ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

女工哀史

2017-02-13 23:16:24 | 徒然の記

 細井和喜蔵氏著「女工哀史」(昭和23年刊 改造社)の再読終了。

 この本は大正12年に起稿され、大正14年に書き終えられたものです。初版本は、大正14年改造社から出されているらしいので、敗戦後に出版されたこの本が、何版になるのか私は知りません。先日読み終えた「三太郎の日記」は、昭和24年版でしたから、敗戦後のこの時期はGHQが言論の自由を認めたため、左翼系出版が息を吹き返した頃なのかもしれません。

 この本も「三太郎の日記」と同じ頃に、学校の近くの古本屋で手に入れたものだと思いますが、なんとも酷い本です。内容のひどさについては後ほど述べますが、本そのものの粗末さです。「三太郎の日記」と同様、ページは全て黄色に変質し、めくるとすぐに表紙が外れ、のりしろが外れ、読み終えるまでに、なんと本は三分割されてしまいました。しかも文字は老眼鏡をかけても読めないほど印字がかすれ、敗戦直後の日本がどんなに貧しかったかを実感させられる本でした。

 それだけでも歴史的遺産と言えますが、内容もまた古き良き大正を語る書でもありました。左翼活動家なら、一度は読むべき先達の本などと賞賛された書物らしいのですが、今の私に言わせてもらうなら、「こんな本が、なんで活動家の先達の本か。」と呆れてしまう内容です。

 著者である細井氏は、明治30年に生まれ、大正14年にわずか28歳で亡くなっています。つまりこれは、氏が亡くなる直前の著作であり、稚拙だとしても無理はありません。学生時代の自分がどのような読後感を得たのか、今は知る手掛かりもありませんが、それほど評価をしなかったのだろうと推察できます。

 自分の知らない戦前の日本は、人によって色々と違った姿で語られます。絶対的天皇制のため、国民の言論が封殺され、弾圧され、ひどい軍国主義の時代だったという人もいます。しかしネットの情報では、次のような解説もあります。

「大正年間を通じて都市に享楽的な文化が生まれる反面、スラムの形成、民衆騒擾の発生があり、労働組合と小作人組合が結成されて、労働争議が激化するなど社会的な矛盾が深まっていった。」

「大正年間には、二度に及ぶ憲政擁護運動が起こり、明治以来の藩閥支配体制が揺らいで、政党勢力が進出した。それらは「大正デモクラシー」と呼ばれ、尾崎行雄や犬養毅らがその指導層となった。」

 官憲の弾圧はあったにしても、世間では色々な意見が戦わされ、結構やりたいことをやっていたのだという気もします。氏が亡くなった大正14年とはどんな年だったのか、ネットで検索すると、「京都帝国大学創設」「尾崎紅葉の金色夜叉が、読売新聞で連載開始」「ドイツが、山東省膠州湾を占領」などと書かれていました。

 そういう時代に生きた氏は、幼くして両親と別れ、13才で丁稚奉公に出ます。その後大正12年まで、紡績工場の職工として働き続け、彼がこの本を世に出せたのは、女工であった妻が、執筆する彼を経済的に支えたからでした。いわばこの書は、氏とその妻が命を削るようにして完成させた珠玉の一冊です。

 私は、氏とその細君の労苦を察し、敬意を捧げますが、それでも、「珠玉の一冊」がそのまま「優れた著作」とならないことも、語らずに済ませることはできません。「歴史を刻む大切な遺作」であっても、残念ながら、「優れた著作」とはなり得ないのです。

 28才の労働運動家の思想が、いかほどのものであったか、氏の言葉を引用してみましょう。現在の左翼活動家に比して、思索のレベルが高いのか低いのか、読む人の判断に一任したいと思います。

「衣食住は、大自然の運動と人間自身の労働によって得られる。」「人間は自然が作ったのであるから、自然は人間を養うため、食物を与えるのが当然の義務だ。」「だから自然は飽くまでもその責を完うし、尽きせぬ原料をわれわれ人類に与えている。」

「私は人間の労働を加えなければ、衣食住の完成品とならないような、不完全な未製品を与える自然を間違っていると思うが、よく考えてみれば人間は、自然に背いている反逆者なのであった。」「ああ、楽々としてなんの苦もなく、自然のふところにいつまでも眠っていられるものを、われらは何の要あってか、ついに叛いてしまった。」「そのために人類は、永遠に労働を課せられた。ただ、生きるが為に・・・・。」

 叛くということが何を意味しているのか、よく分かりませんが、もしかすると、神に叛いてリンゴを口にしたアダムとイブの話なのか。果たしてマルクスが、そんなことを言ったのか。氏は、聖書と資本論をミックスしたような意見を更に述べます。

 「人類の生活に絶対的必要なものは、衣食住を作り出す労働だと言い換えることができる。」「おおほんに、労働無くして人間は、一日も生きていくことができない。食う、着る、住むの労働が。」
 
「われらは芸術がなくても死にはせぬ。」「政治というものがないからとて、たいした差し支えはなかろう。」「しかし食うに米なく、住むに家なく、着物が一枚もなかったら牢獄へ行くこともできないではないか !」「ここにおいて、しみじみと労働の尊さを感じる。」
 
 おそらくマルクスの言う「労働価値説」を説いているのでしようが、乱暴な話ではありませんか。大胆で、乱暴な氏の理論が、元気いっぱいに展開されます。引用せずにおれない、奇抜な主張です。
「私はこの衣食住の労働を、「父」と「母」という、相異なった二つの性格で表すことに興味を持つ。」「農民は人類の父である。米や麦や、その他あらゆる原料を作って人間を養っていく。」「そうして「紡織工」は、その父がつくつた原料を糸に引き、布に織って子供に着せる。」「すなわち母性的いとなみであり、愛の労働である。」
 
 「実に農民が人類の父であるに対して、紡織工は人類の母であらねばならぬ。」「そして家を建てたり、道路をつけたりするようなその他諸々の労働は、」「一切この「父と母」なる二つの大きないとなみの別れに過ぎないであろう。」
 
 マルクス本人だって目を丸くするに違いない「労働価値説」の上に立って、この著作は書き進められていきます。内容が稚拙であっても、見過ごせない歴史の事実が書かれており、しかも氏は命がけなのですから、安易な批判ができません。ニベージから三ページにかけての叙述ですので、あとはもう、私の忍耐がどこまで続くかにかかっています。誰に命じられている訳でもありませんが、「頑張るぞ」と自分に言い聞かせます。
 
 こんな本もあるのですね。これが読書の喜びでもあり、世間というものの広さなのでしょうか。幾つになっても、新しい発見があるものです。しかし、もう遅くなりましたので、今晩はここまでとします。お休みなさい。
 
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4 コメント

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Unknown (ミルティリおばさん)
2017-02-16 03:33:20
「女工哀史」という言葉をひと頃、
両親によってよく耳にしました。
このような本を知りませんでした。
無理かもしれませんが是非読んでみたいです。

ねこ庭殿の解説によると、
私には読みやすい本のようです。

基に西洋文学の、誰とは言えませんが、
フランスかドイツの翻訳された文学が
あるのではないでしょうか。

叛く、というのは「自然に叛く」と
私は解釈したのですが。

ご紹介を有難うございました。
翻訳書 (onecat01)
2017-02-16 07:15:36
ミルティリさん。

 翻訳書があるのですか。手に入るといいですね。

 叛くというのは、自然であり、神であると、私はそんな風に読みました。それにしましても、自然に叛くという氏の考えは、どこから来るものなのでしょう。原罪意識みたいなものですから、神話からでないかと、そう思いましたが・・・。
お邪魔いたします (ミルティリおばさん)
2017-02-17 01:55:51
言葉足らずで申し訳ありませんでした。
細井和喜蔵は、彼の知の下敷きに
西洋文学が、西洋文学の翻訳書が
あるのではないかと感じたわけです。

神話と仰ると日本の神話ですか?
自然(神仏とも言い換えられますか)
自然から頂いたもの、自然に呼応する命に叛く、
と単純に考えましたのですが。

再三お邪魔して申し訳ありません。
ねこ庭殿のブログに紹介される本は
難しい本もありまして時間をかけないと
読み解けないです。

長屋殿の「不必要な善意」も時間が必要で
ブログを残しておかれるよう、お願いしました。

それでは時々参りまして
じっくり読ませて頂きます。


自然 (onecat01)
2017-02-17 07:35:52
ミルティリさん。

 細井氏の書には、西欧の翻訳書の影響があると、私もそう思います。「自然に逆らったから、人間は働かなくてはいけなくなった。」という意見が、まさにそれです。

 日本には自然に逆らった人間に、労働という罰が与えられたという考え方はないと思います。原罪という考え方と思えますので、アダムとイブの神話かなと推察しました。
 氏は正式に学んだ人物でなく、独学の人ですから、知的な世界は狭く、独断が多かったのではないかと、そんな気がいたします。ベーベルの婦人論と比較して語られるときもありますが、残念ながら、氏は知識の世界ではベーベルに及びません。
 そのかわり、庶民としての飾らない心情が、とても純です。理論を無視するところが、いかにも日本的で、私の心情に親近感を与えます。

 現物を読まれましたら、貴方の方が的確に語られるはずですから、私の拙い感想はこの辺りでやめます。お元気で。  

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