しさや正義感はちゃんとあった。私の甲斐性無しやひねくれた性格は、この祖父の隔世遺伝だと勝手に思っているぐらいで、私はかなり祖父が好きだった。
 祖父は食べ物の好き嫌いも多く、祖母は食事をちゃんと取らせるのに苦労していた。やせてひょろっとした長身で、ヒラヒラという感じで自転車に乗ってどこにでも自分一人で出かけていた。
 ボケもせず、一切の介護も必要とせず、入院すらせず、ある日突然見事なまでの大往生。決して短命だったわけでもない。こんなに素晴らしい死に方があるか?! こんなに家族思いな死に方があるか?!
 若い頃はそれなりに家族に迷惑をかけただろう。年取ってからも偏屈で、決して誰からも愛される「かわいいおじいちゃん」ではなかった。しかし、すべてはこの大往生で帳消しだろう。帳消しどころか、お釣りがくるぐらいの大往生っぷりである。

 うちは親戚づきあいがあまりないので、17才にもなって、私にとって身近な人の死はこれが初めてだった。初めて目の当たりにした死が、こんなに美しい大往生だったもので、私はもうすっかり勘違いをしてしまった。私の家族は皆、誰にも迷惑をかけずに人がうらやむ大往生を遂げるに違いないのだ、と。それが大きな勘違いだったと気づくまでの約30年間、そうと固く信じ込んでいた私はおめでたく、ある意味とても幸せだった。

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高齢化社会ニッポン安泰!

2016-03-26 21:46:39 | Weblog
 いきなりですが、「ゲスの極み乙武」・・・ってスポーツ紙のサイトで見て、かなりウケた、笑った。
 なんという見事なハマりようだ。ダジャレというのか、語呂合わせというのか、とにかく絶妙。年明け早々から延々と繰り広げられてきた数々の不倫暴露合戦も、すべてはこの見事なオチのために仕組まれたものだったのではないか、とすら思えてくる完成度の高さである。

 いやまあ、基本的に他人の不倫なんぞに興味はないのだが、この件ばかりはいろいろと考えさせられました。
 あくまで勝手な想像だけど、妻は不倫を知ってたけどどうでも良かったんじゃないのかねぇ。だって夫は、文字通り「自分のケツすら自分で拭けない」わけでしょ。妻は大学出たばかりの若い身空で一生24時間フルサービス介護(してあげる)生活を選んだわけで、結婚のニュースを聞いた時、一体全体どうするとそういう覚悟ができるのだろうか?!と、異次元の話のように感じたことをよく覚えている。それが今じゃ、1歳から8歳まで3人の子持ちだそうで、育児だけでもどれだけ大変なことかと察するに余りある(私なんて、8歳の子1人しかいないのに、さらに超イクメンの旦那がいるというのに、しょっちゅう発狂しかかってますよ、ハイ)。その上、夫にまで乳やって下の世話してなんて、想像できるか?!
 不倫でも何でも、その間、誰かが代わりに夫のケツ拭いてくれるなら自分は楽になるから、それで良かったんじゃないのかねぇ。何度も書くけど、あくまで私の勝手な想像ですが・・・。だからついつい「私にも責任が」と書いてしまったとか。いや例えそうであっても、妻が謝る必要は1000%ないんだけどね。妻が謝ることで炎上して夫への逆風が強まることを見越しての復讐だったとしたら、それはそれで「見事だ」と認めるが・・・

 実のところ、もっと不思議なのは、不倫相手がそんなにたくさんいたという事実だ。5人とも50人とも言われているようだが、どうせみんな若い女なんでしょ? 日本って国の若い女は、そんなに他人の介護に熱心なのか??? そんなに他人を介護したがるヤツばっかり、うじゃうじゃいるのか??? 長年の不倫だろうが、一夜限りだろうが、女がある程度の世話をしてやらなかったら何もできない男なわけで(発情しても自分一人で処理発散できない乙武に、同情の余地はあるな)、しかも超有名人だし、常に車イスでめちゃくちゃ目立つ。そんな男と喜んで不倫する女がうようよいるという事実が、信じられないわい・・・
 ますます高齢化社会が進む日本。でも、喜んで他人を介護しましょう、ってな若い女がこんなにたくさんいるのなら、当分は安泰だな、ニッポン!!!

 今年に入ってから、人間なんて生き物、何で存在してんの?!って改めて考えるようなことばかりなのだが、久々にブログを書く気も出てきたので、近いうちにまた書こうと思います(ホントか?!)。たまにここを覗いて私が無事に生きていることを確認してくださっている方々、間が空いてしまいましたが(少なくとも物理的には)元気にやってますよ~♪

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我が家の新顔

2015-11-30 13:08:11 | Weblog

向かって右が、新顔のモジャ

 1カ月ほど前、我が家に新しいモルがやってきました。毛が長めでもじゃもじゃの「モジャ」。本当は子どもがつけたクリスという名前があるのだが、モジャと呼ばれることのほうが圧倒的に多い。今年の3月頃に生まれたらしいが、前の家では鳥籠(!)で飼われ、爪も伸び放題という可哀想な状態で、「誰か引き取って~」というのをもらってきた。犬かと思うような人なつっこさというか、かまってちゃんぶりで、本当に可愛いのだが、自分の要求が通るまで大声で鳴き叫び続けるので結構うるさい時もある・・・(苦笑)
 おうちはクロちゃんとは別の小屋で、ドアは日中は開けっ放し。事実上の放し飼い状態で、人なつっこく寄ってきたり、元気に走り回ってます。時々、どこに行ったか分からなくなってかくれんぼ状態に。夜になると、人間と一緒に寝たいのか、誰もいない寝室のすみに隠れていることが多いのだが、いつもあえなく発見されて自分の小屋に帰されてしまう・・・(いくら好きでも、さすがに一緒には寝られません)
 そして11月24日、またクロちゃんが赤ちゃんを産みました。こちらは三毛。ちっちゃくて、たまらなく可愛い♪ でも今回は1匹だけ。クロちゃんは最初と2回目に3匹出産、前回は2匹、そして今回は1匹。しかも今回は油断していて、出産直後にまた妊娠することになってしまって、クロちゃんに申し訳なかったかなと思っている。おそらくクロちゃんはすでに4歳ぐらいなので、もう出産は引退してのんびり過ごしてもらう予定。
 それにしても、9月に生まれた2匹(2つ前の投稿参照)と比べ、同じ両親から生まれてどうしてこうも違うかと思う。モルの遺伝って本当に謎である。そのうち、モルの家系図でも作って写真を並べてみようかと思っているので、乞うご期待(?)。


9月に生まれた2匹とは似ても似つかない三毛ちゃん


3匹とも三毛というか、三色模様・・・

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補償ナシの楽天デビットカード

2015-10-13 10:39:50 | Weblog
 先日、ダンナのVISA提携楽天デビットカードが不正使用された。相当前に、楽天銀行の口座を開いた際、あれば便利かな、という程度の軽い気持ちで作ったカードらしい。普段はアメリカで発行したカードを使っているし、日本に行った時だって大抵はアメリカ発行のカードで用が足りるから、過去に数えるほどしか使用したことのないカードである。つまり、カード情報を盗まれる機会も極端に少ないハズのカードである。楽天のシステムから情報が盗まれたのではないかと疑いたくなるぐらいだが、もしそうであれば被害者がダンナ一人だけのはずもなく、相当な被害者が出てニュースにもなるだろうから、そういうわけでもないようだ。まったくもって、どこから情報が盗まれたのか、謎である。

 2~3週間前だったか、楽天のカードを使ってもいないのに使用したというメールが来ると、ダンナが言い出した。楽天銀行は、ログインや出入金など、何か動きがある度にメールで知らせてくる。楽天のデビットカードが使用されたので口座から該当金額を引き落とすというメールが、何日か続けて届いたのだそうだ。「そんなの、速攻で問い合わせなきゃダメじゃん!」と私に言われて、ようやく楽天に電話をかけるダンナ。
 どこで不正使用されたのか、ログインすれば分かりそうなものだが、デビットカードのウェブサイトにログインしても、通常は使用した店舗名などが表示される欄に数字の羅列が表示されるだけで、どこで使われたのか分からないという。
 楽天への電話も1回では済まず、何度かやり取りをした結果、不正使用されて口座から引き落とされた金額を返せるかどうか分からないと言われたそうだ。どこで使われたのかすら、分からないそうである。客が不正使用されたと言っているのだから、まず真っ先にすべきはアカウントの使用停止だと思うが、2回目か3回目の電話の時になってようやくデビットカードを解約するかと聞かれたそうである。信じられないような酷い対応だ。
 その後どうなったのかと、何度かダンナに聞いたのだが、時間がかかるかもしれないと言われたから、と、妙に悠長というか弱気というか、やる気のないダンナ。約2週間後に最終的に出た結果は、不正に引き落とされた金額のうち、1回分だけは返金されたが、他は時間が経っているので返金不可。どこで不正使用されたのかは、結局分からず。

#なんじゃ、そりゃ?

 本当にふざけた対応である。不正使用が疑われた時点で速攻で問い合わせなかったダンナもどうかと思うが、時間が経ったっていったってたかが2~3日である。半年も一年も経ったわけじゃない。メジャーなクレジットカード会社であれば、客から苦情があれば大体3カ月前までの分は間違いなく補償するし、会社によってはもっと前の案件でも補償する。
 どこで使われたのか分からないって、現に金が動いているんだから、分からないわけがないだろ! 調査する気がないだけだろ! 今回の被害は1回につき数千円だったが(一回の被害金額を少なくすれば、ダンナのように被害者がすぐには動かないことも多く、この手の犯罪の常套手段だ。不正使用の「薄利多売」である)、今後同様の被害が頻発しないとも限らない。今後のためにも漏洩原因と金の異動先を追究するのが、まっとうな金融機関のすることじゃないのか?!
 ちなみに、ダンナが私の知らないところで、どこぞのエッチサイトでデビットカードを使ったんじゃないの?という疑いは、全くない。ダンナは私なんぞより余程生真面目な人間だし、その手のサイトにも全く興味ナシである。

 楽天という会社は、本当にいろいろと腹が立つ。傲慢の塊のような三木谷からして不愉快だ。楽天市場は、いろいろな商店が入っていて便利だし、個々の商店にはまともなお店も多い。楽天ポイントをもらえる機会も多いので(もらえるポイントに選択肢がある場合は、アマゾンポイントを選ぶことにしてはいるが)使うことはあるが、楽天本体は大嫌いだ。楽天ブックスの送料無料は魅力的だが、そうやって「町の本屋さん」を駆逐しているとも言える。電子書籍リーダーアプリ「楽天kobo」の使い勝手にいたっては、最悪である。アマゾンの「kindle」と比べると雲泥の差だ(もちろんkindleが雲でkoboが泥)。
 楽天銀行は、海外送金ができるので使わざるを得ないが、楽天のカードなんぞ二度と作らん(ってか、私が作ったわけじゃないし、作る必要性もまったくないんだけどね)。ジャパンネット銀行が海外送金に対応してくれたら、楽天銀行の口座も解約できるのに・・・

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モル赤ちゃん

2015-10-02 12:47:59 | Weblog


 実は(?)9月15日未明に、モルモットのクロちゃんが3回目の出産をした。
 5日前にブッチが亡くなったばかりで、嬉しいような寂しいような複雑な気分で、これまでこのブログに書かずにいた。しかし、せっかく生まれてきてくれたのに、他の子たちと同じようにお披露目してお祝いしてあげなかったら、やっぱり可哀想だよね。早くしないと、アッという間に親離れの時期になっちゃうし。
 これまで、作ろう作ろうと思いながら、写真を選んでいるうちに泣けてきてなかなかはかどらなかった、ブッチの思い出ページ。ようやく完成&アップ(「街の風景」コーナー)したので、お次はここで新しい赤ちゃんたちを紹介することにします。



 1回目、2回目と3匹ずつ産んだクロちゃんだったけど、今回は2匹だけ。ブッチを奪ったしつこく長い残暑のせいで、生まれた時のサイズも今までの中で一番小さくて、どちらも100グラム未満。それでも元気にすくすく、育ってます。特に父モルのトニーそっくりのトニーJr.は、生後16日にしてすでに250グラム、トニーが5月にうちにもらわれてきた時の体重(210グラム)をはるかに超えている。





 これまで、妊娠したモルの負担を減らすため、妊娠が分かった時点で父モルは手放してきた。しかし今回は、トニーがまだ若いことや、トニーは今まで飼ったり預かったオスモルたちとは随分違って物理的オス臭さも全くなく、しつこく発情してクロちゃんを煩わせることもあまりないようなことから、初めて両親が揃った状態での出産となった。(というか、朝起きたらすでに赤ちゃんがいて、びっくりして「おおお~~~」と叫んでしまったんだけどね)
 結果、トニーは、父モルってこんなに子モルの面倒を見るものなの?と、感動するほどのイクメンぶりを発揮している。子モルたちもよくなついて、生後1週間を過ぎる頃からトニーについて小屋を抜け出し、トニーの後をちょこちょこと一緒に部屋を散歩している。たまらなく可愛い。





 2匹とも、微妙に毛が長くてアビシニアンちっくなので、もしかするとトニーはアビシニアンの遺伝子を持っているのかも、と思う今日この頃。
 このままずっと、親子4匹仲良く暮らせたらいいのにと思うけど、近親交配を避けるためにそういうわけにもいかないのがつらいところ。でも今月いっぱいは大丈夫だから、思う存分親子4匹、仲良く楽しく過ごして!


(ウサギのニラちゃんともさっそく仲良し)











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あまりの暑さで…

2015-09-10 10:42:56 | Weblog


 あまりの暑さで、モルモットのブッチが死んでしまった・・・
 随分と久しぶりに更新するブログ、お誕生日の次の書き込みが亡くなった話だなんて、皮肉で悲し過ぎる。まだ1歳だったのに・・・

 今年の南カリフォルニアは、夏休みの間は大して暑くもなかったくせに、学校も始まった8月下旬になってから熱波がやってきた。毎年、この時期に1回は来る熱波なのだが、今年は8月下旬に来た後、4~5日の涼しい日をはさんて、さらに強烈な熱波がまたやってきた。今来ている熱波は、ただじっとしているだけで汗だらだら、夜になっても気温が下がらず一晩中暑い、という、「ここは東京か?!」と思うような最凶最悪のヤツ。違う地区と比較してもしょうがないので、この地域に引っ越してきた2009年以降での話だが、ここまで暑いのは初めてである。
 本来、砂漠気候の南カリフォルニアでは、日中いくら暑くても日が落ちれば一気に気温が下がる、湿気がないから暑くてもそれほど汗はかかない、というのが普通だ。しかし、今週はまったくもって「異常」な暑さが続いていた。

 モルモットは暑い時、まるで轢かれたカエルのようにびたーっとつぶれて伸び広がっている。短い手足を伸ばしてつぶれている様子は、なんだかアメーバみたいで笑える。ここ最近は、あまりの暑さに3匹とも、そんなポーズをしていることが多かった。一番若いモル(トニー)は勝手に小屋を出入りして、冷たい床やレンガの上でつぶれていた。クロちゃんは自分で小屋から出ることはないが、ブッチはたまに勝手に小屋を出てトニーと部屋で遊んでいたので、暑かったら勝手に涼しい場所を探すだろうぐらいに考えていた。
 クロちゃんが常に1kg未満なのに対して、ブッチの体重は1.6kg前後。太り過ぎて、暑さに耐えられなかったのだろう。まだ若いし、他の2匹は元気だし、他に原因は思いつかない。

 9日の夜から元気がないなあとは思っていた。つぶれていても、いつもは人が近づくとピッと反応していたのが、あまり反応しなくなっていた。10日の朝、「今日も朝から(というか、一晩中)暑い!」と思いながらモル小屋を見たら、クロちゃんがあわてた様子で一生懸命ブッチの目や顔をなめていた。よく見たら、ブッチが目を開けたまま、動かなくなっていた。
 子どもを学校に送った後、元気な2匹を芝生に出してから、ブッチの亡骸をなでながらしばらく泣いた。
 できることは・・・何もなかった。ダイエット・・・無理。他の子もいるし、基本的にモルは常に小屋に餌を置いておくものだから。
 一日中冷房をつけていたら・・・そりゃ死ななかったかもしれないけど、あり得ない。日本の部屋単位の家庭用エアコンと違い、こちらの冷暖房は全館冷暖房が基本だ。アパートだろうが一軒家だろうが、人のいない部屋だろうが2階建てだろうが、スイッチを入れたら全館冷暖房。あり得ないような無駄である。しかも、ゴォ~~~という音が信じられないぐらいうるさい。隣家は大して暑くない日でも狂ったように朝から晩まで冷房を入れているが、朝から晩まで入れていることが我が家にいてもよく分かるぐらいうるさい。こんなものを終日つけっぱなしにするなんて、どんな理由があろうと絶対にあり得ない・・・

 せめて、ブッチの短い一生が、幸せなものだったことを願う。
 よく抱っこしてほおずりしたり、膝の上に乗せてなでていたけれど、あまり人なつっこい子じゃなかったから実は迷惑だったかな。餌は、いつも十分にあげてたよね。小さい頃から勝手に小屋を出て部屋を走り回っていたし、トニーが来てからはよく一緒に小屋から出て遊んでいた。ウサギのニラちゃんとも仲良しだった。きっと、割と楽しい人生だったよね。
 いつ何が起こっても後悔しないで済むように、これからは他のモルに常に気を配って、どんな時も今まで以上に優しくしよう・・・




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