『自由の哲学』を読む

自分で見て・考えて・動くために。
『自由の哲学』に一文ずつ取り組みながら、
考える日々を身近に。

テレビ見せて良かった? って大丈夫よ~

2016年10月18日 | 考えるワシ
子どもがお邪魔してた家の人に
「テレビ、見せて良かった?」と聞かれた。
「教育方針で見せないんだよね、大丈夫?」って。

え~、そんな気を使ってくれなくても大丈夫だよ~。
たまに聞かれるけど、うまく伝えられない。
教育方針というより、単純に要らないだけ、ってことが。
「ミシン要らないから持ってない」とか
「窮屈な靴は疲れるからヒールは持ってない」とか
そういうのと似てるんだけど。

要らない理由をちゃんと伝えられたらいいんだけど、
なんか、伝わらない。難しいんだよなぁ~。

最初は、本来、イキイキ退屈なんか知らないはずの赤ちゃんが
テレビの前だと魂を抜かれてポケ~としてるのが
たまらなくヘンだと思ったから、なるべく消してた。
一緒にごはん食べてるのに、会話もないし。

そのうち、頼みもしないのに地デジになって、
見てもないのにNHK代をごまかしてる呼ばわりされて、
夫婦二人とも「もう関わりたくない!」と。
あ~スッキリ。

自分が何か調べたい時はネットで調べるし、
気軽に感動したい時は、本読んだり、DVD見たりする方が、
はるかに選択肢が広くて、自分の好みに合うものがある。

そもそも、外で流通してる情報はあんまり自分と関係ないし、
たぶん、自分に関係のある問いや答えは
自分の中にあるんだろうな~っていう感覚がある。

2次元もおもしろいけど、3次元はもっと面白いし、
バーチャルリアリティで宇宙に行くより、
リアルな現実の中で小さく一歩踏み出す方が、
私は感動できるし、生きてる実感がある。

そもそも、あの無駄なテンションの高さは疲れるし、
「消費しろ」しか言わないコマーシャルに踊るのもイヤだし
ホントに素晴らしい価値あるものは、人づてに伝わるし…
みたいな感じ。

そういう意味で、子どもは、低刺激で育ってるから、
友達の家でテレビがついてたら、釘付けで魂抜かれるみたい。
遊べなくて、気を使わせてしまったみたい。
スミマセン。

というか、消して遊んだらいいのにな~と思う。
まあ、それも勝手な言い分だよね。
それぞれの考えがあるし、
それぞれにいいと思うことをなされば良い。

一方、低刺激の良さもある。
次々襲い来る印象に振り回されてない状態は、
毎日毎回、一つひとつ、人の気持ちや、
自分がどうしたいのか、
なんてことを、立ち止って感じ取り、
煮詰まったり、こっそり勇気をおこしたりできる。
自分に意識的になれる時間が増える。

子どもにも同じことが言えて、ここんとこ、
人の気持ちのヒダが結構わかるようになってきたみたい。
無邪気な時期は終わったみたい。

やっぱり人の気持ちに振り回されるだろうから、
思春期終えるくらいまで、しんどいだろうけど、
わかるのは、わからないより上等。
真ん中がしっかり出来て、
人も自分も同じくらい
大事に考えられるようになってきたら、
きっと大丈夫。乗り越えられる。

個人的には、何か新しいものに遊んでもらわなくても、
自分がしたいことしてたら、それで十分楽しくて、幸せ。
そもそも、自分の読みたい本をゆっくり読んで、
自分の考えたいことをゆっくり考えられる時間が欲しい。

あ、ロハス系の人に近い?
ロハス系の人って言葉、よく理解せずに使ったけど。

…という感じなんだけど、通じるかなぁ~?

テレビが要るっていう人は、よく、
「ニュースとかどうしてんの?」と言います。

ケータイに毎日100文字くらいで届くニュースしか知りません。
それこそ、ホントに必要なことは、ニュースに出てないし、
スゴイ大きなことは人づてに伝わります。

んで、自分に手の出せないニュースは、知ったところで、
アレコレ感想を言うだけで、アクションしようがないので、
自分に手の届く範囲を自分の手の届く範囲で良くして行こう
と思う方が、自分を生かせるな~と思うわけです。

処理速度が速い人は大丈夫なんだろうけど、
今の私はたぶん、テレビを持って、自分も持てるほど
器用じゃないんだろうな~。
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