オリンピズムと組織

2017-08-09 | Weblog

あるスポーツ校の子供が自分の担任体育教師を紹介する時こう言っていた「先生はバレーボールで全国制覇した人です」この言葉を聞いてわかった。ああ日本のクラブの組織は権威づけからはじまるんだと。確かにスポーツをする人間は自己顕示欲が強いので人よりも上に立ちたいと思う気持ちが強く、クラブをまとめていくために自然とそう言う権威主義的なところが出てくるのだろう。しかし組織そのものが権威主義的であると、上部の人間には何も言えないし、その権力が上部のものに集中し非常にかたよったものとなるであろうし、もしそう言った組織のトップにずる賢くうすぎたない親玉が君臨したら、その組織は腐敗していく。

組織が権威主義的であると言うのはまわりが何も考えていないからだ。日本がアスリートの不祥事が多いのはただその競技さえしてたらいいと言うような考え方、あるいは組織の中で競技しているからだ。社会や世界の問題などに関心がない。そのほかのことは全く見ようとはしない。テレビに出てきてバカ話をうれしそうに話すアスリート、そういう人間が物事の善悪をしっかりととらえ正しい倫理的基準に従って生きているなんて思えない。おそらくそれしかできない人間はそういうところは他の人に比べて希薄ではないかと思っている。こういう人間たちが集まって組織を運営すると非常にいいかげんになる。日本のアスリートはいわゆる基礎練習を地道にやる。これはある意味いいことでもあるが、しかし「行け」と言ったらそれに愚直にしたがう、自分で考えることができないゆえに付和雷同にその監督が言ったことに従うことでもある。考えろとか言ってもまずその能力がなければだめだし、それは競技レベルだけではなくアマチュアスポーツが健全な精神に健全な肉体が宿ると言うのならばある程度考え方も洗練されなくてはいけないと思う。パフォーマンスのように大きな声であいさつさせて、自分たちのテリトリーでいかにも礼儀正しくさせることが、教育などと考えるのは浅はか、それはまさに権威主義のパフォーマンスだ。前にも言ったが子供にとって教育は義務であってそれは我々の勤労や納税と同じ、休みなんてほとんどない状態で朝から晩まで練習させていつ勉強などできるのかわからないが、こういう狭い世界で生きてまとも考え方が育つのか不思議である。

日本は本当に平和だ。私は毎回オリンピックが開催されるたびに思うことは日本は競技者が高年齢化していることである。テレビなどでも40にも近いおっさんやおばさんたちがそれに打ち込んでオリンピックに出ている姿をよく見るのだが、それは飽きたということを通りこしてみっともない。まあ人それぞれと言ってしまえばそれまでだが、2回も3回もオリンピックに出てくる人間を見たらもういいだろう他の人間にゆずってやれよとさえ思う。日本は平和で好きなことができるのだから本当に幸せであるが、それは自分たちがたまたま日本人に生まれてきたからで、そういった余裕がない貧困にあえいでいる国さえも少なくはない。何が言いたいかと言うとオリンピックと言うのは世界各国からいろいろな国が集まってくるのだから、もう少し全体から個というものをとらえてまわりのことも考える必要はあるということだ。経済効果がどうとかいうのも大事であるが、しかしその多くの国が集まるからこそ自分たちを他者とのかかわりの中で考えるべきだと思っている。これは私の意見であるが競技者はただ好きなことだけをやっていたらいいというわけではない。今やコスモポリタンで人とのつながりを考えなくてはいけない時代で、自分たちよりもめぐまれない国や人身売買などのえげつないことが起こっている現実に目をむけて思いやりを示す必要がある。スポーツは国境をこえるというがまさにそういう競技者は代表であってそういう義務をおっていると思う。

「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」というオリンピズムは、クーベルタンが提唱したオリンピックのあるべき姿である。よく顧問は日本一になれとか世界を目指せと言うが、しかし教育がかけた記録さえのばせばいいという考え方は思いっきり間違っている。今自分が競技している国がどこにあるのさえもわからない人間、テレビに出てきても部室で話す程度のことしか話せないような人間がはたして本当に代表としてふさわしいのだろうか。最近ましになってきたと言うが、しかしまだまだアスリートの教育レベルがひくい。朝練とかトレーニングの拘束時間が長いのだから勉強できるはずはない。まずはきちんと勉強する時間を与えて知識を与えて「知る」と言うことを教える必要があるだろう。そしてもし可能ならば海外遠征の時にそこの国でおこっている現実をきちんと学習させたらいいだろう。私の考え方ではまともに物を考える人間の育成ができなければ、組織論と言う言葉など存在しない。

 

 

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