ねこ庭の独り言

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「戦後補償」を考える

2015-08-08 18:20:06 | 徒然の記

 敗戦の日の今日、内田雅敏氏著「 戦後補償を考える 」 (平成6年 講談社現代新書刊) 、を読了。

 氏は昭和20年生まれだから、私より二つ年下だ。大学も学部も同じなので、キャンパスのどこかでスレ違っていたのかもしれない。彼は弁護士となり、反日の闘士となり、日本を弾劾し続けている。だから私と彼は、このまま一生すれ違いで終わるだろう。

 年令を重ねているだけに、熊谷氏より事実を調査しており、沢山の知識がある。
なるほどと感じさせられる記述もあったので、氏を「反日の徒」と罵るのを止め、最後まで静かに読んだ。

 日本の戦後補償が、ドイツに比較し、いかに少なく、不徹底なものであったかと、これが著作のテーマだ。

 「日本は、戦後賠償をまったくしなかったわけではない。」「しかしそれは、あまりにも不十分なもので、」「しかも被害者たる住民に、直接支払われたものではない。」

 「ともすればその賠償が、彼の地の独裁政権を支えるために、役立ったり、」「甚だしきはその一部が、日本の保守政界に還流するなど、」「大きな問題を内包するものであった。」

 賠償金の保守政治家への還流については、氏と同様、私も憤らずにおれない。だが独裁政権しか存在しなかった、当時のアジアで、日本にどうしろと言いたいのか。氏は言及していないが、中国や韓国は当時どころか、今でも似たような政権でないか。

 「現時点での比較だけでも、その賠償額において、」「日本とドイツは、1兆円対7兆円の開きがあり、しかもドイツは、なお補償を続行中である。」

 ドイツとの比較で、氏は金額を並べているが、私の知る数字では、韓国一国でも、日本は4兆8千億円を支払っている。残してきた資産額は、31兆円だ。名称こそ違っているが、敵対してくる現在の中国に対し、平成27年の今でも援助を続けているということを、どうやら氏は知らないらしい。

 細かな数字をあげるのが目的ではないが、氏が褒め称えるドイツの7兆円とは、比べ物にならない額を日本は支払っている。戦後50年となった今、どうしてアジア諸国から、賠償問題が提起されるようになったのかにつき、氏が述べる。

 「先の湾岸戦争の際、アメリカに言われるまま、」「1兆7千億円もの大金を、簡単に出したこと、」「PKOの名の下に、自衛隊をカンボジアに派遣したこと、」「さらに遡れば、高校の教科書で、アジアへの侵略を「進出」と、書き改めさせていた事実が顕在したこと、」「教科書問題などが、この傾向に拍車をかけた。」

 「アジア諸国」と氏は書いているが、実態は中国と韓国のことだ。それ以外の国とは、対立が生じていないのに、日本に反発しているのは、何であれ、「アジア諸国」だと、反日の決まり文句を言わずには、気が収まらないらしい。

 ひとつ氏の間違いを指摘したいのは、教科書問題だ。これはとんでもない誤報で、朝日新聞の記事だったことが、今では周知の事実になっている。20年前の本だから仕方がないと思うものの、後述される慰安婦問題、南京問題、靖国問題のすべてが、拠り所にしているのが、反日・売国の朝日新聞の捏造報道だ。

 我慢して読み終えたが、日本への反感と、憎しみに満ちた氏の意見が、不愉快でならなかった。不愉快ついでに、南京事件に関する氏の意見も、一部分引用してみよう。

 「悪いのはドイツだけではない、他の国でもやっているではないか。」「ソ連にも、収容所があったではないか。」「1980年代半ばに、ドイツではこのような論争が行われ、歴史家論争と名付けられた。」

 「他と比較し、他所でもやっているでないかと、言ってみたところで、」「南京大虐殺事件や、アウシュビッツの犯罪が免責されるものでもない。」「また数世紀も前の、侵略事実と比較してみても、なんの意味を持つものではない。」

 「私たちは、中世に生きているのでなく、人権補償の確立した、」「そしてハーグ陸戦法規、ジュネーブ条約等の、」「戦争法規の確立した、20世紀に生きていることを、」「忘れてはならない。」

 ここまで言われると、反論しないわけにいかない。

 「法学部を出た、弁護士さんよ。」「戦勝国が、敗戦国を裁いた東京裁判の、どこが公正だったのかい。」「事後法で裁いた、重大な違法を、君は法律家として、なんと説明するのか。」

 「戦争法規の確立した20世紀なんて、笑わせてくれるなよ。」「東京裁判のどこに、そんな正義や公正さがあったのか。」

 名もない国民の一人として、私が一生を終えつつあるとしても、国を大切にする心と、常識は、反日弁護士には負けない自負がある。

 原爆投下に関する、彼の意見を引用しよう。その口調の非情さは、辻元清美氏を彷彿とさせる。「戦時中の、北朝鮮の国民が受けた被害に比べたら、拉致は優先度が低い。」と、彼女は言った。

 「投下直後の8月10日、日本政府は、スイス政府を通じてアメリカに抗議した。」「無差別殺戮は、陸戦の法規、慣例に関する規則に反するものである。」「かかる非人道的兵器の使用を、放棄すべきことを、厳重に要求する。」

 「自らの非を棚に上げてのものゆえ、日本政府のこの抗議には、迫力がないとしても、抗議自体は間違いではない。」

 戦後50年が経過し、原爆投下の裏事情が判明した、現在だというのに、、氏はこのような物言いをしている。中国や韓国の戦争被害者に同情するなら、同じ強さで、なぜ同胞の惨状に心が寄せられないのか。広島・長崎の犠牲者は、日本人だからどうでも良いと、そう考えているとしか思えない口ぶりだ。

 理解不可能な氏の人道主義だが、考えてみれば、反日左翼は、皆似たような主張をする。取り立てて言うほど珍しくないし、取り上げる価値もないが、こうした愚論が幅を利かせている事実だけは、ちゃんと伝えなくてならない。

 「学校の授業で、わずかに語られるアジア・太平洋戦争では、」「もっぱらその悲惨さ、それも長崎・広島に対する原爆投下だ。」「一夜にして、10万人もの人が亡くなったといわれている、東京大空襲など、」「日本人の被害が、中心として取り上げられる。」

 「戦争の中身を掘り下げることなしに、ただただ、」「戦争の悲惨さのみが、語られるのである。」「本当に必要な、戦争責任の追及や、戦争被害者の救済が、」「十分に論じられないまま、戦争に関する議論が、終了してしまう。」

 「こうした教育を受けた若者たちが、アジア・太平洋戦争、」「とりわけ、日本の加害者責任について、」「正しい認識を持ち得ないのは、当然である。」「日本の学校教育は、考え直されなくてはならない。」

 本の最後で氏が力説しているが、私も、まったく同感である。

 「日本の学校教育は、考え直されなくてはならない。」

ただし、私の思いは氏と正反対の理由だ。若者たちが、氏のような妄言にたぶらかされ、反日・売国の徒とならないようにするため、考え直されなくてならない。

 叩いても顔を出すモグラのように、日本人の魂を喪失した人間たちが、巷に溢れ、偏った情報しか伝えないから、日本の学校教育は、今こそ考え直さなくてはならない。

 最後に、もう一つ大切な提言をしたい。「終戦記念日」という、訳の分からない言葉の使用を止め、「敗戦の日」とすべきだということ。本当の日本の戦後は、「敗戦の日」とあらためて時から、再出発する。

 アメリカの従属国となり、中国や韓国の横車に耐え、国連では、アメリカに次ぐ拠出金を出させられながら、物も言えず・・と、これらは全て敗戦の結果だ。

 氏は、こんなつまらない本を書き、反日行為に明け暮れるより、マスコミや政府に向かって叫ぶべきでないのか。「終戦の日などとごまかさず、敗戦の日と、厳しい事実を国民に知らせよ。」

 その方が、よほど日本の未来に役立つというものだろう。

 いくら真剣に書かれていても、捏造と嘘の朝日新聞が材料では、氏の著作は有害図書でしかない。こんな本は、我が家での扱いは、「有価物回収の日のゴミ」と決まっている。

コメント (3)
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