横手市議会議員 奥 山 豊 和 公式ブログ

明日への責任〜市政に若い力を

この景色を守るために。

2016-05-16 23:04:49 | 日記

1日中トラクターの上にいるとしみじみと色々なことを考えてしまう。

というか、今日のように1ha超えの田んぼだと、集中して何か別の事を考えていないと永遠に終わらないような気になってしまうからである(笑)

農家4年目。無意識でも曲がらずに運転できるようになってきた。

代掻きは、焦らず亀のようにゆっくりと・・・

そこから新たに見えてくるものがある。
綺麗事を語る前に、しっかりと現場で汗をかくことも必要である。


この週末は各地で一斉に運動会が行われたようだ。

私は地元の大雄小学校へ。



強い日差しが気の毒に感じるくらい、絶好の日和だった。

何も遮るものがないコンパクトな大雄地区。

子どもたちの元気な声、アナウンスがまち中に響き渡っていた。
これが、地域の活力である。


さて、先週13日(金)は市役所に登庁。

午前中は議会広報委員会が開かれ、新年度になり印刷業者さんも替わったことから、それに合わせて次号からの議会だよりの編集方針について協議を行った。

昨年度は、文字を大きく読みやすくするために思い切って文字数を減らした。この流れは維持しつつも、より興味を持って読んでいただけるような議会だよりにしていくための不断の努力を続けなければならない。

これまでも編集の段階で、専門用語は極力避けたり注釈をつけるなど、分かりやすい紙面づくりに努めてきてはいるものの、まだまだ分かりにくいというご指摘を頂いているのも事実である。

事実を淡々と伝える表現に合わせ、議論の背景も可能な範囲でお伝えするような取り組みも必要ではないかと思っている。

ホームページ等を通じた広報活動の充実も今後の課題である。

同時刻に広聴委員会も行われたようで、毎年行っている議会報告会についてどのような形で開催するかを話し合ったようだ。

広報と広聴の融合により、より「市民に開かれた議会」へ。

(広報広聴)特別委員会を設置した意義である。


午後からは議会改革推進会議。

引き続き「議会基本条例」の条文一つ一つについて検証作業を行った。

今回議論になったのは「会派」について。

「議員は、議会活動を行うにあたり、会派を結成することができる」と条文に記されているが、年に2回、3月と9月の定例会に行っている「会派代表質問」をより充実させていくことが必要だと思う。

そのことによって、政策立案や政策提言に関して会派内でより深く議論や調整を行うことにつながり、議会活動もより充実したものになっていくに違いない。

他市の事例も参考にしながら、今後具体的な方向について提案をして参りたい。

「議会報告会」や「広報活動の充実」も条文にしっかりとうたわれている。

まさに今同時進行で特別委員会で議論していることではあるが、私は、同じことを繰り返すだけで、進歩や発展のない広報活動などあり得ないと思っている。

ありとあらゆるツールを活用して、お金をかけずにできることだってたくさんある。

立ち止まらずに発信し続けることこそ、「市民に開かれた議会」をつくるために必要なことであり、「市民参加を不断に推進する」ことそのものなんだと思う。


夜は、横手市陸上競技協会の支部総会に参加。

今秋、「よこてシティハーフマラソン」という初めての大イベントが控えているため話題に上がった。

実務についてはやはり陸協の皆さんの協力は欠かせない。今後詰めていかなければいけないことはたくさんある。

全国の市民ランナーをお迎えし、横手の魅力を存分に味わって頂けるようみんなで頑張りましょう!

懇親会も大いに盛り上がった。

大先輩方に加え、若手の会員も増えてきている。
中には、まだまだ現役を退くにはもったいないようなバリバリの人もいる。

この場所に、競技場に足を向かわせる原動力。

それは、「Track&Field」への愛!世代を超えた共通の想いである。

今後ともご指導、宜しくお願いいたします。


追伸・これは、今年新たに整地した田んぼに埋まっていた木。



トラクターに引っかかるのでスコップで掘り返してみたら、切り株みたいな大きいのもありました。

減反政策が始まる前の年、祖父の時代に整備された田んぼ。

その孫が、時空を超えた贈り物を掘り返している(笑)

ここは昔、林だったそうです。



遠くに望む鳥海山が白く輝いている。悠遠の昔から、ずっと変わらず見守っていてくれたのだろう。

今私たちが眺めているこの景色は、先人たちの努力の結晶によるものである。

「水田を守る」という言葉の本当の意味が、少し分かったような気がする・・・


追伸の追伸・思いの丈をありのままに書いたら、とりとめのない内容になってしまいましたm(__)m


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一点突破。

2016-05-12 22:48:13 | 日記

今日は田んぼの代掻きを行ったが、水の浸かり具合が思わしくなく途中で中止。

もう少し浸みてた方がいいみたいで・・・やればいいってもんじゃないんですね。こういうこともあります。

さて、7日(土)〜10日(火)、横手市十文字陸上競技場にて行われた県南高校総体陸上競技大会。
今年は3日間お手伝いさせて頂いた。

投てき種目の審判。

高校は種目も多くおもしろい。慌ただしい中にもやりがいがある。

リレー以外は1人3種目までエントリーできるわけであるが、それにしても、みんな器用に多種目をこなす。ハンマー1本だった私にとっては何とも羨ましい限りである。

背の高い選手も多いが、どことなくみんな細っそりしている。
はち切れんばかりの太ももを持つ選手は少ないように見えた。

我々の時代、フルスクワットは体重の倍を上げれなければいけないというのが基本だった。

技術的な指導は当時と大分変ってきているようではあるが、いくら小手先でふりまわそうが、強靭な下半身なくして大成しないというのが私の持論である。

何だかムラムラしてきた。あの日に帰りたい(笑)

議論や批判のあるところだとは思うが、仮に、複数種目で県大会を突破し全て東北どまりというよりは、私は、一点突破で頂点を、全国を目指すことの方に価値を見出している。

(高校陸上は、県大会で6位以内が東北大会に進み、東北大会で6位以内がインターハイに出場できる。県で優勝しただけでは全国に進めない。)

陸上競技で色々なことを学び、そのことによって自分の人生を切り拓いていった経験からである。

才能に恵まれているわけではない。

何でもそつなくこなす器用なタイプでもなかった。

日々の厳しい練習の中で、ウエイトトレーニングと両足ジャンプだけは、目の前にいる誰にも負けたくないという強い気持ちがあった。

自分は天性のものを持っていない。器用なオールラウンダーには決してなれない。

だからこそ、自分の土俵で寡黙に一点突破を目指す。それが、今も変わらない私の生き方である・・・

恩師やお世話になっている先生方と言葉を交わし、微力ながら現役の選手たちのお手伝いをすることによって、改めて自分の原点を再確認することができる。

これからも、積極的に関わって参りたい。


それにしても、土のグラウンドを知る私たちにとっては見違えるように立派になった十文字陸上競技場。



後輩たちと「あの時はいつも雨だったよな〜田んぼみたいなところでよく走ってたよな〜」とついつい思い出を語り合ってしまう。

だからこそ、中央・県北の学校には負けたくないという強いハングリー精神が養われたものと思う。

県南の核として唯一の競技場。

改修は行われてきているものの、細かい備品の不足も所々目につく状況だ。
この部分についてもきちんとサポートしていかねばならないと思っている。


追伸・ゴールデンウィークは記念日。妻と2人で岩手県遠野市に出かけた。







「遠野物語」、そして「カッパ」。

「永遠の日本のふるさと、遠野」。

素晴らしいキャッチフレーズではないか。

駅前のレストランのマスターは、カッパの格好で出迎えてくれた。

「日本人の遺伝子が懐かしむ風景」を徹底的に磨き上げているのである。
これが、地域の矜持、一点突破であると思う。

釜石まで足を延ばしたかったが、日帰りのため断念。いつか、三陸をず〜っと北上していってみたいものだ。

日本人の郷愁を誘い、心をぎゅっと掴むとても魅力的な地域である。






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基本が大事〜大仙市で若手議員研修 Part2〜

2016-05-06 23:44:30 | 日記

前回の続き、大仙市で行われた若手議員研修の2日目は、角館出身でプロ野球選手として大洋ホエールズの投手として活躍された松本豊さんのご講演を拝聴した。



松本さんは、昨年6月に帰郷するまで19年間にわたり島根県松江市でスポーツ少年団や中学生を対象に野球の指導をしてこられた。

正しいフォームというものは小さい時から身につけなければならず、中学生なってから直そうとしてもなかなか悪い癖は抜けないそうで、昔は遊びの中で、例えばメンコを強く打とうとするとおのずとトップの位置がしっかりしてくるように、日常生活の中で体が鍛えられていたものの、最近の子どもたちは体力がなく、高校野球でも他県の強豪校に比べて秋田の選手は体は小さいということを指摘されていた。

プロ野球に入ってからのエピソードとしては、一つの勝利がきっかけで、プロでもやっていけると自信になった。同じボールでも、自信を持って投げるボールとそうでないボールでは大きく違う。メンタルがいかに大切であるか。落合さんをストレートで抑えたことが大きな自信になったそうである。

現在は、秋田県南地区初の硬式野球クラブである「秋田県南リトルシニア」の監督として、小中学生を指導している松本さん。

勝つことのみを目的にするのではなく、野球を楽しむことが一番だ。

小学生の時に正しいフォームを身につけさせることによって、長く野球を続けていくことができる・・・

実際に教え子たちの中に、レギュラーをとれなくても高校まで野球を続けてくれた子もたくさんいるそうだ。

9人しか試合には出られないが、裏方の仕事を、自分にできることをやってチームの役に立つことができる。そういうチームが強いということもおっしゃっていた。

正しいボールの握り方を教えてもらった私たち。

私も含め、野球経験のある参加者からは、「このことを早く知りたかった」という率直な感想も聞かれた(笑)

今後の課題としては、スポーツが部活動中心の秋田県において、なかなか硬式野球に選手が集まりにくいことだそうで、県内の高校野球の強化、全体の底上げを図っていく意味でも非常に重要なことであると思うし、そのためには教育現場の理解や協力も欠かせないことだと思う。

目先の勝ち負けよりも、「正しい野球」を身に着けて、楽しんでやること。

口を出さずに見守ること。

野球に限らずに、人を育てていく上でとても大切な視点であると思う。

お話の冒頭、照れ笑いしながら「期待しないで下さい」とおっしゃっていた松本さん。

厳しい世界で結果を残してこられた方の言葉というのはやはり重く、心にズシンと響いてきた。

快く私どもの講師を引き受けて下さり、また貴重なお話をありがとうございました。
今後のご活躍と、「県南リトルシニア」の発展をお祈りします。




研修の会場となったのは、「大曲ヒカリオ」。

大曲通町地区第一種市街地再開発事業として整備された区域で、北街区は「大曲厚生医療センター」を中心に平成26年5月のオープン。そして、大仙市の健康福祉会館や大曲商工会議所、コミュニティFMである「FMはなび」や、こども園である「大曲北幼稚園」などが入る南街区は昨年11月にオープンした。

あいにくの雨の中、市の担当職員の方のご案内の下、一通り施設をまわらせて頂いた。

老朽化した「仙北組合総合病院」の建て替え移転、閉店し空き店舗となった大型商業施設の跡地活用など、当時の様子が目に焼き付いている私にとって、このように大曲駅前が新しく立派に生まれ変わったことを大変嬉しく思う。

見境なく郊外に新しい施設をポンと建てるのではなく、市街地中心部に、こうして人が集う場所をきちんと整備したということに意義があるのだと思う。

大仙市の都市計画マスタープランには「誰もが暮らしやすく自動車に過度に依存しない、歩いて暮らせるまち」と記されているように、これからも地域住民に愛される地域の顔として、将来にわたって住みよいまちの礎として大きな役割を果たされることを願ってやまない。


最後は、南街区に隣接する花火通り商店街の一部にある「毎日大曲」へ。



ここは、元々薬屋さんだった築80年の内蔵をリノベーションしてつくられたお店で、地元の商店主らが共同で立ち上げた会社「ひなび大曲」が運営している。



辻代表のお話を聞く一同。

溢れ出る情熱、郷土への想いに引き込まれてしまった。

「都会の真似をしないこと。この地域が持つ価値をいかに深く掘り下げていくか。

地元の人が好きになり、矜持を持てる地元にしていくこと。」

地方創生によって地域を元気にしていくという取り組みを、行政は行政なりにどこも一生懸命にやっている。

地域の本気の人間を本気で支えること、育てること。

逆に、ローカルな視点で地域政策を徹底的にやっていくことなんだと思う。

まちづくりはひとづくり。まちの肝は人である。


2日間の大仙市での研修は、改めてまちづくりの基本を学んだような気がする。

ブレずに覚悟を持ってやり続けていくということを徹底しない限り、この流れを断ち切ることはできないのだと思う。

改めて、有意義な研修をセットして頂いた地元大仙市議会の後藤先輩と受け入れて下さった関係者の皆さま、遠路大曲までお運び頂いた皆さん、県内の同志諸兄にに心から感謝申し上げたい。

ありがとうございました。

切磋琢磨し、ふるさとの発展に尽くして参りたい。


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花火の街の誇り〜大仙市で若手議員研修会 Part1〜

2016-05-04 22:53:47 | 日記

ゴールデンウィークですね。
昨日は秋田県内でも真夏日を観測するなど、寒かったり暑かったり・・・

農家にはあまり大型連休の実感はなく、皆さんあわただしく動き回っていらっしゃる。

実際、この時期恒例行事である、地域の「堰払い(農業用水路の泥上げ)」が昨日行われ明日も予定されている。

3年前に秋田に帰ってきて初めて参加した地域の集まりが、この「堰払い」である。

長い水路の中を歩いて感じたこと。これが、私にとって地域活動を始める原点とも言える。

3年か・・・月日の流れをしみじみと噛みしめている。


さて、先週4月27日(水)と28日(木)の2日間にわたりお隣大仙市で開催された、若手議員の勉強会。

今回は、全国若手市議会議員の会東北ブロックと、北東北若手議員の会(わらし塾)の共催という形で初めて実施した。

どちらの会も歴史があり、特に秋田県内は重複しているメンバーが多く、「北東北」は今回、秋田県が当番であったことから思い切って合同の研修会を行うこととした。

若くして政治の世界の飛び込み、地域を良くしたいという志は、所属する会が違っても同じことだと思う。

これからも互いの組織を尊重し利点を十二分に活かしながら、合同の勉強会を積極的に開催し、連携を強固なものにしていければと思っている。

北東北の西村会長、ありがとうございました。

キャリアはずっと上ですが、同世代としてこれからもよろしくお願い致します。



研修1は、「大仙市メガソーラー事業について」。

秋田自動車道西仙北IC近くに設置された「大仙市柏台太陽光発電所」の概要について説明をお聞きした。

元々牧場だった市有地の有効活用と環境に配慮した地域を目指し、平成26年から動き出した事業で、民間会社との間で20年間の包括的施設リース契約を結ぶことで、市としての初期投資は不要であったとの事である。

ここで生み出された電力は、固定価格買い取り制度を活用して全量を東北電力に売電するほか、可搬式の蓄電池を採用することで、災害時に避難所に持ち運んで活用することもできる。

もちろん、日照時間の短い秋田県にとってはリスクも考えられるが、過去のデータから300万円以上の赤字が発生する可能性は、太陽光パネルが毎年劣化していくことも考慮しても、最初の10年はほとんどなし、16年目以降でも1回あるかないかの確率だそうで、13時から14時頃のピーク時にMAXで発電できる量の3割増しでパネルを設置することで、出力制限も加味しながらうまくバランスを保っているようである。

20年の契約期間の中で、予定収益は1億4000万円程、資産税収入も8800万円程を見込んでおり、災害時の備え、そして眠っている市有地を有効活用するという意味では大変意義深い取り組みであると感じた。

続いて研修2は、「大仙市花火産業構想による地域活性化について」。

「大曲の花火」で有名な大仙市が威信をかけて、地方創生の目玉として力を入れている事業である。

まさに、花火文化の発信、花火産業の育成、観光と農・商・工業の振興、教育など様々な分野にまたがる発展軸を形成し、花火に結び付けることによって地域を元気にしようとするこれまでにない取り組みだ。

「大曲の花火」が年に1日だけの行事で通年の観光、集客に結びついていないという課題を抱えている中で、国内の花火大会で使われる花火玉は国産だけで賄えておらず、小型の花火を中心に安価な海外産が100万発程輸入されている現状に着目し、花火玉を全国に供給する会社を立ち上げようということで、株式会社花火創造企業を100%民間出資により昨年4月1日に立ち上げたのである。

また、作り手を応援することはもちろん、花火ファン=見る側の育成にも力を入れており、花火関連資料の収集や、NPO法人大曲花火倶楽部による「花火鑑定士」の認定も積極的だ。

中心市街地の活性化という目的で、「(仮称)花火伝統文化継承資料館」を整備することとしており、「街の顔」を花火によって盛り上げていこうとしている。

人材育成という点では、足利工大と連携し地元高校生を対象に、花火の種類や構造、発光・発色について実験を交えながらの特別講座も行うなど次世代を意識した事業も行っており、大仙市ではダリア栽培の農家も増えていることから、地域ブランドである「大曲の花火ダリア」を開発し全国展開を図っているというのも大変興味深い。

確かに、開いた花火はダリアの花とよく似ている。

来年は、第16回国際花火シンポジウムの開催が決まっており、「大曲の花火」を世界に向けて発信し、外国人観光誘客(インバウンド)の推進も目指している。

今年はプレ大会として、私たちが研修した翌日に観光庁長官らをお招きし花火シンポジウムを行っており、「世界の花火 日本の花火」と題して「大曲の花火・春の章」も開催された。

私は、大曲高校の卒業生である。

地元の次に、この街には深い想い入れがあると自負している。

20年前に大曲に通っていた当時から、365分の1日の「大曲の花火」を如何にして市全体の活性化に繋げていくかということが言われていたように思う。

こうして、花火を核にして大仙市全体に大きなうねりを起こしていること。産業振興を具体的に事業として動き出していることに、青春時代、大曲に育てて頂いた一人として誇りに感じている。

自分たちの持つ唯一無二の価値を市民全体で共有し、そのことをもって一点突破で外に発信していく。

「花火」に対する大仙市の揺るぎない信念にただただ圧倒され、地方創生のあるべき姿を教えられたような気がする。

何をもって自分たちのまちを元気にしていくのか。

ふわっとしたイメージではなく、明確なビジョンが必要であるということを強く意識させられた次第である。


次回に続く・・・


追伸・研修の前後に、旧知の副市長、部長の部屋をお訪ねした。
変わらずに笑顔で迎えて頂けることが嬉しい。

今後ともご指導よろしくお願い致します。


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続・ふくしまの現実〜全国若手市議会議員の会研修会in福島〜

2016-04-29 23:59:50 | 日記

昨日一昨日と、お隣大仙市を会場に若手議員の会の研修会を行った。
詳細は次に譲るとして、まずは前回の続き。

21日(木)、東京での研修を終え福島県郡山市へ移動。

いつも乗っている秋田新幹線では停車しない駅ばかり。客層も違う。那須塩原あたりではすでに田んぼに水が入っていた。

各駅停車というのもなかなか味がある。

まずは、いわき明星大学の高木先生より「東日本大震災の社会学〜震災5年目の課題〜」と題してご講演を頂いた。



被災地の復興と地域再生に焦点を当てながら、5年が経過した原発事故・原発避難の問題について、社会学の切り口からのお話であった。

(以下、概要)

まず、今年4月18日現在の避難者は94,892人いると公表されているが、あくまでもこれは仮設住宅やみなし住宅に入居している人の数で、公営住宅や別の場所に新しく家を建てた人の数は含まれていない。

これは「災害救助法」における「避難者」の定義にすぎず、「原発避難者」とは一体誰のことなのか、正確な数字は出されていない。

そうした中で、国は来年3月までに比較的線量の低い居住制限区域・避難指示解除準備区域については、避難指示解除を目指すとしているなど、「避難指示解除」に力点を置く政策変更に向かっており、果たしてそれで本当に復興は成し遂げられるのか、解除したからといって本当に人が戻って生活できるのか、ということである。

復旧作業の拠点となっている広野町を例に挙げると、震災の翌年に役場は戻ったものの、今年2月末時点での帰還率は44.8%で2420人。一方で、復旧作業員は4000人程度がプレハブで生活をしている。

帰還者の平均世帯人数は1.95人で、帰還のペースは避難指示解除後においてほぼ一定。家族が分断されているということである。

なぜ、避難者が戻ってこれないのか?

それは、「人が戻るのが先」か、「インフラが整うのが先」かというジレンマを抱えているのはもちろん、商工業者が置かれた状況からも、原子力災害からの地域再生の難しさがみてとれる。

地域住民に密着したコミュニティ依存の事業者ほど再開が難しく、町が「復興拠点化」として、復旧作業事業者向けの商業形態へと移行・適応していく中で、帰還者が少ないことから震災前の元の広野町に戻れるかの不安がある。

一つの商圏であり、行政同士や住民間の結びつきが強い双葉郡8町村一体で再開していくというビジョンがなければならない。双葉郡の中で、広野町や川内村だけが復興が進んでもそれだけでインフラが万全であるとは言えず、富岡町や浪江町が再開していかないと難しいということである。

原発事故そのものだけではなく、復興政策が生み出した人々の間の分断。

人と人の繋がりというものをいかにして再生していくのか。

阪神淡路大震災における仮設住宅での関連死問題をきっかけとして、コミュニティ対策はかなり制度化されてきているようではあるが、借り上げ住宅への入居者や、広域避難・域外避難への対応、実際に起こっている避難者と受け入れ住民との間に軋轢が生じていることなど、既存の方法では解決できない新たな問題も生じてきている。

人、インフラ、制度・・・時間をかけてつくられる地域社会は、パズルとして考えると分かりやすい。

人々によって生活できる条件が異なるため、ある人の帰還が次の人の帰還をつくりあげていくように、一定程度の人が戻るからこそ産業を再開させることができるのだ。

そのため、原発事故からの地域再生というものは、少しずつしか進まないということを理解しなくてはならない。

単身者ならすぐに戻れるかもしれない。しかし、家族が避難先で、保育所や学校、福祉施設等色々な条件で生活していることを考えると、まずは、戻れる人が戻る。ある程度の塊ができてくることによって、商業施設や病院などの次のインフラが再開し、それが次の帰還者をつくっていくということである。

パズルは一つ一つ組み立てていくのに時間がかかるが壊すのは一瞬であるように、地域社会も同じである。

地域づくり、まちづくりには時間がかかる。

大切なのは、住んでいる人の意識を変えること。住民同士が話し合って、お互いを理解し合うことが重要である。これはなにも災害に限ったことではないというご指摘を最後に頂いた。


続いて、昨年も富岡町をご案内頂いた同町役場の菅野産業振興課長より現地報告を頂き、翌22日(金)は、朝7時半に郡山駅を出発し富岡町へ。

菅野課長と共に新卒の職員の方が私たちのバスに同乗頂いた。

彼はいわき市の出身で、復興に携わりたいという志の下、富岡町役場の門を叩いた青年。
道中、菅野課長のお話をずっとメモし続けていた。町に入るのはこの日が初めてだったそうである。





バスに揺られて1時間半、富岡町に入っての正直な印象を申し上げると、きれいに除草されているのである。

昨年入った際には、思わず息を飲んでしまうほどの大きな衝撃を受けた。まさに、時が止まったまち。人の営みが感じられないまち。草も木も伸び放題だったのに。

町は平成26年1月から本格除染を開始し徹底的にやってきたそうで、宅地やその周りの森林は先行して除染し27年度中に完了しており、農地や道路等近隣の森林については今年度中に完了させるとしている。

今後は線量の高いところは再度フォローアップ除染を行うことにしているが、「帰還困難区域」は全くの手つかずである。



「帰還困難区域」・・・

富岡町は、苦渋の決断で町を3区分に分けている。

空間放射線量や地域コミュニティを基本とした区域再編を行い、「帰還困難区域」、「居住制限区域」、「避難指示解除準備区域」の3分割である。



4メートルの道路を挟んで、目と鼻の先に除染未施工のエリアが広がっている・・・ 

こういう不安な状況のままで元の生活に戻れるはずはないし、そもそも戻ってこようとも思えないのではないかということを強く感じた。

国直轄によって行われている現在の「特別除染計画」では、帰還困難区域は除染対象外となっており、それでは帰町を開始する判断材料の一つである「町全体の安全性確保」が困難だということから、富岡町は、帰還困難区域も含めた町内全域除染を求めている。

このままでは、このエリアに住む住民だけが忘れられて取り残されたようになってしまうし、重要な観光資源も失ってしまう。



富岡のシンボルである桜並木。幹の部分は除染されている。



昨年中を見せて頂いた役場庁舎は復旧中。



隣接する保健センターは先行復旧されており、今年度から、除染を担当する「復興推進課」と維持管理やインフラ復旧を担当する「復旧課」が配置されている。





ここは、富岡第二中学校。

5年前の3月11日。卒業式が行われていた会場がそのまま避難場所となった。

一夜をここで過ごし、翌3月12日早朝に突如、福島第一原発半径10km県内に出された避難命令によって散り散りになった住民。

生々しい当時の雰囲気が残されていた。



この崖を津波が駆け上がったというのはにわかに信じがたかった。

22.1Mの津波の威力。確かに、高台の上に建物が流された後の基礎部分が残されていた・・・


全国若手市議会議員の会としては3回目の視察、私自身は2年連続の参加ではあったが、現場を目の当たりにして感じたことは、着実に復興の進んでいる所とそうではない所があるということ。

実際に、国道6号線は多くの車が行き交い、くらしの復興拠点として「市街地復興先行ゾーン」の整備が始まるなど、わずか1年で見違えるように前に進んだ印象も受けた。

しかしながら、今もなお立ち入ることが制限されている場所が残されているという事実。

決して表向きには伝えられていない、許しがたいこともあったということ。

25兆円と言われた復興予算。

5年間立ち入れなかった地域にはどのように復興の追い風となったのだろう・・・



このキャラクターは、心の復興と情報発信のために誕生した「とみっぴー」。

全国に避難する町民の思いや町の様子を発信するため、かわいらしいくちばしと、背中にどこにでもとんでいける羽を持ち、名前には町の幸せを願う「ハッピー」が込められているそうだ。

「離れていても、きっと届く。懐かしい君の声が。」

「未来へと つながれ ひろがれ 富岡町」

これからも、「ふくしまの現実」をしっかりと見つめながら、心を寄せていきたいものである。



最後に、研修をセットして頂いた全若災害対策研究部会長であり地元福島県伊達市議会の菅野議員はじめ、関係者の皆様に心からお礼を申し上げたい。

これからも、共に歩んでいきましょう!














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