杉浦 ひとみの瞳

弁護士杉浦ひとみの視点から、出会った人やできごとについて、感じたままに。

・脳死臓器移植法案~6歳でも親の同意でOK?

2007-03-16 13:39:32 | Weblog
脳死となった6歳以上の子どもの臓器も移植することを認める法案が検討されることになりそうだ、というニュースに驚きました。

 現在、臓器移植は脳死状態からは、本人同意があれば可能だと規定されており、子どもでも15歳以上はその同意ができることになっています。
でも、それよりも小さな子が移植を受けるには、海外に行く以外になかったことから、国内での移植を可能とするために、ちいさい子の臓器が必要とされています。たとえば、1歳の子の体に、大人の心臓は大きすぎますが、肝臓のように切って使える臓器でないことから問題になります。
でも、この臓器移植法案については、2つの点で問題だと考えます。

まず第1は、脳死が人の死といえるか、という点です。
私たちは、脳死というと死亡と同じと思っていますし、いろいろな広報もその点についてあまり説明をしません。
でも、脳死は、死亡と同じではない、むしろ生きているといってもいいような事実が明らかになってきています。

下記は新聞記事です。
★ 「脳死」判定後、6年間心臓が動き、成長した7歳の男の子(中日新聞・東京新聞 2006年12月23日)

 臓器移植に関心が高まる陰に、脳死診断後に一カ月以上生きる「長期脳死」という状態の子どもたちがいる。国内での小児臓器移植を可能にする臓器移植法改正の前提を覆すような事例にもかかわらず、その存在はほとんど知られていない。 
  A君(7つ)は一歳半の時、原因不明の高熱で急性脳症となった。医師からは「大人なら脳死の状態」と宣告されたが、六年後の今も、人工呼吸器を付けて「生きている」。
  発症後三カ月は肺炎などの合併症を繰り返したが乗り越え、やがて状態は安定。四歳で退院した。母親はA君の皮膚を清浄綿でふき、半開きになるまぶたを閉じて目の乾燥を防ぐ軟こうを塗る。たんを吸引し、三時間に一度の体位交換。栄養は鼻のチューブから。「苦には感じない。毎日一緒にいられることが幸せ」と母親は言う。
  この六年間で身長は三六センチ伸び一一〇センチに、体重は七キロ増え一六キロに成長、顔つきもすっかり男の子らしくなった。暑ければ汗をかき、排便時は顔を真っ赤にして踏ん張る。注射針を刺すと体をよじる。この五年間に受けた臓器移植法に基づく脳死判定では、無呼吸テスト以外のすべての検査で脳死の要件を満たしたのに、である。
  「Bちゃん、お客さんにごあいさつしようね」。母親に促され、記者がB君(10)の手に触れると、B君は温かい手でギューッと握り返してきた。
  四年前、B君は交通事故に遭い、頭蓋(ずがい)内に血液があふれ脳圧が異常に高くなる「急性硬膜下血腫」と診断された。緊急手術でも意識は戻らず、一カ月後「もう脳死に近い状態。手は尽くした。あとはご家族で静かに見守って」と言われた。だが二カ月後、だらんとしていた手がピクッと動き、浅い自発呼吸も戻った。事故から一年後、奇跡的に退院できた。
  今も瞳孔は開いたままで脳波もないが、母親は自信に満ちて言う。「この子のおかげで家族や友人と命について真剣に考えるようになった。出会いもあった。この子の存在が家族の幸せ」
  二〇〇四年に日本小児科学会が全国の救急病院などを対象に行った調査によると、小児脳死七十四例(疑い含む)のうち、脳死状態と判断してから心停止まで三十日以上かかったケースは十八例(24%)あった。人工呼吸器など医療技術の進歩もあり、長期脳死例は新たな問題として浮上している。家族にとり「脳死を人の死」とする同法の考え方は受け入れがたい。
  日本移植学会によると、脳死からの移植を前提とする心臓・肝臓移植の希望待機者は二百二十九人(先月三十日現在)いる。小児も含め臓器移植を進めるため、与党はドナーの年齢制限撤廃などを盛り込んだ同法改正案をまとめた。
  だが、松本歯科大学の倉持武教授(倫理学)は「脳死のドナーが豊富な社会なんて、逆に異常だ。脳死を一律に死と認めれば、死の解釈は移植の大義名分のもと植物状態、重度脳障害へと拡大していく」と警告する。
  渡航費用の寄付を求める移植希望者家族と比べ、長期脳死の子の家族の声は世の中に届きにくい。ある母親は「社会に説明しなきゃという気持ちと、やっぱり怖いという気持ちと」と心は揺れる。「ドナー不足」という言葉が「臓器をくれ」に聞こえるという。
  「難病の子を救おうと臓器を求める親の思いも分かる。ただ、ドナーになる子の立場も知ってほしい。それだけ」

アメリカでも、小児神経内科の学者シューモン教授は、脳死状態に陥った後も長期に生存する患者が存在する事実を明らかにしています。
・1966年から1997年までの約30年間に医学文献で報告された175例の脳死患者のうち,心停止までに少なくとも4週間経過したのが44例,2か月以上が20例,半年以上が7例,1年以上が4例ある。
・そのうちの1例については,4歳の時に脳死状態に陥り,報告当時までで14年半を経過し,この間に,15キロだった体重が60キロになり,身長も150cmになって第2次性徴を迎えて,なお,生存しているというものです。

日本においても,1987年4月から1999年4月までの6歳未満の脳死例137例中,30日以上心停止に至らなかったケースが25例(全体の18%)確認され,300日に及ぶ例が2例確認されている。
 さらに,脳死患者の状態についてみると、脳死患者には様々な自動運動や脊髄反射が起こることが医学界では当たり前のように見られている。それは、ときにはベッドから飛び上がるほどの運動であったりもするという。脳死患者の人工呼吸器を外した後に「ラザロ徴候」と命名されたあたかも祈りを捧げるように見える上肢の動きが起こり得ることも,国内外で多く報告されています。
 2000年4月に秋田県で行われた脳死判定(6例目)時にも,ラザロ徴候が認められたということである。また、呼吸のような運動や開眼,拇指屈曲,頸部屈曲,頭部回旋なども確認されたということです。
また,脳死患者の臓器を摘出するために、脳死患者の体にメスを入れると、血圧が上昇することも国内外で多くの論文で報告されています。1999年に実施された高知赤十字病院(1例目)のケースにおいても,臓器摘出のためにメスを入れたとたんに,血圧が上昇している。欧米では,臓器摘出の時に,麻酔や筋弛緩薬やモルヒネを使用するのは常識になっているそうです。つまり、臓器を取り出そうとすると体が激しく動いたりするために、それをあらかじめ薬で止めるのである。日本での臓器移植の例でも,やはり臓器を取り出す身体に麻酔や筋弛緩薬やモルヒネを使用された例が相当数報告されています。

脳死を死と見て、生存に必須の臓器を取り出すことについては、もっと考えないといけないと思います。
そうでないと、人の死が人為的に決められることになってしまいます。

もう一点は、子どもの臓器移植について、親の同意でよいか、という点です。
ある医師の話ですが
虐待をして子どもを瀕死に至らせた親が、「罪滅ぼしに、このこの臓器を使ってください」と申し出たという話があります。
子を可愛がらない親はない、という人情を信じたいです。
でも、子どもが自分の最後のことをどうしたいかを、考える機会を与える、考えられる年になって決めさせる、ということは必要ではないでしょうか。





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2 コメント

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Unknown (通行人)
2007-03-17 13:48:54
http://www6.plala.or.jp/brainx/2002-8.htm#20020801
こういった問題もありますよ。

そういえば日弁連でも臓器移植法に関する意見を掲載してますよね。会長声明も。

あと日本でも脳死と判断されてから半年後に自発呼吸の兆候が確認された事例もあります。自発呼吸などは脳幹などが司る機能とされ、日本の全脳死定義では自発呼吸はあってはいけません。脳死定義そのものが根拠も薄いですが、尊厳死・安楽死問題と違い、脳死は始めに結論ありきで動いている気がしてなりません。

約10年で52件。仮に現行の意思確認15歳以上を逸脱した6歳以上が採用されるとしても、小児に関しては年0~3件までの判定実績になるのではないかと思います。そうすると更なる過激論(町野案のような性善説の様に生まれながらに提供の意思ありとして拒否文書がなければドナーにしていいという思想)が出てくるでしょうね。

年齢に問わず、本人以外のところで決められる本人の意思って何なんでしょうね。
科学の限界とモラルの揺れ (杉浦ひとみ)
2007-03-22 05:43:13
いくら要望(需要)があっても、そこまではしてはいけないだろう、という限界は、本当はあるのでしょうか、ないのでしょうか。
従前、神の領域と考えられていたようなことが科学で克服されてくると、実は昔はできなかったから神の領域だっただけで、単なるイソップの「あのブドウは酸っぱいから採らないんだ」と同じことだたのか、という気もします。
「人はなぜ殺してはいけないのか」の質問に大人は答えられるか、などということも少し前に話題になりました。
人は自由を望むけれども、案外枠付けされる安定感がほしいものです。今までモラルだとされていた枠が、実は社会の変化の中で揺れ動くものだということを知ることは、地震のときに動かないように固定するのでなく、逆に揺れるようにして耐震構造にするようなものかもしれませんね(ちょっと脱線しましたが)。

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