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日々いろいろ―「聖地巡礼」について

2017年02月13日 | 日々いろいろ

 巡礼という言葉は宗教的なものである。宗教的な意味としては、宗教的な聖地に触れることによって聖なるものや聖なるふんい気に触れ、信仰や宗教的な信を再確認したり、新たにしたりすることだろう。しかし、当事者たちにとっては、言葉に尽くせぬ内的な世界だと思われる。ガンジス川へ家族で巡礼に来ているのをテレビで観たことがある。未だ十分に宗教的な信に入っていない子どもや若者たちも加わっていた。そういう子どもや若者たちが聖なるものや聖なるふんい気と出会って、少しでも宗教的な信を深めることもこの巡礼の慣習的な自然として意図されているように見えた。

 巡礼は、文学の作品の題名にも用いられている。橋本治に『巡礼』、村上春樹に『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』という作品がある。いずれも読んだことがある。この場合の「巡礼」は、いずれも登場する人物の傷ついた心の慰藉や魂の回復と再生の物語をめざす作者のモチーフから選択された言葉である。宗教性はないけれども上の宗教的な意味がずいぶんと希釈されたものとして使われている。

 ところで、「聖地巡礼」という言葉が近年新しい意味で使われていることを最近になって知った。この聖地巡礼も以下の説明によれば、宗教性はなくても上の宗教的な意味がずいぶんと希釈されたものとして使われている。現代的な「聖なるもの」との触れ合いとしての「巡礼」である。これに類することはずいぶん以前からあった。旧来からあった巨石や霊場などを「パワースポット」や「スピリチュアルスポット」などと新たに名付けてそこを訪れるというものだった。名前を付け替えるということは、宗教性が薄れたことの代替であり、それによって現代的な聖性として復活させようとしたものと思われる。



宗教において重要な意味を持つ聖地に赴く行為(巡礼)から転じてドラマや映画、漫画・アニメ・小説などの舞台となった場所や、スポーツなどの名勝負の舞台となった場所、登場人物の名前の由来地や同名地など、本人にとって思い入れのある場所を「聖地」と呼び、この「聖地」を実際に訪れ、憧れや興奮に思いを馳せることを、「巡礼」と呼ぶようになった。

一般には各フィクションの舞台になった場所を探訪することから、「舞台探訪」、あるいは映画などでは「ロケ地巡り」などと呼ばれる。実写の形で公開されるテレビドラマや映画のロケ地が名所となるような事例に比べ、漫画・アニメに端を発する聖地巡礼では、聖地とされている場所(地名)で、そこであると作中において明確に示されているわけではないにもかかわらず、ファンから神聖視されるという点が異なる。
 (「巡礼 (通俗)」ウィキペディア)




 ここで説明されていることは、芸術作品そのものを味わうことではなくそこから派生するものや舞台裏のことなどに属している。原則から言えば、芸術作品やその周辺のことをどのように味わい楽しもうが、人それぞれで他人が文句を言う筋合いではない。わたしが取り出したいのはそんなことではない。

 わたしには現在的な意味の「聖地巡礼」ということへの関心が皆無だから、なぜ人々はそういうことを楽しめるのだろうかという関心がある。次に、それと関わるけれど、近代以降の芸術表現の捉え方によれば、芸術の表現された世界である作品と具体的な現実とはほとんど関係がない、つまり、作品の本質にとって、映画やドラマならどこがロケ地だったかとか誰が主人公だったとか、小説に実在の地名があるとか、こういうことはほとんど関係ない。関係があるとすれば、作品と具体的な現実ではなく現実から抽出され批評的な対象となった現実的な地平とでも呼ぶべきものである。

 それなのにこうした「聖地巡礼があり」、あるいは、わたしはそのドラマを観ていないけど韓国ドラマ「冬のソナタ」のロケ地などを巡っている日本人がいた。 なぜこういうことが成り立つのだろうか。

 テレビ放送が開始された初期のエピソードとして、ドラマで一度死んだ人がまた別のドラマに出ていて、おばあちゃんがとても驚いたという話を聴いたことがある。真偽の程はわからないエピソードだが、このエピソードの背後にあるのはドラマという作品(虚構)と現実世界との混同である。現在では笑い話であるが、作品(虚構)と現実世界とを同一化しがちだった歴史的な段階の名残ではないかと思う。例えば、現在ではドキュメンタリーでもその作品と現実そのものとは区別されるが、実際の戦を題材とした平家物語などの語りの場面は、現実にあったことそのものとして当時の観衆に受け取られたのではないかと想像する。また、次のことは柳田国男が述べているのだが、列島中に分布する小野小町伝説も、語る者が一人称で語ったら特に、語る者と登場人物の小野小町とを観衆は同一化しがちだったのだろう。そういうわけで、小野小町本人が旅するのが不可能なほど列島中に小野小町伝説や塚が分布している。

 遙か太古に人間が猛威も恵みももたらす大いなる自然に神を見出すようになり、巫女やシャーマンという特別の能力を持っていると見なされた存在が大いなる自然(神)とやり取りする仲立ちを担っていく。一人称で神の言葉を代わって語る巫女やシャーマンが神々のふんい気を持つ者とか神々みたいな者というふうに神と同一化されていったのだと思う。ここから歴史は、人間界における王(神)の成立という神=王の同一化へと進んできた。人間の歴史の起源の所で起こったこのようなことは、そこから遙か現在に到っても現在的な形で反復されているように見える。

 作品と現実とは別とか、あるドラマに登場した役者と生活者としてのその人とは別とか、近代以降の芸術表現の考え方が現在では主流である。しかし、微妙なところでそれらの分離があいまいになるところもありそうだ。そういう地点から現在の「聖地巡礼」は湧き出してきているのだろう。わたしたちは、現在の「聖地巡礼」の圏外に居たとしてもそれをふうーんと言いながら別に奇妙なこととは見なさないだろう。しかし、これは近代的な芸術観や作品と現実の関係などとは異質なものであり、とても古い歴史の段階から引きずって来ているものだと思う。このようにわたしたちの心から精神に渡る層は、太古から次々に入れ替わっていくのではなく、何らかの形で層を成すように保存されながら来ているように見える。もちろん、近代以降の芸術観がわたしたちの中に主流として流れていても、そこに古い層から流れ込んでくるものがあるのだろう。

 最後に、わたしの場合の作品の味わい方に触れておく。例えば韓国ドラマ「鉄の王キム・スロ」(伽耶(カヤ)建国の初代王「キム・スロ」の一代記)をテレビで観たことがある。まず物語的な起伏に富むドラマ自体としての面白さを味わう。また、これは史実に関わる作品だから、派生する関心としては、当時の鉄の重要性そしてこの列島の鉄との関わり、また、部族長が亡くなったとき「殉葬」の風習として奴隷が殺されている場面などがあった。「殉葬」の風習については、今から見れば理不尽と言うほかないものだが、日本の特攻と同じで主宰する者と「殉葬」される当事者双方が、何らかの形でやむを得ないものだという意識があったから成り立っていた風習なのだろうと考えた。

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