東京都国分寺市で11月に開かれる「国分寺まつり」で、毎年ブースを出している護憲団体「国分寺9条の会」が今年の参加を拒否されたということが報道されています。
市などでつくる実行委員会は、内容が政治的であることを理由としているということです。
これは憲法の保障する表現の自由に違反します。
表現の自由とは、「外部に公表する精神活動」の自由ですから、言ったり書いたりする以外の、出店という行為も表現にあたります。
「政治的であるから」というのが理由になっているようですが、これは表現の自由の本質に正面からぶつかります。どうしてか?
そもそも、なぜ、表現の自由が保障されているのでしょうか。
憲法の本にはこう書かれています。
第1に 個人が言論の自由を通じて自己の人格を発展させるという個人的な価値があるから。これを「自己実現の価値」といいますが、つまり自分の言いたいことを「言う」ことは人間として満たされる基本だということです。
そして第2に言論活動によって国民が政治的意思決定に関与するという、民主政に資する社会的な価値があること。これを「自己統治の価値」といいます。
私たちは、自分たちを大切にするために、(例えば独裁者のいいなりではなく)自分たちの意思で政治を決めていくことにしました。私たちが主権者です。でも、何がいいかを考えるために、自分ひとりで考えるだけでなく人と意見を交わし、より良い考えを見つけていくことが重要です。コミュニケーションの場を確保して、いろんな人と意見を交わし合うことが必要であり、そのために表現の自由は大きな役目を果たすのです。
憲法で保障されている表現の自由(21条)は、政治的意思決定に関与するために役立つことからこそ、表現の自由は優越的地位にある権利(他の人権以上に尊重されなければならない権利)とされているのは、そういうことです。
だとすれば、政治的な表現行為だからその表現行為を制限するというのは、その権利の本質を真っ向から制限していることになるのです。
市も加わってこのような制限を決めたということであれば、これは明らかな憲法違反です。