お気楽忍者のブログ 弐の巻

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名張藤堂家邸跡

2017年07月18日 22時09分34秒 | 行楽・旅行記1

某日、三重県名張市の市街地にある史跡『名張藤堂家邸跡』に行ってきました。

名張藤堂家は江戸時代の藤堂氏の一門です。

浅井・豊臣・徳川に仕えた戦国武将で築城の名手と云われた藤堂高虎(今治藩主→伊勢津藩主)は子に恵まれなかったため、養子として迎えた丹羽長秀の三男 高吉を後継者にしようと考えていましたが、高虎に実子 高次が生まれるとその話も消滅しました。今治城主(高虎の城代)となっていた高吉は高虎の死後、高次の家臣として仕え、寛永13年(1636年)に高次の命で伊賀国名張に移封されました。

高次は高吉の存在を危険視していたとされ(幕府が高吉を藤堂本家から独立した大名にする動きがあったとされる)、名張移封は高吉に対する高次の冷遇の一環であったと云われています。その後、享保年間まで名張藤堂氏と藤堂宗家との対立は続くものの、名張藤堂家は明治維新まで11代に渡って続きました。

現存の建物は宝永7年(1710年)の名張大火後に再建されたものだそうで、「御西」と称された中奥、祝いの間、茶室など日常生活に使用された奥向の一部と正門(寿栄神社へ移築)が残されており、近世武家の住まいの例として貴重な遺構となってます。

邸宅内では名張藤堂家に伝わった調度品、武具、典籍、文書などが展示公開されてます。「豊臣秀吉朱印状」、「鉄唐冠形兜・一の谷形兜」、「具足」、「備前無銘刀」「藤堂高吉公一代記」、「羽柴秀吉・丹羽長秀の書筒」等の貴重な資料も観ることができました。

今回展示されてる具足は黒鉄のものでした。有名な朱具足は残念ながら観ることはできませんでした。。。

近鉄大阪線名張駅から徒歩5分の距離にありますので、ご興味のある方はぜひ!

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