世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

子供の観た史跡名所「波の上宮・護国寺」

2006年02月06日 | Weblog

那覇市若狭町の西海岸に約15mほど飛び出した岩の上付近が「波之上」になっています。ここには、お宮が建っています。そのお宮は「波之上宮」(なみのうえぐう)と呼ばれ戦前は沖縄で、ただ一つの国が建てたお宮でありました。このお宮については、くわしいことは、分っていませんが、第一尚氏王統の「尚金福王」(1,450年〜1,453年)のころに「護国寺」(ごこじ)の<鎮守の宮>(ちんじゅのみや)として熊野権現(くまのごんげん)を「波之上宮」に祀った、と言い伝えられているだけです。 (6年 K)

 「波之上」(なんみん=方言名)の伝説の一つに次の様な事も伝えられています。崎山(さちやま)という人が釣りの帰りに不思議な石を拾いました。「ここは神石だ。大事にしなさい。」と老人言われ祠(ほこら)を造って祀った、との事です。 (父 K)

<学習の手引き>・・・日秀上人(にっしゅうしょうにん)のお話にも「波之上」の事が記述されています。調べてみましょう。

{参考資料}: 「護国寺」は1,368年建立の真言宗の沖縄最古の寺、境内にはベッテルハイムの碑や小桜の塔がある。那覇市西北にある「波上宮(なみのうえぐう)」の隣にある沖縄最古の寺で、察度(さっと)王時代に真言宗の布教のため建立されました。幕末には外国接見の公館として使用され、キリスト教布教のため来琉した英国人宣教師ベッテルハイムが8年間滞在したのもこの寺です。境内にはベッテルハイムの碑や、第二次世界大戦下疎開中の船を爆撃されて亡くなった約700名の児童の霊を祀る小桜の塔があります。那覇の「波上宮」は、旧官幣小社になるそうである。沖縄総鎮守という事もあり、沖縄県神社庁はここに設置されている。「波上宮」には「護国寺」が隣接しているが、これは<神仏習合>思想に基づくもので、明治の神仏分離以降は離れてしまっている琉球八社とよばれる沖縄の聖地は全て神社と寺が一緒になっている。こちらの創建は、はっきり判っていないが、元々は沖縄のニライカナイ信仰の御獄だったらしい。その後、神のお告げにより琉球王府が熊野三神を祀り、今に至っているとの事である。尚、「波の上宮」は戦争で破壊された後、ハワイの沖縄県人会有志によって、最初に建物が再建された。横の波の上ビーチから見ると、「波上宮」の名前の由来が判る。今は、前に臨海道路が走っている。昔は海の先端に突き出る形になっていたし近年まで、那覇自体が一つの島になっており、この「波上宮」も、浮島の様な形だったのかもしれない。

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名前の由来 波の上ビーチ ニライカナイ 第二次世界大戦 第一尚氏王統
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