今日5月20日東京都内で、文科省が中高校生がいじめについての生徒会独自の取り組みなどの報告を聞くなど懇談をしたということです。
以下、新聞記事からの報告・・・・・・・・・・・・
5月20日午後1時過ぎ、いじめへの子どもたちの考えを聞こうと、文部科学省は20日、東京都千代田区の東京国際フォーラムで、第1回「いじめをなくそう」子ども会議を開催した。4中学校と2高校の生徒計11人が参加。各校独自の生徒会の取り組みなどを報告、同省に設置されている有識者会議委員と懇談した。
千葉県立佐倉東高3年で生徒会長、古沢遥さん(18)は1月に実施したアンケートなどの活動を紹介。「いじめは自分の力で乗り越えるべきだ」と考える生徒が6割を超えているというアンケート結果を挙げ、
「いじめを自分で乗り越えなければいけない環境になっている」と指摘。
学校長に「相談しやすい環境作り」を求める文書を提出したことを報告した。
懇談では、別の女子生徒が相談相手について、「子どもは親のことを心配していて、(相談すると)すごい心配されるので親には言えない。先生に言っても親に伝わるので、友達に相談するのが一番」と保護者や教師に相談しない理由を話すなど、活発な議論が展開された。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上
この中で、「いじめられているなら訴えるはず」という一見常識的は理解が誤りであることはまず分かってほしいところです。
さらに、この中で、重要だと思うのは、
『子どもたちが自分たちでいじめを乗り越えなければならない』と考えていること。
これは、ひとつには、
子どもは「大人は自分たち子どものことは理解できないだろう」という思いのあることの表れではないでしょうか。
自分の子どものころのことを思い出すと、子どもの心は大人なんかには分からない、とどこかで思っていました。
今、関わる子どもたちから「どうしてそんなに私の心が分かっちゃうんですか」といわれることがあります。それは、自分も子ども時代を送ってきたから、と答えますが、親や教師が、子どものころの覆いのない傷つきやすい部分を思い出して、「同じだったんだよ」と子どもに伝えることも必要なのではないでしょうか。
そして、もう一つ
本当に、大人が子どもを理解できないこともあります。この子ども会議で
『学校長に「相談しやすい環境作り」を求める文書を提出したことを報告した。』とありました。学校長はどんな工夫をしてくれたでしょうか。
学校は子どもたちが非常に長い時間を過ごす場所です。ここで、子どもの気持ちや努力に真摯に向き合う教師の姿勢が、子どもたち自身の力を引き出すことができるのだと思います。
教師が、いじめにどのように取り組んだらいいかを学ぶ機会を積極的につくるべきだと思います。
現実には、いじめと思われる出来事に対して、学校は案外不器用に振る舞うことも多いように感じます。
以下、新聞記事からの報告・・・・・・・・・・・・
5月20日午後1時過ぎ、いじめへの子どもたちの考えを聞こうと、文部科学省は20日、東京都千代田区の東京国際フォーラムで、第1回「いじめをなくそう」子ども会議を開催した。4中学校と2高校の生徒計11人が参加。各校独自の生徒会の取り組みなどを報告、同省に設置されている有識者会議委員と懇談した。
千葉県立佐倉東高3年で生徒会長、古沢遥さん(18)は1月に実施したアンケートなどの活動を紹介。「いじめは自分の力で乗り越えるべきだ」と考える生徒が6割を超えているというアンケート結果を挙げ、
「いじめを自分で乗り越えなければいけない環境になっている」と指摘。
学校長に「相談しやすい環境作り」を求める文書を提出したことを報告した。
懇談では、別の女子生徒が相談相手について、「子どもは親のことを心配していて、(相談すると)すごい心配されるので親には言えない。先生に言っても親に伝わるので、友達に相談するのが一番」と保護者や教師に相談しない理由を話すなど、活発な議論が展開された。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上
この中で、「いじめられているなら訴えるはず」という一見常識的は理解が誤りであることはまず分かってほしいところです。
さらに、この中で、重要だと思うのは、
『子どもたちが自分たちでいじめを乗り越えなければならない』と考えていること。
これは、ひとつには、
子どもは「大人は自分たち子どものことは理解できないだろう」という思いのあることの表れではないでしょうか。
自分の子どものころのことを思い出すと、子どもの心は大人なんかには分からない、とどこかで思っていました。
今、関わる子どもたちから「どうしてそんなに私の心が分かっちゃうんですか」といわれることがあります。それは、自分も子ども時代を送ってきたから、と答えますが、親や教師が、子どものころの覆いのない傷つきやすい部分を思い出して、「同じだったんだよ」と子どもに伝えることも必要なのではないでしょうか。
そして、もう一つ
本当に、大人が子どもを理解できないこともあります。この子ども会議で
『学校長に「相談しやすい環境作り」を求める文書を提出したことを報告した。』とありました。学校長はどんな工夫をしてくれたでしょうか。
学校は子どもたちが非常に長い時間を過ごす場所です。ここで、子どもの気持ちや努力に真摯に向き合う教師の姿勢が、子どもたち自身の力を引き出すことができるのだと思います。
教師が、いじめにどのように取り組んだらいいかを学ぶ機会を積極的につくるべきだと思います。
現実には、いじめと思われる出来事に対して、学校は案外不器用に振る舞うことも多いように感じます。











相談によるメリットデメリットを考え、メリットがあまり期待できないから相談しない。
まず、加害行為を完全に押さえられるか、というと、ほとんどの場合は、当該行為をやめさせることはできるでしょう。ただ、その他の加害行為までやめさせることはなかなか難しいことです。相手を変えたり、巧妙に別の方法で嫌がらせをしたり、というのはなかなかなくなりません。被害を訴えた相手に直接の加害行為があればかなり強い指導ができますが、間接的なものまでは難しい。
きちんと反省し、非行行為を一切やめるまで強制力を使っても指導できるような態勢が必要です。
被害者に全く落ち度はないか、というと、100%完璧な人間などいませんから、何かあります。これを責められ、どっちもどっちにされかねません。
正当防衛でやられたとかならともかく、たとえ落ち度があってもそれで加害行為のいいわけにできるのはおかしなことです。悪いのは100%加害者である、ということをはっきりさせるべきです。
正当な要求を合法的にするのはもちろんいじめではありません。
いじめというと、「被害者対策」というのはおかしなことです。心の治療が必要なのは加害者です。被害者が癒されないのは、加害者がいつまでも大手を振って歩いているからで、加害者をきちんと指導できれば、被害者は放置しておいても大丈夫です。
加害者を何とかして欲しい、被害者は放っておいて欲しい、というのが多くの被害者の気持ちではないでしょうか。
また、開催者の目的は、どこにあるんでしょうか?
以前、私の地域でも子ども会議が開催されましたが、学校の代表は、優等生ばかり。先生から見て優等生でも、息子からいじめっ子が参加したと聞きました。
模範解答でまとまった会議は、「いじめ撲滅宣言」で終わったようです。
大人のための会議にならないと良いけれど・・と思いました。
このお考えは、政府が、「いじめた側は登校禁止にすればいい」としようとしたことの問題性をしっかり指摘していらっしゃると思います。
非行を犯す少年とそうでない子を見たとき、前者に被虐待体験者が優に多いということが日弁連の調査で分かりました。
いじめの加害者にも同様、何らかの問題があるのでしょう。
たしかに、被害者の受けた被害、精神的苦痛の回復はとても重要です。
でも、いじめ側の問題性こそ、いじめを減らすことに不可欠ですね。
どういう問題か、というのをはっきりさせなければなりません。
単に変わっているというだけのことなのか、加害行為があるのか、ということです。加害行為にしても、暴力行為なのか暴言なのか。暴言といっても、故意性のある名誉毀損・侮辱発言か、単に不注意で失礼な発言という程度なのか。
加害者がその前に被害を受けていたというのは考慮する必要があります。ただし、その加害者に対しての復讐行為に限ります。加害者と別の相手に攻撃したのでは、きわめて悪質で、同情の余地はありません。虐待相手への復讐が許されるわけではありませんが、同情の余地はあります。虐待されたからと、別の相手を虐待したのでは、もちろん同情の余地はありません。
どっちもどっち、ではなく、1つ1つの問題行動をきちんと解決していくことが必要です。また、常習者には厳しくすべきです。
いじめ自体は昔から(わたしは現在40歳です)ありましたが、この頃はその言葉に死や殺人という言葉さえ結びつくような恐ろしさを感じてしまいます。
大人がそのように感じてしまうのは却って良くないことなのかもしれませんが・・。
ただ、最近いつも悩むのはいじめの結果として集団暴行での殺人や自殺になってしまった場合は、当然事件として加害者少年を捕らえたりしますが、事件として扱われる前の段階では・・・。
被害者は加害者と同じ環境に居続けて解決の糸口を見つける方法は何処にあるのだろうと迷います。
杉浦様の書いてらっしゃった「同じだったんだよ」と子どもに伝えれる大人であるどころか、一緒になって解決できない事として捉えている自分に気づきました。
暴行にあってる現場を誰かが止めてくれたとしても次はもっと巧妙な計画を練られるのではないか・・と不安の方が膨らんでしまいます。
情けない大人になっている自分に反省です。
また学校の校長などが学校側の責任逃れをするような
発言をしているのにも情けなくなります。
被害者家族や被害者遺族が知りたいのは、またはっきりさせる必要があるのは誰の責任かではなく、先ず何が起こっていたかではないの!?とニュースを見ながら叫びたくなります。
そしてその後少しづつ具体的なことが明らかになっていく・・そんな様子を見ていたら「被害者を守る・加害者を戒めるチャンスの人は居てもそれを実際にする人は居なかったんだなぁ」と苦しくなります。
いじめが起こっている環境にいる子どもたちはいろんな事件のニュースを見る度に「自分で解決するしかない」と思っていくんだとうなと自分の気持ちとダブらせて考えてしまいました。
ただ、いじめを受けながらも親に知らせたくないという思いから必死に平静を装っている姿には子どもゆえの必死の愛情を感じて切なくなります。