
頑固で好々爺の“おじー”であった。わたしが小学校3,4年生の頃、寒い冬(沖縄の冬といっても本土のそれとは比べものにならなうくらい暖かい冬だとはおもうのだが・・・平均気温10度前後・・・)の最中、山にウシの草刈に行かないと夕飯を食べさせない。それ程、厳格な おじー であった。モッコ一杯にウシに食べさせる草を刈って担いで帰ると満面笑みを浮かべ喜んで迎えてくれた。夕食の膳では、おじーの子供の頃の苦労話に花を咲かせてトツトツと語ってくれた。又、その話が面白かった。寒い草刈りの辛さも忘れておじーの話に夢中になった。・・・想い出、尽きない幼少の頃の回想である。何故、今頃、おじーの想い出なのか、私にも分からない。偶然の思いつきである。数多ある中の一断面である。当時の田舎、沖縄の僻地・離島(伊平屋島)の生活は、裕福ではなかった。半農半漁が大半の生活の糧を得る術だったが、事業家の素養を持つ おじー は、当時としては、珍しいアイディアマンで「瓦工場」を創業した。売れに売れて、大儲けをしていた。子供の私にも分かった。事業家としての面目躍如であった。その他、多々あるが割愛する。次回は、おばー(祖母)の想い出を認める事にする。










