Go and do likewise.

2017-03-20 | Weblog

この前障害者と思われる人がつきそいの人とスターバックスに来ていた。少しからだが不自由なのでその付き添いの人に助けてもらってケーキを食べていたのだが、その時ふと気づいたことがある。それは自分を理解ししてくれる人がいるかどうかということである。たぶんその人はその支えてくれる人がいなければここに来て何かを食べることはできない。しかしその様子を見てそういうディスアドバンテージを理解し、支えてくれる人の存在がいるということは幸せなことではないかと思った。たとえ体が丈夫であっても誰からも相手にされない、理解されないと心がやんでくる。マザーテレサはカルカッタには誰にも気づかれないで死んでいく人間がいる。そう言う人たちの隣人になるために活動をしたと言っていたが、人間に必要なことは誰かが自分を理解してくれること、そして自分を必要としてくれる人間の存在である。おそらく若い時の私であったならば、自分で何でもできないのはかわいそうだと思ったかもしれない、しかし年をとって見方をかえれば、自分を理解しそして支えてくれる人がいることは幸せなことだと言うことができる、たとえ同情的であったとしても自分の存在をうけとめて支えてくれることはある意味そこによい理解者がいるということでもあろう。

聖書の中にGood Samarianと言う有名な物語がある。もう何度も例えているので説明しない、そのまま原書をここにはりつけるが、On one occasion an expert in the law stood up to test Jesus. “Teacher,” he asked, “what must I do to inherit eternal life?”“What is written in the Law?” he replied. “How do you read it?” He answered, “‘Love the Lord your God with all your heart and with all your soul and with all your strength and with all your mind’; and, ‘Love your neighbor as yourself.’”“You have answered correctly,” Jesus replied. “Do this and you will live.”But he wanted to justify himself, so he asked Jesus, “And who is my neighbor?” In reply Jesus said: “A man was going down from Jerusalem to Jericho, when he was attacked by robbers. They stripped him of his clothes, beat him and went away, leaving him half dead. A priest happened to be going down the same road, and when he saw the man, he passed by on the other side. So too, a Levite, when he came to the place and saw him, passed by on the other side. But a Samaritan, as he traveled, came where the man was; and when he saw him, he took pity on him. He went to him and bandaged his wounds, pouring on oil and wine. Then he put the man on his own donkey, brought him to an inn and took care of him. The next day he took out two denarii and gave them to the innkeeper. ‘Look after him,’ he said, ‘and when I return, I will reimburse you for any extra expense you may have.’ “Which of these three do you think was a neighbor to the man who fell into the hands of robbers?”The expert in the law replied, “The one who had mercy on him.”Jesus told him, “Go and do likewise.”

そのサマリア人が倒れた男にかけよった理由がHe took pity on him.と書かれているが、日本語訳では憐れに思ってと訳されている。もともとpityと言うのは自分よりも弱い立場の人間に示す気持ちである。おそらく他の英訳ではSympathizeと訳されているのもあるが、しかし原書ではここはσπλγχνινομαιという言葉で、それは内臓をあらわす言葉だ。日本語でも断腸の思いと言う言葉があるが、英訳としてはpityのほうがσπλγχνινομαι近い言葉であると思う。まさに彼はその倒れた人を見て憐れに思って心を突き動かされ、いたたまれなくなったからそうしたのだ。おそらく自分たちが弱い人立場の人たちに何かをするとしたら、それは同情である。それはある意味、余裕のある人間が何かをしてやろうと言う傲慢にもつながるだろうが、しかし大事なことはそこに痛みを感じるかどうか、その人を見て心が痛むかどうかと言うことではないかと思う。うちのボクシングクラブも人身売買から子供を救うことを支援する団体に毎月少額ではあるが寄付しているし、クリスマスやその他の行事に弱い存在をおぼえて寄付しているが、そういったことは自分の体験や経験からくる同情のようなもので、信念や哲学とかそういうことではなく、そういう存在をおぼえるといたたまれないからそうしていると言ったほうがいいだろう。たぶんもともと弁が立つので私がこういうことを強調したらきれいごとや学問的な考察のように聞こえるかもしれない、そしてひょっとしたらそれは自己満足であるようにさえ聞こえる。でもしかしもしそこに痛みを感じるならば、それは決して間違った方向に向かわない、それはやがて真実に一歩でも近づくのだと信じている。

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