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吉本さんのおくりもの 13.知識の起源から照らして

2017年04月29日 | 吉本さんのおくりもの

 前回も知識(宗教性)の起源を考慮に入れて知識というものを考えなくてはならないと述べた。知識というもの知識世界というもの、これは知識の起源から照らしてわたしたち一人一人やわたしたちの生活世界にとって本質的にはどんな位置にあり、どんな意味があるのかを考えてみたい。
 がんにかかった姪に触れた吉本さんの言葉がある。



―例えば若い看護師がターミナル期を迎えた患者さんのそばに行ったときに、たまたまその患者さんに「おれはもう死ぬだろう。死んだらおれはどうなるんだ」と質問されたとします。そのとき、ケアのプロである看護師はどんな答え方が良かろうと、吉本さんはお思いになりますか。

吉本 僕は姪が子宮がんで亡くなったときに、「おじさん、どういうふうに考えたらいいの」と盛んに聞かれました。今だったら何か言えそうな気もしますが、そのときはこの段階でおれが言うことはみんな切実さに欠けているという感じがして言えませんでした。「車いすで病院の中でも散歩するか」と言っただけで、何も言えませんでしたね。今だったら多少何か言えそうな気もしますが。
 でも、どんなことを言っても、死については野次馬的にしか言えない。ご本人がどういう状態か、精神状態は了解できるところもありますが、全体としてどうきついのかは全く分からない。分かるほうがおかしいのであって、分からない。そんなことで何かを言ったら、余計なことを言うな。死という切実な問題でないときだったらいくらでも意見を言います、僕ならそうなります。
  (『老いの超え方』P243-P244 吉本隆明 2006年)


 吉本さんのこういう体験に類する、もう少し小規模のものは、誰もがこの生活世界で経験する。つまり、相手の陥っているある失敗や失恋などの悲しみや不幸の状態の度合いの違いはあっても、そうした知り合いなどにどう言葉をかけたものかと悩みつつ結局は通り一遍のなぐさめの言葉をかけたという経験は誰にもあるような気がする。しかし、この場合は相手が死に直面しているという場合で、生活世界での悩みのもうそれ以上はないような最上級に当たるものである。

 この吉本さんが姪の問いかけにうまく答えることができなかったというエピソードを私が初めて目にしたのは上の引用とは別の文章で、自分の思想の問題と関係づけて述べられていた。吉本さんの晩年に近い本だったと思うが、それを今は捜し出すことができない。その文章に初めて出会ったとき、わたしはひどく驚いたように思う。自分の思想や思想の言葉というものを総点検するような衝撃を吉本さんが姪の問いかけの言葉から受け取ったということについてである。そしてそれから、思想や思想の言葉というものを深く万人に届くことができるようなものとして構想するのは吉本さんの思想や思想の言葉ならそうだよな、と思い直した。

 そこで、わたしが初めて目にした文章ではないけれど、『心的現象論 本論』のあとがきに同様の文章があるらしいとわかったので、「吉本隆明資料集」(猫々堂)の分冊を持っているから買わないつもりだったその本を取り寄せてみた。



  『心的現象論』を書きはじめた時、個人の幻想が共同幻想につながるところ、それは集団性と社会性につながるところまで伸びていけばいい、その意図が推察してもらえるところまでいけばいいというかんがえで、「このように完成する」という意味合いはなく、「だいたい、いくところまでいったな」というところで止めて、そのままになっているのですが、その間、わたしの姪が子宮癌になり、医者から「これ以上の治療はない」といわれた。姪から「あてがないのならば、治療を打ちきりたい」という相談が来たのです。
 ・・・中略・・・当人はもうよくわかっていて、わたしに「おじさん、どうかんがえたらいいの」とたずねられた。要するに死ぬとわかったばあいのじぶんの気持ちをどうかんがえればいいのと聞かれて、それに答えられなかったのです。今も答えられないかもしれませんが、その時はもろに答えられなかった。
 何をどういっていいのかじぶんでもわからない、病院の中だけで車椅子で散歩しながら、世間話、何気ない会話をする以外何もできない、じぶんは何もできない、ほんとうに答えがない。


 『心的現象論』を連載している最中に、姪たちからそのことをいわれて、ほどほどまいったというか、反省にもなりました。つまり、通りやすいところばかり通るな、通りやすいところばかり通ると必ず抜け落ちてしまう重要なことがあって、実際問題としては、人にとっては重要なのであり、そこを適当なところで済ましているのではないか、それはきちんとしっかりかんがえぬかねばならない、それでなければ思想などといえないとおもったのです。
 答えることができないこれでは駄目だ。こんなことに答えられないのに、何か書いたり、やっていたりしても、そんなことでは意味がない、ほんとうに駄目なのだとおもいはじめるようになって、そのことをそれなりに一生懸命にかんがえたりしたのですが、姪のことでじぶんの思想的範囲、囲い、守備範囲の中では答えるだけのものは、じぶんにはない。徹底的に、はじめからこれは駄目だ。これについては、もしじぶんなりにやるならば、これからかんがえていかなければいけない、そういうふうにおもうまま、姪は亡くなったのですが、それは今でもひっかかっています。何とかじぶんなりの出口はないのか。じぶんだったらどうなのか。そういうことは今でもじぶんでわからないけれども、ひとつの問題としてはいつでもあります。
 (『心的現象論・本論』「あとがきにかえて―『心的現象論』の刊行にあたって」)


 そのことは、言語の表現にももちろん成り立つわけで、マルクスの基本的な自然哲学、自然にたいする考え方、じぶん以外の外界にたいする働き方における考え方の根本にそれがある。こういうマルクスの自然哲学であると、観念でわかっても、実感として、具象性を帯びたひとつの考え方としては、どうしてもこちらには入ってこなかった。
 「表現は自己疎外のひとつだ」という言い方をこの本でしていると思いますが、
 「それをじぶんはほんとうにわかっているのだろうか」とたいへん疑問であり、具象性を帯びて、わかったという感じにはならなかった。それが嫌で、この本を刊行するという話が出ても流れてきたという案配です。これをまとめる気にならないというかんがえになっていたのです。
 今はほとんど、それが具象性を持っている気がじぶんではしています。マルクスの考え方は最終的に、未だ滅びていない、とじぶんが信じているところなのです。
 ( 同上 )



 こちらの方がより詳しく語られている。
 わたしたちは例えば『心的現象論序説』の原生的疎外や純粋疎外という概念が何を指しその枠組みがどこから来たのか、つまりなぜ導入されたのかはわかるだろう。つまり、人間の身体的かつ心的な振る舞いというものをより構造的に捉えようとする基軸として。しかし、その背後に控えている表現者としての吉本さんの内面や言葉の揺らぎのようなものはわたしたち読者としてはなかなか突きとめるのは難しい。この『心的現象論』の刊行に対するためらいのように本人に語ってもらわないとそこまでたどり着くのはわたしには難しい気がする。このためらいは、おそらく姪の問いかけにうまく答えることができなかったというエピソードなどと連動していると思う。

 わたしの若い頃は、吉本さんの繰り出す概念やそれらが生み出す構造の理解に力を入れつつああ難しいなと思いながらたどっていた。しかし、吉本さんの対談や対談集が出るようになって表現者の深い舞台上の具体性や様々な揺らぎを知ることができるようになった。そうして、そういう微妙なことは表現されるあるいは表現された言葉にとってとても大切なことだという気がする。

 この社会は青年期や大人期を中心として稼働してきているように見えるが、人は、当然ながら青年期や大人期のみを生きるものではない。したがって、人の生活上でも知識世界上でも言葉はその本質は不変だとしても、幼年期、少年期、青年期、大人期、老年期と同一の人の言葉でも深みや色合いを推移していくもののように見える。

 人は、知識世界に限らず生活上のことでも、一般に若い頃は小さなくいちがいや微妙な揺らぎは飛び越えて大雑把な目の荒い言葉で対象(世界)を捉えがちだと言えそうだ。自分を振り返っても、そして吉本さんにもこのような内省が訪れたということは、そうだろうと思う。よりきめの細かい言葉で内省すると自分ががむしゃらに走行してきた言葉の軌跡が姪の問いかけによって大きく揺らいだのだと思う。

 この吉本さんが姪の方の問いかけにうまく答えることができなかったというエピソードは、知識の世界や知識の課題にとって何を意味しているのだろうか。現在の生に重心があるからそれは必然的でもあるが、現在の芸術も経済も政治も教育も、つまりあらゆる領域のものがまるで遙かなそれらの起源は忘れたかのように激しくどん詰まり感漂う中を走行し続けている。つまり、自分はなぜこのようなことをやっているのだろうかなど静かな深みで遙かな起源からの照り返しが時折問われることはあっても、本格的に問われることはめったにない。ただし、遙か起源からの照り返しへの内省が現在におけるよりよい走行にとって大切だといっても、遙かな起源を深く意識せざるを得ないということは、現在が病的であるということを意味しているのかもしれない。

 動物生から抜け出し自然とは異質な存在として自分を区別し始めた人間生を歩み始めた人間の、知識の遙かな起源を想起してみれば、その自然と人間の分離の意識の根っこから、根っこに向かってという二重の意識の志向性に知識は起源を持っているはずである。そこから遙かな時間が経過して、国家以前の小さな集落レベルの世界では、知識はこの世界をよりよく知ろうとする志向性自体であり、それは同時にそういう志向性を持ってしまった人間とは何かという問いを志向するものであったろう。人間的な活動の無意識的な部分も含めるとそうなる。そういう途方もなく長い日々くり返される時間の中から、人間のよりよい生き方やよりよい社会(関係)というものが生み出されてきたのだと思う。こうした途方もない長い時間の中で形作られてきた知識というものの原型は、たとえ一方に知のアクロバットを競い合ったり、知をひけらかしたり、知を政治利用したりするような現在的な風景があるとしても、現在の知識の中にも深く内在しているはずである。

 したがって、生活世界(集落)から離陸して、そこから遠く複雑になってしまった知識の世界は、生活世界と無縁なように振る舞うことができるとしても、その起源(生まれ)を抹消することはできない。ほんとうは、知識の複雑な世界を上り詰めてきたとしても、知識の言葉は、吉本さんが姪の問いかけに虚を突かれて内省の言葉を走らせたように、大多数の普通の人々が生活世界で抱くありふれた疑問に深く本質として答えることができなくてならない、あるいは知識の起源からしてそのような問いかけに答えるような言葉でなくてはならないということだと思う。

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