平凡カメラ
デジタルカメラ Canon EOS6DとEOS 50Dによる写真生活です。
 



ようやく街歩きをしても汗ばむほどではなくなりましたので、街の撮り歩きを再開しました。

建設中のマンション



柘榴の木の茂る家



ほぼ紅一点
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カメラ:CANON EOS6D
レンズ:TAMRON 28-300mm f/3.5-6.3 DiⅡ VC PZD

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ようやく街歩きをしても汗ばむほどではなくなりましたので、街の撮り歩きを再開しました。

思わずぎょっとなってしまった光景



無住の家らしいのですが、いったいこのうち側はどうなっているのでしょう



カメラ:CANON EOS6D
レンズ:TAMRON 28-300mm f/3.5-6.3 DiⅡ VC PZD

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47年前、大学最後の夏休みに父親のすねをかじって、15日間の西ヨーロッパツアーに行ってきました。
自分から行きたいと言ったわけではなく、当時、航空代理店にいた父親が「若いうちに海外を見ておきなさい」と否応なく送り出してくれたのでした。

4週間にわたって延々と昔の西欧ツアーの写真を紹介してきましたが、これで最後です。

2週間のツアー最後の日、午前10時半にホテル・アンバサダー Hotel Ambassador 前からバスでオルリー空港に向けて出発。

バスの車窓から。この写真の場所が分かるとしたら、かなり観察眼のある人です。後方に見える GALARIES という文字の一部で、この建物がパリの老舗デパート ギャラリー・ラファイエット Galeries Lafayette であると気づけば、バスが走っている道もラファイエット通りであると分かるでしょう

こんなちょっとしたヒントで現在のパリの場所を特定できるのですから、Googleストリートビュー恐るべしです。


パリの地下鉄の入り口は鉄柵のデザインに凝ったものが多かったのですが、Googleストリートビューで現在のパリ市街を見ると、このように装飾的なものは少なく、やはり古い路線に限られるようです



残念ながら、走る車窓からの撮影でボケがひどく、周囲に地名や店名などもあまり写し込まれていないため、どの駅なのかはGoogleストリートビューをもってしても分かりません



あれだけおしゃれな街のおしゃれな女性を眺めていたのに、撮るのを忘れていたことに最後になって気づき、やっと撮った「パリのお嬢さん」



フィルムを惜しみすぎて、さあ帰路に就くという段になって、逆に何枚分も余っていることに気づき、走る車窓からパチパチと過ぎ去る景色を写しました






かなり見にくいのですが、オルリー空港には前年初飛行したばかりの超音速旅客機コンコルドが駐機していたのを街路樹の向こうに発見しました



デルタ航空のDC-8と並んで駐機していた当時のJALモスクワ経由ヨーロッパ路線の主力機Douglas DC-8 62。飛騨(Hida)とネーミングされたこの機に乗ったはずです。この機はのちにモスクワ・シェルメチボ国際空港で墜落して失われたました

デルタ機に比べるとJAL機のエンジンポッドがかなり太く、空気取り入れ口がひと回り大きいのが分かります。これはおそらくデルタ機は通常のターボジェットエンジンを搭載したDC-8の前期型であるのに対し、後期の長距離型であるDC-8 62型機はエンジンをターボファンのJT3D-3Bとし、ファン気流をエンジン後部まで導くためエンジンポッド全体を太くしてあるからです。


斜めから見るとJAL機のエンジンポッドが茶筒のようにズンドウであることが分かります



のちの鶴丸マークに比べると、いかにも古臭いデザインのように見えますが、この頃は各国の旅客機の塗装デザインにこうしたストライプを配したものが多かったと記憶しています

カメラをスーツケースにしまい込んだため撮影できませんでしたが、帰国するこの機体では小澤征爾氏と奥さんの入江美樹さんが同乗していました。小澤氏は例によって汚らしいTシャツにジーンズ、ベラ(入江美樹さんの本名ベライリンの愛称)はモデル時代と少しも変わらない美しい容姿にサングラス。パリ出発の時はツアーと同じエコノミークラスに乗っていましたが、給油地のモスクワ空港でファーストクラスに乗り換えてしまいました。ファーストクラスはタラップも違うため、羽田空港に着いた後もその姿を見ることはできませんでした。


カメラ:CANON FT-QL
レンズ:CANON FL50mm f/1.8

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ようやく街歩きをしても汗ばむほどではなくなりましたので、街の撮り歩きを再開しました。

新宿駅南口から国道20号線陸橋を下ってきた西新宿1丁目交差点



この日は、まだ少し暑い日射しだったので、道行く人はほとんど夏のいでたち



この陸橋は相変わらず混んでます



カメラ:CANON EOS6D
レンズ:TAMRON 28-300mm f/3.5-6.3 DiⅡ VC PZD

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47年前、大学最後の夏休みに父親のすねをかじって、15日間の西ヨーロッパツアーに行ってきました。
自分から行きたいと言ったわけではなく、当時、航空代理店にいた父親が「若いうちに海外を見ておきなさい」と否応なく送り出してくれたのでした。

パリの2日目、ツアー同行者の大半はオプションのベルサイユへの日帰りバス旅に出かけてしまいましたが、このツアー最後の自由行動の日に団体で行動するのはまっぴらだったボクは、他の数名とパリの街歩きへと繰り出したのでした。


最初に向かったのは、ツアーコンダクターに「自由行動ならここへ」と勧められたブローニュの森。1970年当時の日本では公営(公有)の森林公園など、ほとんどろくに整備されていなかったので、都会育ちの人間には、都心から地下鉄一本ですぐに行けるところに、広大な森林公園があることそのものが新鮮な驚きでした

その面積を今調べてみると、846万平方mだと言いますから、例えば東京の国営昭和記念公園と比べると約5倍の広さ、全国に点在する国営公園の最大のものでも約500万平方mであり、東京23区内で最大の緑地である皇居の敷地面積が115万平方mにすぎないことを考えると、パリ市民はいったいどれだけ広い緑地を有していたことか、今さらながらに感心します。


まさかそれほどに広い公園を歩き回っていたら、それだけで一日が終わってしまうので、その一端の空気を吸ったら、旧市街の中心部に戻り、凱旋門からコンコルド広場、ルーヴル宮殿へとまっすぐに伸びているシャンゼリゼの数多いカフェテリアの一つでコーラを飲みました。各国で比較のために必ず飲んできたコカ・コーラですが、さすがにパリのそれは美味かった。でも率直に言うと、日本のコカ・コーラよりも美味いとまでは感じませんでした

午前11時ごろ。ちょっと先に見える赤いテントの店は凮月堂の名前の元になったフーケ FUQUET'S。


その後、同行した2人と別れ、1人になってメトロに乗ってモンパルナスへ。印象派などの前世代の画家たちが集ったモンマルトルが観光地化して家賃が高騰し、第1次大戦後モンマルトルを離れた芸術家たちの集まったのがモンパルナスの街



古いアパート、崩れかけた石垣、昔見たジャン・ギャバンなどのフランス・ギャング映画の場面を思い出させる街並み



この街に住んだことのある芸術家たちの名を調べてみると、マルク・シャガール、アメデオ・モディリアーニ、ジャン・コクトー、パブロ・ピカソ、モイーズ・キスリング、マルセル・デュシャン、アンリ=ピエール・ロシェ、アルベルト・ジャコメッティ、ヘンリー・ミラー、ジャン=ポール・サルトル、サルバドール・ダリ、サミュエル・ベケット、ジョアン・ミロ、岡本太郎、エドガー・ドガと、聞いたことのある名前だけでもこれほど出てきます。
そして中でも日本人にとって忘れてならない人が、世界で最も(いや洋画家では唯一といっても良い)評価の高い日本人画家レオナール・フジタ(藤田嗣治)



午後3時ごろ、パリを訪れたら、何をおいても歩きたかったのが、この街であり、その期待を全く裏切らないところでした

モンパルナスには、その古くから知られた町の名にふさわしいにおいがしました。


外国人観光客がいないわけではなかったのですが、観光コースにはあまり組まれない場所なので、モンマルトルなどに比べて古きパリの香りが漂っているような気がしました

この場所をGoogleストリートビューで探してみると、正面の建物は外装こそ明るく塗りなおされてしまいましたが、今でも健在です。そばにある地下鉄入り口はガイテ Gaîté の駅。
この場所の住所は 1 Rue Vercingétorix 75014 Paris-14E-Arrondissement だと分かります。


そのすぐ近くにある門を入って訪れたのが、モンパルナス墓地

ここに眠る著名人でボクの知っている名(知っているのは名前だけという人物も含めて)だけを挙げても、アルフレッド・ドレフュス - 軍人、エマニュエル・シャブリエ - 作曲家、カミーユ・サン=サーンス - 作曲家、ギ・ド・モーパッサン - 作家、サミュエル・ベケット - 劇作家、小説家、シモーヌ・ド・ボーヴォワール - 作家、哲学者、シャルル・ボードレール - 詩人、ジャン=ピエール・ランパル - フルート奏者(当時は健在)、ジャン=ポール・サルトル - 作家、哲学者、セルジュ・ゲンスブール - 歌手、作曲家(当時は健在)、フィリップ・ノワレ - 俳優、マン・レイ - 写真家、モーリス・ルブラン - 小説家となっているから、さすがです。
これを撮った直後に警備のおじさんに注意されてしまったので、この1枚がこの日の最後の写真になりました。


カメラ:CANON FT-QL
レンズ:CANON FL50mm f/1.8

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昨年、秋の湘南の海が見たくなって出掛けた帰り道に寄った鎌倉、海蔵寺。

午後3時を過ぎていたこともあって訪れる人が少なく、静かなたたずまいの中でシオン、フヨウ、ヒガンバナ、ホトトギス、白花ホトトギスなどが咲いているのをゆっくり眺められました。

山門を入ってすぐのシオンとフヨウ






カメラ:CANON EOS6D
レンズ:CANON EF24-70mm f/4L IS USM

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47年前、大学最後の夏休みに父親のすねをかじって、15日間の西ヨーロッパツアーに行ってきました。
自分から行きたいと言ったわけではなく、当時、航空代理店にいた父親が「若いうちに海外を見ておきなさい」と否応なく送り出してくれたのでした。

朝到着したパリの市内観光は後半のルーブル美術館見物から始まりました。

説明不要、ルーブル展示物中の白眉。その後、ここを再訪する機会はないのですが、今でも同じところに展示されているようです



これはミロのヴィーナス像の近くにあったと思われるのですが、メモしておかなかったので、何と名付けられた像か、今となっては全く分かりません。

もちろん他にも撮影のできる著名作品は無数にありましたが、既存の優れた写真がいくらでもあるのに、自分が撮る意味もないと思い、結局最も感銘を受けたヴィーナス像しか撮りませんでした。
いずれにせよ、ルーヴルのようなところは時間に制約のある団体ツアーなどで訪れるべきではないということがよく分かりました。


このあとは、シャン・ド・マルス公園とシャイヨー宮とでエッフェル塔を正面から見物するなどしたのですが、全部ツアー同行者との記念写真なので省略。
バスの車窓から撮ったシャンゼリゼの新聞雑誌スタンド



パリでもやはり地下鉄の入り口は撮りました



パリ・オペラ座の前で、オープンデッキのバスと、パリにいる間にどうしても撮りたかったパリのお巡りさんと




カメラ:CANON FT-QL
レンズ:CANON FL50mm f/1.8

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9月はアサガオのような夏の花がまだまだ元気に咲く一方、秋の花々が本格的に咲きはじめる時季でもあります。

家で咲かせたアサガオ






デュランタ(タイワンレンギョウ)にツマグロヒョウモン(♀)



タマスダレはヒガンバナに似合うという理由で、よくヒガンバナ群に紛れ込むように咲いていることがよくあります



カメラ:CANON EOS 6D
レンズ:CANON EF24-70mm f/4L IS USM

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47年前、大学最後の夏休みに父親のすねをかじって、15日間の西ヨーロッパツアーに行ってきました。
自分から行きたいと言ったわけではなく、当時、航空代理店にいた父親が「若いうちに海外を見ておきなさい」と否応なく送り出してくれたのでした。

夜行寝台列車でパリに着いたその朝からの丸1日のパリ市内観光。

モンマルトルの丘の次に訪れたのは、コンコルド広場。写真はナポレオンがエジプト遠征で持ち帰った無数の文化財の内でも最大のオベリスク

ナポレオンのエジプト遠征そのものは、敵対国であるイギリスとその胃袋かつ金蔵であった植民地インドとの往来を絶つという戦略によるものでしたから、当時オスマン帝国の支配下にあったエジプトの地元民は敵対することがなく、ナポレオン軍はオスマン帝国の傭兵部隊を撃破して容易にエジプト占領に成功したそうです。
そんなわけですから、エジプトからナポレオン軍が持ち帰った古代の文化財の数々は、必ずしも武力で略奪したものとばかりは言えず、当時の専門の技術者・学者も現地に派遣し学術的発掘調査をしたあげくに、その歴史的価値をよく分からないエジプト人から平和理に取り上げたようで、オベリスクに至っては当時のエジプト総督との合意によって持ち帰ったそうです。

それに比べるとエジプトでのナポレオン軍との戦に勝利したイギリス軍は、当時フランス軍が他の文化財もろとも転戦とともに運搬しアレクサンドリアに置いてあったロゼッタ・ストーンを、その超歴史的な価値に眼をつけ、一方的にイギリスの所有物として、フランスのエジプト残留軍との降伏交渉のドサクサ紛れに、フランス軍から奪った船に積んでイギリス本国に持ち帰ってしまいました。

イギリスという国の押し込み強盗的性格が端的に表れているのが、そのロゼッタ・ストーンをはじめとする数々の大英博物館の所蔵物です。
ナポレオン軍だって本質的には侵略軍には違いありませんが、イギリス軍ほどの厚顔無恥の無頼強盗軍ではなかったんじゃないでしょうか。


コンコルド広場からバスで移動する途中、小型車がバスにべたっと接触して動けなくなり、離そうとバックしたバスが今度は後ろにいたシムカとルノーに二重衝突を起こしてしまいました。
処理時間をつぶすためにツアーの全員でバスを降りてデパートなどを巡りました。
その後、訪れたのがコンコルト広場から3kmほどのところにあったノートルダム大聖堂



前後関係が分からなくなっているのですが、たぶんコンコルド広場からノートルダムに向かう途中、ピラミッド通りとリヴォリ通りの交差点にあるチュイルリー庭園の入口(これを書いていてGoogleストリートビューでこの場所を突き止めました。すごいものですね、ストリートビュー。)



昼食は当時のJALパックでは常識のように組まれていた日本食レストラン。その日本食レストランから見えたアパルトマン

ローマでも日本食レストランで昼食をとりましたが、パリの方がはるかに美味かった。


昼食後、いよいよルーヴル美術館の見物となったわけですが、これはそのコの字型の建物に囲まれた広場で撮った石畳とカルーゼル凱旋門 ( Arc de Triomphe du Carrousel ナポレオンが建てた最初の凱旋門)

たぶんこの辺りは、現在(1989年の完成当時に物議を醸しだした)ガラス張りのルーヴル・ピラミッド Pyramide du Louvre が立っています。



カメラ:CANON FT-QL
レンズ:CANON FL50mm f/1.8

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街撮りと称して、街々を歩き回り、眼を引いたものを片っ端から撮る。
犬も歩けば棒に当たる式撮影です。

そんな写真の中からいくつか。

比較的近所です



家から駒場の東大裏まで歩いた途中に見た建物です



フレッシュネスバーガーはしていましたが、駒場東大裏に、こんな中古の一軒商店を改造したような店があるとは知りませんでした。
店舗網拡大に困ってこんな場末っぽい場所にまで店を出したのかと思っていましたが、今日調べてみれば、なんと事実にはその逆で、この条件の悪そうな店舗からスタートし、着々と店舗網を拡大していったのでした

ということで、この小さなあまり人の来そうにない店舗が第1号店だそうです。しかし、今ではこの店は営業を終えてしまったそうです。
創業の地に、何の未練もないという点が、いかにも現代的です。


カメラ:CANON EOS 6D
レンズ:TAMRON 28-300mm f/3.5-6.3 Di VC PZD

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47年前、大学最後の夏休みに父親のすねをかじって、15日間の西ヨーロッパツアーに行ってきました。
自分から行きたいと言ったわけではなく、当時、航空代理店にいた父親が「若いうちに海外を見ておきなさい」と否応なく送り出してくれたのでした。

フランクフルトから最後の訪問地パリへは、夜行の寝台列車での移動。国際列車でしかも寝台車など、めったに乗る機会などあるものではないのですが、ツアーもいよいよ最後の頃になると、手持ちのドルも少なくなり、写真フィルムもなるべく節約したいというわけで、どうせ夜ではろくな写真を撮れないと、その移動の間は全く写真を撮っていません。

というわけでフランス国内に入って最初の写真はいきなりパリの旧市街から始まります。
パリに着いて Hotel Ambassador で朝食をとり、9:30にはバスでパリ市内観光に出ました。パリ旧市街の古い建物は窓一つとっても華やかに装飾されていました



最初に訪れたのは、定番コースのモンマルトルの丘。このラ・ボエーム La Bohême du Tertreという名の店は、お隣の白い壁の店 Au Cadet de Gascogne(ガスコーニュ地方の料理のレストラン)とともに、今もこの地にあります。
ただあるというだけでなく、この写真と同じく白壁に店名のロゴと、ラ・ボエームの赤テントと、まったく同じ店構えで続いているようです

この2軒のレストランが面しているのが、観光客相手の似顔絵描きが集結しているテルトル広場 Place du Tertre というわけです。


モンマルトルの丘は、カフェ、アパート、サクレ・クール寺院、石畳、ガス灯、旅行者目当ての画家たち、それに群がる日本人と太ったアメリカ人という場所

はっきり言って、ここは浅草仲見世よりも魅力のないところです


モンマルトルの本当の魅力は、パリ旧市街を見渡せる急な坂。昔のカンヌ映画祭パルム・ドール受賞の名画「赤い風船」を撮影した階段は、ここモンマルトルの丘の階段

残念ながら映画に出てきた階段そのものは発見できなかったけど、ここから眺める古いアパルトマンと、その屋根越しに見えるパリの街並みの景観は見逃せません。


テアトル広場などさっさとあとにして、カフェーやギャラリーの立ち並ぶ狭い道を巡り、、、



古い石畳の坂道を歩くのがベストの楽しみ方です

(しかし、後日一人で歩き回ったモンパルナスは、まったく別の理由でモンマルトルをはるかに上回るパリの魅力を持つ町でした。)



カメラ:CANON FT-QL
レンズ:CANON FL50mm f/1.8

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この数年、夏が通り過ぎたあとの江ノ島や鎌倉の海岸を訪れることが多くなりました。

解体中の海の家や、真夏のような青空の下のガランとした砂浜、サーファーしかいない波打ち際といった光景に、寂しさや侘しさといったものを感じるからなのですが、その理由は、やはり夏という季節の持つ高揚感が失われてしまうことにあるのでしょう。

稲村ケ崎海岸は一年を通してサーファーがいます



時おり江ノ島海岸などよりは強い波がやって来ます



国道134号線の稲村ケ崎海岸に面して建つレストランからは、眺望がすばらしい



江ノ島海岸片瀬西浜、iL CHANTI BEACHE 前のウッドデッキ。その向こうに解体中の海の家が見えます



片瀬西浜のサーファー、海水浴シーズンと違って波に乗る場所の制約がないようです



カメラ:CANON EOS 50D、EOS 6D
レンズ:TAMRON AF 18-270mm f/3.5-6.3 DiⅡ、CANON EF24-70mm f/4L IS USM

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47年前、大学最後の夏休みに父親のすねをかじって、15日間の西ヨーロッパツアーに行ってきました。
自分から行きたいと言ったわけではなく、当時、航空代理店にいた父親が「若いうちに海外を見ておきなさい」と否応なく送り出してくれたのでした。

フランクフルト泊の2日目は、バスで日帰り旅。市内観光のあとライン川とハイデルベルク旧市街(アルトシュタット)を巡りました。

ハイデルベルグはその時は、街の歴史的な景観と雰囲気に圧倒され、ベルンよりも素晴らしいとまで思ったのですが、歳月とともにその感激も消え失せ、今ではどのようなものを見たのて、どう感じたのか、もうさっぱり思い出せない始末。
団体での移動のみで自由行動のとれなかったハイデルベルクは、初めての外国旅行で、あれもこれも感激していた中にあっては、時とともに印象が薄らいでいったのはやむを得ないのかもしれません。

午前9時ごろ、ライン~ハイデルベルク周遊出発までの短い時間を利用して、宿泊したHotel ExcelsiorのあるMannheimer StrasseからKeiser Strasseを歩き、駅前から出る市電などをスナップ



この当時、都内の都電・都バスには小さな額縁広告以外には車体に広告などなかったので、この大きな広告看板付きの市電には少なからず驚いています



写真に収めませんでした、宿泊していたホテルは一口で言えば駅前ホテルといった感じで、このツアーでの中では最もチープな感じのホテルでした

というのも、この頃のJALパックの海外ツアーは、料金が大卒初任給の10~12か月分ほどの贅沢ツアーで、宿泊ホテルの多くは有名ホテル・老舗ホテルとされるものだったから、フランクフルトで利用したビジネスライクなホテルは相対的に安っぽく感じられたのでした。


ライン川そのものはつまらない川という印象でしたが、河岸の町並みや古城には趣がありました。バスの車窓からの撮影



そうは言っても、走るバスから眺めるだけでは、さしたる感激も得られず、おかげで途中で車窓から見た景色は、まったく記憶に残りませんでした。



スイスのドイツ語圏の建物によく似ているとは思いましたが、実に殺風景な印象です

スイスの建物は、窓辺に花の鉢やコンテナーが並んでいるものが実に多かったのに対し、そうした面倒くさいことが嫌いなのか、厳格でクソマジメなドイツ人は無用に外壁を飾り立て、危険な落下物を窓辺に並びたてることをしたくないのか、理由がよく分かりません。





そんなわけで、見て面白いと思ったのは、もっぱら古城ばかり



ライン川の次に訪れたハイデルベルクは、まさにその古城が観光の中心となっていたのですが、撮影した写真は残っていません

それと言うのも、下手くそな写真を自分で撮るよりも、絵はがき買った方が手っ取り早いと思ってしまったからです。
後日、その考え方は間違っていたことに気づきました。



カメラ:CANON FT-QL
レンズ:CANON FL50mm f/1.8

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とうとう最近撮った写真が尽きてしまいましたので、数年前に撮った写真から、この時季のものを。

奥日光、小田代ヶ原ですが、これを撮ったのは9月10日という日付で、まだ草紅葉は一部に始まったばかりという感じです



まあ多少は秋の色っぽくはなっているというところでしょう。翌年は10月上旬に訪れ、まさに見ごろの感じでした



小田代ヶ原から戦場ヶ原へと歩くと、途中何本も見られる立ち枯れの木。どうやらカラマツのようなのですが、いったい何年この状態でいるのでしょう



カメラ:CANON EOS 50D
レンズ:TAMRON AF 18-270mm f/3.5-6.3 DiⅡ

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47年前、大学最後の夏休みに父親のすねをかじって、15日間の西ヨーロッパツアーに行ってきました。
自分から行きたいと言ったわけではなく、当時、航空代理店にいた父親が「若いうちに海外を見ておきなさい」と否応なく送り出してくれたのでした。

ベルンを発って次に向かったのは西ドイツのフランクフルト(当時は、まだ東西分裂していたので西ドイツと呼ばなければ正確とは言えません)。

午後3:05ベルンからSBBスイス国鉄に乗ってフランクフルトへの鉄道の旅



途中バーゼルで国際列車(たぶんDBドイツ鉄道)に乗り換えるのですが、幸いなことに最初に乗った列車の席は最後尾車両のデッキ部まで近かったので、その窓(つまり客車の貫通ドアの窓)から、遠ざかるレールがシンメトリーに取れるわけです

この点が、今の日本のJRの鉄道旅と違うところで、やはり長距離列車というものは機関車が牽引するのでなければ100%の旅情は得られません。
日本の鉄道は、今や電車や気動車が列車の大半で、たとえ列車の最後尾に行けても運転席越しの景色しか見られないというのは、まったく面白くも何ともありません。


午後6時ごろ、バーゼルで乗り換えた国際列車は、映画でおなじみのコンパートメント式の客車。楽に4人が坐れる3人掛けシートが向かい合わせになっていました。バーゼルは独仏の国境に近いので発車するとすぐに西ドイツに入り、パスポートの点検が周ってきました



残念ながら、そのバーゼル駅がどの写真なのか、まったく記憶にありません

雰囲気的にはこれがバーゼルの駅っぽいのですが、なにしろGoogleストリートビューで見ても、現在のバーゼル駅はホーム上の建物が新しくなり、まったく昔の面影を見つけられないので調べようがありません。


とはいえ、この景色などを見ると、どうやら西ドイツ内に入っているかのよう



これも、どのあたりを走っているのか分かりません。ともかく暗くなってしまうまで、再三自席を離れては最後尾まで走り去る景色を撮りに行ったのでした

全部白黒写真なのは、別に鉄道旅行だから旅情をかきたてるために、古い欧州映画的イメージを狙ったわけではなく、当時はカラーフィルムが高かったので、旅の記録の半分は白黒フィルムで撮らざるを得なかったからです


カメラ:CANON FT-QL
レンズ:CANON FL50mm f/1.8

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