ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

毛沢東秘録 ( 下 ) - 3 ( 毛沢東と林彪 )

2016-10-10 07:48:12 | 徒然の記

 いつもと同様、本の叙述を紹介します。

 「クーデター計画書とされる文書がある。〈五七一工程紀要〉と書かれたノートのページには、鉛筆で番号が振られている。」

 「ノートの中には、毛沢東を痛烈に批判する記述があった。」

 〈毛沢東は、すでに現代の秦の始皇帝になっている。彼は真のマルクス主義者でなく、孔孟の道を行い、マルクス主義の衣を借りて、秦の始皇帝の法を執行する、中国歴史上、最大の封建的暴君である。」〈現代の始皇帝を、打倒せよ ! 〉〈社会主義の看板を掲げた、封建王朝を倒せ。〉

 「この〈五七一工程紀要〉は、中国共産党が1972 ( 昭和47 ) 年に、極秘文書として党内の一部に配布した。そこには、林彪とその妻葉群(ようぐん)が、息子の空軍司令部作戦部副部長の林立果(りん・りっか)らに作成させた、クーデター計画書であることが断定されていた。」

 権力を振るう暴君につきものの暗殺計画が、毛沢東の身辺でも画策され、彼とて安穏とした独裁者でなかったことを教えられる。だが他人の命を奪う者は、己も危険にさらされると毛沢東は知っていた。

 「妻の江青にも心を許さなかった彼は、その意味では生涯革命の闘士であり、孤独の人間だった。一党独裁の政治体制下では倒されたら負けで、倒した者が次の独裁者となる。油断すれば命を失うのだから、権力の頂点にあっても信じられるのはただ一人、己だけだった。」

 「林彪の息子林立果は、四年前に文革が始まった時、北京大学物理学科の一年生だった。彼は人民解放軍に入隊し、わずか二年半で、空軍司令部作戦部副部長という要職に就いた。異例のスピード出世だが、党内序列二位で国防相の子息だから、空軍内では誰も表立って文句を言える訳がなかった。」

 「林彪の側近たちは、林立果を「万能、抜群の才能、毛沢東・林彪を継ぐ三代目の後継者」などと吹聴して回った。林彪は、〈思想だけでなく、言葉遣いも私に似ている〉と、息子に目を細めている。」

 こんな文章を読んでいると、林彪も立果も、毛沢東に比べれば小者だと分かる。毛沢東に息子はいなかったが、忠誠を誓う肉親がいても重用しなかったし、妻にも気を許していない。政敵を倒す時も自分は表に出ず、味方のように振舞う用心深さだった。

 あらゆる場所に情報提供者を配している毛沢東は、林彪たちの動きを初めから知っていたのかもしれない。本には書かれていないが、そんな気がする。

 「林立果は空軍司令部内に「連合艦隊」という秘密組織を作り、様々な企てをし、メンバーの多くは三十代の若手将校だった。林彪自身がクーデターを本気で検討していたのなら、軍参謀長の黄永勝や空軍指令員の呉法憲など腹心の将軍が、もっと慎重な計画を立てたはずと、そんな疑問が今も研究者の間にある。」

 林彪の最後の叙述では、不明だったためか、省略されたのか、読んでも分からない部分が多くある。最初から毛沢東がクーデターを察知していたのか、目障りになった林彪を自らの手で処分したのか。私には、そんな疑念が払拭できない。

 「この間に毛沢東は、米中間の秘密交渉を進め、世界を驚かす「ピンポン外交」を決断していた。」

 「毛沢東に米国との関係改善を決意させた最大の要因は、ソ連の軍事的脅威であった。1969年の珍宝島事件など、中ソ国境における大規模な軍事衝突は、その懸念をいっそう強くさせ、彼は〈米国カード〉を欲した。米国もまた、ソ連との冷戦で、〈中国カード〉は大きな魅力だった。キッシンジャーの秘密交渉について、党と解放軍幹部への中間報告会を開催することを、周恩来が提案した。」

 「〈説明報告会には、出席するの。〉と、林彪の寝室に妻の葉群が入ってきて、押し黙ったままの林彪に、たたみかけた。」

 「また周恩来が出しゃばってきた。このところあいつは、本当に生意気だよ。アメリカ人と結託するなんて・・・。〈で、どうするの。参加するの。〉、林彪はようやく口を開いた。〈周恩来がアメリカ人を相手にしたって、馬鹿にされ、恥をかくだけさ。〉こう言って一つ咳をし、両手を後ろ手に組み、彼は寝室から出て行ってしまった。」

 出典は林彪の秘書の回想記らしいが、夫婦の寝室での話が、微に入り細に入りどうしてここまで語れるのか。中国人の著作というものは何か、とても不思議で、怪しい。

  林立果が、南方各地で幹部に講和をしている毛沢東の暗殺を決断すると、なぜか、毛沢東は列車の運行予定を突然変更し、計画を挫折させる。空軍機で脱出した林彪が墜落事故死し、軍用ヘリで逃亡しようとした立果の仲間が射殺されてしまうところなど、このあたりの叙述が何度読んでも曖昧だ。

  「林彪の乗った256号機が、モンゴル領に入って消息を絶ったあと、周恩来は彼らがソ連へ逃亡したと考えた。周恩来は外国通信社の報道に注意し、あらゆる状況に対応できる準備をするよう、外交部に指示していた。不眠不休で指揮をとり、ようやく睡眠薬で眠りについた周恩来に、モンゴルの中国大使館から緊急報告があった。256号機は、燃料切れのため不時着しようとして失敗し、墜落炎上したものと見られた。」

 「周恩来は毛沢東の部屋へと急いだ。〈主席、256号機の行方が判明しました。〉毛沢東も起き抜けだったが、矢継ぎ早に質問を浴びせた。〈情報は確かか。〉〈燃料切れか。〉〈空港と見間違えたのか。〉そして次が、毛沢東の警備隊員が聞いた毛の言葉だ。」

 「〈林彪事件処理の、理想的な結末だな。〉これが文化大革命で右腕となり、自ら党内序列第二位とし、後継者に指名した林彪の死を知った時の、毛沢東の冷徹な呟きだった。」

 「中国共産党は、対外的に〈林彪の墜落死〉をひた隠しにする一方で、党の幹部に宛て〈林彪が祖国を裏切り、逃亡したことに関する通知〉を、極秘で出した。それからしばらく経って、各地で批林整風 ( 林彪を批判し、思想を整頓する ) 運動が進められたが、一般党員や国民には理解し難かった。」

 「この事件のあと毛沢東は、身辺執務員の目にも明らかなほど老け込んでいった。風邪が気管支炎になり、さらに肺炎に転じた。翌年の1月、林彪らから激しく批判されて亡くなった元外相陳毅の追悼式に、毛沢東は病をおして出席した。居宅に戻った時は異常なほどに疲弊し、それから数日後に心臓発作を起こし、医者の緊急救命措置でことなきを得た。」

 現代の始皇帝と批判された毛沢東も、心に傷を負っていたことが伺える。「同情する気になれないが、荒涼とした心の様は理解できる。

 これ以後にも、ニクソン訪中、国連加盟、核実験の成功、日中国交回復、と大きな事件が続く。鄧小平と江青ら四人組との凄惨な戦い、周恩来の死去、そして故人となった周恩来への、四人組の仕打ちに抗議する国民の怒りが、第一次天安門事件となった。

 朝日新聞で馴染みになっていた偏向報道の真相が、ここで明らかにされている。しかし私は、これ以上中国の政治について語るのが、嫌になってきた。こんな危険な国が隣にあることの恐ろしさが、ブログを読む人には伝わったはずだし、日本共産党や、民進党内の左翼議員に一票を入れていけないことも、わかってもらえたと思う。

 今夜も、時計の針が一時を回った。明日は久しぶりの晴天らしいので、「ねこ庭」の草取りをし、中国を忘れよう。

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2 コメント

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中国という国。 (憂国の士)
2016-10-10 11:39:51
心引き締めて拝読いたしました、
人の目というと又、onecat01さんに笑われますが、文化大革命が中国全土に吹き荒れた頃、
日本が台湾との友好関係を裏切り田中総理と大平外相が国交回復で中国に向かった時、
新聞等は煽ぎたてました、その時紙面やテレビに映る毛沢東主席の顔に不気味さを感じたのです。
その時の目が異様に独裁者の冷酷さを現していました、左翼陣営の持つ独特の目でした。

私の人相、特に目への執着心の芽生えです、目は口ほどにものを言う、
安倍総理の目は彼らとは全く別のものです、あらゆる手段で政権打倒を叫ぶ野党、
最後の砦です、獅子身中の虫退治はあるものの外国に国を売る野党から守らなければならない。
そう覚悟しています。

毛沢東の目 (onecat01)
2016-10-10 12:16:47
憂国の士殿。

 毛沢東の目に、そのような印象を持たれていた貴方に、敬意を表します。当時私も朝日新聞で毛沢東の顔を何度か見ておりましたが、そういう観察はいたしませんでした。
熱心な朝日新聞の読者だったので、むしろ尊敬の念で毛沢東の写真を眺めていたのだと思います。朝日新聞は、中国政府に同調し、決して林彪の死亡を認めず、報道もしなかったと本に書かれています。
 売国の朝日は、売上拡大を第一として、日本に対する客観報道を捨て去っていたのです。このひた隠しの大嘘は、慰安婦報道と同様、反日、売国、亡国の捏造です。
私はとっくに朝日新聞の購読をやめましたが、今でもこの敵国新聞を読んでいる人間が、いるというのですから、不思議でなりません。こういう人間は、獅子身中の虫に餌をやっているのですから、反日の仲間なのにと、そう思うこの頃です。

 コメントを有難うございました。

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