回覧板

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日々いろいろ―彼岸花はどのように赤いか

2016年10月01日 | 日々いろいろ

 稲穂が色付いていて、田んぼのあぜ道や土手に彼岸花が今が盛りと咲いている。
彼岸花の赤を眺めていたら、ゲーテ―吉本さんの言葉を思い浮かべてしまった。再び、ゲーテ―吉本さんの問いを少し違った角度から反芻してみる。(註.1)

 飢餓ということが社会の中心的な課題ではなくなった先進諸国、その日本の現状では、わたしたちは彼岸花を見ても、ああ、きれいな〈赤〉(赤以外もある)だなあと感じたり、もう秋だねと思ったりするくらいで、彼岸花の赤にその程度の感じを超えた特別の視線のイメージを一般的なものとしては持っていない。つまり、彼岸花の〈赤〉を見るときの視線に付加されるイメージは、季節感がずいぶんあいまいになってはいるけど、共同の季節感や個人的な色に対するイメージなどである。

 例えば、近世辺りまでの飢饉による飢餓の危機を秘めた社会の段階では、稲穂が色付く頃田んぼのあぜ道や土手に(植えられた?)彼岸花が、赤く咲くのを見て、人々はどんなイメージに染め上げられた視線を向けただろうか。おそらく、ふいとよぎる不吉さの記憶の匂いとともに安堵の思いに浸ったのかもしれない。彼岸花の球根は、飢饉の時の救荒植物だったと言われている。したがって、この段階での人々の彼岸花の〈赤〉を見る視線には、飢饉の時の体験や言い伝えの記憶が促す不吉さのイメージと共に、すがるような救いのイメージが込められていたはずである。すなわち、飢饉や飢餓があり得る社会段階の人々の視線が感じる彼岸花の〈赤〉にはそのようなイメージとして付加されていたはずだ。

 さらに太古よりも遙かに下って、人がまだ言葉というものを十全に獲得していない段階では、彼岸花(とは限らない、これがその頃からあったのかは分からない)の〈赤〉を見て、「ああ」とか「うう」とか言葉のようなものを伴いつつ、視線のイメージとしては心波立たせるものをその〈赤〉に感じたのかもしれない。その頃彼岸花があったとして、まだ救荒植物と見なされる以前の段階に当たるだろう。

 わたしたちは、誰もが子ども時代を経てきていて、その遠い体験は現在でもどこかに仕舞い込まれているということはおそらく多くの人々が認めるだろう。同様に、以上たどってきたような人類の起源的な段階や近世辺りまでの飢饉による飢餓の危機を秘めた社会の段階などの大きな区切りができるような人類の体験は、それぞれが層を成すようにして現在のわたしたちの心や意識の層に仕舞い込まれているのではないかと思われる。そして、わたしたちの現在の視線イメージの日常的な発動に何らかの形で無意識的にも付加されて現れてきているように見える。また、個人の瀕死の危機的な状況がおそらく太古以来の臨死体験を呼び起こすように、戦争などの社会総体の危機的な状況では、先の戦争期の「鬼畜米英」という言葉が生命力を持ち得たように、雪崩を打つような感性や意識や思想の先祖返りすること、そこから退行としてその層が抽出され前景化することもあり得るということを示した。まだまだ、わたしたちの心~精神に渡る層は、解明の手が十分に届いていない。




(註.1)

「ゲーテ―吉本さんの問い」については、下の詩集の「あとがき」で触れている。
詩集 『みどりの』 2013年
http://blog.goo.ne.jp/okdream01/e/131ce75d6d007298a2bc4be21bf35e66

 

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