ねこ庭の独り言

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イラク わが祖国へ帰る日(反体制派の証言) - 4

2017-08-14 12:37:56 | 徒然の記

 韓国のパククネ元大統領は、 かって、「日本への恨みは、1,000年たっても消えない。」と語りました。聞いた時は、こみ上げてくる怒りを抑えるのに苦労しましたが、勝又氏の著作を読み終えた今、別の思いが生まれました。「韓国だけが、特別に執拗でやっかいな国でなかった。」・・・、という発見です。

 イラクを取り巻く中東の国々は、韓国同様千年単位の感情で現在を生きています。日本人のように、「10年ひと昔」などという、忘却の潔さは知らないのです。日本の左翼は皇室の神話を笑い、天皇の歴史を蔑視し、過去を大切にする国民を、低脳者でもあるのように軽蔑しますが、こうしてみますと、やはり彼らは国際社会を知らない無知な集団だと分かります。

  憎しみから、希望の明日は生まれません。憎しみから生まれるのは、不毛な対立と殺し合いです。しかもそれは、子々孫々に受け継がれ、国内だけでなく、近隣諸国との絶えまない紛争の連鎖となります。

 前置きが長くなりましたが、本に戻りましょう。欧米の大国に弄ばれる、イラクの現実です。

「マスウド・バルザーニは、クルド民族運動の英雄、」「ムスタファ・バルザーニの息子だ。」「物静かで控えめな性格、他人の話に耳をかたむける真摯さ、」「一度口にしたことは、決して忘れない誠実さが、」「彼を知る人々の、一致した評である。」

 「だが、おそらく彼は、もう一つの教訓を心に秘めているに違いなかった。」「それは、秘密工作は、慈善事業ではないという言葉だ。」「米国のクルド支援に加わった、キッシンジャー元大統領補佐官の、言葉だと言われる。」「キッシンジャーの話になると、悔恨と怒りが混じり合う気持ちの高ぶりを、」「マウドは抑えようとしない。」「クルド支援から、アルジェの合意まで、あの計画の全てをたくらみ、」「監督していたのは、キッシンジャーだった。」

  米国の支援を信じて戦った彼の組織は、米国の突然の裏切りで、壊滅的な打撃を被りました。イラクに介入しているのは、キッシンジャーだけではありませんでした。

「  " イラク国民合意 " (INA) が崩壊したことで、」「CIAの対イラク工作が打撃を受けたかというと、そうではない。」「米国が望んでいたのは、軍事作戦によって、」「フセイン政権に揺さぶりをかけることでなく、」「政権の内部や軍のクーデターが起き、」「フセインが舞台から、去っていくことだった。」「そうであれば、イラク全土が混乱に陥る危険が少なくてすむ。」

 日本人の政治家も、多くの日本人も、米国を信頼しています。あたかもアメリカが、正義と真心の国であるとでも言わんばかりです。こうしてイラクの本を読んでいますと、敗戦後の私たちが、いかに危機感を無くしてしまったかを痛感させられます。他人を信じるのは大切なことですが、国際社会では往々にして「お人好し」としか、受け取られない事実も知っておくべきです。

  「イラクの反体制派の中には、グループ・オブ・フォーと呼ばれる組織がある。」「クルディスタン民主党(KDP)と、クルディスタン愛国同盟(PUK)、」「イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)と、イラク国民合意(INA) だ。」「フセイン政権の打倒をめざす、ブッシュ政権がアプローチしたのも、」「この組織だ。」

 四つの組織の他にも、小さな反体制派集団が沢山ありますが、彼らは自己主張が強く、一つにまとまることができませんでした。個々では優れた意見を持っていますが、団結して国難に当たることができません。どの組織も、単独ではフセイン政権に対抗する力がなく、米国の軍事力と政治力を頼りにしています。まさに、烏合の衆団でした。

 勝俣氏の著作を読んでいますと、なぜか現在の日本が重なってきます。反日の野党は、中国を頼みに与党を攻め、自民党は保守の誇りを忘れ、米国頼りです。敗戦後の日本が、ずっと米国に従属し、独立国の体をなしていないというのに、憲法すら改定しません。世界第二の経済大国だとか、アジアの優等生だとか、そんな虚言でうぬぼれている場合なのでしょうか。

 右も左も危機感を無くした政治家たちが、中国や韓国、あるいはフィリピンやインドネシアから、大量の移民を受け入れたら、100年もすれば日本は別の国となります、戦争という手段でなくとも、移民が増え、住み着いていけば、日本は内部から崩壊します。外来種のブラックバスや、噛みつき亀がやってきて以来、日本固有の魚や亀が絶滅させられているように、人間だって同じことです。

 以前に読んだ林房雄氏の著作から、次の話を、もう一度転記したくなりました。

 「慶喜が大阪から江戸城へ戻ってくると、」「仏国公使ロッシュが、謁見を乞うてきた。」「彼は慶喜に再挙を勧め、軍艦、武器、資金は」「すべて、フランスから供給すると言った。」「慶喜はこれを拒絶し、逆に彼を諭している。」

「 わが国の風として、」「朝廷の命で兵を指揮する時は、百令ことごとく行わる。」「たとえ今日、公卿大名の輩より申し出たる事なりとも、」「勅命には、違反しがたき国風なり。」「されば今兵を交えて、この方勝利を得たりとも、」「万万一天朝をあやまたば、末代まで朝敵の悪名をまぬがれがたし。」

「さすれば昨日まで当家に志を尽くしたる大名も、皆勅命に従わんは明らかなり。」「よし従来の情誼によりて、当家に加担する者ありとも、」「国内各地に戦争起こりて、三百年前の如き兵乱の世となり、」「万民その害を受けん。」「これ最も、余が忍びざるところなり。」

 勝海舟に比べ、慶喜公は愚者だったという風説もありますが、仏公使ロッシュに向かい公が語った言葉を知れば、誰が暗愚の将軍と言うでしょう。幕府にはフランスの援助を当てにする者もいましたが、自らの判断でこれを退け、戦乱を避け、泰然と決断した最後の将軍の姿に、私は深い敬意と感謝の念を覚えます。

 時を同じくして、西郷隆盛が、英国の外交官アーネスト・サトーから熱心な提案を受けました。「幕府はフランスと深く結びついているから、このまま放置しておけば、幕府が諸侯を攻撃してくる。」「幕府とフランスの奸計に対抗できる強国は英国しかないので、薩摩が英国と手を結んでおく必要がある。」「もしフランスの援兵が幕府を助けたら、英国は同数の援兵を出す。」

 サトーにこう言われた西郷が、なんと答えたか。将軍慶喜公に匹敵する、日本武士の言葉でした。

  「日本の国体を立て貫いて参ることにつき、外国人に相談するような面皮は持ち合わせては居ない。」「このところは、われわれ日本人で十分合い尽くすゆえ、よろしくご賢察あれ。」

 ここで西郷がうっかり提案を受け入れていたら、英国に受け身となり、やがて言われるがままの従属国になったはずです。同じことが、慶喜候とフランスとの間にもありました。慶喜公の決断と、西郷の矜持が、戦乱の世になるのを避けさせ、英仏の植民地へなることを防止したことを知れば、現在の私たちは感謝するだけでなく、見習わなくてなりません。

 「日本国民は、」「平和を愛する諸国民の、」「公正と信義に信頼して、」「われらの安全と生存を保持しようと、」「決意した。」

 慶喜公と西郷だけでなく、明治の政治家たちが、このような憲法の文言を知れば、怒り心頭になるはずです。平和を愛する諸国がなかったから、日本は孤軍奮闘してきたと、私たちを戒めるに違いありません。第一この文章は、正しい日本語になっていません。「日本国民」とわざわざ言ったり、「われら」などと、くどく言葉を重ねたり、「信義に信頼して」と、間違った用語の使い方をしと、日本人なら書かない悪文です。だから私は、もう一度言います。

   日本の自立を達成するためには、憲法改正が必要です。

 

 [ 追記]  肝心なことを忘れていました。

 日本がイラクと違うのは、幕末の大乱の中で、異なる意見を持つ諸藩が、天下のため小異を捨て、大同に就いて倒幕をやり遂げたことです。イラクの反体制組織は、それができませんでした。一つにまとまることが出来ないだけでなく、最初から米国という他国に頼りました。

 武士たちは、将軍から下級武士まで、異国に頼らない矜持と、危機感を持ち合わせていました。敵であっても、死者を弔い、礼節と節度を持つ、武士道精神がありました。敗戦後の私たちが失くしたものです。憲法を改正し、失った魂を取り戻さなくてなりません。

 

コメント (2)
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