おねえちゃんの独り言

「おねえちゃんの独り言」のブログ版
(・・・って、そのまんまだけど)

超法規的殺人

2016-09-23 23:09:53 | Weblog
 本当に、世も末だとしみじみ思う。昨今、世界中のあちこちできな臭いことはさて置いても、アメリカ国内の惨状には目を覆いたくなる。思えば20世紀の後半、「世も末=世紀末的」といったように語られていた気がする(使ってる字も共通してるしね・・・???)。20世紀は戦争の世紀なんて、今とはってはとんだ見当違いのお笑いぐさな呼び方もされていた。
 でもって、21世紀はどうよ? いきなり最初の年にワールドトレードセンタービルが衆人の目の前で崩れ落ちた。物理的な戦争だって一向になくならないどころか、黒幕が分からないように巧妙化しただけで、地域によっては今や常態化している。
 そしてアメリカでは、各地で丸腰の市民を警官が「処刑」しまくっている。どうして最近、こんな事件ばかりなのか? あれだけ各地でデモが起きたり警官に対する「逆処刑」まで起きているというのに、遅かれ早かれ現場の動画が拡散して大ニュースになってデモが起きて批判にさらされることはわかりきっているのに、どうして警官どもはバカの一つ覚えのように「処刑」を繰り返すのか? 昔はKKKがやっていたことを、今は警官がやってるわけだ。数年前にフロリダで丸腰の黒人少年を射殺した「自称・自警団」の気違い男ジマーマンと、やってること変わらんじゃん。これが21世紀のアメリカですか・・・???
(アメリカの現状にあきれているだけであって、どこか他の国のほうがマシだなどと言っているわけではないので、誤解のないよう・・・)
 思うに、こういう「処刑」はこれまでもずぅ~っと脈々と行われてきたのである。何も最近になって急に頻発しているわけではなく、これまでは闇に葬られてきただけなのだ。それが最近は、誰もがスマホを持っていていつでもどこでも動画を撮影してネットに暴露できてしまう、だから隠しきれずに報道されてしまっているという、ただそれだけのことなのだろう。
 国家(あるいは公務員)による市民の人権侵害については、大抵の国で枚挙にいとまがなく、また国家権力というものは「そういうものなのだ」とも言える。だから私はどちらかというとアナーキストなわけなのだが、それはさておいて、丸腰の黒人を平気で迷わず撃ち殺す警官と、トランプの支持層がだぶって見えて仕方がない・・・
 フィリピンでは、「フィリピンのトランプ」などと呼ばれていたドゥテルテが圧倒的な支持を得て大統領になり、薬物犯罪容疑者らの「超法規的殺人」を推奨。すでに3000人が殺されたなどと報道されている。私個人の意見としては、それもアリかなと思うし、中南米の国々でもドゥテルテみたいな大統領を選んだほうがいいんじゃないの、と思ってしまうのだが、それはともかく、アメリカはドゥテルテ大統領に対して「人権侵害」だと「余計な口出し」をしているらしい。
 ドゥテルテ大統領がこれまでのアメリカ同盟国の代表と違うところは、アメリカ大統領に対してもアメリカを代表する政府筋の人間に対しても、平気で悪態をつき、全く言うことを聞かない点である。普通、大国アメリカの言うことを「聞くフリ」ぐらいはするものだが、まったく耳を貸さないどころか、放送禁止用語で罵倒したとかしないとか。ここまでくると、なかなか痛快である。
 薬物犯罪容疑者らの「超法規的殺人」を人権侵害などとのたまうアメリカに対して、「米軍はフィリピンから出て行け」と逆ギレ。「『米国と一緒にいる限り平和は訪れない』と話し、米国統治時代に同島で米兵が住民を殺害した事件に触れた。(朝日新聞デジタルより)」そうだが、この発言なんか、たとえば沖縄の人からすれば、まさに「我が意を得たり」だろう。
 あ、いや、私が言いたかったのは、アメリカに「『超法規的殺人』が人権侵害だ」なんて言われたら、米国統治時代なんて古い話を持ち出さなくても、ドゥテルテ大統領は「お前の国の警官だって、丸腰の、多くは無実かせいぜい微罪の市民を、平気で『超法規的殺人』しまくってるじゃないか」と言ってやれよ、ということである。
#アメリカにこんなことが言える同盟国代表は、あんたしかいない!

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赤ちゃんモル♪

2016-09-03 13:51:16 | Weblog
8月2日生まれの赤ちゃんモル、順調に大きくなってます♪


狭いところに無理矢理ぎしぎし・・・


モルにも、丸い目(茶色の子)とか切れ長の目(黒の子)とか、あるんですよ~



体重は、生まれた時の約3倍になりました♪
順調に育ってうれしいような、里子に出す日が近づいてきて寂しいような・・・

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東アジア人のステレオタイプ

2016-08-21 22:51:48 | Weblog
 今日、「KUBO AND THE TWO STRINGS」という映画を観た。19日に全米公開されたばかりの、オリンピック放送の合間に予告CMを流すほどの、そこそこメジャーな作品である。
 私は見たくなかったのだが、随分前から劇場で予告映像が流れており、子どもがずっと見たがっていたので、仕方なく一緒に鑑賞。
 ストーリーは悪くないのだが、とにかく登場するキャラクターの顔が許せない! そもそもそれが理由で見たくなかったのだが、これって完全なる人種差別じゃないのか?!
 舞台は明らかに昔の日本なのだが、登場する人物の大半が極端なつり目&垂れ眉毛(いわゆる「8時20分」)。主要キャラはそれほど極端ではないが、その他大勢の村人にいたっては、老若男女問わず、全員が極端な切れ長のつり目+八の字に垂れた眉毛の同じ顔! アメリカでは頻繁に見かける「東アジア人のステレオタイプな顔」なのだが、ほんっとぉ~~~に心の底から不愉快。(ご興味のある方は、googleで画像検索でもしてみてくだされ)
 そりゃね、確かに東アジア人は他の人種と比べたら不細工の比率が高いよ。目は特に、一重だったりはれぼったかったり細かったりと、(もちろん他の人種にだって不細工はいるが)他の人種ではあり得ないようなタイプの不細工が多い。だからって、極端なつり目の東アジア人がどれだけいる?! いないことはないだろうが、割合なんてかなり低い。多くて10%だろう。さらに、八の字に垂れた眉毛なんてもっとずっと少ない。いろいろ考えても、八の字に垂れた眉毛なんて村山元首相のようなじいちゃんしかイメージできない(あれは眉毛自体が垂れた形というより、眉毛が伸びすぎて垂れているだけかも)。ましてや、細いつり目と八の字眉毛の両方を併せ持った人間なんて、人種問わず、そもそもこの世に存在するのか?! そんな実際の人間、まったくイメージできない。アメリカで作られた「東アジア人の絵」以外で見たこともない。
 あまりに不愉快すぎて、映画の内容にあまり集中できなかった。クレジットを見ていると、スタッフにやたらと日本人か日系人と思われる名前が出てくるが、彼らは誰も文句言わなかった(言えなかった?)のか?!
 おそらくこの映画を作る際に参考にしたであろう、浮世絵なんかを見てみても、確かに目は細くてつり気味かもしれないが、垂れた眉毛なんてどこにも描かれていない。この映画の作画担当者に聞きたい。じゃお前は、こんなひどい顔の東アジア人をどこかで実際に見たことがあるのかよ?!
 一体全体どこのどいつが、東アジア人=極端なつり目+極端な八の字眉毛という、あり得ないステレオタイプを作り出したんだ?! 見つけ出して、全東アジア人に土下座して謝らせたいわ!!!

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「BEAUTIFUL DISASTER」

2016-08-19 23:46:45 | Weblog
 オリンピックもそろそろ終わりなのだが、今回はいつになく頻繁に競技をテレビ観戦した気がする。と言っても、アメリカではオリンピックは必ず毎回、NBCの独占放送。通常の地上波ではNBCの1チャンネルしか放送していないし、そのNBCだって四六時中オリンピックを放送しているわけではない。当然、放送される競技は限られる。NBCのウェブサイトで動画も見られるのだが、無料で視聴できる時間は限られており、フルに動画を見るにはケーブルテレビや衛星放送などの有料サービスに加入している必要がある(有料サービスのユーザーIDとパスワードを要求される)。
 というわけで、一番見たかった女子レスリングなんか、まぁ~ったく見られなかった。特に吉田選手の決勝は、対戦相手がアメリカ人だから少しでも放送されるかと期待したのだが、地上波では全く放送されず。翌日のNBCニュース(アメリカからすると、「絶対女王・吉田にアメリカ人が勝った」「アメリカ女子で初のレスリング金メダル」というめでたいニュースになるわけなのだが)ですら、写真がちらっと写っただけでダイジェスト動画すらなし。
 そのくせ、馬術なんていうマイナーな競技はかなりの時間を割いて地上波で放送していたりする。まあ、高校時代馬術部で、子どもにも一時期、乗馬を習わせていた私にとってはうれしいのだが、それにしても放送する競技が偏り過ぎだろ・・・
 しっかし、まさか吉田選手が敗れるとは・・・

 閑話休題、今日の朝、子どもを学校に送った帰り道、いつものようにカーステでラジオを聴いていた。メジャーなラジオ局を聴いていると、その時にかかっている音楽のタイトルやアーチスト名がカーステのパネルに表示されるのだが、信号待ちの時に何気なく見たら「311」と表示されていた。
 日本にゆかりのある人なら、「311」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは東日本大震災である。
 何が「311」なのだろう???と、その後もちらちらとパネルを見ていると、今度は「DISASTER」の文字列・・・。「311」に「DISASTER」って、それこそ、東日本大震災のことでも歌ってるのかよ???
 パネルの横幅が足りなくて完全には表示されないのだが、歌を聴いていると、どうやら「BEAUTIFUL DISASTER」というタイトルのよう。311+美しい災害って、どういうことよ?!と、気になって、家に帰ってから調べてみた。
 結果、「BEAUTIFUL DISASTER」というのは「311」という名前のバンドの1997年の曲であることが分かった。歌詞も見てみたが、「DISASTER」というのは比喩のようで、どこにも津波や地震を連想さえるような言葉は出てこなかった。いやまあ、東日本大震災より14年も前の曲なんだから当たり前なんだけど、そもそも「311」という名前のバンドの存在すら知らなかった私は、かな~りびっくりした。
 こういう偶然って、あるんだねぇ。

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やっと新学期

2016-08-15 21:21:29 | Weblog
☆残暑お見舞い申し上げます☆

(プールで泳いだ後、ロン毛が突っ立ってライオンみたいに男前になってるラッシー)

 やっと、やっと、子どもの学校の新学期が始まった。心の底からほっとした。実際の季節より随分と先走り、6月上旬から(学校区によっては5月末から)始まる公立校の夏休み。自分に子どもができる前は、アメリカの学校の新学期は9月からというイメージだったが、実際にはまだ真夏真っ盛りの8月中旬(学校区によっては8月上旬)から新学期が始まる。
 夏休みも、最初の頃は「朝、ゆっくりできる」「平日に子どもと行きたい場所に行ける」などと、ちょっとだけうれしいのだが、ほどなくストレスが溜まって気が狂いそうになってくる。発狂する前に新学期になってくれて、良かった良かった。

 ようやくブログを書く余裕もできて、まずは我が家のモルの近況から。8月2日に赤ちゃんモルが3匹、誕生しました♪




(暑くてカエルみたいになってるママモルに群がる赤ちゃんたち)

 我が家では、モルの赤ちゃんはすでに何回も誕生しているのだが、何回見ても赤ちゃんモルは一段と可愛い♪♪♪(親モルも、もちろん可愛い)




(横向きになってお乳を飲む赤ちゃんモル)


(これまた結構無理矢理な体勢で2匹で授乳中)


(一家でお散歩)


(飼い主の旅行中に預かっているウサギのベラちゃんと一緒に⋯)


(暑くて、ついにラッシーもカエルに⋯)

 さて、最後に本当にあった笑えるお話。私の家族を直接知らない人に文章だけでこの面白さを伝えられるかどうか、今ひとつ自信がないのだが、あまりにおもしろ過ぎて誰かに言いたいので、書いてみることにする。
 我が家では、子どもとダンナと3人で、クイーンサイズのマットレスを2つくっつけた上で川の字になって寝ている。中央には、寝相の悪い我が子が横になったり縦になったり逆さまになったりと大暴れ、親に裏拳、踵落とし、肘鉄など数々の攻撃をしかけながら寝ている。
 先日の夜中、私がトイレに入っていた時に何とも異様な男のうめき声(? 叫び声?)が聞こえてきた。表で酔っ払いでも騒いでいるのか、それにしても気味が悪い。なんとなく子どもの声も聞こえるような気がするが、まさかダンナ?! 不審に思いながら寝室に戻ると、なにやらダンナも子どもも笑っている様子。とりあえず声の主はダンナだったようだが、笑っているということは大したことではないに違いない。うちの子、睡眠に関してはトラブルの宝庫、このまま覚醒して寝なくなっては大変と、なにやら私に説明しようとする娘を「シーッ」と制して頭をなでるなどし、本格的に目が覚める前になんとか眠りに引き戻す。そして自分もすぐにまた寝てしまう。
 後でダンナが言うには、そのときダンナは久しぶりに金縛りに遭っていたのだそうだ。なんとか金縛りから逃れようとしてうめき声が出てしまったようだが、なんとその時、たまたま至近距離で寝ていた娘が半分寝ぼけながら「ダディ、うるさい!」とバシッとダンナを殴ったそうな・・・。おかげでダンナは無事に金縛りが解け、金縛りに遭遇した怖さよりもこの状況のおかしさに笑ってしまったらしい。金縛りは、何もきっかけがなければなかなか解けないらしいのだが、殴ってくれて助かった、と笑いながら感謝していた。
 幸い、金縛りなんていう言葉も状態も知らない娘は、これまた「ダディが夜中に変な声出してた」と、朝起きてから改めて大笑い。怖がらずに、笑ってくれて、本当に助かった・・・というか、私も爆笑した。何度も思い出しては笑ってしまった。

 鼻の穴事件(ある夜中、ダンナが鼻に違和感を感じて目が覚め、てっきり子どもがいたずらしているものと思いながら目を開くと、ナント! 寝相の悪い我が子の足の親指が、見事にダンナの鼻の穴にささっていたそうな・・・)以来の、深夜の爆笑事件でありました・・・

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新顔モル

2016-06-02 08:53:28 | Weblog


 突然、話題変わって、我が家の新顔モルの紹介です。5月24日に我が家にやってきた、ラッシー♪ すでに紹介するタイミングを逃し、さらに明日から子どもの学校が夏休みに入ってますます時間がなくなりそうなので、大した写真もないけど急いで紹介しちゃいます。もっといい写真が撮れたら、おいおいアップしま~す。
 なぜラッシーかというと、微妙にロン毛で、色合いも彼の有名犬ラッシーに似ているからです、ハイ。
 遠目に見ると模様が三毛そっくりで、時々、見間違えます。顔もそっくりで兄弟みたい。


(手前が三毛で、奥がラッシー)

 去年の10月末に我が家にやってきたモジャは、犬並みの人なつっこさ。でもでも、人なつっこいんだけど、他のモルとはどうも相性が悪い。クロちゃんにガン飛ばされてキューキュー鳴きながら固まっているかと思えば、今度は三毛を突く。
 そんなわけで、モジャはごく短い一時期を除いてもともと単独で別ケージだったのだが、クロちゃん・三毛・ラッシーの3匹は、同じケージで仲良くやってくれている。良かった良かった。
 3匹一緒だと、時々ケージ内でぐるぐる追いかけっこ。走り回ってうるさいこともあるけど、ラッシーはとても寂しがり屋。ケージ内に一人にするとサイレンのような大きな声で鳴きまくるので、逆にもっとうるさい・・・!

 ちなみにラッシーとモジャを一緒にすると、真剣に戦ってしまう。上体を持ち上げて顔同士をぶつけ合って、まるで男鹿同士の戦いのような激しさ。困ったもんだ・・・


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ただのぼやき

2016-06-01 22:36:57 | Weblog
 昨日は祖母の死を知った直後で、焦点の定まらない文をだらだらと書いてしまった。そして今日のブログは、最初から、ただのぼやきである。
 祖母が亡くなったこと自体は、良かった。良かったというと語弊があるかもしれないが、だらだらと長生きしても家族に迷惑がかかるし、施設での生活には(自腹分もあるが)税金が使われる、何より本人がもっと早く天国に行きたかっただろう。永遠に肉体が衰えないのであれば、それは長く生きれば生きるほどラッキーかもしれない。しかし実際には細胞は次々と老化して死んでいく。肉体はどんどん衰え、容姿は醜くなり、頭の働きも鈍くなり、四肢は思うように動かなくなり、痛みまで生じてくる。長生きするにしても、いいとこ100才が限度だろう。それ以上長生きしたって、ごく少数のまれな例(テレビで見た100才の会社員とか、100才で詩集を出した人とか、日野原重明医師とか)を除いて不幸でしかないだろう。本人にとっても家族にとっても社会にとっても。
 だから亡くなったこと自体は、仕方がない。だって時間は決して戻らない。人は決して若返らない。

 訃報を知らせる母からのメールに、もし「老衰で静かに眠るように亡くなった」と書いてあったら、こんなに心は乱れない。
 106年近くも生きたのに、どうして最期が急性間質性肺炎で、酸素が取り込めずに15時間も苦しんだ挙げ句の死でなければならないのか。どうして静かで安らかな死ではないのか。誰のせいでもない、何を言っても仕方がないが、どうしても納得できない、許せない。
 実は数日前、友人宛のメールで「祖母はもうすぐ106才なのにまだお迎えが来ない」などと軽口をたたいてしまった。続いて「父は回復の見込みもないのに1月からずっと入院で一日3万円もかかってるし、母は骨折・・・」と続く、ごくごく軽い自虐ノリのメールだったのだが、このタイミングで亡くなってしまって妙に胸が苦しい。
 別に私のせいで亡くなったわけではない。そんなの、当たり前だ。当たり前だが、胸が苦しくて、悔いが残る。あんなこと、よりによってこのタイミングで、どうして書いてしまったのか。
 動物は、自分の死期が分かることが多いようだ。小学1年生から飼っていて、とてもかわいがっていたセキセイインコが、高校2年の時に死んだ。死ぬ前の数日間、私の姿を見ると、いつにも増してかまってほしそうに鳥かごの端に寄ってきていた。でも私は、邪険にこそしなかったが、いろいろ忙しくてあまり構ってやらなかった。死んだ日は、放課後に友人と超B級映画を観て遅く帰ってきた。すでに死んだことを家族から知らされ、冗談抜きに丸1週間、親が死んでもこんなに泣かないというほど泣いた。どうして最後にもっと構ってやらなかったのか、どうしてあんなしょうもない映画を観に行ったのか・・・
 祖父が亡くなった前夜は、夕食時に母と私だけワインを飲んでいた。いろいろ厳しい母だったが、飲酒に関してだけは不思議と寛容で、私は小学1年生の頃から家族と一緒の夕食時に時々ビールを飲んでいた。当時はすでに高校生で、夕食時にワインを飲むことも珍しくなかった。もっと前は祖父も一緒に飲むことがあったのだが、その頃は祖父の体調を考えて私と母だけで飲むことがほとんどだった。亡くなった後で母がしみじみと「あの時、おじいちゃんにもワインをあげれば良かったね。今思うと、ほしそうな顔をしてたかもね」と言った。
 愛しい者が亡くなると、かなりの確率で悔いが残る。そうして人生を重ねるごとに、つらい記憶が増えていく。
 祖母は、状態が急変する2日前に行動がおかしくなったそうだ。同じ行動を繰り返したりトイレが分からなくなったり転んで倒れていたりしたと、老人ホームから電話があったそうだ。翌日にはいつも通りに戻ったと電話があり、一安心したさらに翌日、今度は本人から「来て、来て、会いたい」と母に電話。そう言われても普通すぐには行かれない。数時間後に老人ホームに向かっている途中で、急に呼吸が苦しそうになり救急車を呼んだとスタッフからの電話があり、急遽、病院(歩ける近さの病院に搬送されて運が良かった)に向かったそうだ。
 人間も、自分の死期が分かることがあるんだね。106年も生きていると、そのぐらいは分かるのかな。
 緩和剤で、楽になるけれども意識が朦朧とする直前、祖母は酸素マスクで何も言えなかったけれどもしっかり母の顔を見ていたそうである。決して仲の良い親子ではなかったが、最初から最後まで、母はきっちりと義務を果たした。祖母は最後に網膜に映ったものが、愛しい自分の娘の姿で、苦しいながらも安心したことだろう。

 特に死を意識しないまま、眠るように安らかに天に召されるのと、苦しくてもちゃんと死を自覚して、愛しい者をしっかりと見つめて(心で)お別れを言いながら意識が薄れていくのと、どちらがいいのかな。もし選べるとしたら、祖母はどっちが良かったのかな。
 死んだこと自体は、とても良かった。もう十分に長く生きたし、世界中の全員の平均よりはるかに幸せな人生だったと思うし、これ以上長く生きたってせっかく人並み外れて高かった「人生の幸せ度」がどんどん減っていくだけだった。
 ただ、私の心は激しく乱れて、とても苦しい。

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祖母について

2016-05-31 22:22:51 | Weblog
 随分と間が空いてしまったが、今度は祖母について書いてみる。
 いきなりだが、私の祖母は5月30日に亡くなった。あと2週間で106才というタイミング。ほんの数時間前に母からのメールで訃報を知ったのだが、間が悪いことに、今日の日中に私と娘からの祖母宛のお誕生日カードを送ってしまったところだった。

 こんなに長く、それも比較的元気に、歩行器を使って自分で歩いてトイレや食事にも行き、頭もあまりボケずに生きたのだから、最後ぐらいは安らかに、老衰で眠るように亡くなるに違いないと固く信じていたのに、急性間質性肺炎で発症から約15時間苦しんで亡くなったそうである。後半は緩和剤で意識朦朧だったようだが、15時間余も苦しい呼吸だったことに違いはない。
 本当に人間の一生って何なんだろうな・・・と思う。

 祖母は、高齢になってからも非常に元気いっぱいで若々しかった。祖父が亡くなってからは、当時流行っていたケートボールにはまり、ゲートボール仲間のボーイフレンドまでいたようだ。90を過ぎてからは俳句にはまり、新聞に投稿して頻繁に掲載されたり、自費出版で句集も出した。
 同年代の友人は次々と鬼籍に入り、あるいはボケ、そのうちに娘世代の友人とよく遊びに行くようになった。99才の夏まで、石和温泉にある定宿に旅行していた。
 年金は十分、住まいは娘(私の母)の持ち家、自室に増築したミニキッチンで自炊して毎朝近所を散歩して庭いじりして悠々自適。これである日ぽっくり逝っていたら、祖父をも上回る大往生っぷりだったのに・・・そうはならなかった。
 非常にありがちなパターンだが、99才の秋に転倒したことをきっかけに入院。急激に体が弱って老け込んだ。たまたまその時期、日本に行っていた私は、これが最後かとお見舞いの後で涙した。母も「最後に会えて良かったね」などと言っていたのだが・・・最後にならなかった。
 転倒、入院というアクシデントはあっても、ここで長患いせずに天に召されていたら、それでも十分、他人がうらやむ人生の終わり方だったろうに、なまじ丈夫だったのが災いしたか・・・

 その後、退院、苦労の連続の自宅介護、老健施設を経て、終の棲家となった特養に落ち着くまで数年間、母に苦労や面倒をかけまくり、それまでの人もうらやむ老後人生が帳消しどころかマイナス評価である。

 念のため、別にうちの家族が不幸だとか不運だとか言うつもりはまったくない。とりあえず金銭的な心配はなく、最終的には家から徒歩で通える特養にも入れた。世間に老人問題で苦しんでいる家族は数限りなくいる中で、恵まれているほうだとは思う。(母個人を見ると、一から十まで不運な人だなあ、とは思うが)
 ただもう、人間の一生というものに対する疑問、難問、禅問答・・・

 99才の秋に転倒してから亡くなるまでの6年半、祖母はどんな思いで生きていただろうか。施設のイベントや他人との会話などで時には笑うこともあっただろうが、基本的には夢も希望もない、ただ死ねないから生きているというだけの状態が何年も続いた。体はどんどん古くぼろくなっていく。施設から出ることもほとんどなく、体もあまり動かさないから疲れることもなく、夜は睡眠薬がなければ眠れない。腰や背中は常に痛い。この先、良くなることはまったくあり得ず、ひたすら悪くなる一方なのは分かりきっている。繰り返すが、ただ死ねないから生きているだけだ。
 先に楽しいことも何もなく、ただ同じことを繰り返す毎日。一時は少しボケた頭も施設に落ち着いてからはほぼ回復。なまじ頭がしかりしているだけに、かえって残酷な終身刑状態である。
 特に今年に入ってからは、父まで長期入院状態になってしまい(父については改めて書く予定)、母が祖母に割ける時間や余裕も減っていたに違いない。最後の最後は母が看取ったそうだが、さみしい最期である。

 もちろん、もっとさみしい最期を迎えている人が山ほどいることは知っている。しかし、高校時代に祖父の大往生を見て以来、うちの家族は皆、誰もがうらやむ大往生を遂げる、将来、介護問題に悩まされる心配はまったくない、と、勝手に思い込んできた私にとって、ここ6~7年の祖母の状態は非常にショックであった。

 祖母は以前から、自分が死んだら大学に献体する、葬式も香典もいらない、墓は大学の納骨堂、と繰り返し言っていたそうで、亡くなった数時間後に杏林大学に引き取られた。最後の最後の本当に最期は、誰にも面倒も迷惑もかけずに旅立っていった。

 今にして思えば、それでも随分と幸せな人生だったかもしれない。明治の終わりに御殿医の末っ子として生まれ、容姿にも恵まれ、高等女学校卒業まで何不自由なく暮らした(子どもの頃の栄養状態が良かったから、体も人並み外れて丈夫で長生きしたのでしょう)。当時にしては結構な高齢(20代後半)で甲斐性のない男(祖父)と結婚して、戦争もあり、それなりに苦労はしただろうが、私が3歳の時から我が家に同居(母の仕事が忙しかったので、祖父母と同居する前、私は日中は近所の人に預けられていた)。それ以降は比較的幸せな人生が長い年月、続いたと思う。
 私が折に触れて思い出す光景がある。私が幼稚園の頃に住んでいた家には縁側があった。その縁側のすぐ外には、ピンクの芝桜が一面に咲いていた。一面のピンク、穏やかに晴れたやわらかい日差し。植木いじりが好きな祖母の隣で、芝桜の前にしゃがみこんだ幼稚園児の私は、「私、おばあちゃんが世界で一番好き」と言った。祖母はほほえみながら、「そんなこと言わないで、みんな好き、って言うのよ」と答えた。

 本当はこんなことを書く予定ではなかったのだが、私がもたもたして祖母について書くのが遅れているうちに、予想外のタイミングで祖母が亡くなってしまい、老人問題について書きたいのか追悼文を書きたいのか、わけが分からなくなってきてしまった。

 祖母の魂は今頃、古くて思うように動かず、痛みまで伴う不自由な肉体から解き放たれて、大喜びで自由に空を飛び回っていることだろう。数少ない肉親である祖母の冥福を心から祈る。

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トランプ

2016-05-10 21:02:37 | Weblog
 ドナルド・トランプの予想外の躍進により大いに盛り上がって(?)いるアメリカ大統領選挙は、テッド・クルーズの戦線離脱によってトランプが共和党大統領候補になることがほぼ確実になってしまった。小学2年生の娘のクラスメートの中には、「トランプが大統領になったらカナダに引っ越す」と(どうせ親の受け売りだろうが)言っている子もいるそうだ。そんな小さい子まで(=ほぼ全国民が)大統領選挙に興味を抱くなんて、ある意味、トランプの功績と言えるかもしれない。今各地で順にやっているのは予備選挙だが、本選挙の投票率もさぞや上がることだろう。
 世界各国の政治家たちも興味津々、というか、内心みんな「ヒラリーがんばって!」と思っていることだろう。まあ私の勝手な予想では、万が一トランプが大統領に選ばれるようなことがあったら、まず暗殺されるだろうから心配はいらない。これまでアメリカを牛耳ってきた軍産複合体やイスラエル系は今頃、「調子こいてんじゃねぇよ、トランプ!」と、着々と暗殺計画を練っていることでしょう。あれだけ四方八方に敵を作りまくっていたら誰に(どんなグループに)命を狙われてもおかしくないから実に好都合。実行犯はよりどりみどりである。
 実のところ、オバマのスローガンだった「change」なんて、かけ声倒れもいいところ。やってることは大馬鹿ブッシュ(息子)と大して変わらん。要するに、変えられないんですよ、命が惜しかったら。いくら高い理想を抱いていても、自分の命には替えられない。それに、軍産だけじゃなくて、周囲の国々も大きな変化は求めていないんでしょう。トランプぐらい極端なヤツじゃなかったら、何も変えられやしない。そういう意味では、トランプのスローガンに「change」を使ってほしいぐらいだ。
 でもねえ、トランプのあの醜い外見とか、(本音は違ったり、言葉の裏があるにしても)あの放言暴言差別発言とか、サラ・ペイリン(こいつ、マジにお願いだから地球上から消えてくれ!)トランプ応援団長だとか、トランプに関しては我慢しがたいものが多すぎるから、やっぱりとっとと暗殺されてくれ。ってか、絶対ヒラリー勝ってくれ! 今はまだ面白がっていられる余裕もあるが、こんなやつが大統領として連日テレビに映ってくれたりした日にゃぁ、ニュース見るの止めるよ、ホント・・・

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モルの近況・そして突然、私の祖父

2016-04-13 21:24:10 | Weblog


 久しぶりに、我が家のモルの近況です♪
 モジャは最近、晴れた日中は芝生で放し飼い状態。モジャは犬のように人なつっこく、姿が見えなくても呼べばノコノコ出てくる。塀や柵はなくても決して我が家の敷地から出ることなく(基本的にモルモットは臆病な生き物なので、安全だと分かっている場所から逃げることはまずないのだが、植え込みの中などに隠れて出てこなくなるモルは結構いる)、部屋に戻りたくなると玄関まで来て網戸を開けてくれるのを待っている。
#超かわいい・・・




(ひなたぼっこしながら、ウトウト)

 11月下旬生まれの三毛も、すっかり大きくなった。体重は900グラムと、ほぼ大人の体格だ。

(空手着姿で寝そべった子どもの上でくつろぎ中)


(子どものベストに潜り込んで、袖口から顔を出している)

 でもって、本当に唐突ながら、私の祖父の話である。人間についてというか、人生についてというか、いろいろ思うところがある今日この頃。話を分かりやすくするために何回かに分けて、まずは祖父について書くことにする。
 以前にどこかに書いたかもしれないが、私の祖父は誰もがうらやむ大往生を遂げた。私が17才の夏、亡くなる前夜は家族と一緒に普通に夕食を取り、翌朝、居間にあったお気に入りのマッサージ椅子に座り、眠るように亡くなっていた。享年74才、当時の日本人男性の平均寿命である。70の時に胃がんで入院したものの、退院後は驚異の回復を見せて直後から普通に食事。ガンが再発や転移することもなく、家族に世話を焼かせることもなく、実に安らかに大往生。
 いや、実のところ、祖父は若い頃にさんざん家族に迷惑をかけたり世話を焼かせたらしい。大酒飲みで酒癖が悪かった。かなり若い頃の話だと思うが、酔っ払って選挙の看板を壊し、所属していた横須賀の海軍をクビになったそうである。
 おまけに頑固で意固地で、就職してもすぐに喧嘩して辞めてきてしまう。
 私が物心ついた頃には祖父はもういい年で、酒もそんなに飲まなかったし、どちらかというと物静かだった。ただ、頑固で偏屈で、ちょっと気に入らないことがあると誰とも口をきかず食事もとらず、自室の万年床に座り込んでひたすらテレビやラジオを視聴していた。今考えると笑っちゃうような、ちょっとあり得ないような、まるでガキみたいな、わがままじいさんである。
 でも決して性根が悪いわけではないし、優しさや正義感はちゃんとあった。私の甲斐性無しやひねくれた性格は、この祖父の隔世遺伝だと勝手に思っているぐらいで、私はかなり祖父が好きだった。
 祖父は食べ物の好き嫌いも多く、祖母は食事をちゃんと取らせるのに苦労していた。やせてひょろっとした長身で、ヒラヒラという感じで自転車に乗ってどこにでも自分一人で出かけていた。
 ボケもせず、一切の介護も必要とせず、入院すらせず、ある日突然見事なまでの大往生。決して短命だったわけでもない。こんなに素晴らしい死に方があるか?! こんなに家族思いな死に方があるか?!
 若い頃はそれなりに家族に迷惑をかけただろう。年取ってからも偏屈で、決して誰からも愛される「かわいいおじいちゃん」ではなかった。しかし、すべてはこの大往生で帳消しだろう。帳消しどころか、お釣りがくるぐらいの大往生っぷりである。

 うちは親戚づきあいがあまりないので、17才にもなって、私にとって身近な人の死はこれが初めてだった。初めて目の当たりにした死が、こんなに美しい大往生だったもので、私はもうすっかり勘違いをしてしまった。私の家族は皆、誰にも迷惑をかけずに人がうらやむ大往生を遂げるに違いないのだ、と。それが大きな勘違いだったと気づくまでの約30年間、そうと固く信じ込んでいた私はおめでたく、ある意味とても幸せだった。

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