
戦前戦後一貫して漁師の町を堅持し発展してきた糸満。漁から得た収入・金銭は男(夫)が所有・所持し女(妻)は夫から買って(魚介類)、それを那覇その他の界隈に売って収入を得ていた。糸満女の売り声は甲高く響き渡り夙に有名であった。<いゆぐぁー、こーん、ちょーれー>(新鮮な魚を買って下さい>という呼び声は沖縄芝居や演劇にも上演され馴染みの深い演目になっていた。巌として諸行事・祭祀・祭礼は旧暦で現在でも行っている。去る正月も“旧正月”で執り行った。漁師の街らしく大漁旗を高々と掲げ豊漁を祝った。<イイソーグヮチデービル>(良い正月ですね)と祝いあって賑やかに街頭を闊歩した。漁港では数多の所有船が各々、大漁旗を靡かせ船内では祝宴を披いて祝った。由緒ある鎮守の森に鎮座する拝所「白銀堂」では女達が豊漁を祈願し泡盛やお米の入った祈願用木箱<ビンシー>を備えウコー(線香)を焚いて大漁・豊漁と無病息災、航海の安全を祈った。戦前から出色で異色な街・集落の糸満の素顔はウチナーンチュ(沖縄人)の範疇に在りながら何故か傑出した一面があり異なった側面があった。伝説的出自に拠れば、遥か東方海上からやって来た“イースト・マン”<東方の人>が糸満の由来であると。即ちイースト・マン→イート・マン→イトマンとなり漢字の糸と満が当てられ“糸満”となったとの由来がある。そのせいか男は気骨があらく流石に海の男というに相応しい風貌風袋をしている。女は色白で美人の定評高く沖縄三代美女の誉が高い。糸満はその産地の一つに数えられている。因みに他の二つは中城村伊舎堂である。今帰仁村天底も美女の産地に数えられている。理由は水と関係が有る様だ。天然良質の水が湧き出る地域は得てして色が白く肌がきめ細やかである。末端の名も無き集落にも、それ相応の由来、伝説、出自がある。その一つ一つの発掘に意義を見出し今後とも精力的に調査していきたいと思っている。・・・



















なので取り合えず小型船舶1級免許を取った。。
ゆくゆくは漁業権を継ぐつもりだ。。
本業は介護福祉士。。女で一つで子供三人育ててきたんだ。。絶対出来る!!
これをやらなきゃ一生後悔。。命がけでも、やらずに後悔は苦しみだ。。
与那国の老人と海のおじ〜のようにかじきに引かれてあの世?竜宮に身を捧げるのもいい。。愛しい子供たちよ。。もし母さんが海で死んでも 許してね。。
運命だから。。