9.11について

2001年の9.11事件や、その他色々な感想、思い、などを書いていけたらなと、思っています。

9.11について  <円の支配者>リチャード・ヴェルナー 著 その6

2017年04月20日 | 日記
とあるスナックで

小林
どうやら、日銀の<営業局>というところが、キーポイントになるみたいですね。 P-235

見る目をもった日銀スタッフには、日本銀行にはエリート中のエリートが存在することは自明だった。この少数のグループは信用創造量を決定し、窓口指導の権力を頑強に守って、誰にも口出しをさせなかった。彼らは後継者を自分たちで選んだばかりではなく、忠実な部下だけを営業局長やその下の重要ポストに就けた。窓口指導政策を管轄する営業局の権利は非常に大きく、日銀の他の部門から独立していたので、他の日銀マンは彼らを<関東軍>と呼んだ。
関東軍とは、1920年代から満州に駐屯していた日本軍部隊である。東京の総司令部の掣肘(せいちゅう)を受けず、勝手に攻撃的な政策を追求した結果、日本を対中戦争に追い込むことになった。結果は悲惨だった。同じく窓口指導の貸出割り当ても日銀内部の少数のグループによって決められていて、彼らは誰にも責任を負わずに勝手に行動していた。敏感な銀行関係者はこの事実を知っていたが、日銀との良好な関係の維持に銀行の将来がかかったいたから、どうすることもできなかった。先の「日銀担2」の行員はこう証言している。「窓口指導は営業局長が決めていた。営業局長は日銀で最も強い力をもち、いつかは総裁になる人物だった。バブル時代の営業局長は福井で、20年前の局長は三重野だった」

三重野の公式な総裁就任より前の1988年、89年、すでに窓口指導の貸出枠は引き締められていた。しかし、当時の澄田総裁はこの政策転換についても何も知らされていなかった。バブルを生み出した信用創造の指導についても、彼は知らなかった。それなのに気の毒な澄田総裁はバブル発生の責任を問われ、日銀生え抜きのスタッフは資産インフレと闘う戦士、健全な金融政策の守護者とマスコミに称えられた。
1989年に総裁に就任した三重野はマスコミの喝采を浴びた。彼は責任のない傍観者のような顔でバブル時代の政策を批判し、自分は異なる政策を実施すると示唆した。


コー
大蔵省出身の総裁には、この<信用統制メカニズム>である<窓口指導>の詳しい内容を、あえて教えなかったんだな、日銀の生え抜きたちは。、
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