黒板の裏側で~おうみ進学プラザの毎日~

おうみ進学プラザは滋賀県の学習塾。困って、喜んで、泣いて、笑って、そして時々怒って。塾のドラマを実況中継します。

京阪電車の石山ともか運転士…か。

2016-04-20 09:24:44 | Weblog

熊本の地震は、やっとおさまったかと思えばまた揺れる。私、神戸にも行ったし石巻や福島にも行きましたが、大変だなあと思うだけで、そこに住み続けるわけじゃないから困難や不安も不便も本当のところはわからない。
岡山の自宅が集中豪雨で床上浸水した経験があります。家じゅうベトベトで、畳や布団、電気製品も家具も全滅しました。それでも集中豪雨そのものは1日か2日で終わってしまったから。後は大変だったけど。
熊本は本当に大変。
海外、といっても韓国の新聞報道を引用します。
日ごろは「反日でグイグイと突っ走るぞ」というのが特徴の中央日報。地震の直後には「10ウオンも寄付してはならない」という強烈なコメントを掲載していましたが、地震の被害や避難生活のようすが伝わると冷静な記事も。
『18日午前6時、九州熊本市中央区のコンビニ。夜明け前だが、店内には住民10人ほどが列をつくっていた。飲み水やパン、おにぎりなど非常食を購入するためだった。 前日に比べて商品はかなり増えたが、それぞれ1つか2つの袋を手にしてコンビニを出てきた。主婦のAさん(38)は「電気と水道・ガスが止まって家で食事の準備ができなくなり、家族4人の水4本とおにぎり8個を買った」と話した。「なぜ食料品をもっと購入しなかったか」と尋ねると、「たくさん買えば他の人が朝食を取れなくなる」という答えが返ってきた。』
『避難所では乱暴な声は聞こえない。救護品の遅れに対して政府や地方自治体を恨むこともなかった。現地取材チームは、学校や公園の避難所で住民が長ければ2時間ほど列をつくって水と食べ物の配給を受けたと伝えている。昼食時間に食堂の前に並ぶ普段の姿と変わらなかった。ある避難所では「食べ物がなくなった」という男性の高齢者に中年の女性2人が自分の食べ物を渡し、家族8人に粥2杯を配給してももっと欲しいという人はいなかったという。極限状況の中でも秩序意識と配慮の精神はそのままだった。日本特有の結束力も発揮されている。東日本大震災をはじめとする過去の地震被害地域は生活必需品を送り、救護班を派遣した。過去の恩を返し、地震のノウハウを伝授するという。成熟した市民意識、全国的な連帯で自然の挑戦を乗り越えている』

おうみ進学プラザでは春の勉強が加速。とにかくゴールデン・ウイークまで全力疾走です。そして休暇が終わったら…また全力疾走。
私の担当クラスでは、停滞している「都道府県名の完全暗記&漢字で正確に書けるようにしよう」を完了しますよ。栃木県、新潟県、岐阜県あたりが難所ですね。
写真は京阪電車石坂線。女性運転士でした。「全国鉄道娘めぐり」では石坂線のアイドルは石山ともかさん。もしかすると、この女性が石山ともかさん…かも。
そして、遅く咲いた桜。手毬のようです。
次は、大型コンパスで黒板に円を書く佐藤先生。これ、コンパスの軸がスコンとはずれて、意外に難しいのです。佐藤先生、はたして見事に描けるのか。
そして改装工事がほぼ完了した膳所教室で、加野先生。
樋口先生もいますが、これって何のポーズですか?
この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 桜から青葉へ。 | トップ | 円に桜。 »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事