ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

後藤田正晴 - 4

2017-06-18 23:36:19 | 徒然の記

 今日は、昨日の続きである、2. 米国への「武器技術の供与」の問題について述べます。本の記述を、そのまま引用します。

「これは三木内閣以来の懸案で、米国の言い分は、」「日本への武器供与により、米国の技術が一方的で不利になっており、」「日本からは、新しい技術の還流がないという、不満だった。」「日本はアメリカの要請に対し、前向きに検討すると言いながら、」「武器輸出の規制があり、」「三木内閣以来、通産省、外務省、内閣法制局、防衛省の意見が一致せず、」「宙ぶらりんの状態になっていた。」

「今は武器技術と、汎用技術との差がほとんど無くなっている。」「日本では普通の技術でも、米国へ渡れば軍用になるものもあるため、」「政府見解の実体が曖昧になっていた。」

「後藤田の考えは、日本の大臣が約束したことは、守らなければないない。」「放置したままでは、首相の訪米もできない。」「あまり消極的にやっていると、日本の技術の発展が遅れてしまうでないか。」「日米安保の枠内でやるのなら、技術供与もいいのではないか、というものだった。」

 こうして氏は周囲の閣僚を説得し、強権発動に近い形で、後ろ向きな各省を動かしました。おかげで中曽根総理の米国訪問が可能となり、レーガン大統領と「ロン・ヤス」と呼び合う関係になったのだといいます。確かにこんな官僚調整は、強力なリーダーシップを持った、後藤田氏にしかできないもので、氏の評価を一段と高めました。

 そして三番目の、靖国参拝についての対応ですが、これも本から抜粋し転記します。

「中曽根は、昭和59年1月5日に、戦後の首相として初めて靖国神社に新年の参拝をした。」「60年の8月15日には、首相として、初めての公式参拝をした。」「これに対して、近隣諸国から、様々な形で攻撃を受けた。」「特に中国と韓国の反発は強かった。」

 結局、後藤田氏の官房長官時代に、公式参拝が中止となりました。大切なことなので、長くなっても文章を転記いたします。「今も、日本人の心の戦後は終わっていない、というのが、」「後藤田の実感であった。」「偏狭なナショナリズムと、自虐にも似た公式的な加害者史観、」「この二つの間にある、歴史的中庸を保つ姿勢が、求められているというように解釈した。」

「近隣諸国に反発があるというのは、公式参拝はまだ時期が早いのだろうという気もする。」「まだ傷を受けた人や、生存中の人々がいることを、思いやらなければならないだろう。」「後藤田の言葉の端々には、明治人の過ちが、大正人に犠牲を強い、生き残った大正人が、」「その荒廃を救い、過ちに対する反省の念を、昭和につないでいくという、」「使命感のようなものが感じられる。」

「中曽根には、そうした反省は感じられないが、」「後藤田は、それを中曽根の欠点と知りつつ、」「そのカバー役に徹したとも言えた。」「中曽根内閣が5年も政権を維持できたのは、後藤田の存在があったから、」「というのが、私の持論である。」

 保坂氏は大した持ち上げ方をしていますが、ここに述べられた後藤田氏の考えに、私は疑問覚え、反論せずにおれません。本はさらに、国鉄・電電公社の民営化、小選挙区制の導入、自衛隊のPKO派遣問題、細川内閣への対応等々、輝く氏の政治的功績が語られますが、私はそれを省略致します。

 ここでは、まことに残念な発見について、正直な感想をのべ、小説「後藤田正晴」の書評とし、ブログを終わろうと思います。

「明治人の過ちが、大正人に犠牲を強い、生き残った大正人が、」「その荒廃を救い、過ちに対する反省の念を、昭和につないでいくという、」「使命感のようなものが感じられる。」

まず私は、保坂氏が書いたこの言葉に、強い憤りを覚えます。もしかするとこれは、オポチュニストの保坂氏が、勝手に解釈した後藤田氏の思いなのかもしれませんが、内容について確認の上で作業を進めたと説明していますから、後藤田氏の言葉だと解釈しましょう。

 明治人の過ちが、大正人に犠牲を強いたというのは、どういう歴史観なのでしょうか。日清戦争と日露戦争が過ちだったと、後藤田氏は言い、大正生まれの氏たちが、犠牲者となって過ちを修正した。その反省の心を、昭和の人間にも伝えていくと、・・どういう読み方をしてもこうなります。

 つまり氏は、日清戦争も日露戦争も過ちであったと認識し、大東亜戦争も過ちであったと言っているのです。その反省の心を、昭和の人間にも伝えていくと言うのですから、あの憎むべき反日・売国の小和田元外務次官と、まったく同じ思考です。「日本は、国際社会に対し、特にアジア諸国に対しては、永遠に謝罪し続けなければならない。」と、日本を救いようのない罪人国とした、あの小和田氏の思考とどこが違うのでしょうか。

 日本の国を犯罪国家として裁いた、あの東京裁判の判決、永遠に日本を立ち上がれなくするあの歴史観を、どうして諾として受け入れられるのか。もしも戦争に正義というものがあるとしたら、正義は二つあるのです。「あちらの正義」と「こちらの正義」です。価値観の違う国が対立し、戦うとき、二つの正義が同時に戦っています。

 それが人類の歴史であり、国際社会の実態なのに、聡明な後藤田氏が、こんな乱暴な歴史観だと言うのなら、無念の一言に尽きます。人類の歴史が続く限り、「日本だけが悪かった。」と反省し、卑屈になって生きていくべしというのなら、後藤田氏の愛国心はどこにあるのかと問うてみたくなります。

 近衛文麿氏は大東亜戦争の責任者で、大事なときに決断ができない小心な政治家でしたが、それでも氏は、「欧米諸国の正義」と「アジアの正義」、「日本の正義」が存在することは理解していました。天皇陛下への尊崇の念と、日本への愛国心は、後藤田氏より遥かに大でした。

「戦争はもう、まっぴらごめんだ。」後藤田氏の実感だと、保坂氏が手放しで褒めますが、日本だけが「まっぴらごめんだ。」といえば、地球から戦争がなくるのでしょうか。日本さえ、先守防衛につとめておれば、世界が平和になり、悪い国がなくなるのでしょうか。

「戦争を知らない若いものが、簡単に軍備を語るな。」「簡単に、戦争を語るな。」と氏は言い、憲法九条の遵守を主張します。しかしどうなのでしょう。世界の政治家は、戦争を知らないと戦争が語れないのでしょうか。戦争の悲惨さを知った政治家は、すべて軍備の全廃を国の政策にするのでしょうか。

 こうした言葉は、それこそ後藤田氏の奢りだとしか、私には思えません。戦後の政治史の中で、氏が残した功績は大きくて、そこいらの政治家が束になってもできないことばかりです。敬意を表しますが、「常識としての歴史観」を喪失し、ひいては「愛国心」すら定かでない氏には、失望するしかありません。

 氏が、タカ派と呼ばれたり、ハト派と呼ばれたりするのは、確固とした愛国心と歴史観がないからそうなるのです。共産党の危険性に警鐘を鳴らす一方で、共産党が目論む「日本崩壊」に手を貸し、お花畑の国民を喜ばせ、日本の安全保障を忘れるのなら、お話になりません。2000年に及ぶ日本の歴史で、戦後はたかだか70年でしかありません。しかもGHQによる占領は、たったの7年です。その間に実施された日本弱体化政策を、どうしてそのまま受け入れてしまうのか。なぜそこに目を向けようとしないのか。不思議でなりません。こうした観点からしますと、残念ながら私は、氏もまた「獅子身中の虫」の仲間であり、「駆除すべき害虫」と言わざるを得ません。

 このように卓越した人物が、国民を惑わせ、日本の明日を歪めているのですから、「日本の独立」と「戦後レジュームからの脱却」は、まだ遠いのだと実感いたしました。でも私は、絶望したり、投げやりになったりはしません。こういう時は、いつも北欧の小国であるノルウエーのことを考えます。

  去年のブログで書いたのですが、私たち日本人の多くは、ノルウエーがどのような歴史を持つ国なのか、ほとんど知りません。偶然の機会があり、ノルウエーで三週間を過ごし、びっくりして戻りました。
ノルウエーは、デンマークによって130年間支配され、更にスエーデンにから380年間も属国扱いをされ、合算すると510年間になります。それなのに1940年から1945年までの5年間、更にドイツの支配下に置かれるという不幸に見舞われました。かろうじて国外へ脱出したホーコン7世が、ヒトラーのドイツに徹底抗戦し、祖国解放のため、国民が国の内外で戦いました。第二次世界大戦後にやっと念願の独立を達成し、ホーコン7世は国民的レジスタンスの象徴となります。ノルウエーのあちこちに、ホーコン7世の大きな像が立っています。

 515年間も近隣国から支配されたにもかかわらず、独立を諦めなかったノルウエー国民の忍耐を思えば、アメリカによる支配はたったの70余年です。国内に生息する反日の政党、反日の学者、反日のマスコミ等々がいくらのさばっていても、国民が「お花畑」の存在に気づき、ご先祖様の大切さを再認識する日が来て、そのあと100年も頑張れば「主権回復」できるのではないでしょうか。

 さて今晩も、夜が更けてきました。梅雨寒とでも言うのか、少し冷えてまいりました。明日は雨になるという予報ですから、のら猫タビーは訪ねて来ません。どうやら雨の降る日と風の強い日は、空腹になっても外出しないと決めているようです。そういうことで、明日は少しくらい寝坊をしても心配なしです。

 知らないことをたくさん教わったので、保坂氏は嫌いでも、本には感謝せずにおれません。今晩もまた、ゆっくりと読後の余韻に浸りつつ、感謝したり、腹を立てたり、感心したり、軽蔑したりで、忙しい夜になります。 

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