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「スピルバーグの人脈」~ジョージ・ルーカス~

2008-05-08 05:43:20 | 連載コラム~スピルバーグ~

 ジョージ・ルーカス

 自ら監督である人たち。まず、真っ先に挙げなければいけない人物は、ジョージ・ルーカスである。

 スピルバーグが、ルーカスに初めて会ったのは、1968年頃というからお互い大学時代だ。ルーカスは、1964年南カリフォルニア大学の映画学科に入学。3年生になるまでに6本の映画を撮ったが、その内の1本「THX 1138:4EB」が全米学生映画祭でグランプリを受賞。1973年コッポラ製作のもと「アメリカン・グラフィティ」を監督し注目を集める。そして、永年の夢だったスペース・ファンタジーを自宅にこもり脚本を執筆する。これが「スター・ウォーズ」(1977)である。

 その後、「スター・ウォーズ」公開間際にルーカスは、映画の入りが心配でスピルバーグと一緒にハワイにいて「レイダーズ/失われたアーク」の構想を語りあった。「スター・ウォーズ」が大ヒットしてから製作業に向う。監督スピルバーグ、製作・原案ルーカスの記念すべきインディ・ジョーンズシリーズ第1作「レイダース/失われたアーク」を手掛ける。「レイダース/失われアーク」では、冒頭のジャングルでインディが大空へ脱出する複葉水上飛行機の胴体に文字に「OB-3PO」とあるのはオビワン・ケノービー、C3-POをパロディにしたもの。また、魂の井戸のシーンでアークが安置されている背後の壁にR2-D2とC3-POが刻まれている。「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」では、冒頭の上海クラブの名前がクラブ・オビワンとなっていて自作のキャラクターを再度パロディーにしている。

 ところで、スピルバーグとルーカスは、ライバルであり良き友人である。スピルバーグが外交的であるのに対してルーカスが内向的な性格であるために馬が合うのかもしれない。ジョン・ウィリアムズを紹介したのはスピルバーグ。もし、紹介していなければあの有名な「スター・ウォーズ」の曲は生まれなかった。その一方で、特撮工房I.L.Mを設立したルーカスの恩恵に授かってスピルバーグは、自作の監督、プロデュース作品の特撮の部分をI.L.Mに依頼して話題作、大ヒット作を生み出した。全幅の信頼を寄せている。

 先に触れたようにインディ・ジョーンズシリーズに自作のキャラクターを登場させるなどお遊びをいれているが、実は、スピルバーグは自作にルーカスのキャラクターをルーカスはスピルバーグのキャラクターをお互いに登場させている。映画で友情の証としてキャッチボールをしている。「E.T」では、ハロウィンの日にヨーダを登場させたり、「スター・ウォーズ/ファントム・メナス」のポットレースの観客席の中にE.Tを出している。さらに友情の証ということで言えばその際たる事として「スター・ウォーズ/シスの復讐」でのオビワンとアナキンの最後のムスタファーの溶岩が流れる中での決闘シーンの演出の一部とアドバイスを施したのはスピルバーグであり、「宇宙戦争」では、ルーカスに薦められてストーリーボードのアニメ3Dデジタル化であるプレヴィジュアライゼーションを採用したりしている。

 また、2人とも大の黒澤明監督のファンであり尊敬しているため黒澤明が特別名誉賞でオスカーを獲得した際は、2人でステージに立ちスピーチをするなど大親友ぶりがうかがえる。

参考文献:『スティーブン・スピルバーグ・ストーリー』1983年Tony Crawleyの著作の翻訳を中心としたもの(旺文社)



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