大阪城天守閣。
現在の天守閣は1931年(昭和6年)に再建され、その復興天守は太平洋戦争の大阪大空襲では辛くも焼失をまぬがれました。平成7~9年に平成の大改修で耐震補強や外壁の補修が行われ、5層目の塗装はより豊臣時代に近いデザインに改められました。
過去記事<朝陽を浴びる大阪城天守閣>
本丸西の庭園から見た天守閣。空が少し霞んでいたのが残念、あまりシャープに撮影することができませんでした。。。
桜門枡形の蛸石。
本丸の南、桜門奥の枡形(石垣で四角く囲った区画)で一番大きな花崗岩の巨石で、城内ではこの石が一番大きいそうです(108トン)。備前岡山藩の池田忠雄(ただかつ)によって築かれました。
桜門の外から見るとちょうど蛸石の上に天守閣が見えますね。駕篭ならぬ、現代ではチャリで登城です(笑)
多聞櫓(たもんやぐら)。
大手口枡形の石垣の上に建つ櫓で、大門の上をまたぐ渡櫓(わたりやぐら)とその右側に直角に折れて接続する続櫓(つづきやぐら)から構成されていて、国の重要文化財に指定されてます。京橋口や玉造口にもあったそうですが、現存するのはこの大手門の多聞櫓だけです。
こちらは大手門枡形にある巨石で、城内では4番目の大きさ。肥後熊本藩主 加藤忠広によって築かれました。
大手門千貫櫓(せんがんやぐら)
千貫櫓は西の丸庭園の西南隅に位置し、大手門を北側面から防御する重要な櫓でした。織田信長がここに元々あった石山本願寺を攻めた時、横矢が飛んでくる隅櫓がこの辺りにあって攻めるのに難儀したことから、「あの櫓を落とした者には千貫文の銭を与えても惜しくない」と話したことからこの櫓の名が付いたとも云われてます。
11月下旬までは土日祝にこの多聞櫓、千貫櫓内の特別公開が行われています(有料)。
つづく
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