続・名脇役の憂鬱

あの名脇役が主役になって帰って来た!
シンガーソングライター岡本建太郎の日々

正しい理解。

2016-10-17 23:46:56 | 音楽の事。
小学生の頃、既に父親はおらず母親は僕を育てるために自分で店を始めた。
母親の帰りは夜遅くになり、僕はもちろん鍵っ子になり夕飯を1人で食べる事など当たり前であった。
近所に住む同級生などが家族で外食をするという話を、どこか自分には関係の無い世界の話のように聞いていた。
自分にはもう叶わない円満で幸せな家庭の話にリアリティなど感じられるわけがなかったのだ。

こんな秋の頃に夕方から1人でずーっと電気もつけずにただ暗くなっていく部屋にいて、
たしかあの時に初めて自分の人生というものに思いを馳せたのだと思う。
これまで考えもしなかったありとあらゆること、それでもまだまだ子供であるからきっと他愛もないことだったんだろう。
今となっては思い出すすべもない。
ただ明らかだったのはその次の日から自分の周りの友人が余りにも幼稚であると気がついた事だった。
話の内容や趣味、その動作や立ち居振る舞いなど、およそ人間には見えず
子供服を着せられたチンパンジーの折の中に居るのではないかと錯覚するほどだった。
だからといって学校に行くことをやめるようなことはせず、僕はチンパンジー達と上手くやる方法を探っていった。
そんなこともまた漠然とした孤独感に苛まれる要因の一つだったのかもしれない。

ちょうどそんな頃にビリージョエルやエルトンジョンなどの洋楽に手を染めていった。

毎日真っ暗な部屋でそれらの洋楽を流しながらコーラを飲んでただ茫洋と人生についての思考を燻らせる、
今とやってることはさほど変わらないが二十年前の僕には大変斬新でエキサイティングな時間だった。

もちろんその頃の僕に彼らの英語がわかるわけもなく、正しくそれらを理解して聞いていたわけではなかった。
しかしその当時の僕にはむしろ、彼らが何を言っているのか分からない事が必要だったのだ。
彼らの音楽や声色、曲調などを自分なりに解釈して自分の気分に当てはめていく。彼らが齎した真意をことごとく無視するスタイル。
それは、たとえば言葉を持たない音楽に自分の心を浸していく作業に似ている。空を見てなにか感じ入ることに似ているのだ。
彼らの音楽を通して僕は僕の心の内を探っていたのだろう。

幼少のうちにそういう音楽の聞き方をする機会があることがその後の人生に与える影響如何ばかりか推し量る術もないが、

正しい理解ばかりが正解なのではないと、こと音楽に関しては言える。

そして、僕の音楽もまた様々な人の心の器になるように願っている。悲しいことや辛いことを注ぎ込んでそっとそばにおいておけるようなものとして。


随分湿っぽくなってしまったので最後に僕の一発ギャグを披露してお別れしたい。

ヘコヘコ!!
(面白い顔をして膝を逆に曲げ、一気に8メートルもジャンプして空中で薔薇になるギャグ。)

では。
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