A study of siyutske. 出家に関する一考察

2017-02-13 | Weblog

昨日有名らしい女優がある宗教に出家するとか話題になっていた。一通りワイドナショーを見ただけで一方的な意見かもしれないが、しかし宗教学を勉強した立場から意見を言うと少しずれているような気がしている。ワイドショーを見る限りでは事務所との関係がわるいとか仕事の内容が非人道的であると言うようなことであったが、しかし出家はそういう理由でするのだろうか?仕事がいやになったとか世の中がいやになったから出家すると言うのはあまりにも短絡的で否定的だ。相談をうけた時にもっと他に方法はなかったのかと疑う。仕事がいやになったからとか人権を侵害されたからと言う理由で出家するのは少し理解が違うと思う。ワイドショーのソースだけで恐縮であるが、ほかにもっと適切なアドバイスはなかったのか、指導者はむしろそういう道に行くことを止めるはずだと思う。キリスト教の修道士などは修道院に入る時に召しと言うものを問われる。あなたがこの修道院に入ることは本当に神の召しなのかと言うことを徹底的に問われて、それでも私はと言う時にはじめて修道院で学ぶことを許可されるのだが、今回の出家とか言う問題は私から見たらすごく短絡的にさえ思えるのだがどうだろうか?そもそも出家と言うのは世の中を否定することではないだろう。弁証法ではないがもし世の中や自分の仕事や学校に価値を見出せないとしても、それを否定的にうけとめつつ、今生きている世界を肯定的に受けとめるからこそ、生きている意味が見えてくる、そして命の大切さが説けるのだと思う。聖書の「Bless those who persecute you; bless and do not curse. Rejoice with those who rejoice; mourn with those who mourn. 」「喜ぶものとともに喜び、泣くものとともになく」は有名な言葉だが、最初にたとえ迫害されても祝福しろ、呪うなと言う言葉があるように、宗教的に生きると言うのは私の解釈であるが、どんなことがあっても世の中を否定せずに肯定して生きることそこに隠された大きな意味があるのではないかと思っている。私は特に何かの宗教団体につながろうなんて言う気持ちなどまったくないが、しかし宗教的であろうと思う。

私はかなり専門的に学問を学んできたので、いくら宗教家がもっともらしいことを言っても学問的な理解が足りなければ私にはとどかない、それこそ釈迦に説法ぐらいに思っている。がしかしもし心を動かされるとしたならば、この言葉通りに喜ぶものとともに喜び、泣くものとともに泣く」人である。

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