ANTI GEWALT(アンチゲバルト) 半島を想う

2016-09-17 | Weblog

日記にも書いたが私の好きな백지영の歌に「같은 마음」と言うのがある。直訳すると同じ心(気持ち)であるが、これは朝鮮戦争で離ればなれになる男女の物語、映画の主題歌である。一般の戦争映画と言えば、社会正義や戦争の矛盾ということをうったえるのだが、しかしこの映画は朝鮮戦争で戦地に赴く恋人の帰りをひたすら待つ女性を描いている女性視点で見ている映画である。この物語を通していえることは暴力の犠牲になるのはいつも弱いものである女性や子供だと言うことだ。格闘技には虚勢をはった人間が多い。グッズなんかを見てもわかるように威嚇したようなファッション、とにかく自分たちを強く見せようとして虚勢を張っているが本当はたいした度胸もないし強くもないだから虚勢をはったり言葉に表してごまかしているのだと思う。

私がなぜボクシングをはじめたかというのは根本的には強くなりたかったからだ。しかし強くなろうと頑張れば頑張るほどわかってくるのは自分も含めて人間は弱い、めちゃくちゃ弱いと言うことである。アホな格闘家が強くなって弱いものを守るなんていうような稚拙なことを言うが、こういうことをまじめに言う奴は本当にバカだと思う。人間にとって大事なことは自分の弱さを知ること、その弱さがわかれば人間は弱いものを傷つけたりいじめたりはしないのではないか。人間にはいくら泣いても叫んでも自分ではどうすることもできないことはたくさんある。昔私は一度韓国人の女の子の前でこらえきれずに泣いてしまったことがある。どういうことかということは2人だけの秘密であるが、自分ではどうすることもできない不条理、その不条理に負けてはいけないとこらえるが涙があふれてくる、最終的にはくるっと後ろを振り向いてごまかしたが、怒りと憎しみしかのこらないようなみじめな涙を流せば、人間は弱い、弱いからそれを認めて支え合うことが大事だと言うことがわかるはずだ。人間は弱いからこそ支え合う、それは強者が弱者をということではなく、同じ弱いものどうしが協力してその弱さを乗り越えようとするところに本当の力と支えがある。おそらく待っている側の女性や子供はただ日常の平安がほしいだけである。本当にその弱いものやマイノリティの視点に立ったら、そういう争いはおこらないだろう。自分が強くなって助けるのではなく、自分の弱さを認めて助け支え合う、人間は一人ではない、弱さを認めて支え合い助け合うそこに共同体の強さがあると言うのがうちのクラブの考え方である。

朝鮮半島の女性はよく泣く。ちょっとしたことで号泣なんて言うこともしばしばある。でもしかし彼女らはその分よく笑う。朝鮮民族は喜怒哀楽が激しいと言われているがたぶんそのことでバランスをとっているのだろうと思う。生きていると多くのことを受けとめなくてはならない、つらいことや悲しいことそして楽しいことやうれしいこと、韓国には最低でも2年の徴兵があるのだがその軍隊に行っている間子供や恋人の安否を気遣いながら待つ母親や恋人がいる。うまく言えないが男尊女卑の朝鮮半島では常に女性が犠牲になってきた歴史があるのだが、たぶん朝鮮の女性が喜怒哀楽が激しいのはそれらのことを全力で受けとめているからだろう。

 

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