『自由の哲学』を読む

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『自由の哲学』に一文ずつ取り組みながら、
考える日々を身近に。

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自然農の畑

2017年07月03日 | 考えるワシ

畑では、同じ種類の作物を植え、
植物の欲しがる肥料や水を与えると、
畑の主が求める状態にすくすく育つ。

同じ種類の作物だから、
それぞれの個性で育っていても、
作物に優劣が付けられる。

菜の花は菜の花で大変なのだ。
菜の花がみんな同じ菜の花なわけがない。
菜の花畑にいる以上、
菜の花らしい要素を育てようと努力しているだけだ。

社会人になりたての頃に、
菜の花であることを期待され、
「あなたも努力次第で立派な菜の花になれます」と、
新人研修で教え込まれたから。

それが、あなたを社会に生かす道なんだ、
一緒によりよい社会を作って行こう、
それができないヤツは給料泥棒だ、
と教えられたから。

菜の花が「より良い社会」と呼んでいる対象は、
物理的に恵まれた人たちが、
物理的に恵まれた人たちのために貢献する社会。

規格外としてそこから外れることは、
かなり生きにくいかもしれない。
そう、極端に恐れるメンバーが、
ゼロサムのデスゲームを繰り広げる社会。

10年間食べられる食料を溜め込んで、
11年目を心配する人たちのために、
「こうすれば11年目も大丈夫ですよ」と
さらに安心させるネタを探す。

言い過ぎだろうか。

「もっともっと」と
果てしない不安が充満する社会。
決して「もう、このくらいで満足です」とは言えない。
不安の止め方がわからない。
走り辞める方法もわからない。

そして、自分の代わりがいくらでもいるから、
そこで働く菜の花は、
体調が悪ければ急に休んだりできる。
そういう場所だからお金も回る。

自然農、という畑の作り方がある。
不起耕、無農薬、水もやらない、雑草も抜かない、
いろんな植物が同じ場所でワシャワシャ育つ。
そんな方法。

もし、今の社会が、
一種類の作物をいかに効率良く育てるかを考える畑じゃなくて
それぞれの生命力に委ねられた自然農の畑だったとしたら。
自分の個性を自由に認めてあげられる場所だったら。
それぞれが自分であることで、全体が豊かになる場所だったら。

たぶん、快適なエアコンの中では働けない。
でも、エアコンがなくても木陰を渡る風は気持ちいい。
たぶん、暴風雨にびくともしないビルでは働けない。
でも、雨やどりできる場所なんてビル以外にもある。

風の音に驚く感性だって磨かれる。
虫一匹いない清潔なオフィスでは働けないけど、
虫が教えてくれることに耳を澄ませることはできる。

うどの大木は、繊細な花のために雨風をよけられるし、
ピリリと辛い小粒の山椒は、その匂いとトゲで、
虫に喰われやすい葉っぱから虫を遠ざける。

特A級の菜の花、A級、B級の菜の花、規格外の菜の花…。
特A級は高く売れて、規格外は捨てられる。

そういう、人からの評価が人の値打ちを決める社会で
いつまでも人から評価を得るための競争を続けていると、
ずっと1位を誇る特A級の菜の花も、
最後には孤独になる。構造的に、幸せにはなれない。

その上「菜の花は、もう飽きた」と、
チンゲンサイを食べたくなった人に
まるごとそっぽを向かれたら、
必死で菜の花になろうとしてきた自分はどーすんだ?

人からの評価じゃなくて、咲きたいように咲く。
そんなことを可能にする社会を作るには、
自分が咲きたいように咲こうとすることから始めるのが
正しい道なんだろうな。

自分がどんな風に咲こうとするのか、
なるべく具体的に描いてみる。
そして、そのために今できることをリストアップ。
うん、い~~~っっっっっぱいできることがあった。

その中の、ひとつでもふたつでも、実際にやってみると、
その小さな行動は、理想の社会に向かう細い道のひとつで、
カケラほどでも紛れなく自分の理想に向けて歩けることで、
とても充実したワクワクした気分になれるのでした。

大きな変化は難しくても、
小さな一歩なら、私だって踏み出せるから。

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