沖縄Daily Voice

沖縄在住の元気人が発信する

ハイサイ!! うちなぁぐち vol.14  比嘉光龍

2009年06月29日 | 月曜(2009年4~6月):比嘉光龍さん



 皆さん、今年はうちなぁと、過去の琉球王国にとって重大な節目を迎える年だと言うのはご存じでしょうか? その理由は二つあります。

 一つ目ですが、今年2009年は、薩摩が琉球侵略をした年から、ちょうど400年に当たる重大な年なんです。
1609年、琉球は侵略を受け、与論島、沖永良部島、徳之島、奄美大島、喜界島を薩摩に奪われました。したがって、現在の沖縄県の行政区域は1609年以降の琉球王国の行政区域をほぼ引き継いだものなんですね。しかし、うちなぁではあまり、薩摩侵略の事実は知られていません。1609年からうちなぁんちゅは自主独立という考えは奪われてしまったのではないでしょうか?1609年に何が起こったのか、うちなぁんちゅ、ひいては日本人のすべての人々は知る必要があると思います。ここをおろそかにし、また、ここをきちんと把握していないと、その後の「1879年(明治12年)」に琉球王国は滅ぼされ、沖縄県が強制設置された理由と、第二次世界大戦において、沖縄戦で軍民合わせ20万人が犠牲になった理由が分からなくなります。
それらのすべては1609年の薩摩侵略が起点となっていると言っても過言ではありません。それほど1609年というのは、うちなぁんちゅにとっては、とても重要かつ、とても重大な年なのです。

 この事実をきちんと直視するのは、うちなぁんちゅにとっても、日本人にとっても、つらいでしょうが、だからと言って臭いものにふたをして置くことをずっと続けていくと、最終的には大きな問題を抱え込むことに繋がっていくと思います。
もう400年になりますが、この歴史的事実に関しては、うちなぁんちゅも、また、薩摩である鹿児島も、また、日本も、現在の友好的な日本国のなかで、そんな過去のことは持ち出さないでおこうと黙っているような感じがしてなりません。現在、日本の国内では、沖縄県民だから、鹿児島県民だから、東京都民だからと差別する時代ではもうなくなっています。日本国民、北から南まで、みな仲良しでしょう。こういう時代だからこそ,あえて、私は言いたいのです、1609年のことを皆で考えようと。仲が良い時だからこそ、本当の意味で話合いが出来るのではないでしょうか?いったん仲が悪くなってしまうと、多分、話合いをするのは難しくなるでしょう。逆にこじれるかもしれません。1609年の歴史についての話合いがあちらこちらで持たれ、また学校教育でも教えられ、うちなぁんちゅならば誰でも知っている歴史にして行く必要があると私は思います。

 二つ目ですが、実は、今年の2月19日に、あの世界遺産で有名な「ユネスコ(国連教育科学文化機関)」が「うちなぁぐち(おきなわ語)」を「方言ではなく言語」として認めたのです。詳細はこちらを見て下さいhttp://www.asahi.com/national/update/0220/TKY200902200176.html?ref=rss

 これは大変なニュースです。「1879年(明治12年)」の沖縄県強制設置以来130年になりますが、1879年以前は薩摩が裏で支配していたにも関わらず、仮にも独立国家「琉球王国」として、アメリカやフランスなどと修好条約を結ぶほど、世界が認めていた独立国家でした。琉球王国は舜天という人が王様になったと言われる、1187年から日本に完全に滅ぼされる1879年までの692年間、独立国家として地球上に存在していました。それなのに、1879年から現在までのたった130年間で、琉球王国の言語である「おきなわ語」は「おきなわ方言」と格下げされ、また良くない言葉として徹底的に弾圧され、今では、ほぼ滅びかけています。しかし、世界の機関である「ユネスコ」は援助の手を差し伸べてくれました。なんと「おきなわ方言ではなく、おきなわ語」だと認めてくれたのです。ユネスコによると「これらの言語が日本で方言として扱われているのは認識しているが、国際的な基準だと独立の言語と扱うのが妥当」とコメントしました。
つまり、うちなぁや日本ではまだまだ、方言扱いだが、世界は言語として今後あつかうということです。

 これは、大変なニュースです、今年一番どころか、沖縄県が強制設置された1879年以降の歴史でこれほどの大ニュースはないと思います。しかし、うちなぁではほとんど知られていませんし、報道機関もほとんど取り上げていません。悲しくなりますが、しかし、今後のうちなぁの歴史に刻まれる年になったことは事実でしょう。

 この大ニュースを取り上げてくれた報道番組がありました。それはTBSの「NEWS23」という番組です。私の特集を組んでくれて、うちなぁぐちの復興に取り組む比嘉光龍(ふぃじゃ ばいろん)さんと、今年の3月に放映されました。全国放送ですので北から南まですべて同じ時間で見れましたが、ちょうど放映された夜の11時に仙台の知り合いからテレビに出てる!と電話がありました。

 私は今年からうちなぁ、また日本の歴史は変わって行くと思うんです。ユネスコが言語として認めたという大ニュースと、昨今のご当地ブームはそれを象徴しているような感じがします。ユネスコは日本のなかに「アイヌ語」、「八丈語」、「奄美語」、「沖縄語」、「国頭語」、「宮古語」、「八重山語」、「与那国語」の八つの言語が存在しそれを登録すると世界に宣言しました。つまり、日本は多言語社会であり、日本のなかには日本語のほかに八つの言語が存在するということです。

 皆さんスイスという国は知っていると思いますが、スイスは四つの公用語があるということはあまり知られていないのではないでしょうか?日本の公用語は日本語の一つだけです。これでは、残りの八つの言語を話す人たちを差別することになります。早く日本のなかに日本語を含め九つの言語が存在するという事実を認め、またそれを学校教育で教える世の中になることを切に願いたいと思います。そう出来ることによって日本は本当の意味で国際的な社会になり得るのです。
今回で最後になります。今まで読んで下さって御拝(にふぇー)でーびる。




写真について
 NEWS23の取材班が私の担当しているラジオ番組「ラジオ沖縄・民謡の花束・ピリンパラン日曜日」を取材している模様。相手のアナウンサー、屋良悦子さんも一緒に。


text:比嘉光龍



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ハイサイ!! うちなぁぐち vol.13  比嘉光龍

2009年06月22日 | 月曜(2009年4~6月):比嘉光龍さん



 今回は「うちなぁぐち(おきなわ語)」と「うちなぁやまとぅぐち(おきなわ日本語)」の違いついて書きたいと思います。その違いをわかりやすく表にしてみました。



 これを見て驚かれた方もいらっしゃると思いますが、「おじぃ」、「おばぁ」はうちなぁぐちではないんです。「おじぃ」、「おばぁ」と言う言葉は戦前、昭和期に入ってから流行り始めたようです。また、「にーにー」、「ねーねー」と言う言葉はどうやら戦後から使われているようです。いずれにせよ「おじぃ、おばぁ、にーにー、ねーねー」などは、日本語が混じった言葉で、日本語でもないし、おきなわ語でもない言葉で、「うちなぁやまとぅぐち(おきなわ日本語)」と呼ばれるものです。

 戦後日本で、「パパ」、「ママ」という言葉が流行ったことと同じようなことだと考えて下さい。「おじぃ、おばぁ」は日本語を借用して流行っている言葉、「パパ、ママ」は英語を借用して流行っている言葉という共通点があります。
あるサイトの調査では、61パーセントの方が「パパ、ママ」と呼ばせていて、「お父さん、お母さん」と呼ばせる家庭は27パーセントとありました。現在では圧倒的に「パパ、ママ」と言う呼び方が日本の家庭では一般的になっているようです。

 しかし、だからと言って、日本語の教科書や辞書、また日本語を外国人に教える時に「Father」を「パパ」、「Mother」を「ママ」とは訳さないし、また、教えないでしょう。やはり「Father」は「父、お父さん」、「Mother」は「母、お母さん」でしょう。「パパ、ママ」とは俗的なもので、本来の日本語ではないのです。これとまったく同じで、「おじぃ、おばぁ」は俗的に呼ばれていて、本来は上の表にあるように、「おじいさん」を「たんめー(士族)、うすめー(平民)」と呼び、「おばあさん」は「ぅんめー(士族)はーめー(平民)」と呼びます。「おじぃ、おばぁ」は言語的に分類すると「うちなぁやまとぅぐち」と言えるんですね。

 二つの言葉を比べてみると、「うちなぁぐち」には敬語があり、「うちなぁやまとぅぐち」にはほとんど敬語がないと言え、それが二つの言葉の大きな違いだといえるんです。
その証拠に表5番の言葉「だからよー」を例にあげてみましょう。これは敬語に直せません。強いて言えば「だからよーですよね」と語尾に「ですよね」という日本語をくっつけることしか出来ないのです。ただ、「だからよーですよね」とはまず言わないのですが。

 その「だからよー」をうちなぁぐちに直すと「やくとぅよー」と言います。「やくとぅよー」は、友達や年下に使う言葉ですが、それをうちなぁぐちならば、いくらでも敬語に直すことが出来ます。まあ普通の敬語ならば「やいびんやー」で良いのですが、もう少し丁寧に言うのならば「あん、やみしぇーびんやー」と言えます。同じく他の言葉も「うちなぁやまとぅぐち」は敬語に直せず、うちなぁぐちはすべて敬語に直せます。

 わかっていただけましたでしょうか?「うちなぁぐち」は言語なので、丁寧語、謙譲語、敬語など、すべて存在します。しかし、「うちなぁやまとぅぐち」には、それらはほとんどありません。
「うちなぁぐち」は学校、県庁、市町村役場、テレビのニュース、県や市町村議会、警察、裁判所、国や県や市町村の機関などの公的機関では話すことは出来、また教育をすることも可能ですが、「うちなぁやまとぅぐち」をこれらの機関で使用するというのは、まず、ありえないと言えると思います。

 少し学問的なことも書いておきますが、「うちなぁやまとぅぐち」は言語学では「ミクストランゲージ(Mixed Language)」と分類されるようです。言語学で「ミクストランゲージ」とは「スラング(俗語)」と同じような言葉だと定義されていているようです。それをもう少しくだけて言うと「タメぐち」のようなものだと思って下さい。仲間うちで使う、仲間だけしか知らない言葉のようなものです。それは、目上の人や学校の先生などには使えないし、ましてや、「だったばー」とか「違うやしー」と言う言葉を、学校の教科書に載せて子供たちに教えたいと思うでしょうか?

 うちなぁやまとぅぐちは、ほとんどタメぐちなので、同級生同士で話をしていると、とても楽しいでしょうが、それを学校の先生、また、会社に就職し、そこの社長さんへ、また怖い上司へ使うなどと言うのはありえないんですね。








※写真について
 私の担当しているラジオ沖縄の番組「民謡の花束・光龍ぬピリンパラン日曜日」ですが、土曜日も民謡の花束はやっていて、そのパーソナリティーの「当銘由亮・新垣小百合」のコンビとスペシャルということで私は土曜日にゲスト出演し、二人は日曜日にゲスト出演してもらいました。ゆんたくが大盛り上がりで、私が演出、脚本をした「仲島ぬ吉屋」という題の短い芝居を、写真のメンバー5人で日曜日の3時の時報とともに20分ほどやりました。皆、芝居のプロなので、初めてとは思えないほど、とても素晴らしい出来でした。リスナーからの反響が良かったです。1枚目の写真の前列右が「新垣小百合」左が「藤田佳子」後列右が「高宮城実人」後列中央が「当銘由亮」で後列左が私。2枚目、3枚目の写真はちょうどそのお芝居を生放送で演じている所、皆、真剣です、はい。



text:比嘉光龍



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ハイサイ!! うちなぁぐち vol.12  比嘉光龍

2009年06月15日 | 月曜(2009年4~6月):比嘉光龍さん



 世の中には慣例というか、今まで普通に使っていた、また、呼んでいた言葉が急に使われなくなることが、よくあります。
例えば「看護婦」と言う言葉。平成13年に法律により「看護師」という名称に変更されました。
ほかにも、「保母」さん、「保父」さんは、平成10年に法律により「保育士」という名称に統一、変更されました。

 これらは日本国の法律によって正式に名称が変更された事例です。けれども、法律とは関係なく、こういう言い方はやめましょうと、倫理的観点から時代によって改められていった言葉は数限りなくあると思います。
それらを、ここでいちいち書きあげると差別語を並べ立てることになるのでやめておきます。
 
 さて、本題ですが、うちなぁぐちについてもやはり、これは差別的だろう、これは侮蔑しているだろうという言葉もたくさんあります。うちなぁぐちは日本語と違って絶対的に話者が少ないのと、教育機関で教えられていないという事と、国家や法律などが存在しないなどの様々な理由により、倫理的によろしくないと言う言葉については、ほとんど話しあいや意見交換などがなされていないというのが現状だと言えると思います。

 そこで、私はうちなぁぐち、もしくはうちなぁやまとぅぐちについて、何でもありの今の世の中に、それは違うのでは?と言う意見を提示していこうと思います。
今回取り上げたいのは「ないちゃー」という差別的、侮蔑的な言葉について。
こう書くと「えっ!」と驚く方もいらっしゃるはずです。普通に使っている方もいらっしゃるかもしれません。また差別的、侮蔑的な意味で使ったことは一度もないと、怒り出す方もいらっしゃるかもしれません。その気持ちは良く分かります。確かにこの言葉を使う気持ちは、差別的な意味あいで使っていない方が大多数かも知れませんが、その言葉自体が良くない意味を持っていたとすればどうでしょう?
この「ないちゃー」という言葉をどう思うか?と大正6年生まれの首里のおばあちゃんに聞きました。そうしたら、開口一番「わんねーしかん(私は嫌い)」と言いました。どうしてですかと聞くと「うしぇーとーんねーっし(馬鹿にしているようだ)」とのこと。ほかにも、うちなぁぐちが母語話者の方、複数に聞いたのですが、ほとんどの方が良くない言葉だとおっしゃっていました。

 第一に疑問に思うのがどうして?です。どうして、あまり良くない言葉だと思うのならばこんなにも世間に広まってしまったのか。これは色々な答えがあるのでしょう。ともかく、良くない言葉だという理由を説明しましょう。
まず、「ないちゃー」の「ないち」とは「内地」のことで、沖縄から見て日本本土の事を指します。これは、うちなぁぐちではなく、日本語です。
そして、うちなぁぐちでは、土地名の語尾を伸ばしていうと、「やなぐち(悪口)」になるという特徴があります。

 あまり書きたくないのですが、説明の為に自分の出身地を例にあげます。まず、私は那覇生まれですが、うちなぁぐちでは那覇を「なーふぁ」と言います。この語尾を伸ばして発音すると、那覇の人をさげすんだ言葉「なーふぁー」となるんです。もう一つ、私は沖縄市山内で育ちました。山内はうちなぁぐちでは「やまち」と発音します。これも語尾を伸ばし「やまちゃー」と言うと、山内の人をさげすんだ意味になるんです。ですから「ないち」の人をさげすむ言い方は「ないちゃー」となるんです。

 じゃあ、どう言う言い方が良いのかと言うと、「ないちぬっちゅ」、漢字を当てると「内地ぬ人」と言えば、差別的な意味合いはなくなります。
けれども、「内地」と言う言葉は、明治12年の沖縄県設置以降、琉球王国が日本に組み込まれてから使い始めた日本語であり、うちなぁぐちではないのです。それならば、それ以前は何と呼んでいたのかというと「やまとぅ(大和)」と呼んでいました。すなわち、うちなぁぐちでは「日本」のことを「やまとぅ」と言うのです。ただ、この「やまとぅ(大和)」も伸ばして「やまとぅー」とすると、やはり馬鹿にした言い方になりますので気をつけましょう。
したがって、「日本人」と言いたいのならば「やまとぅんちゅ(大和ん人)」と言うのがうちなぁぐちなんですね。

 最近ある場所で「私、ないちゃーなんですよ」という方がいました。これも「私、やまとぅんちゅなんですよ」と言いかえればまったく問題なないんですけどね。




※写真について
 私の友、仲嶺三味線店のオーナーでもある仲嶺 幹(なかみね みき)と仲良く写真を撮りました。彼は若干30代でうちなぁの名工と評価されています。彼の店は那覇市安里にあります。是非一度はめんそーり。光龍のブログを見ましたと言えば、喜んでくれると思います。



text:比嘉光龍



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ハイサイ!! うちなぁぐち vol.11  比嘉光龍

2009年06月08日 | 月曜(2009年4~6月):比嘉光龍さん


 「童名(わらびなー)」って聞いたことはありますか? 日本語では「童名(わらべな)」と言います。うちなぁぐちでも、日本語でも、両方とも「元服以前の幼名」と辞典に載っていました。

はい、それでは「元服(げんぷく)」って何?という疑問がわきますね、それに答えましょう。
うちなぁぐちでは「じんぶく(元服)」と発音し、「15歳に大人になる儀式をする」ことをいいます。
その儀式は、「1879年(明治12年)」の沖縄県設置以前、琉球王国時代に行われていました。しかし、明治の中ごろまでその風習を守っていた家庭もあるようです。

 さて、そうは言っても、「元服」の儀式が出来たのは、「大名(でーみよー)」と、その下の身分に当たる「士(さむれー)」の子供たちのみで、「士(さむれー)」の子供たちは、「元服」ではなく「欹髻結い(かたかしらゆーい)」と呼んでいたようです。
一番下の「百姓(ひゃくしょー)」ですが、特に15歳になったから何かをするという儀式はなかったようです。
ここで、「わらびなー」を理解してもらうために、琉球王国時代の三つの身分のことについて少しふれておきます。

一つは「大名(でーみょー)」。つまり貴族(きぞく)のことです。王様のすぐ下の階級で琉球王国の中枢にいた人々。
二つは「士(さむれー)」。これは士族(しぞく)のことです。貴族の下の位です。
三つは「百姓(ひゃくしょー)」。平民(へいみん)のことです。

 さて、「わらびなー」は貴族、士族ともに元服をすると正式に名前を頂くので、文字通り「童名(わらびなー)」となり、身内などの他には呼ばれなくなったようです。しかし、一番下の位である「百姓(ひゃくしょー)」は、特別な職についた者以外、正式な名前というものはなく、死ぬまでずっと「わらびなー」で呼ばれたようです。
「わらびなー」は、上は王様から、下は平民まで、皆、生まれるとすぐに名付けられたようです。

 では、代表的な「わらびなー」を少し紹介しましょう。
上に述べたように、琉球王国時代は三つの身分に分かれていましたが、その三つの身分によって名前も変わって来ます。
まずは、「大名(でーみょー)」の男子の「わらびなー」から。
「樽金(たるがにー)」という名があります。「樽」は日本名「太郎」から来ているようです。
「士(さむれー)」には「樽(たるー)」という名があります。
「百姓(ひゃくしょー)」には「太良(たらー)」という名があります。これも日本名「太郎」から来ているのですが、百姓は「樽」という漢字は使わず「太良」という字をあてるようです。また、「さむれー」は語尾を「るー」と発音しますが、百姓は「らー」と発音します。
「大名(でーみょー)」の女子には「真鶴(まぢるー)」という名があります。これも日本の女子名「鶴」から来ているようです。
「士(さむれー)」の女子には「鶴(ちるー)」という名があります。
「百姓(ひゃくしょー)」の女子には「ちらー」という名があります。

 これらは、国立国語研究所編「沖縄語辞典」によるものですが、「さむれー」の身分でも「樽金(たるがにー)」、「真鶴(まぢるー)」という名前も存在し、また、「でーみょー」には「思太郎金(うみたるがにー)」、「真鶴金(まぢるがにー)」などの「わらびなー」も普通にあります。色々と文献を調べてみましたが、「でーみょー」と「さむれー」の「わらびなー」の区別があいまいなんですよ。ですから、皆さん自身の親や、祖父母の「わらびなー」を調べてみたら面白いと思います。





※写真について
(上)
ここが、私の家です、皆さん遊びに来て下さいね(笑)なーんて言えたら良いのですが、ここは本部の海洋博記念公園内にある「おきなわ郷土村」。そのなかにある昔のうちなぁ家屋を復元したものです。すべて無料で見れるんですよ。しかし、土曜日だというのにほとんど誰もいません。みんな、「ちゅら海水族館」にしか行かないようです。もったいない。ここが、本当のうちなぁなのに。
(下)
こういう、うちなぁ家屋に住むことができたら、嬉しくて、毎日こうやって笑っているかも。


text:比嘉光龍



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ハイサイ!! うちなぁぐち vol.10  比嘉光龍

2009年06月01日 | 月曜(2009年4~6月):比嘉光龍さん



 最近は色々な方とメールを交わす事が多いのですが、そのメールのなかで、私は少しでもうちなぁぐちを使おうと、はじめのあいさつにうちなぁぐちを入れたり、最後にちょこっと入れたりしてすべて日本語だけの文章にならないように心掛けています。せっかくうちなぁぐちの復興に取り組んでいるのだから、小さなこともやっていくことが大切だと思うからです。
お陰様で、うちなぁぐちを文章にまぜているので返事をして下さる方も少し、うちなぁぐちを入れてくれたりしています。例えば「御拝(にふぇー)でーびる」とか、「はいさい」など。
 
 そのなかで、最後の締めの言葉に「ゆたしく、うにげーさびら」と言う言葉が目立ちます。
これは直訳すると「よろしく、御願いします」となります。一見何の問題もないように思われますが、これが少し問題なんですよ。それは「ゆたしく」と言う言い方なのですが、本来は「ゆたさるぐとぅ」と言います。おそらく昭和の初めごろではないかと思われるのですが、うちなぁ芝居の役者達が舞台上で使ったのが一般に広まっていったようなんです。これについては、琉球新報に書きましたのでhttp://ryukyushimpo.jp/news/storyid-132353-storytopic-6.htmlもご覧ください。

 さて、この「ゆたしく」はもう、かなり一般的で、老若男女と言う感じで使われています。
けれども、この言葉は首里ではまったく使われていません。つまり、士族の言葉ではないと言うことです。那覇では良く使われていますが、「ゆたしく」と言う言葉を使うのは70代以下の人たちからで、それ以上の方たちは、やはり「ゆたさるぐとぅ」と言う言葉を使うようです。
うちなぁ芝居役者や、うちなぁ民謡歌手などの芸能をやっていらっしゃる方たちは舞台上で面白おかしく使っても良いのでしょうが、普通一般の人がまじめな顔で「ゆたしく」という言葉を使うと首里、那覇の80代以上の方たちは眉をひそめることでしょう。
特別に芸能をやっていらっしゃる方以外は「ゆたさるぐとぅ」という言葉を使うのが無難ですし、また「ゆたしく」よりは丁寧な言葉だと言えます。



※写真について
いつも、うちなぁ関係の本を買う古本屋ツボヤ書房です。偶然ですが、店主の奥さんと遠い親戚関係にあたり、良く通うようになりました。



text:比嘉光龍



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ハイサイ!! うちなぁぐち vol.9  比嘉光龍

2009年05月25日 | 月曜(2009年4~6月):比嘉光龍さん


 5月18日、月曜日に沖縄気象台は沖縄地方の梅雨入りを宣言しました。ついに梅雨入りです。ダムの貯水率もかなり減ってきていたので、もしかして断水か、とも言われていましたが、梅雨入り宣言をした途端に毎日雨が降り続いています。良いことなのですが、微妙ですね。
 さて、その梅雨ですが、うちなぁぐちでは何というのでしょう?その説明をする前に下の表をご覧いただだきましょう。



 この上の表は二十四節気という季節を表す用語をまとめたものです。その名の通り一年を24に区切って名前を付けたもので、中国から伝わり、日本にもそして琉球にも伝わりました。

 このなかで有名なのが「八節(はっせつ)」と呼ばれる季節の呼び名。「立春・春分・立夏・夏至・立秋・秋分・立冬・冬至」ぐらいは、誰でも聞いたことはあるでしょう。しかし、これらが二十四節気だということはどうでしょうか知っていましたか?
 この八節のほかに、うちなぁんちゅならば誰でも知っている「清明(しーみー)」がありますが、実はこれも二十四節気の一つだったのです。この二十四節気はうちなぁで生活するならば是非覚えたい季節を表す語句だと言えるでしょう。

 さて梅雨の話に戻りますが、実は、うちなぁぐちで梅雨のことは、上の表にもある通り「小満(すーまん)・芒種(ぼーすー)」と言うんです。つまり二十四節気のなかの小満にあたる頃から、芒種までの間が丁度、うちなぁでは梅雨の時期と重なるんです。それでその時期に梅雨になることからこういう風に名付けられたようです。

 上の表にもある通り、小満の入りは毎年5月21日頃とあるように今年も小満は5月21日で木曜日ですね。梅雨は18日に入ったので季節的には、二十四節気で言うと、まだ「立夏(りっかー)」なんですね。ちなみに去年、平成20年度の小満の入りは同じく5月21日で水曜日でした。そして去年の梅雨入りは5月22日で丁度、小満に入った頃に梅雨入りしています。
 今年、平成21年度は立夏の節に梅雨入りしましたが、いつまで続くのでしょうか、多分、例年のように芒種の頃までは続くのでしょう。

 そして、梅雨が明ける頃には、うちなぁは「夏至(かーちー)」の季節に入るんです。その頃には夏の到来を告げる季節風「夏至南風(かーちーべー)」が南から吹き付けてきて、その風が吹くと、昔からうちなぁんちゅは、梅雨もそろそろ終わりこれからは本格的な夏が来るな、ということを体感的に知っていたようです。その「夏至南風(かーちーべー)」の後は「夏至凪(かーちーどぅり)」と言い一転して今度は無風状態になるというのが一般的なうちなぁの季節のようです。



※写真について
私のうちなぁぐちの大師匠である首里金城町の「ぅんめー(おばあさん)」からうちなぁぐちの聞き取り調査。大正6年生まれで現在御年92歳。首里言葉について本当にたくさんのことを覚えていらっしゃっていて、いつも色々なことを教えて頂いています。私が来ると、とても喜んで下さって、帰る際にも又何時でも遊びにいらっしゃいと言ってくださるので本当に助かっています。「ぅんめーさい、御拝(にふぇー)でーびる」


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ハイサイ!! うちなぁぐち vol.8  比嘉光龍

2009年05月18日 | 月曜(2009年4~6月):比嘉光龍さん


さて、うちなぁぐちのことについて、「ありくり(あれこれ)」書いてはいますが、今現在2009年の時点でどれぐらいの方がうちなぁぐちを使っているのかと聞かれました。その答えの前に、まずは、下の地図を見て頂きたいと思います。



 これは、琉球諸島の言語圏地図です。北から、奄美、うちなぁ、宮古、八重山、与那国と琉球諸島は大きく分けて5つの言語圏に分かれているんです。しかし、「ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)」は、うちなぁをさらに、「沖縄語」と「国頭語」の2つに分けました。私はとりあえず、琉球大学の狩俣繁久教授から5つだと習いましたので、それを採用します。
そして、私が使う言葉はうちなぁ中南部の言葉に属します。うちなぁの北部、一般的に「山原(やんばる)」と呼ばれる地域は、中南部とは少し言語が違います。つまり、私の使ううちなぁぐちは、うちなぁ中南部の言葉だと考えて下さい。
さて、「うちなぁぐち(うちなぁ中南部言葉)」の話者ですが、私の接してきた何十何百人という、私主観のうちなぁんちゅのサンプルしかないので、独断となってしまうのは申し訳ないのですが、今まで色々な方と接して来た結果、六十代以上の方こそが、うちなぁぐち第一言語世代に属しているのだと思います。50代以下だと日本語が第一言語の環境に生まれ育っている方がほとんどのようです。
 そこで、六十代以上の人口を調べようと思いネットで検索したら、国勢調査の結果がありました。「2005年(平成17年)」のものが一番新しく、そこには沖縄県の人口、136万1594人のなかで、中南部市町村の人口は112万9054人とありました。そのなかからさらに六十代以上の人口は宮古、八重山を含めて27万7874人とありました。
 うちなぁ中南部だけのお年寄りの人口は掲載されていないので、大体でしか言えませんが、計算すると23万人ぐらいがうちなぁ中南部のお年寄りの人口ではないかと推定できそうです。
 2005年に23万人の「うちなぁぐち(うちなぁ中南部言葉)」の話者がいらっしゃるとしても、これには時間制限があります。毎年々々、お年寄りは減っていくのが現実でしょう。この23万人が元気に話せるのは後30年もないと考えられます。そうすると、2040年にはうちなぁぐちを話す人はいなくなると言えるのではないでしょうか。
 寂しいのですが、それが現実です。しかし、私はこの現実をそのままにしておくつもりはありません。今からでも間に合います。お年寄り達から本当の昔言葉を聞き取り調査をする。そして、一番大切なのは学校教育で教えることです。日本語とまったく同じ時間をさいて学校教育で教えるのです。荒唐無稽に感じるかも知れませんが、世界では当たり前のことです。危機言語の対策は個人や地域だけではうまくいきません。国がやらなければ、また県が取り組まなければ難しいと思います。
まだ、その取り組みはほとんどなされていません。ですから、微力ながらも私は、うちなぁぐちの講師をしていますし、少しでもうちなぁんちゅ自身に関心を持ってもらおうとラジオもすべてうちなぁぐちで通しています。
「御総様(ぐすーよーと読む、皆様という意味)」「まじゅん、考てぃ行ちゃびら(一緒に考えて行きましょう)」
 ちなみに、現在教えているウェルカルチャースクールですが、年齢層が幅広いんです。最年少が26歳で最年長は78歳です。びっくりするかもしれませんが、78歳の方は親が宮古の方だそうで、うちなぁぐちそのものも、また敬語もはっきり分からないからと言う理由でわざわざ講座を受講して下さっているんです。上の琉球諸島の言語圏地図にありますが、奄美、宮古、八重山、与那国と、うちなぁぐちはそれぞれ言葉が違い、また、お互いの言語ではほとんど通じ合えないほどなのです。
ほかにも受講者は二十代から三十代、四十代から五十代と幅広い年齢層が習いに来て下さっていて、うちなぁぐちを習いに来るおもな年齢層は特定できないというのが現状です。



※写真について
那覇市にある「ウェルカルチャースクール(098-832-5588)」にてうちなぁぐちを教えている様子。



text:比嘉光龍

            
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ハイサイ!! うちなぁぐち vol.7  比嘉光龍

2009年05月11日 | 月曜(2009年4~6月):比嘉光龍さん



 私は結婚式の司会をよく頼まれますが、そのほかに、他府県ではあまり聞かない「生年祝(しょーにんゆーえー)」というお祝いの司会もやります。しかし、現在では、このお祝いのことを一般的には「年日(とぅしびー)」と言っています。しかし、本来「しょーにんゆーえー」と「とぅしびー」は違うものなのです。さて、その違いは?
今回はそれについて述べてみます。
 まず最初に「年日(とぅしびー)」について説明しますが、これは「年日祝(とぅしびーゆーえー)」とも言えるようです。この「年日(とぅしびー)」は、年に一回だけ祝う誕生日みたいなものだと思っていただければ良いでしょう。これは、旧暦の一月一日はさけて、二日から十三日までの十二日間に自分の生まれた年と同じ干支の日にお祝いをします。しかし、盛大にはやらず、普通、家族、身内のものだけでします。ちなみに、戦前のうちなぁには誕生日を祝う習慣はありませんでした、ですからこれを誕生日と言えばそう呼べるかもしれませんが、普通は61歳の還暦を迎えた方のみがお祝いをすることがほとんどだったようです。つまり61歳を過ぎると何時、何が起こるか分からないから、せめて毎年でも祝ってあげようという気持ちで祝っていたと、私のうちなぁぐちの師匠である首里の大正6年生まれのおばあさんに教えてもらいました。

 二つ目の「生年(しょーにん)」ですが、十二支上の十二年ごとに巡ってくる自分の生まれた干支の年のことをこう呼んでいます。すなわち、13、25、37、49、61、73、85、97歳。そして、この12年に一度巡ってくる「生年(しょーにん)」を、うちなぁでは昔からお祝いしています。そのことを「生年祝(しょーにんゆーえー)」と特別に言うようです。これも「年日(とぅしびー)」と同じく正月二日から十三日までの自分の干支の日にお祝いをします。けれども、これは本来の「年日(とぅしびー)」とは打って変わって、現在と同じく、親や親戚、近所や友人などを呼び盛大にやります。ちなみに、現在は73歳からで、本格的に大きなお祝いをするのは85歳からが一般的でしょう。

【まとめ】 
「とぅしびー」とは、還暦以上の方が毎年祝う小さな祝宴を言い、「生年祝」とは、12年に1回ずつ祝う祝宴で、現在では、本格的なお祝いは85歳からだと言えるでしょう。

【補足】 
1.「とぅしびー」と巷では良く聞きますが、本来の意味は分らなくなっているようで、上で述べたように、還暦以上の方の為に毎年祝う小宴のことを言い、12年に一度のお祝いは、本来「生年祝(しょーにんゆーえー)」と言うようです。
2.「生年祝」は「せいねんいわい」と、現在、良くテレビ、ラジオなどで使われていますが、これは日本語の発音で、うちなぁぐちでは「しょーにんゆーえー」、敬語は「ぐしょーにんうゆえー」と言います。
3.12年の一度のお祝いで73歳以前だと、生まれてから最初の生年祝「13祝い」をする家庭も多いようですが、25、37、49、61歳にお祝いをするというのは昔から現在まであまりないようです。







※写真について
2008年の4月にドイツのデュースブルク・エッセン大学にて、ヨーロッパでも珍しい、うちなぁぐちの講義をして来ました。琉球新報の記事がhttp://ryukyushimpo.jp/news/storyid-31280-storytopic-1.htmlです。その時の生徒2人がうちなぁに遊びにきていて一緒に夕食会をしました。3人写っている写真の右がニーナで、真ん中がパトリック・フリードリッヒです。もう一枚4人で写っている写真の左にいるのが、私をドイツに招いてくれたパトリック・ハインリッヒ教授。彼は2009年現在、琉球大学の研究員としてうちなぁに住んでいるんです。ちなみにドイツはパトリックと言う名前が多いかも(笑)


text:比嘉光龍



ハイサイ!! うちなぁぐち vol.6 比嘉光龍

2009年05月04日 | 月曜(2009年4~6月):比嘉光龍さん



「はいさい」という言葉を聞いたことはありますか? これは「シーサー」という言葉と並び他府県の方でもかなり知っている方は多いのではないでしょうか。
それでは、どういう意味なのかと問われれば、挨拶で使うのだろうということぐらいしか知らないのでは? これは、当のうちなぁんちゅでもほとんど意味を知らないで使っている方が多いのです。実は「はいさい」とは「どうも」ぐらいの軽い挨拶で、きちんとした場所で丁寧に挨拶する時には向いていないということを知って頂きたいと思います。

詳細は過去に琉球新報紙に連載した時に「はいさい」と言う言葉がどうやって使われているのかをhttp://ryukyushimpo.jp/news/storyid-132354-storytopic-129.htmlに書きましたのでそちらもお読みください。

ここでは、うちなぁぐちは、日本語と違い明確な男性言葉と女性言葉が存在することについて書いてみようと思います。それは、言葉の後ろ、つまり語尾に、男性は「さい」、女性は「たい」とつける敬語が存在するのです。
この男性言葉と女性言葉の明確な違いは、敬語のみに存在し、それ以外は日本語と同じく男性が良く用いそうな言葉、女性が良く使う言い回しなどと、明確な表現、言葉使いというものはないと言えます。
明確な男女の言葉の違い「さい」と「たい」ですが、それを使った言葉で一番有名なのが「はいさい」と「はいたい」だといえるでしょう。
しかし、これは軽い挨拶なので、親しくなった人などに使うように心掛けたいものです。
その他には、人の家に訪ねて行った時に「ごめん下さい」と同じ意味の「ちゃーびらさい」、「ちゃーびらたい」と言う言葉もあります。
他には、「今日ですか?」と、軽い敬語の問いにも「『今日(ちゅー)』なーさい?」、「『今日(ちゅー)』なーたい?」と使います。
また、呼びかけの時には、バイロン「先生(しんしー)」と名前を上に付けて呼びかけるほうが丁寧なのですが、ただ単に「しんしー」とだけ呼びかけたい時に、語尾に「しんしーさい」、「しんしーたい」とつけた方が少し丁寧になります。
ここまで書いて「さい」と「たい」の使い方を少しは分って頂いたと思いますが、敬語ではありますが軽い敬語であり士族でも上の階級に行けばこの軽い敬語は用いなかったようです。
例えば上にあげた「今日ですか?」は「ちゅーなーさい?」と書きましたが、これよりは「ちゅーやいびーみ?(今日ですか?)」のほうが丁寧な言い回しになります。
まだまだ、ありますが、うちなぁぐちでは「さい」と「たい」は軽い敬語に使うもので、言葉の語尾にこれをくっつけて会話のなかで連発すると、かえってぞんざいな感じがするとお年寄りに言われたことがあります。




※写真について
毎年旧暦の4月1日に南城市大里の「古堅(ふるげん)」にて、ミーミンメーという行事が行われます。首里の赤田にある行事「弥勒御迎(みるくうんけー)」が古堅にも伝わったと言われているようです。そこで最後は皆で「乱舞(アッチャメー)」を踊る場面で私も参加しました。


text:比嘉光龍






ハイサイ!! うちなぁぐち vol.5  比嘉光龍

2009年04月27日 | 月曜(2009年4~6月):比嘉光龍さん




 さて、今回は前回のブログにコメントを頂いた方の質問をもとに書きたいと思います。うちなぁぐちのエキスパートになったのは、どういういきさつで?とのことですが、エキスパートと言われると嬉しいのですが、私はまだまだ修行中の身です。

 うちなぁぐちを話し、また、講師までするようになった理由ですが、大きくわけて二つあります。一つは、うちなぁぐちは、日本語や英語などとくらべて劣っている、言語として成り立たない、だから方言のレベルで良いのだという世の中の雰囲気に対抗したいという気持ちが根底にあるから。
もう一つは、うちなぁぐちは少数言語、現在では危機言語と言われていますが、それが私の生い立ちときれいに重なるんですよ。だからこそ、世界中に存在を知らしめたい、世界の人に私という特殊な人間が存在することを知ってほしい、それと同じく、うちなぁぐちという言語があるということを知ってほしいと思うんです。この二つですね。
 
 Vol3に書いたように、私の父はアメリカ人、母はおきなわ人。けれども父は知りません、したがって、日本国籍のみで英語教育は一切受けていないんです。しかし、22歳の時に2年近く米国留学しました。父親は知らないので完全に日本人留学生という立場で日本のパスポートを持って出入国しました。そう、私は見た目は西洋人ですが、中身は完璧な日本国籍人です。日本国籍人と書いたのは、日本国籍を有してはいるが、おきなわ人として生きたいと思う願いからです。英語は留学してから長い間使っていないので、もう忘れました。
 
 さて、ここまで書いてどうでしょう、皆さま、私のことを理解できましたでしょうか?多分、理解するのは難しいと思います。何かドラマか小説のようにしか私のことを捉えることは出来ないのではないでしょうか?そうでしょう、私も自分自身のことをどうやって世間の人に理解させることが出来るのだろうかと考えたら結構面倒くさくなります(笑)
 自分自身の生い立ちと、うちなぁの歴史の複雑さ。思いっきり重なっています。私の中では。私は、24歳まで自分が何者で、どう生きれば良いか分からず色々悩んでいました。その時に出会った三線、それからうちなぁぐち、そしてうちなぁの歴史。それらが好きになり、それらを自分のものにすることによって自分自身、自信を持って生きていけると思いました。

 現在でも、日本語お上手ですね、日本に来て長いんですかと、良く外国人と間違えられます。まあ、顔が顔ですから、当たり前のことなんですけどね。しかし、答えるのが面倒くさくなることは多々あります。
しかし、そういう風に聞かれるたびに、私は、うちなぁんちゅであるということを証明して見せるぞ、と良い意味で、うちなぁぐちを勉強する活力になっているのも事実です。答えになっているかな?






※2007年2月にドイツのデュースブルクエッセン大学にて、世界中の危機言語についての意見交換会が開かれ、世界中の研究者のなかで私にも意見を発表してくれとの機会に恵まれました。写真はその模様と、デュースブルク市内で撮ったおどけた表情の私。


text:比嘉光龍