小説 ONE-COIN

たった一度、過去へ電話をかけることが出来たなら、あなたは、誰にかけますか?

窓枠の月

2006年12月31日 | Weblog
 ブラインドの向こうにあるのは、影になった電信柱とその上に濃紺の空に浮かぶ白く灯る月。その月は、ペイントブラシで擦ったようにぼんやりと下の部分が隠れている。今年も後数時間を残すのみ、零時を回れば、年が明ける。いつものように明日が今に変わるだけなのに、なぜか違う雰囲気が溢れている。仕事も休みでいつもと違う日常の中に自分が置かれているからだろうか。一年が、長いのか短いのか、どちらを選ぶことも出来ないけれど、きっと人にとっては、これがちょうど良い時間のくぎりなのかもしれない。
 食べ過ぎても飽きる、少なすぎても不満が残る。そんな感じだろうか。
 月も、この雰囲気の違いを感じ取った上で、今私を照らしているのかもしれない。

 最近、思うことがある。何を思うか。それは、すこしだけ前置きをしてから話すことする。十年も前の話であるが、ある日の夜、夢を見た。知り合いの夢だ。その人が、夢に現れこう言った。
「おまえは、よくやっ・・・。」
 この「や」の後の言葉が何度、何十回、何百回思い返してもはっきりしない。よくやった。なのか、よくやっている。なのか、ひっくり返ろうが、泣き叫ぼうが、何をしようが分からない。十年経った今でも、ふいに思い出し、その答えを探している。
 この二つの言葉の差は、私にとっては、実に大きくて、答えによっては自分の進退すら変わってしまうはず、けれど、未だに答えはもやもやと隠れたままなのだ。
 もし、やっているだったら、これからも、続けなければならない、だろうし、やっただったら、もう、ゆっくりしなさいと言っているように思え、まるっきり違う言葉なってしまうんだ。だからこそ、そこは実に重要で、なぜ私はそんな重大な事を忘れてしまったのだろうかと、悔やんでも悔やみきれなかった。

 結局、十年前に出した結論といえば、続けながらも、その場からは逃げるというなんとも、情けないものだった。あれから、十年経ち、今、またこの問題がここ最近、やけに顔を出してくる。けれど、十年前と変わったことといえば、その答えを考えて答えが見つからなくても、悔やんだり、悩んだりしなくなり、一つの問題として解けない知恵の輪を解くみたいに仕事のお供に持っていく感覚と実に似ていたりする。

 実は、今日も、また高くなった月を見上げながら、年の瀬のいつもと違う雰囲気の中でふと思ったりする。この世の中に、答えがあるものなんて、きっと、ほんの一握り程度だろうと、ならば、こんな難問そうそうに解けるはずがないと、そんなことを思いながら、また、思う。
「どちらだったのかな。」と。
 窓枠から、月が外れていく。

終わり。

お久しぶりです。
ここへ来ていただいてる方はいないかもしれませんが、久しぶりに他愛もないこの文章で更新させて頂きました。最近は、私はといいますと、仕事が方が混乱(笑。極めていまして文章を書くということがなくなってしまいました。
けれど、ここは、まだ残しておきたいと思っています。書きたいものが見つかったらゆっくりとのんびりと更新をしようと考えております。
それでは、良いお年を。


雪が解けるまで 15

2006年03月27日 | 雪が解けるまで
 めまいがした。月が揺れる。一方的だった約束にたぶん頷かなかったはずだ。けれど、約束を告げる声が私に問いかける。どうしてこなかったんだ、見せたいものがあったのに。
 もし、約束を守っていたら何か変わっただろうか。いや、きっと何も変わらない。七年前の私では何も変わらなかったに違いない。
 伊達が私を呼んでいた。めまいは伊達に焦点を合わせると消えていた。伊達が、ポケットから一枚の乗車券を出し私に見せる。店先から漏れる灯りにチケットに書かれた時間が浮かぶ。
「六時二十八分発、そろそろ向かうか」
 伊達が腕時計で確認したのみてから、私は頷き、再び駅へと歩き始めた。陽は暮れ星がちらつき始める。観光客はまばらになり店屋の店主は片付け始めていた。店に灯る明かりが歩道にこぼれている。古い町並みを抜け、大きな駅の明かりがどこよりも光を放ち目立つ。二人はゆっくりとその明かりへと向かう。
「もう、引き返せないんだよな、俺さあ、この事に気づくのに七年もかけた」
 伊達は落ち着きゆっくりと確かめるように話し私は耳を傾ける。
「私達、本当は、あの日から知っていた。けれど、気付かない振りをしていたのかもしれない」
「不器用だよな、俺たち」
「何度も彷徨っては迷い、振り向いては失ったものへ手を伸ばしてもがいて、人を傷つけて、また悩んで苦しんで自棄になって、それでも、考えて何かに気付く事が出来たなら、それが正しいのか間違っているのか分からなくても、それでいい。それで、いいんだよ」
「それが、答えか」
「どうかな、でも、今はそう言える」
 駅を包む光を見つめる。多くの人が吸い込まれては吐き出されていく。三太の未来を消した場所を前に二人は自然と足を止めた。ここで起きた事が運命だったとは思いたくなかった。きっと、伊達も同じ思いだろう。それを認めてしまったら、すべてが定められているからこんなにも苦しい思いをしている事になるし、三太の未来も定めだからそもそもなかったということになる。そんな事は断固反対でプレートを下げて町中を行進しても良い覚悟だ。それに、今日の出来事もそれぞれの覚悟の元で動き出したはずで、もちろん、偶然もあったけれど、それは、必然と偶然を粉々にして混ぜてから半分に割って固めたものぐらいだろう。完全な偶然ではない。運命なんてものではなく、人の想いがそうさせたと私は感じていた。神様は、どんな事もお見通しであったとしても、きっとそこまで親切ではないだろうし、几帳面ではないはずだ。

「ひとつだけ、聞いてもいいか」
 その質問がなんであるのかは、想像がつきそれを濁す必要もなく心臓が跳ね上がることもなく聞き入れる。伊達も緊張感はまるでなく今日の夜どんなテレビがやるかな程度のテンションだった。
「どうぞ」
 答えをいうためのスタートボタン。
「団子屋の写真、あれは、おまえ達だよな」
 質問ではなく、確認。
「うん、三太と私」
 確かにあった事実を答える。
「そうかあ、楽しそうだよな」
 羨ましそうに伊達が笑みをこぼし、釣られて私はおどけてみせる。ふいに伊達の視線が目じりを下げたまま空へ向けられる。
「あっ、雪だ」
 私も空を見上げる。闇の中から雪が舞い降りてくる。灯る街明かりに照らされチラチラと光る。手の甲に冷たさ感じ視線を移すと雪の欠片がそっと乗っていて、じわりと解け、見届けてから手のひらを上へ向けた。偶然舞い降りた雪がちらりちらりと止まる。冷たい筈の雪はほんのりと暖かい。手のひらが温かいだけもしれない。その姿を伊達は見つめ、二人は、再び舞い降りてくる雪を見上げる。
「伊達っち、結構楽しかったよね、三太がいて、伊達っちがいて、私がいて」
 毎年、雪が降る度に胸が締め付けられた。何年経っても変わらずに続きミシミシと音を立てた。でも、これからは、締め付けられる想いの中に、確かにあった楽しい思い出も一緒に思い出せる気がした。

 団子屋に飾られていた写真を思い出す。
 朱色に染まった一面の雪、真ん中をつきる真直ぐと伸びる一本道。舞い降りる雪の中を歩く二人。寄り添うように伸びる長い影。空へと伸びる三太の手が雪を掴もうとしている。私は三太を見上げていて、二人の姿は暖かくて、恥ずかしくなるようなものだった。夜を迎えるまでの、ほんの束の間の時間を切り取った七年前の二人で過ごした時間がそこにあった。この写真がいつどんなときに撮られたものなのかは分からない、思い出すことも出来ない、そう、こんなふうに二人はいつも一緒にいたのだ。

 伊達が、三太がよく手を伸ばしたように、雪の欠片を掴む。
「これって、子供っぽいよな」
 照れながらいうと、二人は顔を見合わせ噴出した。



 駅から出ると体がぶるっと震えた。人はまばらで誰もが足早に駅から去っていく。店はすべてシャッターを下りていて、最終の電車が行き後は一日の終わりを告げるだけのようだ。零時を回っていた。外は朝放り出されたぐらい寒かった。夜が深まったから寒いわけではないようだ。黒い空から白いものがチラチラと落ちていて私が雪を運んできてしまったのかと一瞬思ったがそんなわけはない、それは天気の問題で低気圧が寒気を吸い寄せたからだろう。さて、今、この道の先の自動販売機の前に立っている人物との出会いは偶然だろうか。
「偶然だね」
 自動販売機から出てきた缶を屈んで取った風間の顔が上がる。夜中に自宅から数十分かけてわざわざ缶ジュースを買いに来る根拠などない。分かっていながら、こんな言葉をかける。そう、会話のスタートボタンみたいなもので、それが矛盾してようがなんだろうがどうでもいいことなのだ。
「偶然だな、お帰り」
 缶を手のひらで包みこむように持っている。白い息が漏れ、はにかむ。私もそれに答える。缶を持つ手がとても冷たそうだった。
「はあ、ひどく疲れた。人生の中で一番長い一日かも」
 なんだか気恥ずかしくなり愚痴からこぼし、大げさにおもいきり大きなため息を吐く。照れ隠しのつもりが突然、体も頭も二・三日寝ずに動き回ったような疲労が押し寄せてきた。
「そうか、ご苦労さま」
 私は風間にどれだけの苦労をかけていたのだろう。今日一日を何を思い過ごしていたのだろうか。風間は、私が持つずしりと重いリュックに手を伸ばし右肩に引っ掛けた。何も聞かない風間に何をどう話せばよいのだろう。
「証明。ほら、数学で証明問題ってあるでしょ、あれを解いているような一日だった」
「それで、解けたの」
「まあね、でも、答え合わせはもうしばらく先かな、見つかるとも限らないしね」
 雪がやんだ。空を見上げる。もう落ちてこない。この雪に気付いた人はどれだけいただろうか。私と風間と他の誰かだ。風間と並びながら歩き、凍て付く寒さに、朝置き去りにされたときの事を思い出しどれだけ驚いて戸惑ったかや、リュックが重くて肩に食い込んで肩が凝ったなど、くだらない話を延々続け、風間は頷き笑い、なぜそうなってしまったのかを勝手に解説してみせる。

 遠くに風間の部屋の明かりが煌々と灯っているのが見えた。誰もいるはずのない部屋の明かりがまるで灯台のように灯っている。
「風間さん、今度みたらし団子三本奢ってよね」
「ああ、二本おまけで五本でいいぞ」
 考えるそぶりも見せず、即答だった。忘れることがなかったのかもしれない。
「とりあえず、コーヒーを」
 風間がポケットから取り出した缶コーヒーに手を伸ばし掴むと思わず声をあげ落としそうになった。キンキンに冷えていた。声を上げて風間は笑いながら、ボタンを押し間違えたと言い訳をする。私は、再び風間のポケットに冷たい缶コーヒーを押し込んだ。押し問答をしばらく続け私は数歩先に駆け出して振り向く。
「ありがとう」
 髪が乱れるほど勢いをつけ、体をくの字に曲げ深く頭を下げていた。ドサクサに紛れて精一杯感謝の気持ちを全身で表した・・・が、轟音と共に風が巻き起こった。大型トレーラーが車道を通り過ぎていく。風が収まると竜巻の後のように静まり返り、排気ガスの匂いが充満し、髪は重力に逆らい乱れ二人は立ち尽くしていた。風間には聞こえなかっただろう。ドサクサに紛れたのが悪かったのかもしれない。仕方ない勇気を振り絞ってしっかりと言おう。風間が一歩踏み出し、私も一歩風間の方へ踏み出した。



おしまい。


中篇これにて連載終了です。
三ヶ月間ありがとうございました。
しばらく、不定期更新になります。
それでは、春色が溢れ始めた今日この頃から感謝の気持ちをこめて。 
          三日月



雪が解けるまで 14

2006年03月20日 | 雪が解けるまで
 伊達は、確かに私を見ているが相変わらず動こうとしない。私は伊達の方へ歩きだす。伊達も息を切らしているようだ。肩が上下している。私を追いかけたのだろう。
 近づく程小さな顔がより小さく広い肩がより広く見える。いつもこの小顔が皆羨ましく、肩幅が不自然に広いから顔が小さく見えるだけだと皆でからかっていた。
 伊達の目の前に立つ。顔を見上げる事はしなかった。コブシを作り、それを振り上げ力一杯左肩へ打ち付けた。力は分厚いコートを通り越し伊達の体の中を行き交う程の鈍い響くような音が鳴った。通りすがりの人が驚き体をぴくりとさせる。コブシの表面が俄かに痺れている。伊達の体は、少しだけ後ろに傾いただけで、足元は動かす事無くそのまま張り付き、吐息すら漏らす事無く、すべてを吸収してしまったように思え、この肩幅の広さはそのためにあるのだろうかと考えてしまった。
 痛みを堪える仕草も見せない伊達を見たとき、私の方が崩れそうになった。全身から力が抜けそうになる。私が打ちつけた伊達の肩が動きその腕が私の肩へと触れ、私は伊達の顔を力なく見上げた。
「相変わらず、肩幅、広すぎ」
 私は力なく笑い、伊達の口元がゴメンと動く。二人が見えていないかのように力が有り余った観光客が騒がしく通り過ぎていった。このゴメンを声で理解したのか、動きだけで理解したのかは分からないが、私は確かに受け止めて口元を再び緩めていた。張り詰めていたものが次々に綻んでいく、そんな感覚に陥っていた。

「伊達っち、失神してもいいよ、痛いと言ってもいいんだよ」
 伊達の言葉を受け止める事に私は私であるためにこうするしかなかった。伊達は痛みを感じないような強靭な人間になったわけじゃなく、失神した時と同じだけ痛みを感じているはずで、だからこそ、その反動が私に流れ込む。心臓をきゅっと握られてしまったかのように苦しくなる。いっそうのこといつものように失神してしまったほうがどんなに楽だったのだけれど、それが、この七年の伊達の苦しみを物語っていた。塗り固めてしまった心が、このコートの下にある。伊達の胸が大きく膨らみまた元へ戻り、ふっと笑った。

 二人は肩を並べ、しばらく何も語らずに歩いた。陽が落ちると急速に空は濃紺へと変わり暖色は消える。二人を映し出していた影は、店先や街路灯の明かりにぼんやりと張り付いていく。ふとみると、隣を歩いていた伊達の姿はなく影だけが置き去りにされていると思ったら、店先に出ていたスタンド看板の陰であることに気づき後ろを振り返る。
 ゆらゆらとはためく団子と書かれたノボリの前に伊達は立ち止まり、人一人分と団子を焼くスペースだけがある瓦屋根の小さな建物の中へ視線を向けている。伊達の横顔は何かを真剣に見ていて私の存在を忘れているようにさえ見えた。何秒程経ったのかは分からないが、伊達の視線が私へ向けられるとその団子屋を指差した。
「食べていこう、奢るよ。一本」
 伊達は、私の返事も聞かずにポケットの中へ手を突っ込み、小銭でも探しているのか次々に三つのポケットを探した。私は、店の横にあるコの字型の塀で囲まれたスペースに移動する。そこは、三方に細長いカウンターがついていて、椅子はなく、奥の塀には長方形に繰り抜かれ塀の向こうにある柳の木やうっすらと流れが見える川面、明るさを増す月が見える。私はその前に立ちカウンターに肘を乗せ、もたれかかるようにその景色を見つめながら伊達を待つ。
 香ばしい匂いに自然と誘われ出された団子を受け取る。
「いまだ変わらず六十円だった」
 伊達は背をカウンターに向けながらブツブツと安すぎるだのやっていけるのかだのと続けた。所々聞き取れなかったけれど、とりあえず頷き団子を食べる。醤油味にかりっとした団子の表面が口の中で広がるたびに懐かしさが増す心にも染みこんでいく。
「今日さあ、目が覚めたらこの街にいたんだ、始めは夢かと思って、でもどうやら現実だって事に気づいたのはいいんだけれど、歩くたびに時間がさあ・・・。七年前に引き摺り戻されたのかと錯覚して、今、私は、いったいどちらの時間にいるんだろうって真剣に考えた。でもね、当然ながら三太がいなくなってからの七年を過ごしていたのは変わることない現実であって、まあ、内容はどうあれさ。でも、思いはいろいろな場所に置き忘れていたみたい。結局、拾い歩いた一日になってしまった」
 冷めかけの団子を冷める前に口に入れる。みたらし団子は一粒が小さいので一本では当然物足りなくなり、おまけに香ばしい醤油味が後を引くものだから、どうしても、もう一本食べたくなる。伊達は手持ち無沙汰に串を持っていた。
「俺さあ、結局卒業して一年も経たないうちに、ここを出たんだ。苦しくなって、それが耐えられなくなった、それから、今まで数える程しか実家に戻っていなし、逃げたんだ」
 月が川面に移り揺れていた。冷たい風が柳をゆらゆらと揺らす。
「よし、今度は私が奢るよ」
「ああ」
 伊達の串を受け取り重ねてゴミ箱に捨て、店の前へ経つ。赤く光る炭火が、じわじわと団子を焼き、お婆さんが器用にクルクルと回し焦げ目を付けていく。
「団子を二本下さい」
 財布から百二十円出すと、差し出された皺くちゃの手のひらに置く。手元の横にある籠の中へ入れられた。
 小さな店の中へ視線が止まる。壁に掛けられた額に釘付けになっていた。
「はい、お待ちどう、熱いからねえ」
 お皿に乗った二本のみたらし団子から湯気が上がる。それを受けとりお婆さんに笑顔を返し伊達の元へ戻る。
「どうした」
 伊達にみたらし団子を出しながら、首を横に振ると伊達は団子を口に入れ噛もうとした瞬間に動きが止まり、音を立て空気銃のように団子が一つ飛び出した。飛び出した団子はコロコロと転がっていき伊達は追いかけ飛びついた。
「三秒以上経っているよな」
 小石が塗された団子を指先で摘みながら顔を真っ赤にして立ち上がった伊達は、失神こそしなかったが明らかに団子の熱さに動転している。私はその姿に久しぶりに呆れ団子を食べながら背中を向け再び揺れる月へ視線を移した。


「なんだよ、随分落ち込んでいるな、彼氏と喧嘩でもしたか?あのさ、頼みがあって、明日みたらし団子三本奢るから、見てほしいものがあるんだ、いいかな」
 街を出る少し前で、三太が亡くなった少し後だった。その頃頻繁に街で見かけ、いつのまにか話すようになったカメラを提げた男性がそう言った。けれど、私は団子三本を奢ってもらうことはなかった。



thank you・・・。
さあ~て、ラスト一回です。次回は最終回ですっ!!
春が本格的に来てしまうので・・・。

雪が解けるまで 13

2006年03月13日 | 雪が解けるまで
 冷静になれ、冷静になれ私。もう大丈夫だと三太の母に伝わるようにまっすぐ前を見て歩こう。手足は交互に出ているよね。肩に力が入り過ぎているかな、でも、ぎこちなく見えないよね。振り向いて笑いかける事は出来ないけれど、これが私に出来る精一杯の事だった。でも、中身はボロボロで、いつの間にか空がオレンジ色に変わりだした事も、影が長く伸びている事も、観光客が疲れた顔になっていることも、風が冷たさをましていた事も、何一つ気づく余裕すらなく、自分がどこにいるのかさえ分からなくなっていた。
 気持ちが昂って涙が溢れそうになったとき、どうして駆け出してしまうのだろう。それはドラマでよく見る光景だけれど、一概に間違っているわけでもなさそうで、大げさでもないようだ。もう、三太の母からは見えていないと考えた瞬間に、涙を堪えるために行く当てもなく駆け出していた。これが、ランニングコースならさほど目立ちもしないのだろうが、ここは町一番の観光名所で風格のある長屋の店が道を挟みまっすぐと続き、その道は歩道専門で脇には水のせせらぎが聞こえる。丁寧に雪かきがされているのか雪は所々にしか残っていない。観光客はのんびりと連なる店を眺め時には足を止め楽しんでいる。そんな場所を、私は全速力で駆け抜けていく。始めは人を避けながら走っていたが、すぐに、走る音と振り子のように揺れ動くリュックに不信感を抱かれ警戒され自然と行道が開かれていた。しだいに息は切れどこまで走ればよいのか分からなくなり観光客の視線は私へと注がれ続ける。
「ユキノハラアアアア」
 ユキノハラアアアア・・・YUKINO HARA・・・原雪野。私の名前だった。


 頭が妙に小さい男が、となりの席に偶然座り名前を聞かれた。
「野原の原に、雪が降るの雪に、野原の野で、原雪野」
 私の説明に、妙に顔の小さい男が机の上に直接カツカツとシャーペンで私の名前を書いていく。全部右肩上がり角ばった文字だ。最後に付けられた溶けて形が崩れたようなハートマークにあえて触れない。
「ローマ字にすると、ゆきのはらだ、これ確信的でしょ」
 ハートマークを、丁寧に塗りつぶしながら話す姿が、面倒になり、知らないと答える。でも、さらさら話題を変える気はないらしく、今度はローマ字の下に、漢字で雪野原と書いてにやにやしている。そして、また読み上げた、やや気持ちの悪い男だと思い始めていたとき、男の肩が突然捕まれ後ろへぐいっと引かれその勢いで体が椅子ごと傾きそのまま倒れた。後ろの席から突然飛び出してきた男は、頭の小さな男が書いた文字を不自然な体制のまま乗り出し読み上げた。
「雪、野原、清清しくて気持ちよさそうな名前だな。ちなみに俺は三太って言うんだ、長男だけど三太」
 倒れたままの妙に頭が小さい男は、倒れているのにいまだ、椅子に座ったままでぼんやり天井を見ているのかと思ったら気を失っていた。

 伊達強志は、体格も良いし名前も強志であり、負けるところ敵なしのように思われがちだが、誰よりも痛みに弱かった。つま先を柱の角に掠らせただけで、うなり声を上げて蹲っていたし、雪の日に調子に乗って自転車に乗り、案の定転び、体を強打したときは痛みに驚いて気を失った。カッターで指先を切った時は、指先を包帯で保温するくらいグルグルと巻きつけ号泣していた。初めて会った時も、椅子ごと倒れて気を失い、とにかく痛みにめっぽう弱い迷惑な男なのだ。けれど、私は伊達強志の失神のおかげで三太と多々話す機会が生まれたのも事実だった。


背中へ投げつけられたような言葉。それが私のブレーキになる。流れに投げ込まれた二つの石。流されることなく動かない石。流れは仕方なく石を避けて流れる。
 立ち止まり振り向くと動く観光客の中に、茶色いニット帽を被った男性が立ち動く事無く私を見ていた。ニット帽を被った男性の前にいた若いカップルが退くと姿を現し、ニット帽を被り、いつもにもまして小顔で人一倍肩幅が広く、皮のコートを着込んでいるせいか不自然に広すぎる。その上背が高い一見モデル並みのスタイルの伊達強志がそこにいた。三太の親友だ。懐中時計を私に渡した男だ。
 連なる軒先からカラスが翼を広げ飛び立つ。その向こうには金星が光を放っていた。

 転がった缶コーヒーがこつんとつま先に当たる。電話が鳴りそれを取るとすぐに友人の部屋を飛び出し病院へ駆けつけた。訳が分からず息を切らしたまま立ち尽くしていたが、動けなくなったのはそれだけではなく、一斉に向けられた視線、その中で一際恐ろしいものは母親と伊達だった。伊達は手にしていた缶をソファに置き捨て私と視線を合わさぬまま歩いてくる。足元の缶を拾い上げ、腕をきつく掴み誰もいない廊下へ引っ張っていく。体は意思に反して引きづられていく。
 誰もいない休憩フロアの壁に肩が強く当たり痛みが走った。伊達は、何も言わずに捨てるように手を離す。
「何をしてた?おまえ何してたんだよ。どこ行ってた」
 押し殺していた声は、しだいに強さを増し鋭くなり私を混乱させる。
「どこって・・・それより大丈夫なの、ねえ・・・大丈夫だよね」
「聞こえ・・・どうして、聞こえなかったんだよ。どうしてだ答えろ」
 怒りに声を詰まらせながらも激しく怒鳴る伊達に通りかかった看護師が立ち止まり声をかける。引きつった顔をした二人はただ頷くだけしか出来ず、伊達は、今にも私に殴りかかりそうな勢いだ。振りあがった伊達の腕は、再び私の腕を掴み引きづられるように非常階段に押し出される。
「見た奴がいるんだよっ、お前がバス停にいて、駅にいたあいつがお前を追いかけたことを。水色のダウンを着たおまえが、バスに乗る姿を見たやつがいるんだぞ、見送りに行ったんだろ、なんで声をかけねえんだよ。どうして、気づかねえんだよ、あいつの声が聞こえなかったんだよ」
 掴まれたままの腕が突き放されたとき、トレーナーの袖は伸び腕は痺れ伊達が持ったままの缶がグニャリとへこみ私が口を開こうとすると一方的に帰れと吐き捨て、背中を向け非常階段が揺れるほどの勢いでドアを閉めた。私は一人残されその場に崩れ落ちた。その扉は開かれる事も開く事もなかった。



thank you・・・
今日は、突然雪が舞いました。春一番が吹いたはずなのに。
そんなわけで、どんなわけで?そろそろ、この物語も終わりが近いです。
もう少し、つづく。

雪が解けるまで 12

2006年03月06日 | 雪が解けるまで
「葉書届きました」
 小さく呼吸を整えてから言葉を並べた。たぶん、三太の母の耳の中へ入っていただろう。
「ごめんなさいね、うっかり忘れてしまっていて」
 今の面持ちから考えても似合わないほどさらりと言いのけた。言葉が返せず絶句してしまった。うっかり忘れてという言葉は、三太の母の口癖なのかもしれない。それとも、三太の口癖を母が真似をしてみたのだろうか。そんなことを考えてから、ここで使われたうっかり忘れるという意味について頭の中で回転させる。上から見ても下からみても横から見ても三百六十度横転してみせても、ただのうっかり忘れてだ。
 今まで連絡を取ることをうっかり忘れていて、それは絶対に違う。でも、このうっかり忘れてという言葉のおかげで、なぜ、私に出したのか問う道は絶たれたように思えた。結局、そうですかと答える他ない。私の顔色は三太の母にどう映っているのだろうか。
「もし、都合がついたらだけど、久しぶりに顔を見せてあげて、あのおっちょこちょいに」
 三太の母の声は、同じトーンでやさしかった。まん丸の懐かしい声だ。でも、膝の上に置いた手の人差し指は、重ねた指をしきりに擦っている。私の心は、ドクンドクンと跳ね上がっていく。自分の呼吸が乱れているのは、あからさまに白い吐き出される息で分かるだろう。けれど、三太の母は、出来るだけその動揺を隠すように事故前の彼女のように明るさを装っていて、いつのまにか私は、三太の母にですら気を使わせてしまっているのだ。事故の事実も後に知ったに違いない。もしそれが本当ならばしっかりと伝えなければならないと私は大きく息を吸い込んだ。
「三太が追いかけたのは、やっぱり私だったんです」
 事故の日から、何度も何度も同じ事を聞かれ責められ続け、そのたびに私は、首を振り続けた。バス停にいたのは私ではないし、三太は私を追ったわけではない。現に私はそこにいなかったのだと。でも本当は、そうであってほしくなかっただけだ。でも、それが三太の見間違えであっても、三太が追ったのは私だったのだ。私の背中を追い、私の名前を叫び、何も知らずにいなくなってしまった。
「あの子も、もうそろそろ思い出すかもね。うっかり忘れていたって」
 そうですね。また同じ。レパートリーが少なすぎる。情けなく不甲斐ない。堪らず立ち上がっていた。人目を憚らず大きく深呼吸をする。
「いつか、顔を見せてあげて、デート中でも構わないから、あっ家族旅行の日程に入れてくれてもいいわね」
 橋へと視線が飛びその先に茶色いニット帽を被った男性の後姿へ視線が止まった。下から見上げているので上半身しか見えないが背が高いせいか他の人よりも目立っている。どうして、その人へ視線が飛んだのかは分からない、偶然だったのかもしれないし、何かを感じたのかもしれない、けれど、今の私にはそれを明らかにするほどの余裕はなかった。むしろ、もう駄目だった。言葉のひとつもでなければ三太の母の顔すら見ることが出来ない。腰骨に微動する何かを感じ、それが懐中時計だと気づいた。ポケットに手を入れそれを握る。秒針が定期的に動いている。こんなことなら、あの時計博物館の館長にこの時計が止まる三十分前に巻き戻してもらえばよかった。そうしたら、私は事故の朝コタツの中で眠り込んでいるとき、友人がトイレに立ち上がった時、それに気づいていた私も起き上がって部屋を出て駅へ見送りに行き、しっかりと別れを告げ、お互いの道をごく普通に過ごすことが出来たはずだ。三太の未来はまだ続いていた。何千回、何万回と考えた事だった。けれど、そんな事が起きるわけもなく、虚しくなって苦しくなって悲しくなるばかりだった。こんな事だから見兼ねた皆が私をここへ置き去りにしたのだろう。
 ならば、三太の母も、私のためにこの場所で待ち話しているのか。七年の時間は、皆も同じ時間だけ動いていた。それらの時間、何を思い過ごしていたというのか、ただ何もせずにいる事は不可能だろうし、そのたびに折り合いをつけ時には、苦しみ迷いながら・・・、迷いながら過ごしてきたはずだ。やっと気づいた、私は、とんだ自分よがりだった。三太の周りにいたのは私や三太の家族だけではない。皆、自分のために、答えを探そうと決め立ち上がったのだ。

 この感触を忘れないように、手のひらの中にある懐中時計を強く握り確かめた。指先にある細胞がコンマ何秒の振動も取り逃さないように。すべてを忘れないように。


 橋を渡る彼女を、ベンチに座ったまま見送る。気力を使い果たしていた。彼女は一度も振り向かずに前を見て歩いていく。何度も何度もこのときを想像し、どんな言葉をかけようか毎日迷い悩んだ。言ってしまった今も、それが正しかったのか間違っていたのか、分からない。ましてや、私の思いとは裏腹にまったく違った意味で彼女は受け取ってしまったかもしれない。けれど、今、手のひらの中にあるこの懐中時計が、そんなに間違った方向へはいっていないと物語っている。耐え切れず立ち上がった彼女を前にしたとき、また間違ってしまったと後悔したが、彼女が懐中時計を突然取り出してみせ、私へ差し出し、それを受け取ると、動き出しました。とだけ、無理やり笑顔を作りリュックが頭にガツントぶつかるほどに深々と頭を下げその場を後にした。息子が気に入っていた懐中時計が、再び動き出し私の時間もスムーズに動き出してくれたように思える。彼女を疑い、罵り傷つけ、苦しい七年にしまったのは今も消えない、これからも。でも、謝る事も、彼女の幸せを願う言葉もしっかりとは口に出来なかった。それは、また今度会えたときに持ち越そう。
 彼女は橋を渡りきり姿が見えなくなった。その姿をぼんやりと思い浮かべていると橋の中央辺りを歩く茶色いニット帽を被る男性が突然駆け出した。背が高いのか他の観光客に比べ頭一つ出ている。駆け出したニット帽の男性はあっというまに消えてしまった。あの後姿に見覚えがある。今日という日が、二人にとって幸せへのきっかけに為れば良いねと、息子がよく見ていた景色に話しかける。

 川面がキラキラと瞬いた。


thank you・・・。
まだまだつづくと言いたいところですが、ゴールは案外近いです。でもまだつづく。

雪が解けるまで 11

2006年02月27日 | 雪が解けるまで
 どうしてここにいるのですか。ずっと、このベンチで何をしているのですか。それとも、誰かを待っているのか、その誰かは私ですか。七年経った今、何か責め忘れた事を思い出しここで私を罵ろうとでもいうのですか。それとも、あれからずっと積もり積もった恨みでも晴らそうというのか。そうだ、あの葉書。私の元へ送られてきた七回忌を知らせる葉書。あれだって、七年の間ずっと彼の影すら私に触れさせなかったあなたが、なぜ、今になってそんな葉書を送ってきたのですか。公場に、誘い出し何らかの方法で償わせようと考えているのですか。

 どうして、このベンチなのですか。彼が育ったこの街には、思い入れのある場所は無数にあるはずで、あえて彼の母は、いまこの場所を選んでこうやって何も言わずに座っている。彼の母は、時々こんな風に座って何かを思い起こしているのだろうか。私と彼がいつも一緒にいたこの場所で。これは、私へのあてつけなのだ。私が彼の姿を待ったように、彼の母も彼が座っていた場所に座りあの時の姿に自分自身を重ね合わしているのかもしれない。消えるはずのない悲しみと恨みをいつも胸に貼り付けながら、逃げるように離れていった私を引きずり戻そうとしているのだ。

 問い質せるはずがなかった。何も言わずに、川の流れを眺め、隣に座りながら七年前の華やかさは消え、柔らかさもなく、怒っているわけでもなく、何かがぴたりと止まってしまっているそんな表情だった。
 ひとつだけ分かっているのは、このベンチは冬にたった一人で座るには寒すぎます。

 私はどうすればよいのか。それを受け止めるべきじゃないのか。明日になれば、再びこの街を離れ、今ある世界で暮らし生きていくのだ。風も匂いも違う世界を歩く。この振り落とされた世界に残された人を受け止めるべきだ。
 まてよ。私にそんな権利がどこにある。私自身、誰かを受け止められる程の心など持ち合わせていない。この七年間の私の苦しみに比べたら、彼の母の方がずっと苦しんだに違いないのだ。そんな私が受け止められるはずなどないのだ。

 連なる屋根の上にある雪を傾いた太陽が照らす。それを見ながら答えを求めた。
 彼の名を久しぶりに心の中で呼んだ。
三太、私はどうすればいいのかな。
 

 雲行きが怪しい空の下、ベンチに座る二人の間にはバック一つ分の隙間が開いていて、冷たい風が気がつくと通り抜けている。そのたびに体がぶるっと震え上がる。私は、腰を浮かしバック一つ分横へずれ、三太に体を寄せた。横においていた鞄へ手を伸ばそうとしたとき、ベンチの上にポツリと雨が落ち丸く滲む。またひとつ落ち滲む。
 空を見上げた。流動するグレーの低い雲から、透明の針がすい・すいと落ちてくる。私に釣られ三太も見上げ、雨だとぽつりとつぶやき、手のひらを空へと向けその針を掴む努力をする。
「雪じゃなくて雨か。なあ、ブリあるだろう。魚のブリ。あれって出世魚だからブリになる前にハマチやメジロの段階踏んでブリになるんだ。この雨も、凍ると雪になるんだよな。これって、うっかり忘れがちな事だろ」
「だろって、雨は出世してないと思うけど」
「でも、うっかり忘れているだろう」
「だろうって、おたまじゃくしが蛙になるみたいに」
「おまえ、そんな簡単な事を、うっかり忘れているのかよ」
 畳み掛けるような雨が、激しい交響曲のようにピッチを早め振り落ちてきた。三太は私の手を掴みながら立ち上がり橋の下へ向かって駆け出した。
 ほんの数秒だったにも関わらず、橋の下に辿り着くと辺り一面雨に濡れ連なる屋根のトヨからは雨が流れだし、くだらない話をしなければ前髪がぺたりとおでこに張り付くまで濡れずにすんだに違いない。橋の上でも、突然の雨に驚いた観光客が騒がして掛けていく。あまりにも激しく落ちる雨に三太と私は手を繋いだまま見とれていた。
「忘れてといえば、私、忘れるを書くとき、忘を忘れるんだよね」
 この雨音に、なんら共通点はなかったけれどふと思い出し言葉にする。
「なんだそれ、早口言葉か」
「それで、決まって思い浮かぶのが、笑うで、忘れるを書こうとすると笑うが出てくるの。不思議でしょ」
「あっ。ほら」
 私の話はすっかり忘れられる。土砂降りの雨は威力を半減させ失速し、その中にちらほらと舞い始めた雪が混じり、雨は完全に勢力を失いあっというまに雪へと変わった。三太は自慢げに、なっそうだろ。と言った。何がそうなのかは考えず、真っ先に目に飛び込んだのは、ベンチに置かれたままの二人の鞄だった。私はそれを指差した。
「うっかり忘れていたね」
 三太は、蛙が潰れたような声を出した。



thank you・・・
まずい・・・春になってしまう・・・でも、まだ、つづく。


雪が解けるまで 10

2006年02月20日 | 雪が解けるまで
 再び街の中。ガードレールの影が茶色くなった雪の上に張り付いている。その姿をみて空を見上げ太陽を探す。少し傾いてきている。午後を知らす。冬は早く落ち夕方には夜が姿を現す。時間とは釣り合わずすぐに暗くなる。
 低いビルが並び、十字路に道が走りその向こうに街を分断する小さな川がある。車で通り抜けてしまえばあっという間すぎて川があったことさえ気づかないような川。
 十字路に差し掛かり、柳の下を通り川沿いに歩くことにした。上流に向かって歩くと観光名所の古い町並みに突き当たる。川岸は、整備され遊歩道になっていた。土手の上は建物裏手に当たり軽自動車がやっと通れる程の狭い道幅で、住人以外は利用していないだろう。食べ物屋の裏手はたくさんのダンボールが積み重ねられていたり、ビールのケースが並んでいたりする。錆びた自転車に配達途中の軽トラック、ロープに掛けられた同じネームが入るタオル生活が生々しく感じられるが、あえて遊歩道を見下ろしながらその道を歩く。
 ぽつりぽつりと柳の木が植えられている。スコップが立てかけられていたり、ハンガーが掛かっていたりと、まるで家具の一環のように利用されている。耳がやけに長くふさふさな毛をした雑種犬、やや柴犬風が赤い紐で繋がれていた。これは犬小屋代わりだろう。私の足音に気づき一度は顔を上げたがすぐに体を丸めてしまった。私には興味がないようだ。うぉんくらい言ってくれてもいいのに。
 立ち止まり柴犬風の雑種犬の前で屈み隠れた顔を覗き込んでみる。気配に気づいているはずである、動物的反応はなんらなく無視の連続、ふさふさな耳へ手を伸ばし撫でて見る。ぴくぴくと動き揺れはしたが相変わらず寝たまま、今度は頭を撫でて見る。どうだ、これで起きずにはいられないだろうと、ひっそり笑った。

 反応を待ったが期待したものは何一つ起こらず、馬鹿にされているのではないかと、がっかりとうな垂れたとき、だれきっていた犬の筋肉が硬くなりビクンと跳ね上がった。よく音楽番組でステージ下から、ぴよ~んと飛び上がるみたいに。二十センチ程体が宙に浮き着地し背筋を伸ばした。何が起こったのか突然やる気がみなぎったようだ。あまりの変わりように思わず体が仰け反り手を付いた。
 尻尾が取れそうなほどグングンと振っている。遊んでほしいのだろうか。話しかけようとしたとき、けたたましく鳴き始めた。首に付けられた紐を引きちぎれんばかり、柳の枝がブラブラと揺れ、めいっぱ引っ張り間違いなく私ではない他のものに視線は釘付けだ。振り向くと、地べたを摺り足で動くビーグル犬が飼い主のおばさんに連れられやってくる。
「君さあ、分かりやすい性格だな、良かったね、待ち人来たるで」
 話かけても、聞いていない。ぐるぐるその場を回り自らのロープに絡まり二度三度体を締め付けられてもくじけず喜びを現す。私は邪魔者であるようだ。立ち上がり、その場を去る事にする。
 換気扇の古いのか、カツンカツンと何かにぶつかるような音がする。飲食店なのだろう。回った換気扇からラーメンの匂いが吐き出されている。その横の鉄のドアがガタリと音をたて開き白い服を着た男性が二人姿を現した。外に出るとまたしても私がいないかのように、二人の視線は他所へと向けられる。手には缶コーヒーを持っていた。
「おいっ、まだあのおばさんいるぜ、朝からだぞ」
 小太りの男性が眼鏡の男性にいうと、二人はその方へ視線を向ける。
「ほんとだ、なにしてんのかな」
「知らねーよ」
 二人の興味は一瞬で消え、すぐにゲームの話へと変わった。缶コーヒーを開け一口二口飲むと反対へ歩いていく。
 寒々とした遊歩道。間隔をあけて備え付けのベンチがある。雪はかろうじてないがこの寒さ、冷たい風が吹き抜けるベンチの上で休憩するような人はいない。ここまで一人もいなかった。でも、次に見えるベンチには黒いコートを来た人が一人座っている。置物のように座り川の流れを見ているようだ。あのベンチを好む人が私たち以外にもいたのだろうか。七年経った今も。しかしながら、よりによってあのベンチなんてと胸が締め付けられた。

 キャンキャン吠える犬。私が邪魔だから早く去れとでも言っているかのように、まくし立てる。犬に腹立たしい視線をやり前へと進んだが、この声がベンチにいる人に届いたのかその固まっていた背中が動きゆっくりと顔が向いた。その視線は、私の姿を捉えぴたりと止まり、私は、唾をごくりと飲み込み突然重くなった一歩を踏み出した。


THANKYOU.
夜中にふくらはぎが二回攣った。痛かったがつづく・・・。

雪が解けるまで 9

2006年02月13日 | 雪が解けるまで
 さて、今更どんな顔を下げて本殿で参拝ができるというのか。運が良いのか悪いのか、神主は見当たらない。いるのは寒空の下になぜか旅行バックを持ち、きっちりネクタイを締めた年配のサラリーマン一人で、コートでも着たほうが身のためだと思いながら目を合わせないように通り過ぎた。とりあえず、イチョウの木へ向かおう。正直何をしにここへ来たのかまだ分からない。けれど、そもそも今日は早朝から想定外な事の連続で、あの雪に囲まれたバス停に放りだされた時点で不自然な歯車はガタゴト回り始めてしまったのだから、今はもう開き直り諦めに近い。

 本殿を囲むように、雪を掻き分けた溝程度の道はあるが、どうもイチョウの木の周りまではその溝は延びていない。真っ白な雪がしっかりとひかれている。
 観光客は誰もこの雪の中へ踏み込んでまで入っていかないだろう。この神社を守る人たちもそこまで管理しきれないのかもしれない。しかし、進入禁止を示すものはない。

 道と斜面との境は僅かしかない。雪がフラットに近い場所の下には道があるはずだ。踏み入れていない雪の中へざくりと踏み込む。靴の同じ形の穴が開いていく。慎重に前へ進む。踏み外したら、そうそう発見が遅れるに違いない。斜面を良く見ると、小動物であろう小さな足あとが伸びている。イチョウの木への来客は動物しかいない。メインのイチョウの木の枝には雪のマフラーがしっかりとされ、起用に乗っていた。幹を思い切り蹴飛ばせば、どっさりと雪がおちてくるだろう。そういえば、よく前を歩く彼に仕掛けたものだ。一度は、想像を遥かに超えた雪が落ちてきて全身雪まみれになり呆然とする彼に笑うのを忘れ驚いたりもした。その後は、まつ毛にまで雪を載せたままの彼は私に懇々と駄目だしをした。私の言い訳は雪国育ちではないので、どうしてもやってみたくなった。再び、説教が始まったのはいうまでもない。後ろを振り返る。一人分の足あとが付いている。それをみたら、少し寂しくなり、気持ちを強く固めるように、ざくりざくりと踏みしめる。雪がなくとも狭い広場にある小さいイチョウ。木を中心に小さく窪みのようになっていた。柵の半分が雪から顔を出し幹を囲むように雪が盛り上がっている。さてと、柵を乗り越えて雪を掘り土を掘り起こす事は作業の手間がどうこういうより、踏み荒らす事が気が引ける。もしかすると、蛙が冬眠でもしているかもしれないし。あのお守りは、まだこの幹の麓にあるだろうか。われながら、随分とひどい罰当たりな行動をしたものだ。
「ごめんなさい」
 許されるかどうかは別として、あの時よりは大人になっただろう私は、イチョウの木を前に素直に手を合わせ謝罪をした。枝に止まっていた鳥がチュンチュンと鳴き、何かを思い出したのか、枝から飛び去った。パラパラと雪が散る。鳥にすら呆れられてしまったようだ。

 本殿に戻ると、足元に雪がびっしりとこびり付いていた。払ってみたものの白く固まってしまっていてなかなか落ちない、諦め歩き出す。参拝をしようかとも思ったが、そんな事が出来る立場ではないだろうと背中を向け控えめに通り過ぎ石畳の上を歩く。階段まで来て見たが、上るよりはるかに下る方が危険で、眺めながら迷ったがさすがに裏手の道路へ迂回する。
「うわっ」
 静かな神社に誰かの危機迫った声が響いた。同時に雪がどさりと落ちる音。立ち止まり辺りを見回すがその姿は見えない。本堂の裏からだろうか。数歩戻り本殿脇を覗くとイチョウの木へと続く遊歩道から白と紺のコントラストの人物が出てきた。顔を上げた瞬間に体を反り本堂に隠れた。私以上にへんな人がいるものだと足早に後にした。先ほどの鳥か分からないが、羽を休めていた数羽の鳥が驚いてぴよぴよと鳴き飛び立った。

 車一台が通れるほどの緩やかな下り坂。雪は道路端に寄せられている。中央はアスファルトが見えている。街へと続く静かな光景。カツカツカツカツカツ・・・。穏やかな気持ちに細かいノックを連続的にされたように響き渡った。しかも近づいてくる。幻覚ではない、現実だ。髪が跳ね上がるほどすばやく振り向く。体に付着した雪を振り落としながらスーツ姿のサラリーマンが突進してくる。あのサラリーマン、確か本殿にいた人だ。不自然な光景に一瞬身構えた受け止められないことに気づき踵を返しアスファルト蹴り上げた。
「待ってえ・・・はあ、はあ、待ってくださいいいい・・・」
 走り始めた私の背中に、こっちまで息苦しくなってしまいそうな悲鳴に近い声が届く。どんな用事が私にあるのだろうか、立ち止まるべきか走り抜けるべきか迷う。後ろを振り向くと、ザラザラザラとアスファルト転げ滑るサラリーマン。足が縺れて転んだのだろう。仕方なく立ち止まり恐る恐る近づき様子を伺う。
 呻き声を漏らしながら息が上がり噎せ返って話しが出来ず、なかなか立ち上がれないサラリーマンを遠めに見守った。
「神主~」
 坂を駆け下りてくる巫女さん。高校生ぐらいだろうか。手にしたものを左右に振りながらやってくる。神主。神主?神主。
「げっ・・・」
全速力で逃げた方が良いかと本気で迷った。けれど痛々しい神主に声を掛けぬわけにはいかない。勇気を振り絞り、神主に近づき労わった。
「大丈夫ですか」
 神主は、ぜえぜえと大丈夫そうには見えないが途切れ途切れ大丈夫だと言い擦り剥いた手を振りながら立ち上がり強打したらしい腰を擦る。全身をまっすぐ伸ばすまで数秒の時間が必要だった。駆けつけた巫女さんから何かを渡され、渡した巫女さんにありがとうと言うと巫女さんはぽそりと何かを言って坂を上っていった。もしかすると、巫女さんは神主の娘かもしれない、どことなく顔が似ている。
「これはどうされますか」
 落ち着いた声。神に仕えるものとして相応しい表情だった。色の変わったお守りが私の前に現れた。あまりに驚いてしまい言葉が出ない。見覚えがあるお守り。どうされますかと聞かれても、なぜ、これを神主が持っていて、今目の前にあるのかも分からずに混乱するばかりだ。私の動揺は神主に見透かされ、私の言葉をまたずに言葉を続けた。
「あの日から、ずっとお預かりしていました、あなたがいつかこうやってお越しになられるのではないかと思いまして、それにしても、また、恥ずかしい姿をおみせしてしまいました、私もいざその日が来てみると舞い上がってしまいまして、本当に驚かせてしまってすみません」
 穴に埋めたお守りを包み込むように手に持ち、恥ずかしそうに笑った。どうして、このお守りがここにあるのか、神主が持っているのか分からないけれど、確かにここにあるのはあの時のお守りでありそれをずっと神主が持っていてくれたの事実、それでも、こんなことが本当にあるのだろうかと中々信じきれずにいた。けれど、今はやることはひとつしかないだろう。

 お守りをしっかりと神社に返し、神主にお礼をいいその場を後にした。坂を下る足取りが軽かった。自然と森のくまさんを口ずさんでいた。道沿いの納屋、屋根に積もっている雪の端がぱさぱさと崩れ地面にキラリと光ってから落ちた。


風邪と花粉の違いは、以外に難しい。
けれど、もう少しつづく・・・。


雪が解けるまで 8

2006年02月06日 | 雪が解けるまで
 街の中に森がある。空からみると離れ小島のように見えるだろう。町に浮かぶ森。鬱蒼と茂った森の中には、小さな神社がある。森へと足を踏み入れ神社に辿り着くには、まっすぐと高く伸びる階段を上るか、神社裏手にある車一台が通れる程の舗装された道を通るかだ。ところが、冬は雪が積もり足場が悪く多くの人は車が通れる坂道を上がる。地図でみれば明らかに道路の方が遠回りで階段は直進であるが、凍て付く階段を上ってまで早く神社に辿り着こうというものはそうそういないようだ。
 連なる階段を見上げても、人一人歩いていない。私一人だ。
 階段は昼の日差しが存分に当たり雪と氷がきらきらと光っている。階段の中心にある赤い手摺は半分掻き分けられた雪に埋まり所々錆びペンキが剥げた部分が湿っているように見える。
 一段足を掛けてみる。凍っているが上れない程はないようだ。神社を管理する人が毎日雪を退けているのか、すべてが固まっているわけでない。慎重に上ることにする。何も危険な思いをしてまで、一秒でも早く神社に辿り着きたいわけでもなく、いつこれ下落ちるかもしれないスリルを味わいたいわけでもない。私はただ、裏道ではなくて真正面からこの神社に行きたいと思っただけだった。本来、私のような人間は裏道からこっそりひっそり入るほうが良いのかもしれないが、これは私のわがままで開きのって上ることにした。

 気を抜くとつるりと滑る石段に、予想以上に手こずり、全身に力が入り所々で声ともならない声が漏れる。

 神社へ足を運ぶ人の多くは、観光で参拝に訪れるか、願いをお願いするために訪れるかだろう。中には、深刻な悩みを抱え神頼みをする人もいるに違いない。不安な気持ちや、やりきれない気持ちを抱え少しでも和らげたくて心の支えがほしくて信じるものがほしくて手を合わせる。それは、大切な人のためでもあるし、自分のためでもあるだろう。

 ただ上るだけでも息が切れるのに、この悪路が無意味に体力を奪っていく。今更ながらリュックの重みが肩にずっしりと食い込み背中が張ってきていた。だからといって止まる事もせずひたすら階段を上りきるのを待つ。
 最後の一段を踏み込んだとき曲がった膝に思わず手のひらが伸びた。曲がった体を伸ばし後ろを振り向き雪に埋まる街を見下ろす。冷たい風が頬に当たり何度も吸い込んでは肺に染み渡りそれを吐き出した。

 境内には、数人の観光客がいる。階段から現れた私を驚いた顔で見てはひそひそと話す。お守りなどが並ぶ平屋には白と赤の服を着た巫女さんが座る。本殿向かって左側に樹齢五百年のイチョウの木が祀られている。この木を見ると願いが叶う気さえする。けれど、普通に考えればここでお願いをした人すべての願いが叶えられるはずもないのだ。分かっているはずなのに、無力な自分を目の当たりしたとき願わずにはいられない。境内横ベンチと共に網のゴミ箱が置かれている。私一人が、息を切らしいることに、恥ずかしくなり出来るだけ平常心を保とうと試みたが、余計息苦しくなり咽た。余計注目を浴びる。顔が赤くなるのが分かる。顔を伏せながらゴミ箱を見た。もっと顔が赤くなる。今もあった、七年前と同じ場所に。


 呼吸は激しく乱れ心臓の鼓動がドクドクと跳ね上がり続ける。息を吐き出すたびに軽いめまいが襲う。三百六十度回転してしまいそうな景色を無理やり引き戻す。歩いて上っていた階段、コブシに力が入り始めると次第に歩調が早まりのんびり歩く観光客三人を追い越し最後は駆け上がり、きつくコブシを結んだ。本殿に投げつけてやろうかと思ったけれど、参拝者が居座っていたので石畳からはずれゴミ箱の前につかつかと歩く。
 握っていたコブシを振り上げ力いっぱい投げつけた。腕が振り下ろされると同時に放たれ押しつぶされ変形したお守りは、ゴミ箱の淵に当たり跳ね返り砂利の上に落ちる。
「こらああああ、バチがあたるぞおおおおおお」
 神社に似合わない怒鳴り声。いつも澄ました表情で何があっても冷静沈着そうな神主が本殿横で箒振りかざし鬼の形相でこちらを睨んでいる。周りにいた参拝者や巫女は、何が起きたのか分からず呆然と立ち尽くしていた。落ちたお守りを無意識に拾い上げ階段へ向かおうとしたが、怒り心頭の神主が本殿から石畳まで迫っていて、咄嗟に背を向けイチョウの木の横から伸びる遊歩道へ向かい走り出していた。本殿の横を通り過ぎ、葉のないイチョウの木の根に躓きながらも、転ばず走り抜ける。森の中を抜ける遊歩道。公園へと続いていたはずだ。細い道に入り後ろを恐る恐る振り向く。足音も聞こえない姿もない。諦めたのだろう。咳き込んだ。よろよろと歩き、森の木々が囲みドームのようになっている円形の場所、本殿横にあるイチョウの木より一回り小さなイチョウの木。その木も祀られている。あの大きなイチョウの子分だろう。木を誰でも跨げる程のロープで出来た低い柵が囲む。その前で膝を落とし、咳き込みすぎて噎せ返る。いつの間にか、ロープを握っていた。
 呼吸は乱れていたが、徐々に整っていく。ロープを握ったまま、もう一方のコブシへ目をやる。カサカサと葉のある木が音を上げる。辺りを見渡す。誰もいない。人の気配かと思ったけれどそうでなかったらしい。握りつぶされ変形したお守りはもう必要なくこんなものを持っていても仕方ない、お金はしっかり取っておいて、毎日お参りもしたのに、願いは叶わない。こんなものを持っているだけ腹立たしい。ゴミ箱に入って当然なのだ。イチョウの木にお守りが跳ね返り土の上に落ちた。立ち上がり、柵を跨ぎつま先を土に打ち付けながら土を掘り穴を開ける。靴の中へ土が入り込み靴下を通じてざらざらと違和感を感じる。
 サラダボールほどの穴を開け、つま先で横に転がるお守りを突きその中へ落とし、犬が後ろ足で土を蹴るように、土を被せ、それでも腹の虫を収まらず、その上で何度もジャンプし土を踏み鳴らした。もう、二度と神社で神頼みはしないと誓い振り向くことなく逃げ去る。



風邪です・・・。更新に合わせたかのように復活しました・・・。
なので、つづきます。


雪が解けるまで 7

2006年01月30日 | 雪が解けるまで
 路地を歩き雑踏の中へ飛び出した。町一番の大通りだろう。ここは七年前とは大きく変わっていた。見慣れない街灯に街路樹に整備された歩道に信号、それに続く先には街一番の近代的な駅が建っている。その脇を固める低層のビル群。駅へと向かう横断歩道はなく歩道肩に小さな建物入り口に人の出入りがある。入り口上柱に矢印が書かれている。地下道があるのだろう。七年前の古びた駅の面影はどこにも見当たらなかった。

 きょろきょろと見渡しながら進み、地下へと降りる階段に近づくにつれ自然と足早になっていた。飛び込むように階段を降り道路下を横断し階段を上ると駅の中なのかと勘違いしてしまうほど大きな屋根がバス停まで覆い、ここなら雨でも雪でも気にせずバスを待てるだろう。駅ホールから出てきた観光客数人がメインの地図看板を見つけ足を止める。その向かい側に、バスを待つ人が思い思いに並んでいた。二色のレンガで突き詰められた歩道、その先ごみ箱からさらに横にある掲示板、その前に水色のダウンジャンパーを着た女性がガラス戸を開けポスターを張り替えている。足元に置いておいたポスターが駅外から吹き込む風にパサパサと煽られた途端丸められたポスターが開きひらりと風に飛ばされた。
 みるみるうちに近づくポスター。私の横を飛んでいこうとするポスターに駆け寄り飛びついた。リュックの重みが反動で左肩にのしかかる。張り替えていた女性が風の音に気づき、今貼っているポスターを抑えたまま振り向く。私は手に掴んだポスターを見せながら傍へ向かう。
「すいません、有難う御座います」
 ポスターの角四箇所に画鋲を刺してから、手が冷えてしまったのか寒そうにぎゅっと握り私の持つポスターへ手を伸ばした。
「もう、お祭りの宣伝ですか」
 雪が降りしきる冬に金色の画鋲が角で輝く春祭りのポスターに目をやる。女性は私が拾ったポスターをくるくると丸めながら春と秋の祭りは町の大きな財政元ですからと話し、私に旅行かと聞き、私は、はいと答える。まさか、朝方友人に放り出されてしまってとは言えない。若い女の子集団が大きな声を上げながら駅から出てきて視線がそちらへそれた。
「駅、随分と変わりましたね、地下道とかも出来ているし」
 騒がしい女の子達は地下道へと降りていき声が響いたかと思うと吸い込まれたかのように消えた。注意が女性に戻ると、女性がほんの一瞬だけ曇ったように思えた。私の言葉を考えるというよりも、それをキーワードに何かを思い起こすような表情。何か悪いことでも言ってしまったのだろうか。それとも、昔の駅の方が好きだったのだろうか。
「本当は、この駅開発はもう少し先になる予定でした、でも、早まったんです、以前はバス停が道路を挟んでこの先でしたが、今はこの通り誰もが安心して乗れるようになりました」
 安心して、その言葉が気になり胸に引っ掛かる。いらぬ想像が勝手に頭で繰り広げられる。便利ではなく、安心。この女性は私と同じくらいの歳だろうか、背格好も似ている。けれど、ダウンジャンパーの袖口は色が落ち、所々解れ縫い直している。このジャンパーにどれほどの愛着があるのだろうか。確かにこのジャンパーは世間で売られているものではなく、缶コーヒーについているポイントを集め当選しないと着れないものである。もちろん、当時は人気がありプレミアまでついたものだ。だから今も大切に着ているのか。もしくは、洋服は、あまり気にしない性格なのか。
「便利になりましたね、でもどうして早まったんですか」
 ジャンパーの事を聞きたかったが初対面でそんな質問するのは気が引ける。ありきたりの質問を投げかける。女性は、指先を口元に当て一度温めてから掲示板のガラスを締めた。きっと、氷のように冷たいに違いない。小さな鍵穴に鍵を入れ締めた。紙袋に入ったポスターの本数を確かめそれを抱え、ある方向へ体を向け、ひとつ息を吸い込み吐き出した。
「七年前、バスに乗ろうとした人が道路へ駆け出して事故に、以前から小さな事故はありましたが、その事故は大事故になってしまって、それで」
 どくんと打った心臓が指先まで鼓動を伝えた。この小さな町で、同じ年、同じ場所で同じような事故はそうそう起きないだろう。
「そうですか、事故ですか」
 他に言葉は出てこなかった。女性が抱えていた紙袋に力が入りガサッと音がした。
「そのバスの乗客も運転手も、誰も気づかないまま事故に合われて、私たちは知らずに」
口は一文字にし紙袋は今もぎゅっと抱えられている。なぜ、そんな目をするのだろうか。私はなぜ、この女性に目を留めたのか。今更問いかえる必要なんてないことは分かっていた。けれど、推測を認める事は簡単ではない。見覚えのあるダウンジャンパー、世の中に同じジャンパーを着ている人はどれだけいるだろうか、この町にどれくらいいただろうか、七年前に来ていた人はどれだけいただろうか。女性は、最後に私たちは知らずにと言った。私たちとは、乗客と運転手だろうか。
「あの・・・」
彼女のポケットが震え携帯の電子音が鳴り響く。電子音に二人はほっと肩の力を抜いた。女性は私に会釈し歩道沿いに歩いていく。七年前の事故は、彼の事故をいっているのだろうか。おそらくそうだろう。でも、彼女はバスに乗り急ぐために事故に合ったと言っていたが、もし彼ならそれは違う。
 辺りを見渡す。女性は今ある道路の向こう側を見たけれど、当時あの場所に道路はなく長屋のお土産屋が連ねていた。駅も大きくなり、道路も位置をずらした。本当に彼が七年前に事故を起こした場所はもう分からない。目印に出来るものは、何ひとつなかった。

「はい、すぐに戻ります」
  事務所からの電話は、変更された打ち合わせ時間を告げるものだった。まだポスターは余っているがとりあえず、事務所へ帰ることにする。電話を切りポケットに仕舞う。先ほどの話していた女性を思い出す。観光客の女性は、何かを言いかけた。私自身それから逃げるように電話の着信音に胸を撫で下ろすようにその場を後にしていた。いったい、何を聞こうとしたのだろうか。着信音が鳴らなかったらどうなっていただろう。
 立ち止まり植樹されたイチョウの木を振り返った。空耳のような声はもう聞こえない。開発整備されたいま、正確な場所はもう思い出せない。どんな人だったのかどんな声で叫んでいたのかも、思い出せない。あの日バスに乗り込む時、男性の声が聞こえたように思えた。無意識に声の方へ目をやりすぐにバスのステップに上がった。視界が道路から車内に比重を多く変えたとき、男性がちらりと写ったように思えた。けれど、その意識は、事故を知った後に思い返して気づいたものだ。バスは男性を乗せずに走り去り、実際あの時の男性が事故に合ってしまったのかは分からない。もしかすると、別の人かもしれないし、そんな人は存在しなかったのかもしれない。けれど、どんな思い込みをしようとも気持ちは晴れず、当時は何度も夢にあの光景が現れ苦しんだ。もし、私がバスに一瞬でも遅く乗り込み、叫んだ彼の声に耳を傾けバスの運転手に声をかけたらこんな事故にはならなかったのでないか。声も顔も思い出せない今思うのは、やはり私が見た男性が事故にあったのだろう。疑うのを止め自分に出来ることをすることにした。これは、彼のためではなく、きっと自分のため。あの日、前日届いたジャンパーを浮かれた気分で着込み出かけた。誰もが自分のジャンパーを見ている気さえなっていた。けれど、今も着ているのはうれしいからではない、自分への見せしめだ。
「すみません」
 年配の夫婦が、私の腕についた観光協会の腕章を見てから、手に持っている地図をみせる、二人に笑いかけた。


花粉が目に染みる季節・・・まだ、つづく・・・。

雪が解けるまで 6

2006年01月23日 | 雪が解けるまで
 奥の部屋から出てきた館長は、ドアを締めたが数センチの隙間を残し気づく事無く私を呼んだ。
 左手のひらにのせた懐中時計。右手のひらでそっと包み込む。カチカチと時を刻みくすぐったい振動が伝わってくる。動き始めた懐中時計はシルバーに刻まれた二センチ程の傷を残しガラスの傷はなかった。私の姿を見守っている館長に気づき慌ててお礼をいい鞄から財布を取り出そうとすると館長が私の行動を遮るように右手を振った。
「代金はいりません。バイト代と引き換えです」
 老夫婦が訪れてから、たった一人も観覧客はやってこなかった、来客は組合か何かの会報を届けに来た近くの酒造の店主のみで、館長を呼びに行こうかと思ったがその店主は不自然なほど陽気に渡しておいてくれればよいと頑なに拒み慌しく出て行った。私は、楽しかったのかそうでなかったかも分からない表情をしていた老夫婦を見送りながら、おいしい豆腐料理が食べれるところがあるかと聞かれ、おそらく七年前と変わらずに存在しているだろう店を紹介した。おいしい豆腐料理店を知った老夫婦は初めてうれしいそうに笑った。目的はこれだったのだろうか。その後差し込む日差しの下、受付カウンターの中でぼんやりとしていた。バイトというほどのものではなく、ただ待つ場所が違っていただけということで、この言葉は館長の気持ちなのだろう。快く受けさせていただくことにした。

「この時計は、七年間止まっていたんです。今動き始めたということは、あれなんでしょうか、止まった次の瞬間から動き始めたのでしょうか」
 自分で口にしておきながら、慌てて変な事を言ってしまったことに気づき咄嗟に謝った。けれど、館長は呆れる事無く、私が持つ懐中時計に手を伸ばし再び取った。
「ならば、私は時計職人なのでお手伝いいたしましょう」
 少し自慢げに胸を張って皺の多い大きな手、指先が器用にねじをクルクルと回していく。針がクルクルと回る。時間がどんどん進む。その時間は何もない空虚なものでしかない。悲しい事も楽しい事もなにもない、足早に進み続ける時間。これは誰の時間なのだろうか。彼の時間、置き去りになっていた私の時間。どちらにしても、針が回り続けるほど、彼と私が混じ合う事はもうないのだと唱え続けられているように思えた。
「もう、いいです、やめてください」
 ごつごつした、けれど温かい手に触れていた。針がゆっくりとスピードを緩めると、館内に掛けられた大きな時計がゴーンゴーンと鳴り響き、長い針が十二で止まりネジが懐中時計にカチリと戻り秒針が動き出した。
「さあ、あなたの時間に追いつきましたよ」
館長は、私の添えた手に懐中時計を入れた。彼の時間はもうとっくに失っている。私の時間はどうだろう。動いていたはずの時間、それは本物でなかったのだろうか。

 橋の真ん中から雪が積もる手摺前で立ち止まり、ポケットに入れた時計を取り出す。そのまま耳へ当てる。同じ時を刻んでいた。シルバーに刻まれていた傷を残したまま再び止まっていた針が動き始め心にシンクロしていく。そしてまた歩き出す。

 歩道を歩いてると、目の前の路地から誰かが飛び出した。歩いているのに呼吸が乱れてそれをなぜか飲み込むように歩く男の子。見覚えがあった。図書館休憩室で出会った男の子だ。わき道から出てきたと思ったら左右を見渡しこちら側へ歩きてきた。見るところ地元の人のようだし道に迷ったわけではないだろう。男の子はちらりと私を見て目が合うとすぐにそらし、歩道に引き詰めてあるブロックに躓きジャンプするように跳ねた。着地すると同時に顔が赤くなりすぐに俯く。
 くすりと笑うと男の子は唇をきゅっと結ぶ。おそらく私の事を思い出したのだろう。話かけようかと迷ったがその間にかつかつと横を通り過ぎてしまった。時計を持ったまま数歩進んだが後ろを振り向く。男の子が、足を止めさらに体を向け驚きの表情を見せた。突然振り向いた私を見たまま動かずにいる。
 手にしていた懐中時計を男の子に見えるように前に出し、時計を指す。時計直ったよと伝えたかった。それが伝わったかは分からないが、男の子は窄めていた口を緩め白い歯を見せ突然背を見せ走っていってしまった。私は、不思議な男の子だと思いながら再び歩き出していた。



雪が溶ける音って、そこらじゅうで大合奏ですね。つづく・・・。

雪が解けるまで 5

2006年01月16日 | 雪が解けるまで
 ガラスの向こうに並ぶ時計は、今も止まらずに針を進めている。半券を持ちながらゆっくりと博物館の中を周っていく。博物館といっても館というほどの広さはない。古い町並みの長屋の中の一角にひっそりと佇み入り口に付けられた木製の長細い看板に時計博物館と楷書で彫られ文字の部分だけ黒く塗られその上にニスが塗られ所々剥がれ落ちている。目を留めるものはそれぐらいで多くの観光客は気づかずに通り過ぎてしまうだろう。外見と同じく中も広くなく二つのフロアを細長い廊下で繋ぎ往復同じ通路を通る。けれど、所狭しと多くの時計が並べられそれはすべて針を動かしている。ここにある時計はすべて同じ速さで時を刻んでいるのだろうか。きっと、少しだけ早く進んだり遅く進んだりするものももちろんあるだろう。彼は、そんな少し早く進む針の音を聞き、私はそうでない音を聞いていたのだろうか。
 二つのフロアを往復しフロントへ戻りまだ健在な館長のいるグッズ売り場へ向かう。七年前にみた館長とあまり変わっていないように思える、皺の数や深さ、髪の薄さ背格好。年をとると七年という歳月はそれほど変化をもたらさないのだろうか。けれど、その現実が私を動揺させた。ガラスケースの中にオリジナルの懐中時計が相変わらず置かれレジの前で眼鏡を頭にのせ新聞を読む館長がいる。

 時間が進んでいる。それなのに、ここは止まってしまっているのではないか。

「これは、おまえが持っていろよ」
 彼の親友だった伊達が、黒いネクタイを緩めポケットから取り出し私の手を強引に掴みよせ開き握らせた。伊達の苛立ちと怒りが私へ放たれ続け言葉を失い続ける。
「ずっと、持って、ずっと忘れるな、あいつがいたことを」
 伊達が怒りを何度もかみ殺し砕きながら私に浴びせる。手のひらの中を見るまではそこに何があるのか分からなかった。ひんやり冷たく平たくて硬い。伊達は私が手のひらを開く前に立ち去った。その背中は、悲しみと怒りに包まれどこへ向かうのか不安になるもので、そして話しかけることも許されないオーラを放ち続けて、私はその姿が見えなくなるまで立ち尽くし動けずにいた。
 手のひらを開けたとき、突然重力が何倍にもなったように思えその重みに耐えられず、壁に体をもたらせ倒れないように力をいれ手のひらを閉じ力が徐々に加わりズキンと痛みが走った。その痛みで、私は生きているのだと思い出した。

「前にこちらにいらして頂きましたか」
「えっ・・・」
 レジの前で新聞を読んでいた館長は、新聞を椅子の上に置き眼鏡をかけ、いつのまにかレジの奥にある部屋のドアの前に立ち私に話しかけていた。現実と過去がミルクを注した珈琲のようにぐるぐると混ざっていた。どちらに立っているのか迷う。けれど、今は今でしかないのだ。館長は、私達の事を憶えているのだろうか。まさかとは思うが、コンビニ店長は憶えていてくれたし、たった一回でも何かのきっかけで記憶の片隅にあったのかもしれない。その記憶は、茶色かミルク色かどちらだろう。
「時計を買わせてもらいました」
 館長は、大きく頷き、その時計の調子はどうですかと聞き返す。私は、ポケットの中へ手をいれ壊れた懐中時計を取り出した。
「でも、止まっちゃいました」
 どうして、こんなふうにハニカミながら言えたのか分からずそんな自分が以外だった。取り出した懐中時計をそっと大事に手にする館長は、表情を変えぬまま眺める。もう、動くことがない時計。
「少しお借りしてよいかな、もちろんお時間があったらですが、そちらでお待ち頂けますか」
 格子が十字に入った窓の下にある日に焼けた深緑色のソファを見てから懐中時計を私に差し出す。私に断る理由はなく頷きソファへと向かった。窓から差し込む光が床に十字の影と共に落ちていた。この時間の流れに身を任せる事にする。レジとチケット売り場には今誰もいない。それもそのはず、二つの場所を仕切る館長は、奥の部屋へ入ってしまっている。万が一この博物館を見つけ入ってきてしまった人がいたら、声をかけたほうがいいだろうか。きっと、気づくような仕掛けはしていないだろう。

 入り口の引き戸がガタリと揺れたかと思うと開き、冷たい空気が入り込む。ドキリとし体に力が入った。年配の女性と男性、おそらく夫婦だろう。チケット売り場の前で立ち止まり辺りを見渡す。私は立ち上がり、二人に会釈しレジカウンターを横切りドアの前に立ち少し強くノックをする。
「すみません、お客さんがいらしています」
 ゴトゴトと椅子が引かれるような音が響き、じいちゃん、お客さんだよと若い声が聞こえそれに答えるようにドアが開かれた。扉の向こう、ドアの隙間から見え黒い背中の男性が駆け抜けた。視線が止まり覗こうと体を動かしたが館長に遮られドアを閉められてしまい、再びソファに腰掛けた。
 入場料をもらい四つ折のパンフレットを差し出し、二人を見送るとカウンターから私に手招きし、お金を入れる場所と、チケットのある場所、半券を置く場所など、一通りの作業の仕方を簡単に教えた。
「もう少し、時間がかかりそうなので、お願いできますか」
 私は、明るく、はいと頷いた。館長が、再びドアの向こうに消えるのを確認し、台の前へ立ちそこから館内を見回す。誰かお客が来ないかと少し期待していた。

「じいちゃん、直るかな。きっと大切なものなんだよ、お願いなんとかして」
 再び部屋に戻り作業を始めた館長の動く手元を顔が付きそうなほど覗き込み、声を潜めるが、耳の遠くなった祖父はいつものように大きな声で答える。図書館で女性と出会いこの時計を手にしたときすぐに祖父の博物館で作られた時計だと分かった。壊れた時計をもつ理由。それはけしてどうでも良いことではないはずだと察した。もしかしたら、この博物館へ来るかもしれないと思い駆けつけると彼女はガラスケースの中の時計を上の空で眺めていた。彼女に気づかれないように、祖父を部屋に呼び、たった今あったことを慌てて話すと祖父は、何も考える隙もなく部屋を出ていき彼女に話しかけてしまった。
「少し落ち着け、大丈夫直るさ」
 ライトが当てられている懐中時計は、バラバラに分解されたままだった。本当に直るのか不安で仕方なく落ち着いてなどいられなかった。


そろそろ折り返し・・・。
花粉にやられ四苦八苦。


雪が解けるまで 4

2006年01月09日 | 雪が解けるまで
 厚手の靴下を履きすぎただろうか。寒さで感覚がないのか靴との隙間がないのか、つま先が痺れ感覚がなくなってきた。足の裏はピクリピクリと痛みを伝える。慣れない道を夜明け前から歩き続けているわけだからそろそろ体も悲鳴を上げる頃だろう。ジーンズに擦れる脹脛も何かおかしい。時間を確かめたかったが、携帯電話を持ち始めてから腕時計をする事はなくなった。見渡せる範囲の中には時刻を知らせるものはない。防寒着に包まれた人々が姿を現し通り過ぎた車の運転手は大きなあくびをしながらハンドルを握っていた。通勤時間帯に入った事は確かなようだ。

 民家でない建物が姿を現し始め、道路を挟んで向こう側の大きな駐車場に並ぶ同じデザインのトラックが並びすべてエンジンが掛かっていて白い排気が立ち上っていた。運送屋さんのトラックで、見覚えがあった。多くの学生がここで仕分けのバイトをしていた。今も変わらないだろう。凍った横断歩道の前で信号待ちをする。赤く光る信号を見てから、向かって右側へ視線を移動させる。よく暇つぶしに通った建物は七年前と変わらずある。メロディーと共に青に変わった信号、凍った白線の上を避けながらゆっくりと渡り自然と先にある建物の方へと向かっていた。勝手に体が急速を求めているのか、いつの間にか息が切れ始める近づく程体が重くなる。一階は駐車場になり二階に三角屋根でレンガ造りの建物が乗っている。階段に足をかけたとき、突然何かが追い抜く。背中を丸めた男の子が小走りで背中を丸め駆け上がり図書館の中へと消えた。脇にある冷たい手すりを持ちながら上っていく。どうやら、私は三時間以上歩き続けていたようだ。図書館は、今も変わってなければ八時からの開館でたったいま利用客が駆け上がっていったということは、八時を過ぎているのだろう。
 それにしても驚くほど足が重く、つま先がゴツンと段を蹴った。体が斜めに傾き手すりにしがみ付き無理やり体を起こし辺りを見渡す。誰もいない。苦笑する、まるで一山上り終えたかのような心境だった。

 休憩室はまだ誰もいない、暖房だけが意味なく効いている。図書室には向かわず迷うことなく誰もいない休憩室でリュックを下ろし床に落としコートを脱ぎ捨てソファーに体をどっぷりと埋め足を伸ばす。ストーブに乗せた雪のように溶けてしまいそうだった。靴の紐を緩めようかと迷ったが行動に移せず、眠気がじわりじわりと包み込んでいく。息を吐くたびに喉の渇きで息苦しくなっていき、しぶしぶ体を起こし自販機でカップココアを買い飲むことにした。
 再び背もたれに背中が沈みこむと壁についた丸い時計の音が、コチコチと聞こえ耳を澄ましきった私を眠りに落とそうとする。眠っているのか起きているのか自分でも分からなくなる。動き始めたのかな。ソファーの上に投げ出されていた左手が手探りでコートのポケットの中を探り握り締めた。

「なんかさ、このコチコチコチコチコチイって音、急かされてるみたいで嫌だなあ」
 ガラスの向こうに並べられている時計の前で耳を澄ませそれぞれの時計の針が時を刻む姿を眺めていた。彼が言うように私は思えず、首をかしげた。
「私は、ゆっくりでいいぞって言われているみたいですきだけど、それにこのコチコチって落ち着く」
 よく思っていない割には念入りに時計を見ている彼も首をかしげる。どうやら、意見はお互い一方通行のようだ。それにしても、ガラスに張り付きすぎだ。時計博物館で誰よりも近くで見ているに違いない。そして、小さくすごいなあとぼそりと呟く。すべてを見終わり入場口のフロアの隅にグッズが売られていて当然私たちはそこも見る。彼は懐中時計を見つめたままピクリとも動かなくなった。
「ちょっと、それ高いから良く考えたほうが良いよ」
 遠まわしに買うべきじゃないと言ってみたが、その言葉を塗りつぶすように新聞を読んでいたレジの前に座るお爺さんが空かさず立ちあがりその懐中時計の良いところを説明し始め聞き入る彼は大きく頷き、決心を固めジーンズの後ろポケットから財布を取り出した。
「すいません、すぐ使いたいので包まないでいいです」
 必要以上の張り切りぶりに呆れながら、自動ドアを出る頃には彼は、受け取った懐中時計のネジを巻き上げ、針が時を刻み始めていた。自動ドアを出て数歩歩くと、立ち止まり懐中時計を耳に押し当てうっとりし、私の耳にも当てた。なんて、わけの分からない人なのだろうと思った。

 突然目が覚め、ポケットの中で握っている懐中時計の音を感じようとしたが、何の振動も感じられない。止まったままなのだろう。指でガラスの面を触ると数本の線を感じちくりと指先が痛んだ。ポケットから出した手を見ると、指先が血は出ていないがうっすら切れていた。まだ、あの時計博物館はあるのだろうか。立ち上がり、再び自動販売機の前に立ちミルク砂糖入りコーヒーのボタンを押した。出来上がりのランプが付くまで製作過程を眺め上がる湯気をぼんやりと前にした。行ってみるか、ここまで来たのだから。

 コーヒーを飲み体も温まったところでコートを持ち立ち上がったとき男の子が入ってきた。高校生くらいだろうか。通路に、リュックを置きっぱなしだったので退かそうと手を伸ばしたときコートを持っていた握力が緩みすりると手元から抜けそうになりすかさず力を入れる。その揺れでポケットから懐中時計が飛び出し床に落ち一度バウンドし滑った。上がって高校生の右足の下にぴたり止まりその靴の下に隠れた。
「あっ・・・」
 絶句の後に言葉が漏れる。男の子は後ろに飛び退き休憩室の壁に背中からぶつかった。自動販売機がぐらりと揺れる。私が、落ちた懐中時計に近づく前に壁に跳ね返ったように男の子が手を伸ばした。
「すいません、割れちゃった、御免なさいどうしよう」
 声が響き渡り、見かけによらずうろたえる男の子は、私の頭ぐらいに肩がある長身でスポーツでもやっていそうながっちり型で肩幅がある。それなのに、見事に顔を赤らめおどおどし始めた。
「違うの、これ、始めから割れていたの、だから気にしないで」
 しっかりと事実を嘘のないように伝え手を出したが、手のひらに載せていた懐中時計を両手で持ちじっと見つめ裏返しにしシルバーを抉るように付いた傷を指でなぞる。私は、何かを見られているようで、強引に懐中時計を手にし無理やり笑いかける。
「本当に、壊れていたから」
 出来る限り冷静に話しかけてからコートとリュックを持ち休憩室を出た。図書館を足早に出てしばらく歩き、誰もいないバス停のベンチにリュックを乗せコートを着る。握ったままの懐中時計を見ないまま再びポケットへ突っ込んだが、すぐにポケットから手を出す事が出来なかった。手のひらが開かなかった。


thank you
寒いですね、まだ、つづきます・・・。

雪が解けるまで 3

2006年01月02日 | 雪が解けるまで
 体がムズムズと痒くなる。突然暖かい空気に包まれコートの下で肩を上下に動かす。何を買うわけでもなく体に馴染ませるためにゆっくりと棚の間を歩き見る。客は誰もいない。お弁当の棚には人気のなさそうな弁当しか残っておらずまだ、配達のトラックは来ていないのだろう。店員は男でレジカウンターの中で両手を端に置きコツコツ指先でリズムを刻みながらぼんやりと立っている。大学生かフリーターだろう。一周しレジ前まで来てしまうと、ぼんやりしていた店員の指がぴたりと止まり私へ視線を飛ばし目が合うと背筋を伸ばす。カウンター隅に置かれているおでんとその横にある中華まんのブース。引き寄せられるようにレジの前に立つ。
「ピザまんは売り切れですか」
 おかしな聞き方だと自分でも思う。ブースの中を確認することもせずに、まるで確認でもするように店員に問いかける。けれど、七年前と変わっていなければこのコンビニはいつもピザまんが売れ切れだった。
「はい。たった今入れたばかりで二十分程かかりますが」
 店員は、言い慣れているのかさらりと告げた。
「待たせて頂いてもいいですか」
 すかさず、ピザまん以外ならありますと勧められたがそれを断り待つことにしたが、店員はいい顔をしなかった。一瞬口を尖らせこくりと頷く。先に代金を支払いレシートを持ったままレジに背を向け雑誌コーナーの前に立つ。レシートに目を落とすとピザまん一つの文字が印刷され、どうして捨てずに持ってきてしまったのだろうと後悔した。ガラスに映る店員はカウンターに手をかけ、不信感を顕にしながら私の後姿を見ていた。レシートをコートのポケットにいれ雑誌へ適当に手を伸ばし立ち読みを始める。
 肉まんが好きだ。特製肉まんではなく普通の肉まん。けれど今は雑誌棚の前でピザまんを待っている。店員は、私がどれ程までピザまんを好きなのかと薄気味悪く思っているに違いない。有線から当時流れた曲が耳の中へ浸透していく。

 こつんと雑誌を持つ腕に振動が伝わる。
「出来たかも」
 ガラスに映る店員の姿をちらちらと見ては小声でささやく。いつも待つのはピザまんで私は肉まんがなければカレーまんにしたしそれがなければイカスミまんにしその時々で対処したが彼は、ピザまんを断固として譲らず雑誌を立ち読みしながら二十分間蒸しあがるのを待った。右目より左目の方が大きいコンビニの店長がレジの合間に中華まんブースの中を伺っては首を捻り再びレジを打つ。頷いた時が出来上がったときだ。
「首、捻ったじゃん」
 そわそわと始めた彼に囁くと彼は再び雑誌を読むふりをしながらちらちらと観察を続ける。たぶん、雑誌はカモフラージュだろう。後でどんな内容を読んでいたのかと聞いても答えられないに違いない。でも、なんのためのカモフラージュなのか考えると馬鹿馬鹿しくなる。

 レジの奥左に部屋があり、仮眠を終えた店長がレジに姿を現した。不信顔で雑誌コーナーで立ち読みしている女を見ているバイトに気付く。
「どうした」
 小声でささやくとバイトがはっとし手持ち無沙汰で弄っていたボールペンを落とし床に転がり慌てて拾い上げる。
「ピザまん待ちの客なんです、ピザまん以外は全部揃っているのにピザまん待ちですよ」
 店長の耳元で手で口を隠しながら話しかける。店長は雑誌コーナーの前でたつ女の後ろ姿を見てからガラスに映る姿へと視線を移動させる。バイトの大学生に棚整理を頼み、中華まんブースの前に立ちバイトから引き継ぐと、バイトの大学生が支払い終わってますのでと店長に告げながら棚へ向かった。

「あっコクッと頷いたよ」
 すっかり見過ごしていた彼の横腹を肘でつつき知らせる。彼は雑誌を持ったままガラスに映る店長をみて、店長が白い袋を取り出しそれを開く音がしドアを開けられたブースから湯気が立ち上り、肉まんと出来立てのピザまんを袋に入れる。
「ピザまん出来上がりましたよ」
 その声を合図に雑誌棚がぐらりと揺れ私はすかさず棚を押さえる。彼はレジに歩いていく。

 山肌を出たばかりの朝日が鋭角にコンビニの中まで光を伸ばす。朝が始まったのだろう。コンビニの前の道路を雪を巻き上げながらいくつもの車が通り抜けていく。
「お待ちどうさまでした」
 驚いて振り向くといつのまにか、レジの中にいた店員は変わり、目の大きさが違う店長がそこにいて心臓が、トクトクトクトクと早くなっていた。きっと私の事は憶えていないだろう。あれから随分と歳月が過ぎてしまったし、ただの客の顔などイチイチ憶えていられるわけがない。袋を受けとろうと手を出し温かく少し湿った袋を手にすると懐かしい重みが伝わった。あれ、間違ったのだろうか。この感触は覚えがある。どういっていいのか分からないまま顔を上げ店長を見る。
「あの、これ」
「ひとつは僕のおごりです、食べてください」
 大きさの違う瞳がにこりと笑った。憶えているのだろうか。でも、聞けなかった。彼の話になったとき何をどう説明すればよいか分らない。小さな声で御礼をいいコンビニを後にする。熱々の袋が手のひらにお構いなしに熱を伝えてきた。

「店長、知り合いですか、それにしても、ピザまんって案外売れるんですから、せめて他と同じ数だけ入れときましょうよ、ストックはどれよりも多いんですから。あの人だって待たなくてすんだのに」
 歩いていく女の後ろ姿を見ながら、返事を待たずにレジを出ておにぎりコーナーへ向かい棚整理を始める。
「待っている時間がいい味を出すんだ」
 バイトは返す事もせず黙々と作業をし、自動ドアが開くといらっしゃいませと声を出した。
 七年前二人は頻繁にこのコンビニを訪れよく品切れになるピザまんを待っていた。最後に見たのはピザまんの在庫が尽きてしまった日だった。男性の方がひどく悔しがりカレーまんで妥協するか迷ったあげく女性だけが肉まんを買いさっさと店を後にした。男性は一人残され、思わず声をかけた。君たちがピザまんを待つ姿、結構好きなんだと。男性は、僕も好きなんですと笑い彼女を追いかけていった。それから少しだけ多くピザまんを仕入れてみたが二人が現れる事はなかった。町の新聞に男性に似た写真が載っていたけれど、似ているだけでそれが本人なのかは分からないまま、時間と共に記憶の奥に沈んでしまった。

 もう一度、自動ドアの向こうにいる女の後姿を眺める。女より少し背が高い木立の横で立ち止まった女の後ろには二つの影が歩道に伸びていた。一瞬その影は、七年前によく見かけた光景かと一瞬勘違いした。

 立ち止まり熱々の袋の中を開けると、湯気が上がり肉まんとピザまんが入っていた。店長の記憶の中にも彼がいるのだろうか。


あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
            三日月。

雪が解けるまで 2

2005年12月26日 | 雪が解けるまで
 バス停が見えなくなるまで車を走らせる。辺り一面に真っ白な田んぼが広がりようやく自動販売機の光を見つけ車を前に停め一息つくことにした。積もり積もったある思いがミキサーのように頭の中で疲れと後悔が思い迷ったまま再び七時間の運転を続ける事は不可能だろう。エンジンを切らずドアを開き外へ出て自動販売機で百二十円を入れビターなホットコーヒーのボタンを押すと振動とともに落ちた。乗り込まないままタブをあけ一口飲む。太陽がもうじき顔を出すだろう。空はオレンジ色から濃紺のグラデーション、白い月も一番星も輝いている。車の中から流れる音楽が僅かに聞こえる。
「これで良かったのかな」
 ホットコーヒーで温められた真っ白な息が独り言と共に吐き出される。

 七年前のあの日、原を寮に誘ったのは私だった。彼氏が一人で留学することになり原は一方的に別れを告げられ、見送りにいくことを迷っていてた原に飲み明かそうと誘ったのだ。夜を飲み明かし疲れ果てぐっすりとコタツの上に項垂れたまま眠った。朝一度、トイレに置きカーテンの隙間から外を伺い、そろそろ彼が出発する時間だと時計を見ながら思ったがすやすやと眠る原を見てそのまま眠りに戻った。二人の眠りを妨げたのは鳴り響く電話のベル。昼間近くだった。電話を持つ原は一瞬全身が固まってしまったのではないかと思うほど動きが止まり、何か大変が事でも起こったのだろうかと不安のまま原の顔を見て肩に手を伸ばし軽く揺さぶる。
「事故にあったって、駅前で。病院で手術を受けてるって・・・彼が事故に、行かなきゃ」
 原はコタツを飛び出て立ち上がり鞄だけを走りながら持ちあげそのまま靴を履き外へ飛び出した。薄着のまま飛び出した原のコートを取り後を追おうと玄関のドアを開けたけれどもう姿はなく部屋の中へ戻るしかなかった。

 三時間後に戻ってきた原は、部屋一歩入るなり膝から崩れ落ち体を曲げた。顔は真っ青で言葉の一つも発するのが難しそうで冷たくなった体を温めてあげる事しかやることがなかった。

 トイレに立ったとき眠っている原を起こし駅まで送り届けるべきだった。そうすれば、こんな事にならなかったのではないかと原の姿をみてそう思い、私がこんなに飲まさなければいや、そもそも誘わなければ良かったのかもしれない。そんな私に原は何も言わなかった。ただ憔悴しその後を静かに過ごした。もし、原が私に当り散らしてくれたらこの罪悪感はもっと違ったもので七年経った今でも悔やみ悩むこともなかったかもしれない。

 鳥のさえずりがどこからともなく聞こえオレンジ色の空を小さな鳥たちが一斉に羽ばたく。体がぶるっと震え冷めてしまったコーヒーはもう飲む気にはなれず、再び温かいコーヒーを買い車の中へ戻ろうとドアに手をかけたとき、まっすぐな道のずっと先にいる原は今何をし何を考えているのだろうと見えない原を見つめ車に乗り込んだ。
 七年越しにやっと、送り届けることが出来たけれど、この選択は本当に正しいのだろうかと送り届けた今でも答えは見つからないが、これで良かったのだと今は思える。たとえ間違っていたとしてもだ。愛想を尽かされても、嫌われてもそれでいいと、助手席で眠る原の横でハンドルを握った時決心したののだから。


 真東へ歩いていた。町の中心部へ向かうには田畑を突っ切る一本道を進むほかなく道路沿いに詰まれた雪を避けながらザクッザクッと踏みしめ白い息を定期的に吐き出し前へと太陽の方へ向かう。軽いロングコートにニット帽に厚手の手袋にマフラー、靴底には靴底ホッカイロに衣類に貼れるホッカイロ。防寒対策は完璧だった。バス停のベンチの上に置かれ疑うこともなく準備を整えた。バスの時刻表を念のために確認はしたがバスが来るのは三時間後でとくに気にすることもなく歩き始めた。

 一歩ずつ進みこの遅さではなかなか町中心部が見えてこない。けれど静かな光の中を歩くうちにこれで良かったのかもしれないと思い始めていた。突然町の中心部に置き去りにされたらきっと私は電車に飛び乗って引き返してしまったかもしれないし、このどうにもならない状況では歩く事しかなくその行為が私の心の準備を整えていくように思えた。不思議なことに私はこの町にやさしくゆっくりと歩み寄り受け止められているように思えた。友人の心遣いに感謝した。けれど、冷たい風が田畑を走りぬけ巻き上がる粉雪が顔に当たるたびにその気持ちは薄れていく。

 どのくらい歩いただろう。用意されていたリュックを背負い正面だけを見つめ一歩一歩ふみだしていく。民家がぽつぽつと現れ雪に埋もれた生垣や自転車が生活を現している。目の前にある景色が記憶とシンクロしピントを合わせていく。直線だった一般道がこの先T字路になりその右側に四角い緑の箱が光っていて七年前と変わらずにあるコンビニを確認した。この一般道をそのまま進むよりも田畑を突っ切る車が通れない細い道を進む方が早い。コンビニまで一直線で両脇は踏み荒らされていない真っ白な雪に足跡が残る細い道。一般道は除雪され歩きやすいが、この道はそうでなく歩くたびに靴の中に雪が入ってしまうかもしれない。立ち止まり真っ直ぐコンビニへ伸びる道を見つめる。
 ザクッ・・・ザクッ・・・。
 気持ちは決まっていた。ただ、踏み込むタイミングを相談していただけだった。二つの足跡が並ぶように続いていて、自然と歩幅が狭いほうに靴をはめ込むように進む。

「どうして、踏まれたところを歩かないんだよ、普通はわざわざそこを踏むだろうが」
 楕円型の足跡が真っ直ぐと伸びていて周りの壁は所々崩れている。行き交う人がそこを踏みしめて通っているのだろう。ジーンズの裾は粉雪が纏わり付き真っ白になっていたが気にすることなくまだ踏みしめられていない雪面をわざわざザクリザクリと踏み込んでいた。
「すいませんねっ雪に慣れていないもんで」
 言いながらも、ざくりざくり。
「踏むたびにニヤリと笑うなよ」
 ジャンパーのポケットに両手を入れ呆れた顔で私を見ている。彼は雪と一緒に育ってきたからきっとこの気持ちは分からないだろう。このサラサラ雪のすばらしさにワクワクし、いてもたってもいられず、つい、ざくりといってしまうのだ。これが自分一人では収まらず三段ステップをしながら三段目で彼を力いっぱい突き飛ばした。彼は、田畑にばったりと仰向けに倒れた。
「大丈夫・・・くっ・・・ぷっ」
「おまえなあ、俺が倒れた場所に杭とかあったらどうすんだよ、危ないだろっ」
「くい・・・まさかあ」
 立ち上がった彼は、雪まみれでパタパタと叩き雪を振り落としていく。田畑には彼の倒れた跡がくっきりと模られている。カメラを持ってくれば良かったと後悔したが彼には言わなかった。しばらく眺め彼を見るとすでに歩き始めていた。コンビニに到着する頃には私は相変わらず裾に雪をたらふく付けおまけに息も切らしていた。それを見るたびに彼は呆れ顔で笑った。

 七年前の彼の言葉を守り足跡を辿り歩く。細い道の終わり際に振り向くと二人分の足跡が残っている。彼と一緒に歩いたかのように錯覚した。


まだまだ続くよどこまでも。