ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

後藤田正晴 - 3

2017-06-18 14:02:42 | 徒然の記

 6月17日、やっと評伝「後藤田正晴」を読み終えました。

 前半は役人としての氏の活躍、後半は田中派の実力者議員としての足跡が描かれていると、簡単に言えばそうなります。しかし氏は、私が思っていた以上に、戦後政治の根幹に関わってきた、大物政治家でした。 

 初出馬の選挙で、高級官僚の意識が抜けず惨敗しますが、二回目以降は努力で地元の票を伸ばし、ついには最高当選を果たします。盤石の基盤を築き、自らが議員辞職するまで、政界の中心で力を振るい、金権田中派の幹部議員として、クリーンを標榜する三木武夫氏と、同じ選挙区で戦い続けます。当然氏には、田中元首相を攻撃する、三木、福田、保利の三氏が、終生の政敵となります。

 ロッキード事件で田中氏が失脚した後も、田中派は自民党内の最大派閥として、政局の中心にいました。元首相逮捕の記事が世間を大きく騒がせた以後の、慌ただしい政局については、今も鮮明な記憶が残っています。当時の状況が垣間見える描写を、引用します。

「マスコミには、三角大福という語があらわれ、三木、田中、大平、福田の派閥の領袖が、」「怨念をあらわにして、戦っていると言われた。」「三木は田中と大平を嫌い、田中は三木を、自分の逮捕を許可した首相として憎悪し、」「福田の田中批判にも神経を尖らせた。」「大平は、政権禅譲の約束を破った福田をなじり、三木の非協力的な姿勢に苛立った。」

こうした中、昭和54年の衆議院選挙で、後藤田氏は五つの政策を示し、これが後藤田五訓と呼ばれるものになりました。つまりそれは、1. エネルギー問題、2. 高齢化社会への対応、3. 教育改革、4. 土地問題、5. 安全保障の五つです。

 著者の説明によりますと、「後藤田は、ことさらに政治哲学や、政治理念を声高に叫ぶよりは、」「この五つの政策を示すことで、日本の進路を示していった。」ということになっています。高邁な政治理念を語りながら、実際の政治では老獪な策を使う、三木氏への対抗でもありました。

 昭和57年から62年までの5年間、氏は中曽根内閣で官房長官、行政管理庁長官、総務長官、そして再び官房長官を務めます。この間中曽根内閣で、氏は、今も尾を引いている三つの外交問題を処理しました。1. 韓国との教科書問題、2. アメリカとの武器技術供与問題 3. 中国との靖国参拝問題です。1と2は、前任の鈴木善幸首相が残した、積み残しの問題でした。先ずその一番目の問題について、そのまま本から抜粋し転記します。

「韓国との教科書問題と経済協力も、前内閣から先送りになっていた。」「教科書問題で韓国は、日本の認識が、36年間の植民地支配に対する、」「歴史的反省を欠いているとの批判を明らかにさせていた。」「経済協力問題は、援助額が60億ドルか40億ドルかで、棚上げ状態になっていた。」

「これを解決するため、中曽根は、臨調副会長の瀬島龍三を使い、」「彼の旧陸軍高級軍人としての人脈を使い、韓国中枢部に渡りをつけようとした。」「瀬島はひそかに韓国に渡り、人脈を通じて全斗ハン大統領に、中曽根の意向を伝えた。」「昭和58年、中曽根は瀬島の根回しに応じて、」「40億ドルの経済援助と、朝鮮半島の平和と安定が、アジア全体にかかわるという、」「コミュニケを発表した。」「日韓の、緊密な協力関係が確立したのである。」

  氏は、懸案を解決した中曽根氏と後藤田氏を賞賛していますが、これ以後教科書問題は、盧泰愚、金泳三、金大中、ノムヒョン、李明博、パククネと、大統領が変わるたび「歴史問題」として持ち出され、ひたすら責められるというパターンが定着します。韓国は戦前の日本を攻撃する一方で、日本から資金援助を引き出すという卑劣とも言える政策を、歴代大統領が引き継ぎます。日本では、内閣が変わるたびに深く遺憾の意を表し、「日韓の、緊密な協力関係が確立した。」と、みっともないコミュニケを発表するのが習わしとなりました。

 盧泰愚大統領の時からは、これに捏造の慰安婦問題が加わり、宮沢首相の謝罪、加藤官房長官の謝罪談話、村山首相の謝罪、河野談話と、底なし沼のような反省と資金援助が繰り返されていきます。最初は謙虚に応じていた国民も、執拗な韓国の姿勢に疑問を抱き、やがて嫌悪すら覚えるようになりました。しかもこれが、朝日新聞の捏造報道が発端になっていると判明したことが、草の根の日本人の目を覚まさせることとなりました。

 私もこうした人間の一人であり、韓国問題につきましては、強い怒りと共に何度かブログに書いてきましたので、これ以上は述べません。ただここで言っておきたいのは、著者である保坂氏の賞賛が、大きな間違いであるという事実です。

 一流紙と言われる朝日が報道したからといって、中曽根氏や後藤田氏が、真偽を検討することなく謝罪し、安易な経済援助をしたため、韓国をいい気にさせました。歴史問題で攻撃すれば日本はいくらでも謝罪し金を出すと、そんな先鞭をつけた。それが、中曽根内閣だったと私は考えます。もちろん当時は、朝日新聞が、反日・売国の会社だと世間に知られておりませんでしたし、利敵行為をする売国の日本人が、多数絡んでいる事実も知られていませんでしたから、中曽根氏と後藤田氏を一方的に責めるのは、酷な面もありますが、保坂氏のような、おめでたい評価をする話でないことだけは確かです。

  昨夜から始めたブログが、まだ終わりません。現在18日午前11時です。こうなりますと、残念ながら、2. アメリカとの武器技術供与問題 3. 中国との靖国参拝問題は、別の機会としなければなりません。
家内も私も、朝食がまだなのですが、これも保坂氏の素晴らしい著作の影響です・・・。もしかすると、階下の居間のガラス戸の外で、のら猫タビーが餌を待っているのかもしれません。くだくだと述べるのを中断し、本日はここで終わりにします。何にしろ空腹になりました。(腹が減っては、戦ができぬです。)
 
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